鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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孤立と孤独と個々

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「河北さん、ちょっといいですか…」

 ゆず子と談笑していた事務:河北を呼んだのは、同じ部署の湯原だった。彼女は心なしか、強張った表情をしていた。

「はい? どうかした?」

「今ちょっとお電話を受けているんですが…」

 2人は声を潜めて言葉を交わすと、険しい顔になった河北は持ち場へ急いだ。

(あら。何かトラブルかしら)

 部外者のゆず子には、理由を説明される事は無い。寂しい様な、でも面倒事から距離を置けてラッキーの様な、複雑な心境である。



 翌日。別の出向先にて。

「いやあ、ほんと困るわ。睡眠不足~」

 休憩中の福田が口を尖らせると、上司である林田が缶コーヒーを片手に尋ねる。

「どうしたん?」

「道路挟んで向かいのアパートにいっぱい警察来てて、ずっとワチャワチャうるさくって。夜勤明けだったのにあまり寝れなかったんですよ」

「へえ、泥棒かなんか?」

「分かんないっす。うちのアパートとは別の大家さんだし、何も聞いてないですね」

(若い女の子が1人暮らししてる近所で、警察の出る騒ぎか。物騒ね)

 ゆず子に、仕事絡みの知り合いは多い。多いが、その全員が友人知人かと言えばそうではない。
 あくまで、仕事でよく顔を合わせたり、言葉を交わすだけの間柄なのである。



 更に翌日。カフェテリア白樫。週末の書類作成をしていると、ゆず子の前のボックス席に座る、アラ還くらいの女性2人の会話が聞こえてきた。

「こないだニュータウンのアパートで、孤独死があったみたいでさ」

「へえ。近所よね、お宅の」

「うん。あそこって、年寄りの1人暮らしが多いんだよね。古くて家賃安い物件多いし」

「亡くなったのは、身寄りも近所付き合いも無かったお年寄り?」

「それがさぁ、亡くなったの50代の人なんだよ」

「へえ、50代で。孤独死って事は、死んで何日間か見つけて貰えなかったって事でしょ?…臭いとか、大丈夫だったの?」

「うん。多分、亡くなって間もなかったんだと思うよ」

(孤独死、ねえ…)

 ゆず子は経験した事が無いが、社長は若い頃に1度だけ、特殊清掃案件を行なった事があったらしい。

『3日はまともに飯食えなかったよ。どこ捲っても虫だらけ、鼻に至っては1週間くらい嗅覚がおかしくなったし。死んだら3日以内に埋葬されるのが1番!』



 半月後。シャルマン登美野の業務を終えたゆず子は、津山から話しかけられた。

「ゆずちゃん知ってる? ニュータウンであった孤独死の話」

「知ってる。50代の男の人がアパートで孤独死したやつでしょ?」

「あれ、餓死らしいよ」

「餓死⁈」

 思わずゆず子が目を丸くすると、津山は続けた。

「生活保護を断られたんじゃないかって噂だけど、身内に援助を頼みたくないって、本人が意地張って拒んだらしい話もあってね。どっちだか分かんない」

「独り身なんだろ? その人」

 善市郎が言うと、津山は首を振った。

「いや、子供居るみたい。成人を迎えた子供が別で暮らしてたとか」

「困窮した姿、子供に見られたくないって思っちゃったのかしら?」

「どうかな? 逆に子供から絶縁されてるのかも」

 津山は視線を落とすと、豆菓子を口に入れた。

「現場のアパート、かなりずさんな経営だよ。金を掛けたくないから補修もしなけりゃリフォームもしない、でも家賃収入は欲しいから入居者の募集はする。オンボロだから相場よりかなり下げないと誰も入らないもんで、そうなると生活困窮者とか訳アリばっかり来る。
今回のは『起きるべくして起きた』感じするなぁ」

 マンションオーナーである津山は、見解を述べた。ゆず子は尋ねた。

「あれって、見つけたのは誰なの? 身内? オーナーさん?」

「『知人』って話だよ。たまに様子見に行ってたんだって」

 善市郎が腕組みして呟く。

「まあ、死んじまったものはどうにもならないけど、気にかけてくれる誰かが居た事が救いやな」

「善市郎の場合は、最悪金曜の夜に死んでも月曜にはあたしが気づくから、大丈夫だね」

 津山が軽口を叩くと、善市郎は飲んでいたお茶を零しかけた。ゆず子は遠い目をした。

「あたしも、今は仕事してるけど、もし身体を悪くしたりして仕事辞めたら、どうなるかしら。何か他人事に思えないわよ」

 津山と善市郎は顔を見合わせた後、口々に言った。

「大丈夫。ゆずちゃんは100まで動けるって」

「うんうん。他人の面白話を聞くのが生きがいなんだろ? リタイアしても日替わりで誰かん家押しかけて、話聞きに行くだろうよ」

「…2人とも、あたしにどういうイメージ持ってるのよ~」

 ゆず子は唇を尖らせてみせた。



「鳴瀬さん、ニュータウンって分かる? 〇駅の北寄りの方なんだけど」

 滝童SC。ラーメン屋副店長の会田が、ゆず子に話しかける。

「ああ、もしかしてアパートで50代の人が孤独死した話?」

「うん、そう。よく知ってるね」

「他の出向先でも話を聞いてね。何となく覚えていたんだ」

 ゆず子が言うと、会田は声を潜めてこんな事を言った。

「…亡くなったの、前に私と同じ店で働いていた人かもしれない」

「え⁈」

 会田は辺りを窺うと、話を続けた。

「あたし、ここに配属される前は88号線店に居たんだけどさ。そこで1か月だけ一緒だったおじさんと、名前が同じなのよ」

「そうなの? 何で名前知ってるの?」

「うちの店で働いてた子が、今は葬儀屋に勤めていてね。その子もその人と一緒に仕事してたから、名前覚えてたのよ。それで教えてもらった」

「えー…。世の中狭いのね」

 会田は声を大きさを元に戻して話しだした。

「一緒に働いたのは10年位前かな? 勤めてた会社をリストラされた人でさ、『生活に困ってるから、いち早く働きたい』言ってたのに、いざ採用すると店のやり方に文句ばっかで動かない。いい学校出てるしいい齢だからか無駄にプライド高くて、記憶に残る使いづらい人だったの。
結局、試用期間中に自分から辞めたんだ」

「あらま…」

「思い出らしい思い出無いけど、『あの人の成れの果てがこれか』って思うと、何だかね。自業自得とも思うけど、可哀想にも思うよ」

「そうだったのね…」

 ゆず子が息をつくと、会田は床にやっていた視線を戻し、話を続けた。

「『孤独死』って聞くと、親兄弟も友達も何も無い人に思えるでしょ? でも葬儀に立ち会ったうちの元従業員が言うには、親も兄弟もみんな健在だったらしいのよ。で、皆で葬儀に参加してたんだって」

「へえ、そうなんだ。…生前に『孤立』する様な事があったのかな?」

「多分ね。家族と言えど、他人には分からない事情はあるよね」


 ゆず子も含めて、同僚も仕事中に『孤独死』案件に遭った人は居ない(1人暮らしで危うく孤独死になりかけた人は居たが)。
 集合団地での業務中はセキュリティや規約の関係もあるので、『異変?』は全て報告する事になっているが、幸運な事に今まで1度もそういう事は無かった。

(『孤独死』って、人付き合い下手な人が陥ると思ってたけど、そうでもないのかもしれないわね)

 トラブルメーカーなど性格に問題があったり、対人トラブルから他人に対し厭世的になったり、周囲から孤立するきっかけは様々だろう。



「おはようございます!」

 本日の現場に顔を出したゆず子は、河北の姿が無い事に気づいた。

(この前も休んでたわね。お子さんが風邪でもひいたのかしら?)

 トイレ掃除を始めようとしたゆず子は、入れ違いに外へ出てきた湯原に尋ねた。

「河北さん休み? 体調でも崩したの?」

「ああ、身内に不幸があったんですけど、…亡くなったのご兄弟らしくて、気落ちしたのか風邪で先週からダウンしてます」

「あら…。それは仕方ないわね」

 身内の死は、残された家族も色々と消耗するものだ。

(兄弟ねえ…。まだまだ若いから、心の整理もつかないわよね)

 気の利いた言葉をかけたい所だが、ゆず子は同僚でも友人でもなく、『河北の職場に出入りしている業者』の1人だ。

(逆に気を遣わせちゃうわよね…)

 迷った時は、何も言わないのが1番だ。ところが、出向先を後にしたゆず子は、思いがけない出会いを果たした。


 帰宅途中、クリーニング屋に預けていた冬物を取りに行くと、河北と偶然にも会ったのだ。

「河北さん?」

「鳴瀬さん」

 河北は思っていたより元気そうに見えた。ゆず子は言った。

「大丈夫? 風邪って聞いたけど」

「うん、風邪は何とか。明日から出勤するつもり」

「そうなんだ」

 店の外に出ると、河北はポツリと言った。

「…兄が死んでね。お葬式したの」

「そうなんだ。大変だったわね」

「うん。…孤独死したんだ」

 ゆず子は、目を丸くした。河北は続けた。

「死んだの、2番目の兄貴でさ。うちの兄弟の中で1番出来が良くて、大学も就職も立派なとこに行ったんだけどね、職場不倫が原因でリストラに遭って、人生が激変しちゃったの。離婚も告げらて、酒に逃げて荒れまくって、だから距離を置いたんだ。
…まさかこんな事になったとはね」

「…そうだったんだ」

 河北は自嘲的な笑みを浮かべていた。

「ごめんね、こんな話をして」

「いいのよ、気にしないで。もっと聞かせてくれる?」

 ゆず子は普段と変わらぬ表情で答えた。

「当時は本当に危なかったし、子供も小さかったから距離を置いたけど、今になってそれが正しい決断だったのか、分かんなくなっちゃった。ちょっと後悔してるかも」

 見上げた空は、日が短くなりもう夕闇に覆われつつある。少しだけ空を見た後、河北は言った。

「…ありがとう、鳴瀬さん。誰かに聞いて貰いたかったの。こんな話、職場の人にも友達にも出来ないから」

「大丈夫よ。あたしで良ければ、いつでも聞くから」

 ゆず子は微笑んだ。

「じゃあまた、会社でね」


 私にどんな話でも聞かせてね。まだ聞いた事の無い話、待ってるよ。
 あなたの同僚でも友人でもない、ただの掃除のおばさんなのだから。

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