鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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本当の姫君

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 『お姫様』と聞くと、あなたは何を思い浮かべるだろう。おとぎ話のお姫様、某王家の女性継承者、アニメやファンタジーの登場人物なども思い浮かべるかもしれない。

 女性ならば幼い頃に絵を描いたり、ドレスへの憧れを誰しも必ず経由してきたはず。何故、人は(特に女性は)こんなにも『お姫様』に惹かれるのか。


「鳴瀬さん、来月の野外作業に行ってもらう件だけど」

「はい」

「佐野さんが腰痛悪化して行けそうにないから、新人さんに行ってもらうから。一応、佐野さんや大喜田さん達が色々教えている人だから、フォローをよろしくお願いしますね」

「はい、かしこまりました」


 清掃業界はシニアが多いので、持病や体調不良での欠勤がしばしある。しわ寄せは、比較的齢若く動ける者にのしかかるのも、常である。


「本当、佐野さんたら。前回から2ヶ月も経ってないのに」

 鳥海クリンネスの社屋前で口を尖らせたのは、ゆず子の先輩:大喜田。

「ひなちゃんも分担増えて、大変みたいよ」

 ゆず子も言った。今回の業務は直行直帰ではなく、送迎車で現場へ向かう。今はメンバーの到着待ちだ。
 通りの向こうから、同じ制服を着た、見慣れない女が自転車でこちらにやって来た。

「おはようございます」

「おはようございます、初めまして。鳴瀬です」

「初めまして、鳴瀬さん。玄原と申します」

 60ちょっとと思しき小柄な女:玄原由輝子くろはら ゆきこは、自転車から降りるとキッチリとお辞儀した。大喜田は言った。

「クロちゃんはね、ご覧の通りとっても真面目なのよ。ね? 時間も厳守してるし」

「いえいえ、滅相もありません。お二方も、時間前にもういらっしゃるじゃありませんか」

「いいえー、私達もたまたまですよ」
(まるでアナウンサーみたいな話し方ね、何かやってた人なのかしら)

 送迎車が到着したので、3人は自己紹介もそこそこに乗車した。大喜田が運転担当の社員に尋ねる。

「もう1人って誰なの?」

「ああ、『お姫様』ですよ」

 社員は不服そうに答えた。玄原は不思議そうな表情をする。

「お尋ねしてもよろしいですか?『お姫様』って言うのは?」

「ああ、玄原さんは知らないよね。『お姫様』は…、あ、来た」

 大喜田が説明を止めて見やった先には、60代後半の女がゆったり歩いていた。

「ごめんなさ~い、遅れましたぁ!」

 女の言葉に、社員はムッとした表情を浮かべた。

「斎川さん、せめて車見えたら急いで歩いてよ」

「ごめんなさいね、急いだり走るのって性に合わないのよ。だって私…」

 斎川華恵さいかわ はなえは笑って言った。

「『お姫様』だったから」



 野外作業は順調に進んだ。作業をしつつ、ゆず子は考える。

(今日は『はなえ姫』と新人さんが一緒だから、『はなえ劇場』が休憩の時に始まるわね)

 そして昼休憩。弁当が配られると、斎川は玄原に話しかける。

「ねえねえ、玄原さんはこの仕事始めてどの位なの?」

「私ですか? 来週で2ヶ月になります」

「前職は何だったの?」

「前職…。何と言いますか、お金を頂くお仕事はこれが初めてです」

 玄原の言葉に、斎川は何回も頷いた。

「ああ、町内会の役員とかあるものね~。じゃあ、ずっと専業主婦だったんだ」

「そうですね、そんな感じです」

 やり取りを見ていた大喜田は、ゆず子にこそっと耳打ちする。

「…始まるよ」

 斎川は弁当のししとう天を除けてちくわ天を口にした後、話を切り出した。

「私ね、21歳まで『お姫様』だったの」

「『お姫様』、ですか?」

 玄原が尋ねると、斎川は頷いた。

「うん。父が『恵沢財閥企業』に勤めていて、一人娘だったんだ。だから、蝶よ花よで育てられた、生粋のお嬢様だったわけ」

「へえ、恵沢関係ですか」

「そう。その頃は東京の田園調布に住んでいてね。学校も幼稚園からずっとA女学院。毎日父の運転するベンツで通っていたの」

「優しいお父様ですね。毎日運転して下さるなんて」

 玄原が言うと、斎川は梅干を除けて白米を頬張りつつ笑った。

「あの時代には珍しく、子煩悩な人だったの。自慢だったわ」

 ゆず子と大喜田は、何度も聞かされた話に反応する事なく、弁当を静かに食べていた。斎川は白身魚の皮を外すと口を開く。

「箱根に別荘があって、夏休みとか長期休みはそこにずっと滞在するのが恒例行事だった。でもね、私が21の時に恵沢財閥が解体されて…。生活がガラリと変わったの」

「あら…」

 気の毒そうな表情をみせる玄原に、斎川は次の句を畳みかける。

「学費が払えなくて大学を中退して、一般企業で働く事になったわ。とっても苦労した。婚期も逃したし。
私が40の頃に父が多額の借金を残して死んで、家とか車とか色々手放したの。それでも返せなくて、ずっと働きづめで返済生活送ってるの」

「それは大変ですね。…お母様は?」

「母はいま、老人ホームに入ってるわ。苦労した分、いい所に入れたかったんだけど、何せお金が無いからね。狭くて最低限の物しかない、公営ホームに居る」


 よく飽きもせず、何回も同じ話を出来るな。ゆず子は感心するが、身の回りの同世代も似たようなものだ。斎川は口を尖らせた。

「父の事は自慢だったけどね、結局父の残した借金のせいで、結婚もやりたかった仕事も諦めたから、複雑な気持ちよ。
私も結婚して専業主婦やりたかったなぁ。結婚は無理だったとしても、こんなとっくに定年迎えた齢で、まだまだ働かなきゃいけないとか、人生なんなのかしら。
確かに子供の頃は『お姫様』だから、ワガママ放題だったかもしれないけど、それで罰が当たったのかしら。私、そんなに悪いことしたのかなぁ?」

 斎川は首を傾げながら、食べながら除けていたおかずを、弁当の空容器に戻しゴミ袋に捨てた。



「…斎川さん、初めて会う人に自分の身の上話をよくするのよ」

 午後の作業中、ゆず子が言うと玄原は頷いた。

「そうなんですね、つい聞き入りました」

 大喜田は、しかめっ面をする。

「苦労したのは分かるけど、『お姫様』だったの半世紀近く前でしょ? もはや『平民』生活の方が長いのに、いつまで『お姫様』で居るのかね、あの人は」

「まあ、アレでしょ?『1番輝いてた時代』の思い出を語りたいと言うか。…まあ、悪く思わないでね。ちょっと斎川さん、浮世離れしてるけど」

 ゆず子が言うと、玄原はにこやかに言った。

「分かりました」



 作業2日目。今日も若干の遅刻をしてきた斎川と共に、同じ顔触れで仕事だ。刈られた雑草を熊手でかき集めつつ、斎川が不意に口を開く。

「今日ね、私のおばあちゃんの命日なの」

「あら、そうだったの」

 ゆず子が目線も合わせず応えると、斎川は続けた。

「きっと泣いてるわよ。『あの齢でこんな仕事してるなんて、情けない』って」

「おばあ様はお父様の? お母様の?」

 質問したのは、玄原。すると、斎川はわざわざ作業の手を止めて言った。

「父の方よ。女孫が私だけだから、すごく可愛がってもらったわ。『はなちゃんは将来、綺麗な花嫁さんになるね』なんてよく言われたけど、結局草むしりとトイレ掃除のおばちゃんだもん。情けないったらありゃしないわ」

「そうですか? 除草作業もトイレ清掃も、大事なお仕事ですよ。お仕事は何であってもご立派な役目ですよ」

 玄原はそう言うと、斎川は不満気に鼻を鳴らした。



 休憩時間。また斎川の昔話が始まるかと思ったが、ちょっと展開が違っていた。

「斎川さん、お父様が恵沢財閥の企業だったとお聞きしましたが、どういった関係だったんですか?」

「どういった?…って、どういう事?」

 斎川が尋ねると、玄原はこう言った。

「恵沢財閥って、今は縮小して証券会社のみとなってしまいましたが、以前は輸入と貿易が主力でしたよね。どのようなお仕事だったんですか?」

「あー、業種ってこと? 船舶関係よ。子供だったからよく知らないけど」

「船舶…。じゃあ、恵沢商船か恵沢シーマーケットでしょうか?」

「え? 社名までは分かんないよ。何で?」

「ええ。恵沢財閥の関係企業だと、遺族年金が手厚いんですよ。それこそ解体縮小で、途中退社となっても適用されるとか。お母様、受給されてますか?」

 玄原の発言に、斎川だけでなくゆず子と大喜田までも、目をパチクリさせた。
(随分詳しいわね…。昨日あれから調べたりでもしたのかしら)

「えー? よく分からないけど…」

「それと、お父様の残した借金って、もう完済されてますか?まだ残ってますか?」

「いや…、えっと」

「弁護士さんにご相談して、債務整理などは?」

「頼むにもお金かかるでしょ? しないよ」



 そして最終日。業務に向かう車内で、大喜田が提案する。

「ねえ、帰りにどっか寄らない? あたしパフェ食べたい」

「賛成! 玄原さんもいいでしょ?」

「勿論です。斎川さんは?」

「えー、どうせ安いファミレスのでしょ? あたし『お姫様』だったから、美味しいのしか食べないよ」

 斎川の返答に、大喜田は口を尖らす。

「お姫様も何も、あんたもあたしと同じただのババアじゃん。あたしと同じで美味しいとこのなんか、高くて買えないでしょ? 来なよ」

「やーね、口の悪い庶民のばあさんは。分かったよ、行って安くてマズイの頼めばいいんでしょ?」

 斎川はふてくされて返事した。


「あら~、これ、ウサちゃんのアイスがのっているんですね!」

 メニューを開いた玄原は楽しそうに呟いた。斎川は口を尖らせる。

「安い業務用アイスだから、飾り付けに凝らないと売れないんでしょ?」

 注文を終えると、玄原は斎川に言った。

「斎川さん、私の知り合いの弁護士さんを紹介しますから、債務整理を考えません?」

「えー、いいって。どうせ無理だから」

「お金が心配でしたら、無料の範囲で出来る事もありますよ。やりましょう? お母様だけでなく、あなたのこれからも心配ですから」

「しつこいよ、もう」


 その後、玄原がトイレに立ったので、ゆず子は言った。

「斎川さん、身の上話したから信用されてるって思われて、懐かれちゃったんじゃない?」

「懐くも何も、ちょっと変わってるよあの人」

「何かね、いい人なんだけど」

 玄原が戻り、届いた注文品をそれぞれが食べ始める。すると、ファミレスに上質なスーツを着た30代くらいの男性が入店するのが見えた。玄原を見つけ、近づいてくる。

「…奥様? 先ほど電話頂いたみたいでしたが、何かございましたか?」

「ああ、忙しいとこ悪いわね。ちょっと相談があって」

 玄原は勝手知ったる感じで会話をする。大喜田が目を丸くして尋ねる。

「え? お知り合い?」

「ごめんなさいね。こちら、知り合いの弁護士の楠木さん。斎川さんの相談しようと思って、来て頂いたの」

「「「え?」」」



「へえ、じゃあ玄原さんて」

「うん。正真正銘、いいとこの奥様だったみたい」

 別の日、会社近くのファミレス。久しぶりに会った六角と大喜田とゆず子の3人で、お茶をしていた。大喜田も言った。

「玄原さんのお父さんは別の財閥企業、旦那さんもそこそこの大企業の重役みたいでね。玄原さんは学校まで運転手つきの送迎があるし、海外に別荘を持ってるセレブの生まれなのよ」

「斎川さん、金持ちでも小物の部類じゃないですか。比べ物にならない」

 六角は首を竦めた。ゆず子は言った。

「人は見た目によらないわよね。玄原さん、ボランティア活動は前々からやってたけど、『お金を得る労働』はないから、ずっとやってみたいって熱望していたそうよ。勤務態度もとても良いから、金持ちだなんて気づかなかったわ」

「本当の金持ちは違うね。それに斎川さんの言ってた借金も、生活の質を下げたくないからしたものだったんでしょ? 父ちゃん関係ないじゃない」

 大喜田は事も無げに言った。



 金持ちは心に余裕があるから喧嘩をしないのか、金を持ってるから喧嘩になる前に金を使って回避するものなのか。

 所詮、生まれた時から死ぬまで平民の私達には、分からない次元の話である。
 1つ言えるのは、金持ちは浮き世離れした人が多いということか。

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