鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

文字の大きさ
上 下
73 / 99

友達

しおりを挟む
 『いじめ』という現象がある。人間だけでなく、動物の中でもしばし有るとされ、社会生活における弊害の1つだ。
 発生頻度の高さから、人間誰しも生まれてから死ぬまでに最低でも1度は、苛める側か苛められる側の当事者になる、とも言われている。

 いじめというものは、何も学校生活だけとは限らない。
 社会人になってからもあるし、何なら結婚後もあり得る(嫁姑バトル的な)。
 介護施設で働く知人が言うには、『身体の不自由な利用者や認知症の利用者同士でも罵ったり、相手の物をわざと床に叩きつけて壊そうとした事がある』との事で、老人ホームに行く年齢になっても存在するらしい。

 いじめる側に問題があるのは承知の上だが、そもそも一体何が引き金となってしまうのか。まあ最初は、取るに足らないほんの些細な出来事がきっかけなのだろうけども。


「おはようございます、鳴瀬さん!」

 ゆず子に挨拶してきたのは、主婦パートタイマー:藪木。ゆず子もにこやかに返す。

「おはようございます」

「本当、今日はいい天気ですよね。布団干してきちゃいました」

「あ、いいですねぇ。私もそうすれば良かったわ」

 藪木はゆず子と共に廊下を歩く。

「…私ね、鳴瀬さんに会えるのすごく嬉しいんです」

「え、どうして?」

「何かすごくホッとするんです。これからもこうやって、お話してくれますか?」

「え、ええ。まあ、配置につくまでで良ければ」

 藪木は更衣室に着くと、軽く手を振って離れて行った。


 藪木英香やぶき えいかは42歳、夫と息子と暮らす主婦だ。今年6月からこの会社で、夫の扶養の範囲内で働いている。性格はおとなしく、おっとりとした語り口が特徴的だ。

(気に入られたのか。何だろ、自分の母親に似てるとか?)

 ここの会社の主婦パートタイマーは、気が強かったりハキハキした男勝りの人が多く、人によっては苦手意識を持つだろう。

(うーん、でもおとなしいおばちゃんのグループも居るわよね)

 そもそも、ゆず子がここに出向する時間は、藪木の出勤時間ギリギリである。更衣室で作業着に大急ぎで着替えて、始業に間に合うのだろうか。

(遅刻のリスクを冒してまで、あたしと顔を合わせたいのは、何でだろう?)

 ゆず子はゴム手袋を嵌めつつ、首を傾げた。



「…鳴瀬さん、藪木さんに付きまとわれてるでしょ?」

 女子トイレ掃除中に話しかけて来たのは、顔見知りの主婦パートタイマー:三島だ。

「ん? そうなの?」

「うん。だって一緒に歩いてるの見た」

「ああ、出勤時間被ってるみたい」

「違うよ。あれ、待ち伏せしてるんだよ」

 ゆず子は目を瞬かせた。

「『待ち伏せ』⁈ あたしを?」

「そう。藪木さん、15分前には来てる。駐輪場でずっとスマホ弄って時間潰して、鳴瀬さん待ってるんだよ」

「えー、何それ。何で?」

「独りぼっちが嫌なんでしょうよ。…藪木さん、いま仲間外れされてるみたいだから」

「仲間外れ…? へえ、何でまた」

「持ち場違うからよく分かんないけど、寺田さんを怒らせたみたいだよ」

 寺田は製造部門で働く、ベテランパートタイマーの主婦だ。
 仏の様な人相の通り穏やかでおとなしい女性で、おばちゃん同士の対立が業務に差しさわりそうな時は、自ら仲裁を買って出ると聞く。

「寺田さん…、準夜勤だからあまり話した事無いけど、そんな怒るような人だったっけ?」

「うん、だから相当の事をやったんじゃないの? あたしもあの人怒ったの、見た事ないもん。…ま、何が原因かは付き合ってあげる内に分かるでしょう」

「えー、怖いんだけど」

 口を尖らせるゆず子を尻目に、三島は楽しそうにトイレを後にした。


 藪木が、3~12時勤務の寺田と顔を合わせて仕事をするのは、実質4時間ぐらいか。
 仕事でミスを連発したとしても、仲間外れにするような子供じみた事を、寺田がするだろうか?

(根本的にミスの処理や始末書は社員さんの仕事だから、それが原因だとしたら社員さんがまず『嫌う』と思うのよね)



 今日も出向すると、藪木はゆず子に駆け寄ってきた。

「鳴瀬さん! おはようございます」

「おはようございます。いま来たとこなの?」

「はい。いっつもギリギリなんですよ、急いでるつもりなんですけど。…鳴瀬さんて、何処から通ってらっしゃるんですか?」

「私? 駅西から来てるわよ」

「え、結構遠いですよね。すごいなあ」

「そんな事ないわよ。藪木さんはどちらから?」

「文化ホールあるの分かります? あそこの近くの、プリンスガーデンっていうマンションです」

「プリンスガーデン⁈ …そうなんだ」
(プリンスガーデンマンションって言ったら、この辺りではかなり高級なマンションだぞ)

 ゆず子は悟られないよう相槌を打つと、靴を履き替えた。藪木は続けた。

「実質15分もあれば来れる筈なんですけどね、あたしってトロいから、時間かかっちゃって。それでは」

 藪木はにっこり笑うと、更衣室前で手を振った。



 また別の日。

「おはようございます。鳴瀬さん、ご出勤は毎日じゃないんですね?」

「ええ、ここの契約がそうなので。昨日は別の会社へ」

「週何日勤務なんですか?」

「週5か6かしら。たまに予定外の仕事も入るので」

「すごいなあ、あたしなんて4時間半の週4日でギブです~」

「人によるわね、それは。以前は何の仕事を?」

「うーん、それが。ちゃんと働くのって、今回が初めてなんです」

「じゃあ、ずっと専業主婦だったんだ。独身の頃は?」

「いえ。学校出てすぐ、主人と結婚したんです」

(『学校出てすぐ結婚』。て、事は今年で結婚20年ぐらいってことか)
「お子さんて、小さいの?」

「いいえ、中学生です。それでは、また」

 ゆず子は更衣室の閉まるドアを見つつ、しばし考えた。
(てっきり、子供が幼稚園とか小学校入ったから働き始めたと思ったけど、働くきっかけって何だったんだろう?)



 別の日。

「おはようございます」

「おはようございます。今日はちょっと寒いわね」

「ええ、寒暖差ありますよね。寒いの苦手なんです、暖かいとこ出身なので」

「へえ、何処なの?」

「名古屋です。高校までそっちで、父の仕事で東京に引っ越して。20年以上経つけど、何故か慣れないんですよね」

「そうなんだ。旦那さんとは、大学で知り合ったの?」

「いいえ、お見合いです。A女4年の時にお見合いして、卒業後に結婚したんです」

「A女?」

 ゆず子が聞き返すと、藪木はハッとして答えた。

「あ、A女学院です。女優の照島カエデの出身大学」

(『A女学院』って言ったら、3大お嬢様大学の1つじゃないの。この人、ただのおっとりじゃなくて、生粋のお嬢様だからこんな感じなんだ)
 ゆず子は、そんな事はおくびにも出さずに返す。

「ああ、照島カエデね、分かるよ。あの人以外にも有名なOB居るわよね」

「そうですね、モデルとか歌手とか」

 藪木は笑いながら言った。


 女子トイレの掃除中、製造部門の女子社員:柄北に会ったので、それとなく藪木の事を質問した。

「藪木さんですか? まあ、真面目に仕事に取り組む、いい人ですよ」

「そうなんだ。最近、よくあの人に話しかけられてね」

「あー…、仕方ないっすね。あの人、天然すぎるって言うか、それでちょっと周りから浮いてますから」

「浮いてる?」

「配属されて、半月ぐらいかな? 空き時間に『藪木さんは何でこの仕事選んだの?』って寺田さんがお尋ねしたら、『やる事無くて暇つぶしです』って笑顔でお答えになって」

「あらま」

「寺田さんって、金銭関係で苦労なさった方だから、余計に鼻についたのかも。その他にも『旦那さん何の仕事してるの?』って訊かれて『大手です』って答えたり。『旦那さんの稼ぎでも充分暮らしていけるけど、ママ友に苛められたから仕事先で新しい友達を作りたいんです』って言ったり、本人は至って真面目なんですけど、何だかなぁ…」

 柄北は頭を掻いて、続けた。

「まあ、使う立場からすれば、『生活かかってる』って人と『暇つぶし』で来てるって人は、取り組み方見れば一目瞭然なんですよね。藪木さんは完全に後者ですよ」



 別の日。ゆず子の姿を見たのに、藪木は浮かない表情だった。

「…おはようございます」

「おはようございます。あら、元気ないわね」

「ええ、ちょっとね」

 歩き始めた藪木は、重い口を開いた。

「私って、いつも仲間外れに遭って、独りになっちゃうんです」

「へえ、そうなの?」

「子供の頃や学生の頃は、似た様な環境の子達に囲まれていたからそうじゃなかったけど、周りより早く結婚したから、未婚で仲良かった友達とは疎遠になっちゃったし。
子供が私立落ちて入った公立の小学校のママ友とも、そりが合わなくて浮いちゃうし。
『一人で行動すればいいじゃん』ってアドバイスくれる人も居るけど、ずっと女子校だったから団体行動以外、上手く出来なくて…」

(本人は至って本気で悩み相談してるんだろうけど…。人によってはマウントって思っちゃう内容ね)
 ゆず子は無言で聞いていた。藪木は続けた。

「ここのパートさん達もね、『掃除のおばちゃんとつるんでないと、出勤できないの?』なんて笑ってくるようになったの。…私のせいで、鳴瀬さんに迷惑かかるかもしれません」

「そう? 気にしてないよ、私」

 ゆず子の言葉に、藪木の表情がパッと明るくなる。

「そうですか? じゃあ、私と友達に…」

「あたしは、友達を作りにここに来てるのではなく、仕事をしにここへ来ているのよ」

 ゆず子の言葉に、藪木の表情は固まる。ゆず子はにこやかに続けた。

「何でも向き不向きはあるものよ? 仕事でも友達でも、環境でも。では、失礼」

 ゆず子が事務室に向かうのを、藪木は黙って見つめていた。



「そう言えば藪木さん、辞めたんですか?」

 ゆず子が袋へゴミを入れている休憩室。柄北が言うと、先輩女子社員:福田はスマホを弄りつつ返事した。

「まーね。金持ちのお遊びみたいな仕事ぶりだったし」

「まあ、割に素直な人でしたね」

「それはそうかもね。ていうか、カルチャースクールか何かだと思って来るの、やめて欲しいよね」



 恐らく、藪木はゆず子にも『いじめ』られたと思ったまま、辞めて行っただろう。

(もうちょっとフォローすべきだったかな?)

 今となって反省はすれども、敢えて『合わない友人関係』を結ぶ必要もないだろう。
 恵まれた星の元に生まれた不遇の彼女を、ゆず子は人知れず憂うのだった。

しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

出て行けと言われても

もふっとしたクリームパン
恋愛
よくあるざまぁ話です。設定はゆるゆるで、何番煎じといった感じです。*主人公は女性。書きたいとこだけ書きましたので、軽くざまぁな話を読みたい方向け、だとおもいます。*前編と後編+登場人物紹介で完結。*カクヨム様でも公開しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

唾棄すべき日々(1993年のリアル)

緑旗工房
経済・企業
バブル崩壊で激変した日本経済、ソフトウエア産業もまた例外ではなかった。 不況に苦しめられる中小企業戦士の日々を描きます。

処理中です...