鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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クレバー ※パワハラ?マタハラ?的表現あり

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 『勘が鋭い人』と『読みの当たる人』という人々が居る。両者とも、先の事を予測することに長けている人を指すが、両者には微妙な『差』がある。


 あれはどの位前の事だったか。

「パティスリーのさ、ちっちゃくて若い女子居るじゃん? あいつ生意気だよね、裏で会っても挨拶しないし、私語は大声だし」

 休憩中のラーメン店従業員:末永が、水筒の茶を飲みながら言うと、ラーメン店副店長:会田は意外そうな表情をした。

「え? まさか瀬戸さんのこと? あの子ちゃんと挨拶するイイ子よ」

「え?…あー、その子は30代くらいの子でしょ? あたしが言ってんのは、その人よりも小さい女」

「あー、そう言えば居るね。そっちかぁ」

 合点のいった会田が頷くと、ゆず子も合流した。

「稲田さんって言ったっけ。あの子、赤石店長大好きなんだよね」

「鳴瀬さん、詳しいね」

「間渕さんから聞いたの。仕事終わりによく買いに来るらしいよ」


 パティスリー:ハニープレートには、パティシエール(女性パティシエ)が2人居る。製菓学校を出たての稲田吹雪いなだ ふぶきと、本店勤務経験者の瀬戸芽実せと めいみだ。

 新卒の稲田はパティスリーの仕事に誇りを持っているが、何処か買い被りがあり、他店舗や自店のパート従業員に対して高圧的だ。
 末永はそれが気に食わないらしい。

「あんなぶりっ子、赤石くんが相手にする訳ないって! 話す時に上目遣いとか首傾げてかわい子ぶって、気持ち悪っ!!」

「若いから底が浅いよね。使い分けてるの、バレバレだし」

 末永の言葉にゆず子も同意すると、会田も言った。

「対する瀬戸さんは違うよね。社会人経験の差と言うか」

「爪の垢、分けて貰えばいいのに」

 末永はニヤニヤして言った。



「自分、赤石店長めっちゃタイプなんですよ!」

 別の日。従業員休憩室で向かい合わせで昼食を取っていたのは、パティスリーの稲田と瀬戸だった。瀬戸は笑って頷いた。

「そうなんだ」

「何かちょっとワイルドっていうか、昔ヤンチャしてたっていうか、そういう雰囲気のある人に弱いんですよ!」

(確かに大声ね。女子会のテンションだわ)

「確かにそんな感じあるね」

 瀬戸は話を折らないが、適当な相槌をうっている。稲田は続けた。

「最大のいい所は『良きパパ』であるとこなんですよ。お子さんのバースデーケーキ、注文しに来た事あって」

「ああ、店長が作ったやつね」

「何かいいですよね、子供の為に一生懸命で。同じパパ店長でも、うちの店長は完全な亭主関白!! 大違いだし!…瀬戸さん、ああいう男の人、どう思います?」

「うーん、ちょっと勘弁かな?」

(おいおい、どこで誰が聞いてるか分からないぞ?)
 ゆず子は心の中で苦笑いした。稲田は言った。

「瀬戸さんて、彼氏さん居ましたっけ?」

「居ないよ。仕事が彼氏」

「えー、勿体ない。いい出会い、あるかもしれないじゃないですかぁ。ほら、うちで言ったら、瀬戸さんより年下だけど峰岸さんとか。あと塩本さんも独身で彼女居ないですよね」

 ところが瀬戸はこう言った。

「峰岸くんはともかく、塩本さんはダメ。問題外」

 何気ない世間話だが、急に声のトーンが変わったので、ゆず子は何となく気になった。


 それからしばらくして、『洋酒行方不明→従業員の窃盗』事件が明るみになった。

(もしかして、結構怪しい素振りや素行の悪さが見えていたのかしら)

 かなり早い段階で、手を付けているのに薄々気づいていたのかもしれない。

(彼女、案外デキる子なのかもね)

 そんなゆず子が従業員休憩室の業務をしていると、休憩中の瀬戸に末永が話しかける場面に出くわした。

「…こないだ一緒にハンバーガー食べてたの、彼氏?」

 瀬戸は一瞬ギョッとした顔をしたが、笑って答えた。

「そうです。見てたんですね」

「おばちゃん達って鋭いのよ? そこの鳴瀬さんもね。副店長が『あれ、パティスリーのお姉さんよね?』って見つけて教えてくれて。優しそうなイケメンじゃないの。付き合って長いの?」

 瀬戸は末永とゆず子をこわごわ順番に見やると、笑って口を開いた。

「まあ、2年くらいです」

「彼氏、居たんだ。居ないのかと思った」

 ゆず子が先日の休憩中に聞いた事は伏せて言うと、瀬戸は答えた。

「居るんですよ。でも、仕事には関係ない話なので、職場では伏せてます。…人生、何があるか分からないし」

「そうね、それが1番かもね」

 確かに、『婚約寸前で別れた』『上手く行ってない』などが同僚に知れて、余計な気を遣うのも遣われるのも面倒だ。

 末永は尋ねた。

「小さい女子の社員さん居るよね? あの子とは仲いいの?」

「あー、稲田さんですか。まあまあ? 唯一の同性だから、ね」

 含みのある瀬戸の言い方に、ゆず子と末永は苦笑した。

「ドライなのね、あなた」

「いいんだよ、ハッキリ言っちゃっても」

「いえいえ、遠慮しときます」

 瀬戸も笑った。ゆず子は言った。

「パティシエ歴長いの?」

「そんなには。6年くらいかな? その前はホテルで調理師してました」

「へえ、じゃあパティシエと調理師、両方持ってるんだ。二足の草鞋ね」

「一応。活用出来てるかは別ですけど」

 瀬戸がはにかんで言うと、末永はこんな事を言った。

「どうなの、最近。そちら結構落ち着いて来たよね」

「落ち着いたって言うか、単価が高いから客足過疎ってますね。正直厳しいですよ、原価率」

 瀬戸はズバリ続けた。

「…言っちゃ悪いけど、社長の読みが甘いんです。テコ入れしても、来年度まで持つかどうか」

「あらあら、そんな悪いの?」

 ゆず子が尋ねると、瀬戸は再度ふわっと笑った。

「おっと、喋り過ぎました。まあ、私はお店と添い遂げる気は無いです。あくまでここも通過点」

 時間になったのか、瀬戸はそう言うと会釈して席を立った。末永は腕を組んだ。

「…賢い子だ。それだけは言える」



 それから約3ヶ月後。トイレ掃除中に会った末永が、こんな事を教えてくれた。

「パティスリーの瀬戸さん、覚えてる? どうやら例のお相手と結婚して、いまオメデタらしい」

「あらま。そうなんだ」

「何かね、あれからすぐに入籍してたみたい。最近見かけなくて、会田さんが向こうの店長に訊いたら、結婚した事とつわりが酷くて休みがちなの教えられたんだって」


 ある事がきっかけで、話しかけられる機会が増えた稲田も、ゆず子に言った。

「鳴瀬さん、育休後の復帰って、何が決め手になりますかね?」

「復帰の決め手?」

「瀬戸先輩が辞めちゃったら、誰とも女子トーク出来なくなっちゃうし。心の拠り所が1つ減っちゃうんですよ」

「そちらって、他に女子の社員居ないの?」

「本社の事務になら2人居ますけど、現場じゃないですから。募集かけても男子しか来ないですもん。瀬戸先輩、大変だろうけど復帰してくれないかなぁ。何なら私が先輩のベビちゃんのお世話、しながら仕事したいです~」


(子育て中の女性の職場復帰も、昔に比べたら段違いに増えてはいるんだけど、こればっかりは色んな要因があるから、全員が全員と言えないのよね)

 色んな業種や職場を間接的に見てきたが、公的なサポート(時短勤務や保育園など)さえあればOKとは言えないものだ。

(重いアレルギー持ちで保育園ダメだったり、旦那さんの転勤があって辞めた人も居るし。そもそも、稲田さんが復帰を望む理由は自己中心的だしね。どうなるかしら)



 別の日、ゆず子が店舗裏のバック通路を掃除している時だ。パティスリーの店長と男性従業員の会話が聞こえてきた。

「…瀬戸さん、育休後はここの店舗ですか? 時短で?」

「いや。マネージャーは新店に異動させろって言ってる」

「新店? 都内のですか?」

(新店ねえ。業績不振なのに、手を広げる予定なんだ?)

「そう。で、求人に『子育て中のママさんも働きやすい職場』って出せるよう実績も必要だから、瀬戸さんはうってつけなんだよ。時短にするかどうかは新店次第かな。ま、今つわりで休みがちだし、それを負い目に復帰後はフルタイム勤務って、言ってくれたら大助かりだけど」

 それを聞いた、ゆず子の口元が思わず強張る。男性従業員は言った。

「ああ、そのために瀬戸さんを。成程」

「だからさ、つわりで休まれても嫌な顔はすんなよ。瀬戸さんに辞められたら、計画がおじゃんになるから、絶対育休復帰させないと」



 その後、つわりが落ち着いたか、また瀬戸を見かけるようになった。

(あの話、とても本人には教えられない。けれども…)

 瀬戸を見かける度、ゆず子は葛藤した。所詮は噂話みたいな非公式な情報、されど社外秘の機密の1つだ。教えてしまうのは業務上の禁忌である。

 モヤモヤするゆず子の元に、瀬戸がやって来たのは、春先の事だ。

「お疲れ様です、鳴瀬さん」

 だいぶ腹部が大きくなり、制服も少々窮屈な瀬戸は、微笑みを浮かべていた。

「お疲れさま。あらま、大きくなったわね~。いま何か月なの?」

「もうすぐ7ヶ月です。今日は挨拶にきました」

「え、私みたいな掃除のおばちゃんに? そろそろ産休なの?」

「いえ、退職するんです」

「退職? 仕事、辞めるんだ」

 瀬戸は穏やかに話し始めた。

「私、お店と添い遂げるつもりは無いので、仕事に未練もないんですよ。引き留めとか優遇措置とか色々遭ったけど、そもそも見切りを早い段階でつけて居たので。お世話になりました。どうかお元気で」

(そうだったわ、この子…)

 彼女は確かに、賢い子だったのだ。

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