鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

文字の大きさ
上 下
66 / 99

バッカス ※犯罪行為、依存症描写あり

しおりを挟む
「…塩本さん、今月ずっと連勤してません?」

「今月ですか? でも、ちょくちょくお休み頂いてますよ」

 話し声にふとゆず子が目をやると、そこには今年の春にオープンしたばかりの『パティスリー:ハニープレート』の従業員:塩本明成しおもと あきなりと唐揚げ屋店長:赤石が休憩を取っていた。

「そうですか?」

「まあ…、辞める人が続いてシフトがバタバタになりましたが」

「あー…、開店半年ですからね。他移るって人も出始めますね。塩本さんは?」

「僕はそんな。だって、今までパティシエの仕事しかしてなかったんですよ? パチンコ屋さんとか事務職行っても、何の役にも立てませんよ」

 塩本は頭を掻きながら笑っていた。


 パティスリー:ハニープレートは、東京の六本木にあるケーキの有名店を本社としている。『親しみやすい価格で購買層を拡大させる』を目標に展開された、実践的店舗(悪く言えば本店の廉価版店舗)だ。

 この郊外型ショッピングモールに、鳴り物入りでやって来た当初は連日大行列だったが、最近は客入りも落ち着いてきた。
 ゆず子も仕事終わりに立ち寄ってみたが、思ったより親しみにくい価格設定だった。


(うん、本格的だからね。仕方ないのよ)

 トイレ掃除をしていると、個室から赤石が出てくるところだった。ゆず子は何気なく声を掛けた。

「赤石店長って、パティスリーの人と仲がいいのね?」

「ああ、俺が話すのは塩本さんだけね。タメ年なの」

「あ~、なるほど」

「本当、パティシエって、カッコイイよね。唐揚げ屋なんて、何年働いても何の資格もねえからさ」

「あたしもそうよ。いいわよね、横文字の業種名って」

「じゃあ、あれか。鳴瀬さんは『クリーンスタッフ』で、俺は『フライドチキンチーフコック』か!」

「唐揚げは、フライドチキンじゃないわよ。それ、詐称だから」

 2人は大笑いした。



 別の日。ゆず子がゴミ袋を持ち、SC内集積所へ行った時のこと。所員の森下が、神妙な顔をしてゴミとして出された空の瓶を見つめていた。
 ゆず子は声をかけた。

「お疲れ様です。どうかしました? その瓶」

「あ、お疲れ様です~。ちょっと、妙な事を言われましてね」

 森下は別の瓶を新たに手に取った。

「妙、ですか?」

「パティスリーさんから『中身が残った酒瓶を、ゴミとして持ち込んでませんでしたか?』って問い合わせがありまして。どうやら、誰かが間違えてゴミ出したかもって話なんですよ」

「成程、洋菓子って洋酒とか香りづけに使いますものね。…わざわざ問い合わせるって事は、重要なお酒だったのかしら?」

 森下はまた別の瓶を手に持って、目を細めた。

「パティスリーさんて、遮光タイプとか色付きの瓶が多いんですよ。だからパッと見、残量が良く分からないんでしょうね。一応、こっちも残渣あると回収業者に渡せないから、確認してるんですけどね」

 SC内の店舗から出たゴミは、事業ごみとして清掃工場で焼却処分されるが、種類によっては更に別の業者に引き渡す事もある。

 その時のゆず子は、あまり深く捉えて無かった。



「飲食の店舗さんで、配送された資材が行方不明になっているそうです。ナマモノではないそうですが、見かけたら管理局まで連絡下さい」

 半月後。ゆず子が出勤すると、管理事務所から通達を受けた。

(たまに年末年始とかの時期に、隣の店舗と配送品を取り違える話は訊いた事あるけど。今の時期、そういう事あるのかな)

 ゆず子が業務にあたっていると、バック通路を顔なじみの従業員が歩いてきた。ラーメン屋の従業員の末永だ。

「お疲れ様です。いま休憩?」

「ううん。レジ金の両替と、ついでに提出物を事務所に」

「そう言えば、飲食の店舗で『失くし物』あるって聞いたけど…?」

 ゆず子が言うと、末永は首を振った。

「うちじゃないよ。パティスリーさんだって」

「あらま」

 末永は腕を組んで言った。

「何かね、失くし物ってお酒らしい。だから会田さんとさ、『絶対出て来ないよ、誰かが持って行って飲んでるって!』って話してたんだ」

(この前もパティスリーだったな)
「配送ミスではなく?」

「年末年始とか、新店の開店とか、バタついてない時期にミスは無いでしょう! まあ、配送業者が新人でミスしたとかなら、あるかもだけど」

 飲食店の資材配送は、毎日ある。毎日の事だから業者も慣れるし、パティスリーは開店して半年も経っている。誤配はほぼあり得ない、との意見だ。

 末永は笑いつつ自店へ向かった。

「見つけたら、管理に連絡する前に一口ちょうだい」

「見つけたらね~」

 ゆず子も業務へ戻った。


 掃除のために、従業員用の男子トイレに入った時だ。見慣れぬ物が視界の端に映り込んだ気がして、ゆず子の動きが止まった。

(何だろう、あれ)

 手洗い場、鏡の前の空間に、ステンレス製の黒い水筒が置いてあった。ふと個室を見やるが、誰も使っていない。

(あー、忘れ物かぁ)

 大方、水筒を片手にトイレに行き、用を足すので手洗い場に置いて、そのまま忘れて用を足して出て行ったのだろう。

(トイレのね、出入り口前とか個室の荷物掛けとか、あと手洗い場付近って、置き忘れ多いのよね)

 掃除の飛沫がかかると大変なので、先に水筒をトイレの外へ移動しようと思い、ゆず子は水筒を手に取った。

(思ったより重いぞ?ほぼ満タンね)

 従業員休憩室には、置き型のウォーターサーバーがある。家から持ってきた分を飲み切ったので、休憩室で補充した直後だったのか。
 外に出ると、廊下の向こうから大慌てで走って来る人物が居た。パティスリーの塩本だった。

「…あ! それ…」

「お疲れ様です。もしかして、あなたのかしら? トイレの鏡のとこにあったわよ」

 塩本は走ってきたからか、大汗をかいていた。

「良かった、ここだった」

 ゆず子が水筒を渡すと、塩本はしっかりと受け取った。ゆず子は言った。

「大丈夫? すごい汗ね」

「あ、はい。すいません、急いでいたもので。ありがとうございました!」

 行こうとした塩本だったが、振り返ると、こんな事を急に言った。

「…もしかして、開けました?」

「え?」

 思わずゆず子が聞き返すと、塩本は笑みを浮かべて言った。

「いえ。これちょっと締まりが怪しいから、閉める時コツが要るんですよ」

 塩本はその場で、水筒を逆さにしてみせた。

「あ、大丈夫だ。失礼しました、ありがとうございます~」

 塩本は小走りで店舗へ向かった。ゆず子は訝しがりつつ、それを見送った。



 ひと月後。ゆず子が従業員用女子トイレを掃除していた時だ。やって来た末永から呼び止められた。

「お疲れ様です、鳴瀬さん。前にあった、お酒が行方不明になったやつ、覚えてる?」

「あー…、誤配か置き忘れかってやつ? 覚えてるよ」

「…あれね、従業員が持って行ってたみたいよ」

「え。窃盗ってこと?」

「パティスリーの従業員に、アル中の人が居たらしいのよ。職場のお酒に手を出すようになって、瓶から少しずつ持って行き、まだ入ってる瓶をゴミ捨て場に持って行くフリで持って行き、最終的に到着した資材を丸ごと持って行ったみたい。空の酒瓶は律儀にも集積所ね」

「『持って行く』って、何かに入れてたってこと?」

 ゆず子の脳裏に、いつぞやの塩本がよぎる。

「うん、水筒にね。毎日水筒を何本も持って来てたらしいよ。厨房内で作業中に水分補給しようとした同僚が、自分のと取り違えてかすめ取った酒入りのやつ開けちゃって、バレた」

(そっか。だから水筒の中身を…)
「辞めたの? もしやそれって、アラフォーぐらいの男の人?」

「誰かまでは聞いてないけど、解雇されたみたい。パティスリーの店長が『いい酒だけ選んで飲みやがった!』って、怒ってた」


 高級志向の洋菓子店は、調理にそこそこ高級な洋酒を用いていた。普通の人が飲んでも美味しくて癖になるのだ、依存症の人の自制が効かなくなるのも必然だろう。

 パティスリー:ハニープレートの物語は、これが序章なのであった。

しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

『食管法廃止と米の行方一倉庫管理者の証言』

小川敦人
経済・企業
エッセイ『食管法廃止と米の行方――倉庫管理者の証言』は、1995年に廃止された食糧管理法(食管法)を背景に、日本の食料政策とその影響について倉庫管理者の視点から描いた作品です。主人公の野村隆志は、1977年から政府米の品質管理に携わり、食管法のもとで米の一元管理が行われていた時代を経験してきました。戦後の食糧難を知る世代として、米の価値を重んじ、厳格な倉庫管理のもとで働いていました。 しかし、1980年代後半から米の過剰生産や市場原理の導入を背景に、食管法の廃止が議論されるようになります。1993年の「タイ米騒動」を経て、1995年に食管法が正式に廃止されると、政府の関与が縮小され、米市場は自由化の道を歩み始めます。野村の職場である倉庫業界も大きな変化を余儀なくされ、彼は市場原理が支配する新たな時代への不安を抱えながらも、変化に適応していきます。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

男と女の初夜

緑谷めい
恋愛
 キクナー王国との戦にあっさり敗れたコヅクーエ王国。  終戦条約の約款により、コヅクーエ王国の王女クリスティーヌは、"高圧的で粗暴"という評判のキクナー王国の国王フェリクスに嫁ぐこととなった。  しかし、クリスティーヌもまた”傲慢で我が儘”と噂される王女であった――

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

処理中です...