鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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ピーク ※体型・頭髪に関するネガティブ表現あり

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 出向先の会社、従業員用下駄箱掃除中のゆず子は、ある違和感に気づいた。

(あら…?)

 手を止めて辺りを見渡すも、違和感の正体には気づけない。

(何だろう。何かが足りない?)

 ふと思い立って1番端から『箱』の数を数えてみる。

(9,10,11…、使われている下駄箱が1つ減っているんだ。誰か辞めたのね)



「そういえば、どなたか最近お辞めになったの?」

 ゆず子の問いに少々顔を強張らせたのは、福留。

「あー…、児玉先輩がね。退社したんですよ」

(何でマズそうな顔をしたんだろ)
「そうなんだ。転職?」

「詳しく聞いてないけど、多分」

 福留はそれだけ言うと、サッと場を去った。



 児玉孝晃こだまたかあきは福留の1つ先輩で、福留同様に会社の設立当時から居る、ベテラン社員だった。
 某男性アイドルグループのメンバー:Aによく似たイケメンで、社内外を問わず、女性からの人気があった。

「あれ? 児玉先輩、携帯機種変したんですか?」

 休憩時間。当時まだ10代だった福留が問うと、20歳そこそこだった児玉は、うんざり顔で返した。

「勘違い女に携帯へし折られてさぁ。修理中なんだ」

「携帯へし折るとか、ヤバっ!! 一体、どういう状況なんすか」

「居酒屋で本カノと飯食ってたら、前にちょっと飯だけ行った事ある女が乱入してきて、『この女は誰だ』とか騒いで大モメよ。最終的に俺の携帯ポッキリ折られた」

「はあ…、すげえ修羅場っすね」

 感心する福留に、児玉は首を竦めて言った。

「そう? 女同士で掴み合いとかザラだし、そんなんに比べたら全然」

 児玉はよくモテている上に、女遊びの激しい男であった。


「児玉くんて本当にモテるよね。彼女とか途切れないでしょ?」

 ゆず子が言うと児玉は笑って答えた。

「途切れないって言うか、途切れないように頑張ってるんですよ。努力しないと恋人は出来ませんから」

「へえ、どんな風に頑張ってるの?」

「良さげな子が居たらキープしておくんですよ」

「ほう?」

「んで、本命との仲が怪しくなったら、次の彼女としてスタンバイしておく。別れる時も『好きな子出来た、この子だから』ってすると、すんなり行けるので」

 イケメン故に苦労せず恋人の出来る児玉は、ある意味常人離れした恋愛観を持っていた。仕事の勤務態度はまあまあ、同性受けも悪くはない。
 あくまで、恋愛以外で難は無い、そういう人材だった。


(居るわね、『恋人としては最低』って人。彼、その典型ね)

 恋愛の同時進行も厭わない、使い捨てるかのような酷い態度なのに、児玉にだけ局地的に降り注いでるかのように、次から次へと女には事欠かない状態だった。

(これ、お相手側にも問題があるわね。『一夜限りでもいいから、彼と一緒に居たい』みたいなのが丸わかりなんだもの。そりゃあ、彼も足元見て対応するわよ)

 芸能人ならいざ知らず、児玉は『イケメン芸能人に似てる』のただ一般人だ。『バブル』が弾けたのも、自然な流れだった。



「最悪だわ。事務所行ったら、『ドンガドン』居た」

 男子トイレ掃除中に会った児玉は、しかめっ面をしてゆず子に溢した。

「え?『ドン…』なんですって?」

「『ドンガドン』。モンスター育成ゲームのキャラで、ほぼ球体のクマ」

「…もしかして、事務の兼本さんのこと?」

 事務に中途採用で入って来た、ふくよか系女子社員の名を出すと、児玉は苦笑した。

「お、よく分かってらっしゃる!」

「そういう言い方、良くないわよ」

「いいの、伏せてるんだから。アイツ、あの体型で俺のこと狙ってるんすよ。鏡で自分を見た事あるのかよ、って感じ」

「いいじゃない。あの子、いい子よ?」

「出た、おばちゃんあるある『あの子はいい子、可愛い子』発言! とにかく俺、デブは嫌いなんすよ。生きてる意味無くないってぐらい、大嫌い」

 女性にチヤホヤされる経験が多かった児玉は、女性の外見にも上から目線で厳しかった。



(ん?何だろう)

 ある時、男子更衣室のゴミ箱から出て来たのは、靴底の跡のついた白っぽい包装紙の、潰れた小箱。

(ああ、バレンタインだったものね。でも、これ…)

 潰れた箱の中には、チョコレートケーキが入ったままだった。


「そーいや、児玉先輩。兼本さんに貰ったやつ食べました? 美味しかったっすよ」

 休憩室で福留が言うと、携帯電話を弄りつつ、児玉はぶっきらぼうに返事した。

「そう? よく食えるね、お前。俺、その場で捨てたわ」

 ゆず子は一瞬、自分の口元が引き攣るのを感じた。

 その後兼本は会社を休みがちになり、ひっそりと退社した。それは、児玉が何をしたのかを裏付けているかの様だった。


「あーあ、彼女欲しいなぁ」

 喫煙室掃除で会った児玉は、大きい声で独り言を言った。ゆず子は目も合わせず答えた。

「児玉君ほどイケメンなら、すぐ出来るでしょ?」

「出来るは出来るけど、面倒くさいんですよ。付き合いが長くなると『いつ結婚してくれる?』『早く結婚したい』って言い始めるし」

「そりゃあ、30手前なら言って来るでしょうねぇ」

 児玉は煙草の煙を吐きながら、言った。

「『結婚結婚』言わない子がいいわぁ。ハタチぐらいとか」

「ハタチ過ぎてるけど、ここも若い女子多いじゃない?」

「『ドンガドン』のせいで、風評被害遭ってるんすよ。まあ、そもそも、性格も顔もブスばっかだし、頼まれても付き合ったりしねえけどね」

(ほう、どの口が言ってるのやら)

 それまで、社内の若い女性従業員にちょっかいをかける事もあった児玉だが、兼本の件で女性人気がガタ落ちし、相手にされなくなった。
 その後は『キャバ嬢は結婚したい言ってこないから楽』などと言い、キャバ嬢相手にデートを重ねるようになった



 翌年、新入社員として可愛い女子:若林が入社すると、児玉は目の色を変えた。

「若林ちゃんて、今まで男と付き合った事、1回も無いんだって! 今時珍しくピュアな子だよねぇ」

(兼本さんも交際経験無い子だったよ。あなたは顔見て言ってるだけじゃない)
「ピュアな子なんて、何処にでも居るわよ」

「ああいう子って色んな事、教えてあげたくなるんだよな~」

 児玉はせっせと口説き始めたが、天然気質で男性経験の無い若林には、まるで響いてないようだった。

「参ったな、この俺が苦戦してますよ」

「アハハ!『そこのお店なら、お母さんの職場が近いので、お母さんと一緒に行きますね』、かあ。彼女、可愛いね」

 若林は入社3年目に、児玉の5つ後輩と社内結婚し、退社して行った。児玉は憤慨していた。

「あんなパッとしない、つまんねえ男のどこがいいんだろうね?悪いけど若林ちゃんは男を見る目が無いよ」

(少なくともあなたを選ばない時点で、男を見る目はあるよ)
「まあ、『彼氏』と『夫』は違うって言うしね」

 ゆず子は笑って答えた。



 30歳を越えた辺りから、児玉に翳りが出始めた。

「児玉主任って、通勤中もずっと帽子被ってるよね」

「そうだね。『このチームのファンなんだ』って言って、野球のキャップ被ってるけど、詳しくねえもん」

 若手の男性従業員も訝しがっていた。休憩室で児玉が福留の頭髪を揶揄する。

「福留、入社した頃はかなり剛毛だったけど、最近それなりになってきたな」

「ああ、そんなもんっすよ。むしろ今ぐらいの毛量が丁度いい」

「そうか? このまま禿げると娘から嫌われない?」

「ん~、別に? 俺の祖母さんが抗がん剤で髪無くなっても、受け入れてたし。それに俺の場合子供居て再婚予定も無いから、今更禿げたとこでねえ?って感じですよ」

「強がるなっての!!」

 笑っていた児玉だが、目に見えて部下や後輩への頭髪イジリが増えていった。


「…児玉主任、ヅラかもね。明らかに後頭部と、それ以外の部分との毛の質が違うよ」

「あの人、昔イケイケだったんでしょ? 女の子とっかえひっかえしてたのにモテなくなって、新入社員を口説いたら相手にされなかった挙句、禿げてきたのかぁ。かわいそう」

「うちの会社で35越えて未婚なのって、あの人だけでしょ? あれは確かに結婚出来ないわ」

 『残酷』な陰口を聞く事も増えていった。


「…最近の若い子って、躾のなってない子、多いよね」

 喫煙室で会った児玉はしかめっ面で、ゆず子に言った。

「ああ、『叱らない育児』ってやつ?」

「そうじゃないよ。こないだ知り合った子、初対面で普通にスマホ弄ってるし、『喫煙者』だって分かったらあからさまに嫌な顔すんだもん」

「何歳の子?」

「21」

「最近の子、男も女も吸わない子多いよ」

「えー? 鳴瀬さんも『お前の価値観が古い』って言いたいわけ?」

「そうじゃないけど…」

 ゆず子は思わず吹き出しながら言った。

「まさか、児玉くんの口から『最近の子は○○だ』なんて言葉を聞くとは思わなくて。児玉くんて、私の中ではまだ20代前半のイメージだったから」

 児玉はゆず子を無表情で見ていた。確かそれが、児玉と会った最後だった。



「ああ、児玉さんね。あの人、暴力振るって捕まったんですよ」

 女子トイレで会った若い女性従業員は、事もなげに言った。

「暴力…?」

「そう。うちの伊吹くんとか、若い子に合コン開かせてそこに無理くり参加して。知り合った若い女の子に付きまとって、嫌な顔されてカッとなって、突き飛ばしたとか」

「そうなんだ…」

「児玉さん本人は、まだ『自分はイケてる』つもりなんだろうけどね。ハタチ前後の女子からしたら、若者気分のアラフォーおじさんほど、キモイ人間なんて居ないですもん」



 若い頃、非常に上り調子だった人間は、中年以降目も当てられなくなる、とは言ったものだ。
 若い内に努力や失敗を学ぶチャンスが無く、失われる若さや成功経験にだけ追いすがるようになるからだ。

(彼の時間軸は進むかしら?それとも、このままなのかしら)

 20代前半で心の成長の止まった『アラフォーおじさん』を、ゆず子は人知れず憂うのだった。

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