48 / 99
虜
しおりを挟む
「宝くじって、買った事あります? あれって、日本国内で出来るギャンブルの中で、1番コスパ悪いんですよ」
宮口大晟のその言葉に、雑巾を濯ぐゆず子は意外そうな声を上げた。
「へえ、そうなの?」
「そうなんすよ。当選金が当たって購入代金の元が取れる確率は20%。それでもお得そうに思えるのは、当選金額の大きさと知名度のおかげ。そういう意味では完璧なビジネスですよね。『億万長者』の夢を追って、リピーターは後を絶たないんすもん」
「…ちなみに1番コスパがいいのは?」
ゆず子の質問に、宮口はニンマリして答えた。
「競馬っすね。バック率は85%、宝くじと一緒で理論値らしいけど」
「えー、宝くじより確率高いんだ」
「そうなの。でも俺の場合、買い続けて10年近く経つのに、大きい当たりはないんだけどね」
宮口は競馬好きな若者だ。
「宮口って、いつから競馬行くようになったの?」
休憩中、同期である福田が、スマホをいじる宮口に尋ねる。
「初めて行ったの? 高校の時かな、馬券は成人になってからだけど」
「高校? 未成年でも入れるの?」
「当然。子供連れ、結構居るよ。レースある時って、他のイベントも併せてやってたりする。併設の公園でキャラクターショーとか。入場料払えば、馬券買わなくても入れる」
「へえ」
「今度行くか? 車出すぞ」
ノリノリの宮口に、福田はしかめっ面をする。
「やだ。労働で得た大事なお金、ドブに捨てたくない」
「みんなそう言うんだよね~。皆しかめっ面するけどさ、競馬ってちゃんと節度を守れば楽しいエンターテイメントなんだよ」
宮口は口を尖らせた。
「ギャンブルって、色んな種類があって、沢山の人がしているけど、宮口くんは身を崩すような事はしないよね」
推しの馬の話を聞いたゆず子は、宮口にそう言った。
「そうですね、有り金全てぶっこむみたいな事はしないですよ。たまにそうやって、すっからかんになったっぽい人は競馬場で見た事はあるけど」
「あー、やっぱり居るんだ」
「俺の場合、競馬も好きだけどそれ以上に欲しい物や遊びもしたいから、考えて使っているんですよ。まあ、給料が今の3倍貰えるなら、話は別ですけど」
宮口は悪戯っぽく笑った。
ある時のこと。宮口に元気が無かった。
「おはようございます。どうしたの? 元気無さそう」
「おはようございます~。いやあ、推しが引退してしまいました…」
宮口がファンだった競走馬が、ケガで引退する事となった。
「あら…。それはそれは」
「何かね、心に穴がぽっかりと空いた感じで。競馬初心者の頃から好きだった馬だったんで、ショックですよ」
宮口はその後、連敗もあってか、競馬から少し遠ざかっていった。宮口の競馬熱が再燃したのは、それから半年後。
ゆず子に、ある若い女性の画像を見せてきた。
「あら、可愛いわね。彼女?」
「いえいえ、この子新人ジョッキーなんですよ。期待の女性新人騎手」
ゆず子は感心した。
「へえ! こんな若くてアイドルみたいな騎手さん、居るのね」
「そうなんすよー、SNSフォローしちゃいましたよ。写真集も出たんで予約しました」
宮口は、すっかりその女性騎手の虜になったようだった。
「ワタユリのレースは全て買うんですよ。応援も兼ねて。お陰で懐ヤバいですけど!」
宮口は明るさを取り戻していた。ゆず子は笑った。
「宮口くん、新しい推しが見つかって良かったわね」
ところが。
「最近、宮口の奴、遅刻スレスレだよねぇ」
休憩中の福田が言うと、柄北が首を竦める。
「何か、実家から通ってるみたいですよ」
「実家から? 車で40分もかけて?」
「らしいです。『お金無いから実家で風呂と飯済ませてから出社してる』って言ってました」
1人暮らしの宮口が、生活に行き詰まるようになったのだ。
「『推し』だ『癒し』だって言っても、所詮ギャンブルでしょ? 競馬に見境なく、金を落としすぎなんだよ」
トイレ掃除中に会った福田は、腕組みしてゆず子に言った。
「まあ、前までは自分で決めた範囲内で、適度に楽しんでたみたいなんだけどね」
「キャッシングとか、手え出さないといいけどさぁ…」
福田は同期のよしみで、心配していた。だが。
「いやあ、参った参った。親と妹に、実家出禁にされちゃったよ」
廊下掃除中のゆず子に、宮口は困った表情で言って来た。
「『出禁』…? 『帰って来るな』ってこと?」
「そう。『貸した金返すまで帰って来るな』だって」
「お金借りたの? まさか競馬で?」
すると、宮口は首を横に振って弁明を始めた。
「いやいや、車のガソリン代とか。スマホの料金とか。立て替えてあげた分を早く返せって言われて」
(いやいや、立て替えてもらう事になった理由は『競馬でお金を使ったから』じゃないの?)
ゆず子は困惑した。
ゆず子が次に宮口の言動にギョッとしたのは、休憩室掃除の時だ。錦城が宮口に世間話をしていた。
「友達の嫁さんが育休明けて仕事復帰したんだ。家のローンあるから、半年しか休んでないけど、働かないとヤバいんだとさ」
すると、宮口は静かに口を開いた。
「…そっか。結婚しても嫁が働いていれば、お金使えるか」
(え、どういう事?)
思わずゆず子が耳をそばだてると、宮口は続けた。
「子供作らなけりゃ、産休とかで途切れる事も無いもんね。そうだよな」
(何かまるで奥さんの収入で生活して、自分の収入を馬に注ぎ込もうとしてるように聞こえるけど…)
ゆず子は袋にゴミを詰めつつそう思った。
「付き合ってる彼女に大事な話をしようとしたのに、喧嘩になって雰囲気ぶち壊しになった。サイアクっすよ」
別の日。トイレ掃除中に会った宮口は、ゆず子に愚痴を言った。
「あらら。大事な話って?」
「うん、結婚前提で同棲しようって言おうとしたんですよ」
宮口は渋い表情をしていた。ゆず子は驚く。
「え、プロポーズ?」
「実質それに近いもんすよ。彼女は実家暮らしだから、2人で住もうって。勇気出して言ったのに」
「何で喧嘩になったの?」
「『あんた、あたしの収入で競馬行くつもりでしょ?』って勝手に被害妄想された」
先日の休憩中のやり取りを見ていたゆず子は、その言葉に一瞬二の句が継げなかった。
(こないだの見てるからなあ…。それより、彼女からもそう思われてるのね)
「それは…、ねえ。うーん、何かそうじゃないと思われるように、頑張ってみたら?」
「俺、充分頑張ってますよ。これ以上何をすればいいんすか。もう、別れようかな? 人の勇気貶したりしない彼女、欲しいわぁ」
宮口は気怠そうにトイレを後にした。
「…なーんかアイツ、競馬で狂い始めているわ」
事業ごみ置き場で会った福田は、重い表情をしていた。ゆず子も言った。
「サラ金でお金借りてまで、競馬行ってないよね? 私も気になっていたんだけど」
「本人は『そんな事までしねえ』って言うんだけど、明らかに生活困ってんのよ。車検代、親に頭下げて出して貰ったらしいし。彼女と最近別れたみたいだけど、フリマアプリに彼女から貰ったプレゼント売りに出して喧嘩になったのが原因らしいし」
「え。そうだったんだ…」
「アイドルジョッキーだか何だか知らないけど、『勝てないのに賭ける必要あるの?』って言ったら『俺は当てるならあの子!って決めてるんだ。他で一攫千金当てるつもりはない』とか言われて。他の人達も宮口のこと、距離を置くようになってる」
「何とかね、もう依存に近いから、他で気を紛らわせられたらいいんだけどね…」
ゆず子も言ったが、福田は溜息をつくと、場を後にした。
ひと月後。出勤すると、主婦パートタイマーの三島と出くわした。
「おはようございます」
「ああ、鳴瀬さんおはよう! 何かさぁ、宮口くん急に辞めることになっちゃったよ」
「え? そうなの?」
「先週の金曜日に、ライン長と一緒に挨拶に来たの。…何か知らない?」
「いやあ、何も聞いてない」
三島と別れた後、事務室に入室すると、部長が電話に大声で対応していた。
「はあ? おたくに言う事は何もない! これ以上続けるなら、出るとこ出るぞ!」
隣には、困惑顔の女性事務員。
(何だろう。クレーマーかな?)
ゆず子はカギを預かり、掃除道具を取りに向かった。
異変に気付いたのは、トイレ掃除中の事だ。窓掃除の為に曇りガラスを開けると、会社の前にはパトカーが1台停まっていた。
(ええっ。何があったんだろう?)
部外者のゆず子には特に説明はなく、その日の業務は終了した。
翌週のこと。その日の業務を終えたゆず子が帰途につこうとすると、前方を女が歩いていた。福田だ。ゆず子は声を掛けた。
「お疲れさま、いま上がり?」
「お疲れ様です。そうです、早朝出勤明け」
会社の外に出ると、福田は不意にこんなことを言い出した。
「…あいつ、やらかしました」
「『あいつ』?」
「宮口。キャッシングに手を出してた。会社に督促の電話来たんです。しかも勝手に宮口の名前で出前取ったり、電話口で怒鳴り散らすタチ悪いやつ」
ゆず子は思わず足を止めた。
(そうか、こないだのパトカーそれか。まさか督促を見越して退職したのかしら)
福田は続けた。
「『クレジットカード作ったんだ』なんて自慢気に見せて来たけど、消費者金融系のカードだったから嫌な予感してたんですよ。あいつ、車も売って、実家に戻ったみたい」
「…そんな事に」
ゆず子は息をついた。福田は唇を噛んだ後にこう言った。
「宮口とは同期なんですけど、今となっては唯一の同期なんですよ。他の子は結婚とか転職で居なくなっちゃって。…上司の説教より、同期のあいつの言葉の方がすんなり聞ける時もあったな」
福田は寂しそうに、懐かしんだ後、自分の車に向かって行った。
宮口が自分の収入の大半をつぎ込んでいた女性騎手は、それからしばらくして結婚を機に惜しまれつつ引退した。
引退レースには過去最高の動員があったらしく、宮口がそれに出向いたのかは、今となっては知る由も無い。
1つ言えるのは、ギャンブルのコスパは依存と無関係である事だろう。
宮口大晟のその言葉に、雑巾を濯ぐゆず子は意外そうな声を上げた。
「へえ、そうなの?」
「そうなんすよ。当選金が当たって購入代金の元が取れる確率は20%。それでもお得そうに思えるのは、当選金額の大きさと知名度のおかげ。そういう意味では完璧なビジネスですよね。『億万長者』の夢を追って、リピーターは後を絶たないんすもん」
「…ちなみに1番コスパがいいのは?」
ゆず子の質問に、宮口はニンマリして答えた。
「競馬っすね。バック率は85%、宝くじと一緒で理論値らしいけど」
「えー、宝くじより確率高いんだ」
「そうなの。でも俺の場合、買い続けて10年近く経つのに、大きい当たりはないんだけどね」
宮口は競馬好きな若者だ。
「宮口って、いつから競馬行くようになったの?」
休憩中、同期である福田が、スマホをいじる宮口に尋ねる。
「初めて行ったの? 高校の時かな、馬券は成人になってからだけど」
「高校? 未成年でも入れるの?」
「当然。子供連れ、結構居るよ。レースある時って、他のイベントも併せてやってたりする。併設の公園でキャラクターショーとか。入場料払えば、馬券買わなくても入れる」
「へえ」
「今度行くか? 車出すぞ」
ノリノリの宮口に、福田はしかめっ面をする。
「やだ。労働で得た大事なお金、ドブに捨てたくない」
「みんなそう言うんだよね~。皆しかめっ面するけどさ、競馬ってちゃんと節度を守れば楽しいエンターテイメントなんだよ」
宮口は口を尖らせた。
「ギャンブルって、色んな種類があって、沢山の人がしているけど、宮口くんは身を崩すような事はしないよね」
推しの馬の話を聞いたゆず子は、宮口にそう言った。
「そうですね、有り金全てぶっこむみたいな事はしないですよ。たまにそうやって、すっからかんになったっぽい人は競馬場で見た事はあるけど」
「あー、やっぱり居るんだ」
「俺の場合、競馬も好きだけどそれ以上に欲しい物や遊びもしたいから、考えて使っているんですよ。まあ、給料が今の3倍貰えるなら、話は別ですけど」
宮口は悪戯っぽく笑った。
ある時のこと。宮口に元気が無かった。
「おはようございます。どうしたの? 元気無さそう」
「おはようございます~。いやあ、推しが引退してしまいました…」
宮口がファンだった競走馬が、ケガで引退する事となった。
「あら…。それはそれは」
「何かね、心に穴がぽっかりと空いた感じで。競馬初心者の頃から好きだった馬だったんで、ショックですよ」
宮口はその後、連敗もあってか、競馬から少し遠ざかっていった。宮口の競馬熱が再燃したのは、それから半年後。
ゆず子に、ある若い女性の画像を見せてきた。
「あら、可愛いわね。彼女?」
「いえいえ、この子新人ジョッキーなんですよ。期待の女性新人騎手」
ゆず子は感心した。
「へえ! こんな若くてアイドルみたいな騎手さん、居るのね」
「そうなんすよー、SNSフォローしちゃいましたよ。写真集も出たんで予約しました」
宮口は、すっかりその女性騎手の虜になったようだった。
「ワタユリのレースは全て買うんですよ。応援も兼ねて。お陰で懐ヤバいですけど!」
宮口は明るさを取り戻していた。ゆず子は笑った。
「宮口くん、新しい推しが見つかって良かったわね」
ところが。
「最近、宮口の奴、遅刻スレスレだよねぇ」
休憩中の福田が言うと、柄北が首を竦める。
「何か、実家から通ってるみたいですよ」
「実家から? 車で40分もかけて?」
「らしいです。『お金無いから実家で風呂と飯済ませてから出社してる』って言ってました」
1人暮らしの宮口が、生活に行き詰まるようになったのだ。
「『推し』だ『癒し』だって言っても、所詮ギャンブルでしょ? 競馬に見境なく、金を落としすぎなんだよ」
トイレ掃除中に会った福田は、腕組みしてゆず子に言った。
「まあ、前までは自分で決めた範囲内で、適度に楽しんでたみたいなんだけどね」
「キャッシングとか、手え出さないといいけどさぁ…」
福田は同期のよしみで、心配していた。だが。
「いやあ、参った参った。親と妹に、実家出禁にされちゃったよ」
廊下掃除中のゆず子に、宮口は困った表情で言って来た。
「『出禁』…? 『帰って来るな』ってこと?」
「そう。『貸した金返すまで帰って来るな』だって」
「お金借りたの? まさか競馬で?」
すると、宮口は首を横に振って弁明を始めた。
「いやいや、車のガソリン代とか。スマホの料金とか。立て替えてあげた分を早く返せって言われて」
(いやいや、立て替えてもらう事になった理由は『競馬でお金を使ったから』じゃないの?)
ゆず子は困惑した。
ゆず子が次に宮口の言動にギョッとしたのは、休憩室掃除の時だ。錦城が宮口に世間話をしていた。
「友達の嫁さんが育休明けて仕事復帰したんだ。家のローンあるから、半年しか休んでないけど、働かないとヤバいんだとさ」
すると、宮口は静かに口を開いた。
「…そっか。結婚しても嫁が働いていれば、お金使えるか」
(え、どういう事?)
思わずゆず子が耳をそばだてると、宮口は続けた。
「子供作らなけりゃ、産休とかで途切れる事も無いもんね。そうだよな」
(何かまるで奥さんの収入で生活して、自分の収入を馬に注ぎ込もうとしてるように聞こえるけど…)
ゆず子は袋にゴミを詰めつつそう思った。
「付き合ってる彼女に大事な話をしようとしたのに、喧嘩になって雰囲気ぶち壊しになった。サイアクっすよ」
別の日。トイレ掃除中に会った宮口は、ゆず子に愚痴を言った。
「あらら。大事な話って?」
「うん、結婚前提で同棲しようって言おうとしたんですよ」
宮口は渋い表情をしていた。ゆず子は驚く。
「え、プロポーズ?」
「実質それに近いもんすよ。彼女は実家暮らしだから、2人で住もうって。勇気出して言ったのに」
「何で喧嘩になったの?」
「『あんた、あたしの収入で競馬行くつもりでしょ?』って勝手に被害妄想された」
先日の休憩中のやり取りを見ていたゆず子は、その言葉に一瞬二の句が継げなかった。
(こないだの見てるからなあ…。それより、彼女からもそう思われてるのね)
「それは…、ねえ。うーん、何かそうじゃないと思われるように、頑張ってみたら?」
「俺、充分頑張ってますよ。これ以上何をすればいいんすか。もう、別れようかな? 人の勇気貶したりしない彼女、欲しいわぁ」
宮口は気怠そうにトイレを後にした。
「…なーんかアイツ、競馬で狂い始めているわ」
事業ごみ置き場で会った福田は、重い表情をしていた。ゆず子も言った。
「サラ金でお金借りてまで、競馬行ってないよね? 私も気になっていたんだけど」
「本人は『そんな事までしねえ』って言うんだけど、明らかに生活困ってんのよ。車検代、親に頭下げて出して貰ったらしいし。彼女と最近別れたみたいだけど、フリマアプリに彼女から貰ったプレゼント売りに出して喧嘩になったのが原因らしいし」
「え。そうだったんだ…」
「アイドルジョッキーだか何だか知らないけど、『勝てないのに賭ける必要あるの?』って言ったら『俺は当てるならあの子!って決めてるんだ。他で一攫千金当てるつもりはない』とか言われて。他の人達も宮口のこと、距離を置くようになってる」
「何とかね、もう依存に近いから、他で気を紛らわせられたらいいんだけどね…」
ゆず子も言ったが、福田は溜息をつくと、場を後にした。
ひと月後。出勤すると、主婦パートタイマーの三島と出くわした。
「おはようございます」
「ああ、鳴瀬さんおはよう! 何かさぁ、宮口くん急に辞めることになっちゃったよ」
「え? そうなの?」
「先週の金曜日に、ライン長と一緒に挨拶に来たの。…何か知らない?」
「いやあ、何も聞いてない」
三島と別れた後、事務室に入室すると、部長が電話に大声で対応していた。
「はあ? おたくに言う事は何もない! これ以上続けるなら、出るとこ出るぞ!」
隣には、困惑顔の女性事務員。
(何だろう。クレーマーかな?)
ゆず子はカギを預かり、掃除道具を取りに向かった。
異変に気付いたのは、トイレ掃除中の事だ。窓掃除の為に曇りガラスを開けると、会社の前にはパトカーが1台停まっていた。
(ええっ。何があったんだろう?)
部外者のゆず子には特に説明はなく、その日の業務は終了した。
翌週のこと。その日の業務を終えたゆず子が帰途につこうとすると、前方を女が歩いていた。福田だ。ゆず子は声を掛けた。
「お疲れさま、いま上がり?」
「お疲れ様です。そうです、早朝出勤明け」
会社の外に出ると、福田は不意にこんなことを言い出した。
「…あいつ、やらかしました」
「『あいつ』?」
「宮口。キャッシングに手を出してた。会社に督促の電話来たんです。しかも勝手に宮口の名前で出前取ったり、電話口で怒鳴り散らすタチ悪いやつ」
ゆず子は思わず足を止めた。
(そうか、こないだのパトカーそれか。まさか督促を見越して退職したのかしら)
福田は続けた。
「『クレジットカード作ったんだ』なんて自慢気に見せて来たけど、消費者金融系のカードだったから嫌な予感してたんですよ。あいつ、車も売って、実家に戻ったみたい」
「…そんな事に」
ゆず子は息をついた。福田は唇を噛んだ後にこう言った。
「宮口とは同期なんですけど、今となっては唯一の同期なんですよ。他の子は結婚とか転職で居なくなっちゃって。…上司の説教より、同期のあいつの言葉の方がすんなり聞ける時もあったな」
福田は寂しそうに、懐かしんだ後、自分の車に向かって行った。
宮口が自分の収入の大半をつぎ込んでいた女性騎手は、それからしばらくして結婚を機に惜しまれつつ引退した。
引退レースには過去最高の動員があったらしく、宮口がそれに出向いたのかは、今となっては知る由も無い。
1つ言えるのは、ギャンブルのコスパは依存と無関係である事だろう。
1
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

『食管法廃止と米の行方一倉庫管理者の証言』
小川敦人
経済・企業
エッセイ『食管法廃止と米の行方――倉庫管理者の証言』は、1995年に廃止された食糧管理法(食管法)を背景に、日本の食料政策とその影響について倉庫管理者の視点から描いた作品です。主人公の野村隆志は、1977年から政府米の品質管理に携わり、食管法のもとで米の一元管理が行われていた時代を経験してきました。戦後の食糧難を知る世代として、米の価値を重んじ、厳格な倉庫管理のもとで働いていました。
しかし、1980年代後半から米の過剰生産や市場原理の導入を背景に、食管法の廃止が議論されるようになります。1993年の「タイ米騒動」を経て、1995年に食管法が正式に廃止されると、政府の関与が縮小され、米市場は自由化の道を歩み始めます。野村の職場である倉庫業界も大きな変化を余儀なくされ、彼は市場原理が支配する新たな時代への不安を抱えながらも、変化に適応していきます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

男と女の初夜
緑谷めい
恋愛
キクナー王国との戦にあっさり敗れたコヅクーエ王国。
終戦条約の約款により、コヅクーエ王国の王女クリスティーヌは、"高圧的で粗暴"という評判のキクナー王国の国王フェリクスに嫁ぐこととなった。
しかし、クリスティーヌもまた”傲慢で我が儘”と噂される王女であった――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる