鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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透明人間と女

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 いつの時代も、歴史は繰り返すものだ。

「ハルキちゃん、お昼それだけ?」

 その言葉に思わず目をやると、バラエティ雑貨店従業員:里木が、ラーメン店従業員:高崎の手元を見ていた。
 高崎は小さなタッパーと500mlペットボトル大のシェイカーを軽く掲げ、笑ってみせた。

「うん、ダイエット中なの」

「ダイエット? 何でまた?」

「最近、大台に乗っちゃってさ。身体を絞ろうって思って」

 言いつつ、高崎は慣れた手つきでシェイカーに粉末と水を入れ、振り始めた。ゆず子は眺めつつ近づくと、尋ねた。

「これ、何を作っているの?」

「酵素スムージーです。一食分のビタミンとミネラルとタンパク質が入ってて、低カロリーなのに栄養は取れるダイエット食品」

 高崎は得意げに答えた。里木は言った。

「あー、置き換えダイエットってやつね…。美味しいの? それ」

「美味しいよ。マイちゃんも飲む?」

「いいよ、足りなくなっちゃうじゃん」


(へえ、今は酵素スムージーなのね)

 女性が生きていく上で、避けられない『沼』みたいなものが存在する。敢えて3種類で区切るとすれば、『恋』『ダイエット』『占い』というべきか。

 ことに『ダイエット』に関しては、8割以上の女性が経験をしているだろう、身近な『沼』である。
 遥か昔から、手を変え品を変え数多の物が存在し、書籍に記せばきっと世界史の教科書に匹敵すると思う。

(色々あったわね。リンゴに紅茶キノコに唐辛子、痩せる石鹸、ダイエットスリッパにぶら下がり健康器…。その時流行るやつ全て試している猛者が、友達に1人は居るものなのよね)

 体重を減らし、身体の表面積を少なくするだけなのに、種類と方法の多いこと。市場売り上げ規模が何億円なのかは知らないが、永久に稼げるいい市場である。

 高崎は確かに痩せている方ではないが、ダイエットが必要なほど太ってもいない。

(若い子って痩せ願望が強いからなあ。痩せてカワイイ服が着れても、自己満足でしかないのに)


「ハルキちゃんのダイエット、男の影響なの?」

 声に振り返ると、そこには休憩中の末永と会田が居た。会田が頬杖をついて口を開く。

「何かね、遠距離恋愛なんだって。来月こっちに来る予定があって、会うから綺麗になりたいみたいよ。乙女心よね~」

「痩せなくても十分カワイイのに」

 思わずゆず子が口を尖らせると、末永と会田も苦笑した。

「分かるよ。でも、おばちゃんの『カワイイ』と男の言う『カワイイ』は違うんだよね」

 末永は更に言った。

「遠距離恋愛…、兵庫だっけ? しかも向こう出身の人でしょ、何の繋がりで知り合ったの?」

「さあ? 今流行りのSNSじゃないの?」

 会田も詳しくは知らないらしい。ゆず子も尋ねた。

「…高崎さん、相手に会った事はあるの?」

 3人のおばちゃんは、首を傾げつつ同じ疑問が浮かんでいるようだった。



 それから半月後のこと。トイレ掃除のため、女子トイレに入ると手洗い場の鏡の前に、ミルクティーみたいな髪色の若い女が居た。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

 アパレルショップの店員かと思って挨拶をしたゆず子は、その相手を見て思わず足を止めた。それはあの高崎だったのだ。ゆず子は声を掛けた。

「あら、髪色変えたの?」

「はい。めっちゃ派手になりました」

 仕事終わりなのか私服の高崎は、髪色も相まってまるで別人のようだ。

(ダイエットもリバウンドなく成功した様ね。でもちょっとゲッソリして見える)

「すっかり痩せて誰かと思ったわ! すごいわね、ダイエット成功ね」

「はい、きつかったけど頑張りました。今、リバウンドしないように注意してます。ラーメン売ってるし、フードコートに居るから誘惑ヤバいですけど」

「確かにそうね、何キロ痩せたの?」

「2ヶ月で7キロ落としました。人生で1番痩せてますよ」

「そうなのね。…何でこんなに頑張ったの?」

 ゆず子が問うと、高崎は髪を弄りつつ話し始めた。

「いま好きな人が、韓流アイドル大好きなんですよ。痩せてる子が好みらしくて」

「へえ、確かにあの辺はかなり身体絞ってる人、多いわね」

「そうなんです。とてもストイックって言うか、自分にも厳しい人なんですよ。だから、そんな彼に釣り合える人になりたくて」

「そっかぁ。こんなに頑張ったんだもん、きっと認めてもらえるよ」

「はい!」

 高崎は満面の笑みで頷いた。



 翌週。フードコート、客用スペースを掃除中のゆず子は、私服姿で席に座る高崎を見つけた。
 背中に届く長さのミルクティーブラウンの髪、リボンタイの付いた白いブラウス、茶色のショートパンツと言ったその姿は、かなり気合を入れてオシャレをしているのが明白だ。

(本当に韓流アイドルグループの子みたいだわ。格好も、普段からこういう感じにシフトしたのかしら)

 高崎は1人でスマホを弄っていて、こちらには気づいていない。仕事の休憩中ではなく、休日に私的にここへ来ているのだろう。 声を掛けようかと思ったが、ゆず子は思いとどまった。

(…デートかしら?)

 作業を終わらせ、従業員用バック通路へ清掃業務の為に入ったゆず子は、出入り口近くにいたある従業員に気づいた。会田だ。

「あ、お疲れ様です。どうかしたの?」

「お疲れ様です。…うん、ちょっとね」

 会田はマジックミラーになっている出入口扉の小窓から、目を細めて外を確認しているようだ。

(業者の到着でも待ってるかな?)

 忙しいのか、会田もすぐに自店に戻ったので、ゆず子もそのまま業務を始めた。



 更に翌週。バック通路の清掃をしていると、休憩室に行こうとしている末永と会った。

「お疲れ様です。休憩?」

「お疲れ様~、うん」

「そう言えばそちらの高崎さん、すっごく痩せたわね。彼氏が韓流アイドルが好きだから頑張ったみたいだけど、あんなに短期間で痩せて大丈夫なの?」

 ゆず子の質問に、末永は口を真一文字にした後、言いづらそうに話し始めた。

「…うーん、体調はともかく、今どん底なんだ」

「え、どういう事?」

「こないだね、例の遠距離恋愛の彼とここで会う事になったんだけど、結局来なかったん」

(もしかして、あの時の会田さん、高崎さんを心配して裏から覗いてたのかしら)
 思いつつ、意外な話にゆず子は目を丸くした。

「え、何で?」

「お昼12時に待ち合わせてたんだけど、連絡も無しに来なくて、待ち合わせから3時間後に『彼の親?』がメッセージアプリで『息子が急病で倒れた』って送ってよこして、次の日に『息子は治療の甲斐なく亡くなりました』って、連絡してきた」

「えー! やだ、そんなことになってたの?」

 ゆず子が思わず口を覆うと、末永は首を振った。

「ちゃうちゃう、昔からある手口よ」

 首を傾げると、末永は続けた。

「ハルキちゃん、婚活アプリでその彼と知り合ったらしいんだけどさ、1回も会った事なくて、ずっとメッセージと電話でのやり取りのみなんだよね。
…これ、私達の時代だと『文通相手ペンパル』であった話だけど、顔が見えないからいくらでも詐称できるでしょ? 実際に会ったらボロが出るから、いざ会うって日にドタキャンしたり、急に連絡つかなくなったりするわけ。それだよ」

「なるほど。でも、その彼実際どうなの?」

「死んでないでしょ? 婚活アプリのアカウント、亡くなったって言うその日に即座に削除されたらしいし。本当に死んだなら、その当日に削除する余裕のある親なんか居ないもん」

「まあ、確かにそうね」

「舞花ちゃんも言ってたけど、最初からハルキちゃんに会うつもりのない奴だったんでしょうよ。どこにでもいつの時代でも、そういうの一定数居るよね。
…あたし、最初からちょっと疑ってたんだけどさ」

 末永はそう言うと、首を竦めてみせた。ゆず子は案じた。

「高崎さん、信じ込んでるんでしょ? 大丈夫かしら…」

「まあ、時間が解決するかな? でも今回さ、あの子は勉強になったばかりじゃなく、美しさも手に入れてるんだよ。これをバネに持ち直すんじゃない?」

「…なかなか、応援しがいのある子ね」

 陰ながら彼女を応援するおばちゃん達の気苦労は、絶えないのであった。

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