鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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人形と女

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 人間にはパーソナルスペースというものがある。
 そのスペースを越えて他人が近づくと、嫌悪感や恐怖を感じるというある意味、人間が獣だった時代の名残みたいなものか。

 なので、その一定距離を越えても大丈夫なのは、信頼していたり恋愛関係などの親しい間柄であるという証である。

 『おばちゃん』という経験豊かな生き物は、その距離感や雰囲気を読むのに長けているので、彼女達の前では隠し事など意味が無いものなのだ。


(うーん。あれは隠してるのかな?公認なのかな?)

 ゆず子が思案しているのは、前を行くゴミ捨て中と思われる男女の店員だ。
 ラーメン店従業員の高崎が、同じく同僚の蓮田柊真はすだしゅうまと自店のゴミを運搬してるのだが、距離感が『男女』のそれなのだ。

(あれは…、一線を越えてるかしら。越えるのも時間の問題、というとこかしら。彼女、次は近場で決めたのね~)

 誰にも聞かれてないのをいいことに、ゆず子はゴミ袋を持って邪推する。仕事中の楽しみの1つでもある。



「ああ、あの2人付き合ってるよ」

 ゆず子の質問に答えたのは、同じラーメン店従業員の末永。ゆず子は言った。

「へえ、公認なんだ」

「別に公認って訳じゃないよ。内緒にしてるつもりなんだろうけどさ、まだまだ子供だもんで、あたし達おばちゃんにはバレバレなの」

「なるほど、気づいてないと思ってるのは、本人だけなのね」

 ゆず子は苦笑した。末永は肩を竦めた。

「だって、2人して同じ日に休み希望は出すし、片方が非番の日なのに2人して出勤してるんだもん。しかも休みはここでデートしてるし。バレるのも時間の問題かな」

「あらあら…」
(デートまで近場で済ませてるのね…)

 思いつつ、ゆず子は質問した。

「相手の方、どんな子なの?」

「蓮田くんはね、今年の4月に他店舗から異動してきたんだけど、若いのに仕事出来る子よ。本社の人も『将来の店長候補にしたい』って推してる」

「じゃあ、元彼なんかよりデキる男で安泰ね」

「そーだね」

 末永は頷いた。



 ゆず子は業務中に蓮田を見かける度、こっそり観察するようになった。

(接客も申し分無さそうね。車椅子や小さい子連れのお客さん相手には、率先して品物を持って席まで運んであげたりもしてる)

 マニュアルにも載ってる対応なのだろうが、席まで案内した後に素早く店舗に戻るその様は、同僚のおばちゃんでなくとも好感が持てる。

(後は手癖が悪いとかじゃ無ければ、パーフェクトね。彼女、近場でいい物件見つけたようで良かったわ)


 トイレ掃除中、高崎と出くわしたゆず子は話しかけた。

「最近、どう? ちゃんと休んでる?」

 高崎は笑って答えた。

「ええ、仕事は程々にしてます。掛け持ちも辞めて、ここ一本にしました」

「そうなんだ」
(まあ、彼氏と仕事中も一緒に居たいよね。そりゃそうか)
 思いつつゆず子は言った。

「何か、前と比べたらすごくホンワカしてるね。良かったわ」

「え、そうですか? あはは」

 高崎は、はにかんだ笑みを浮かべていた。



 それからしばらく経ったある日のこと。ゴミ集積場近くのバック通路の清掃中に、ゆず子はあるものを見かけた。
 いつぞやの時の様に、自店のゴミを運搬する高崎と蓮田を見かけたのだが、その様子に少々違和感を覚えたのだ。

 ゴミ運搬用カートに段ボールやゴミ袋を沢山載せて運んでいるのだが、カートを引いているのは高崎で、蓮田は手ぶらで歩いている。
 2人は話しつつ目の前を通り過ぎたのだが、曲がり角で載せている袋が蓮田の傍に落ちても、拾うのは高崎で、蓮田はただただ喋るだけ。

 挙句には、高崎がゴミ袋を集積場に提出している間も、蓮田は何もせず遠目に見ているだけなのだ。

(あれ、何で手伝わないんだろう?)

 蓮田は高崎が作業を終えると、また喋り始め、2人で来た道を戻って行った。ゆず子は不思議に思いつつ、業務を続けた。



「ハルキちゃん、また蓮田の代わりに発注と台帳記入してたよ」

 従業員休憩室。末永が会田に言い、2人は眉根を寄せた。

「ここんとこ、2人だけで組むと全てハルキちゃんに押し付けてるよね。全然やってないから、この前蓮田にやらせたらやり方忘れてミスしてたし」

「あれ、結局ハルキちゃんが1人でやり過ぎるから、甘えてるんでしょ? ダメじゃん、あいつ。ハルキちゃんもやらなきゃいいのに」

 会田は溜息をついて言う。

「上手く言って使ってるんでしょうね。当初は『店長候補』なんて言われてたのに、今じゃとんだお荷物一歩手前だよ」

(やっぱり、彼女に仕事押し付けて、自分は仕事サボってるのね)
 ゆず子は確信した。

 女性は『世話焼き本能』というものが存在するという。それは遺伝子レベルでインプットされた、『子育て』に由来するものらしい。
 いつの時代もどんな場所でも、それを悪用する輩がいるのが世の常だ。



「期待の若手だったのにね、とんだ事故物件なんだよ」

 退勤途中の末永は、ゆず子に蓮田の愚痴を吐いた。

「へえ、感じのイイ子だったのにね」

「…ていうか、『やらない』ってより『出来ない』事が日に日に増えてる気がするの」

「え、何それ」

「あいつもう、ハルキちゃん以外と組むとてんでポンコツなのよ。店の電気点けるのも忘れるし、元栓の開け閉めも毎回間違えるし」

 ゆず子はそれを聞いて首を傾げた。

「ごめん、状況よく分からないけど…。何でそこまでになったの?」

「分かんないよ…。何でこうなったんだか」

 末永も匙を投げていた。



(世話をやかれ過ぎて、出来ていた事が出来なくなるなんて、あり得るのかしら?)

 年配の人じゃあるまいし。だが、ゆず子はある場面に出くわした。

「ごめん、今日オカダくんがインフルなっちゃったから、残業して帰る」

 バック通路。高崎が誰かに電話を掛けていた。

「えー…、だからごめんて。棚の中にカップ麺あるから、それ食べてて」
「大丈夫だよ、お湯なんて簡単に沸かせるでしょ?」
「ポットに水入れて、ガスコンロにかければ出来るから!」
「うん、頑張って! シュウくんなら出来るでしょ?」
「いやいや、お菓子じゃゴハンの代わりにならないって~。まずフタ開けて!」

 掃除しながら聞こえてくる話に、ゆず子は耳を疑う。

(え?カップラーメン、自分で作れないの?作り方、彼女に教わってるの?お湯、自分で沸かせないの?)

 彼女の残業にごねて甘えているだけか。いやいや、こんな甘え方する大の大人が居るものなのだろうか。



 だが、ゆず子は更に決定的な場面に出くわした。

 フードコート内の清掃をしている時だ。ハンバーガー専門店に、私服姿の高崎と蓮田が客として並んで居た。

(あ、末永さんのいう通り、本当にここでデートしてる)

 ぼうっと突っ立ってスマホを弄る蓮田に対し、高崎は注文と会計をテキパキと済ませ、席に着いた。
 出来上がった2人前の商品を高崎が受け取りに行き、席まで運搬、トレーを蓮田の前に置く。
 そして高崎は蓮田の分のハンバーガーの包装紙を開け、ストローを袋から出しドリンク容器に挿した。

(え、何でそこまでするの?手でも怪我しているの?)

 思わず目が釘付けになるゆず子。高崎はそのまま、蓮田の口元にハンバーガーを持って行き、食べさせてあげたのだ。
 蓮田はスマホを弄りつつ、至極当然の事の様に、されるがままに齧り咀嚼した。

 遅い昼下がりのフードコート。ひっそりと異様な光景がそこにあった。20代の今風なカップルだと言うのに、やっている事は介護中の老夫婦そのものだ。

(何これ。これ、現実なの…?)

 高崎は、甲斐甲斐しく蓮田の食事を手伝い続ける。ゆず子はとても目の前で起きている現実を、信じる事が出来ずにいた。



「蓮田くんさ、異動になったの。抜き打ちでやってきた本社の人に、業務のほとんどを彼女に押し付けてるの見つかったから。そりゃそうだよ!」

 末永は鼻息荒く言った。ゆず子は恐る恐る言った。

「あたしも見ちゃった…。フードコートで介護みたいにしてるの」

「ね。異常でしょ? 唐揚げ屋さんからも『おかしいよ』って言われてるんだもん。あり得ないよ」

「高崎さん、同棲してたんでしょ? まだ続いてるの?」

「何か、本社から散々怒られているのを見て、目が覚めたみたいで切ったらしいよ。『私どうかしてた』だって!」

 末永は苦笑いした。ゆず子は言った。

「世話やかれると何もやらなくなっちゃうと聞くけど、まさかここまでになるとはね」

「本当! 蓮田の奴、『1人でもハンバーガーを食べる方法』、ちゃんと思い出すといいね」


 そして高崎の恋模様は、次回へと続くのだ。

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