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化けの皮 ※児童による教職員イジメ表現あり
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「芝田です。今日からお世話になります。皆様、よろしくお願いします!」
今年の新入社員は男子2名と女子1名。最後の1人が挨拶を終えると、社員達は盛大な拍手を送った。
春は出会いと別れの季節、と言ったものだ。
まあ、他の季節でも出会いや別れは存在するのであるが、春は良くも悪くも区切りの季節なので、尚更記憶に残るのだろう。
「いやあ、フレッシュですね」
先輩からマンツーマンで教育を受けている新入社員を遠目に、安西が呟くとゆず子は笑った。
「安西さんも去年まであそこに居たでしょ?」
「そうですね。でも何か汚れたっていうか、擦れたっていうか」
「ふふふ。大人になったって事よ」
ゆず子の言葉に、安西は苦笑した。
この会社の内勤業務は女性が多めである。よって、話題はすぐに一定のものになる。
「芝田くんて小動物系って感じだよね」
トイレ掃除中、女子社員が新入社員男子の論評を始めているのが聞こえた。
「分かるー。犬ではないんだよね。もっと小さいっていうか」
「対して恵口くんはゴツイよね。何だろ、垢抜ける前の何代目ブラザーズ的な?」
「恵口くん、あの見た目で学生の頃は将棋部で、運動とは無縁だったらしいよ」
「マジで? 普通に野球部のキャプテン顔なんだけど! 2人とも、どういう女子がタイプなのかな?」
(芝田くんは姉御肌タイプが好きで、恵口くんは明るい子だそうよ)
とうに知っているゆず子は心の中で、情報を反芻させた。
男子トイレに行くと、噂の本人の1人、芝田が居た。芝田はゆず子を見ると、笑顔で挨拶してきた。
「お疲れ様です、鳴瀬さん!」
「お疲れ様です。あら、あたしの名前、誰かに教えてもらったの?」
「はい、高辺部長に。『あの人はここの裏ボスだから、社長の次に丁重にしなさい』と」
「やーだ! そんな事ないわよ」
ゆず子は笑って答えた。ただ年数長く出入りしているだけで、権限などは全くない。
まあ、芝田も分かった上で言っているのだろう。ゆず子は言った。
「どう? 何となく分かってきた?」
「そうですね。素敵なお姉さま方ばかりで、空き時間は質問攻めに遭ってますね」
「女子が多いから、男の子と話したいお姉さまが多いでしょうね」
ゆず子の返答に、芝田は笑って首を竦めた。ゆず子は言った。
「まあ、半月経ったし、顔も名前も覚えてきたかな?」
「自分、人の顔を覚えるの得意なんで。だいたいの人は分かります」
「すごいわね」
「そう言えば、あの人…。綴崎さんて、ご結婚されているんですか?」
芝田が急に個人名を出したので、ゆず子はあら?と思った。
「綴崎さん…。うん、そうだよ。何でまた?」
結婚指輪は付けていていい職場なので、社内の既婚者はだいたい付けている。綴崎もそうだ。芝田は人懐こい笑みでトイレを後にした。
「ええ、ちょっと。それでは!」
芝田の綴崎に対する謎行動は、それからたまに見かけるようになった。
「へえ。綴崎さんて、元教員だったんですか?」
「らしいよ。といっても2,3年で辞めたみたいだけど」
昼食時。お姉さま方に、綴崎の事を尋ねているようだ。結城は続けた。
「完璧主義な所があって、『意識高い系』って感じなんだよね。今度休憩が被ったら話を訊いてみるといいよ」
「そうそう、住む世界の『軸』が特殊だから」
橋爪が同調に見せかけた皮肉を言うと、芝田は笑った。
「『軸』とやらが気になりますね、そう言われると」
またある時は。
「綴崎さんの出身? どこだっけ、都内だったと思うんだけど」
「何か、23区内の雰囲気はありますよね。ちなみに自分は多摩です」
先輩の男性社員に、芝田は綴崎の事を尋ねていた。男性社員は言った。
「ああ、何か世田谷じゃなかったっけ。そんな事言ってた様な」
「世田谷、ですか?ふーん…」
(何でそんなに、綴崎さんの事を尋ねてまわっているんだろう?)
しかも芝田は本人には聞かないのだ。
(『意識している故に話しかけられない』とか?でもあたしが見た限りでは、そんな素振りあるようには見えないぞ?)
芝田が何を考えているのか、ゆず子にはサッパリ分からなかった。
当然、社内の女子達は邪推を始める。
「えー、芝田くんてああいうインテリっぽい人、タイプなのかな?」
「あの人、口だけじゃん? 可哀想に、見抜けないのかね」
「ほら、『デキる人』って新入社員からしたら憧れみたいになるから。でも、彼女そんなデキる人かな…?」
知ってか知らずか(十中八九、知ってる上でだろうが)、綴崎もその事に触れるような発言を始める。
「結婚している女性って、結局『他人に選ばれたから』結婚出来た訳なんですよね。それってつまり、選ばれる様な魅力であるとか、セールスポイント的なものを独身の方より持っているって事かと」
無表情で頷く橋爪に、綴崎は続けた。
「喜んで下さいよ、橋爪さんだってご結婚されているじゃありませんか。橋爪さんも、独身男性にもしかすると陰ながら想われているかもしれないですよ!」
(うーん、どういう理論なのやら…)
不意にゆず子と目が合ってしまった綴崎は、間が悪そうに顔を背けた。だが、懲りもせず『既婚女性=最大のイイ女論』を橋爪に続けている。
以前ゆず子の前で、高齢出産ヘイトを本人に聞かれる失態を経験したから学んだのか、相手を選んで持論を展開しているようだ。
「いやあ、無の境地だったんだけど」
トイレ掃除中に会った橋爪は、ぐったりしていた。ゆず子は言った。
「それにしても芝田くん、何であんなに綴崎さんの事を気になってんだろうね?」
「若い子や本人は『気があるんだ』、で一致してるけど、あたしはそんな気しないんだよね。気のせいかな?」
「うーん、でもあたしも好意持ってる様には思えないな。…何か、個人情報聞き出そうとしてるっていうか。それもあえて本人ではなく、周囲に」
「ですよね。て言うか、聞きたい事あるなら、本人と仲良くなって聞き出す方が手っ取り早いし、深く知れると思うんだけど…」
2人はそれぞれ首を傾げた。
新人が入社し、ひと月が経とうとしていた頃。新人歓迎会が開催された。
その後すぐゴールデンウイークが始まり、ゆず子も他の出向先へ急遽行く事になったりで、再びこの会社に戻ったのは6月になってからの事だった。
久々の出勤をすると。
「お久しぶりです。実はこの度、会社を退職する事になりました」
奇しくもその日は、綴崎の出勤最終日であった。ゆず子は目を丸くした。
「あら。しばらく行ってない内にそういう事になっていたんですね…」
「別に2人目を授かったとか、そういう訳じゃないので。そこの所はよろしく願います」
綴崎はそう言ったものの、退職理由の明言は避け、仕事に戻った。
「ゴールデンウイークの後に、急に『配置転換』を希望してね。理由も『家庭の状況の変化』とか『違う仕事を覚えたい』とか、コロコロ変わっていくし。
『最低でも夏以降になる』って言われたら『急を要するので退職します』ですって」
こっそり教えてくれた橋爪も、頭を掻いていた。これまでの綴崎らしからぬ決断に、ゆず子も驚きを隠せなかった。
「えー…『キャリア第一!』みたいな人だったのに。お子さんとか、旦那さんに何かあったのかな?」
「案外、旦那に育児を無理強いさせたから、『離婚危機』になったとか? だったらあり得るね」
橋爪はどこか嬉しそうに笑って言った。
「鳴瀬さん、もしかすると綴崎さんの退職、芝田くんが一枚噛んでるかもしれない」
ゆず子に続報がもたらされたのは、翌週だ。
ロッカールーム清掃中に話しかけてきた結城は、人が来ないのを確かめるよう、辺りに注意を払いながら行った。
「歓迎会に綴崎さんも来てたんですよ。みんなお酒が入って『芝田くん、綴崎さんの事知りたがってたなら、いま聞いちゃいな!』って、隣同士に座らせて。
しばらく皆でわいわいしてたけど、それぞれトイレや席を移動したタイミングで、少し2人だけになって、ちょっと話してたみたいなんだけど…」
結城は少々訝し気な表情で続けた。
「急に『ごめんなさい、急用が出来たから帰ります』って、顔を真っ青にした綴崎さんが幹事に言って。
てっきり具合悪くしたかと心配したんだけど、逃げるように帰っちゃって。次に出勤した時も、明らかに芝田くんに怯えてるかのように、姿を見てビクビクしていたんです」
「…そんな事が。2人は何を話していたの?」
「分かんないです。でも正味5分10分の短い間だったと思います。芝田くんにさり気なく聞いても、『しょうもない世間話です』しか言わないし…」
(恐怖感を与えたとか?でも他の人も居る場で?)
綴崎と芝田に共通点はあまりない。業務も直接一緒にやる事は無い。
それに、芝田は小動物系男子な外見で、逆に相手から舐められそうな雰囲気があり、威圧や恐怖は与えられそうに到底思えない。
(綴崎さんの事を尋ね回っていた。もしや、その過程で綴崎さんが不正を働いた証拠を掴んだ、とか?)
綴崎の業務内容は、お金に関わるものでは無かったと思う。横領や不倫など、考えられる事は色々あるが。
ゆず子が芝田と会ったのは、その日の退勤時のこと。
「お帰りですか?」
「そうですよ。そちらは?」
「遅い休憩です」
心なしか、芝田は元気が無さそうに見えた。エレベーターに乗り込むと、芝田は口を開いた。
「…綴崎さん、辞めちゃいましたね」
「ああ、そうね」
「一言、謝りたかったな…」
芝田の言葉に、ゆず子は目を丸くした。だが口を開くより先にドアが開いたので、2人は外へ出た。会社の外に出たのを見計らい、ゆず子は尋ねた。
「何か、あったの?」
芝田は唇を嚙んだ後、言いづらそうに口を開いた。
「…綴崎さん、以前小学校に居た事をご存じですか? 俺、その小学校に通っていた生徒だったんです」
「え⁈ あら…。そっか、そういう年齢か」
驚きはしたが、確かに計算上、芝田はそういう年齢だ。
(偶然にも、小学校の元恩師の転職先に入社してしまった、そういう事だったのね…)
意外な繋がりに驚くゆず子へ、芝田は続けた。
「変わった苗字だったし、個人的に色々あった相手だったので、覚えてたんです。…向こうも覚えがあったみたいで、俺が元教え子と知って固まっていました」
「…立場上、あたしが聞いていい話なの?」
「うーん、むしろ社内の人に知られると、綴崎さんに迷惑がかかるかな。一応有給消化中で、まだ籍はあるし」
話を訊いて貰いたそうなので、ゆず子は腹を決めた。
「分かった。何かあったの? その昔に」
「綴崎さんが俺の学校に配属されたの、小4だったかな。教員補助でたまに教壇に立つ事もあったんだけど、いじめたんです。『生徒による教員イジメ』」
「ああ、新任の先生とかだと、たまにあるわね…」
「そう。綴崎さんが教室に来たタイミングで、クラスの皆で教室の後ろのドアから一斉に逃げ出したり、言い間違いをいつまで大声でからかって授業妨害したり。しまいに教室で泣き出す事もありました」
「そうだったんだ…」
「俺のクラスの真似をして、他のクラスや学年もやるようになって。冬前に教員補助ではなく、同じ学校の学校事務へ異動しました。
それでも職員室の外で出くわすと、聞こえる様に悪口言ったりして。最低な事してました」
「…だから、辞めたんだ」
「恐らく。ただ、話を訊いてると『3年間低学年を受け持った』とか、実際は多摩の学校だったのに『実家のある世田谷の学校に居た』とか、ちょっと事実と食い違うんですよね。
思い出したくないからか、前職での事を特定されないようにぼかしてるのかと、思いまして」
(なるほど、子供に舐められた経験があったから、『意識が高い人』という武装をして振舞っていたのか)
話を訊きつつ、ゆず子はそう思った。芝田は続けた。
「歓迎会で『綴崎さんの元教え子なんです。多摩の○○小でした』って言って、続けて当時の事を謝ろうと思ったら、言った瞬間に立ち上がって逃げる様に行っちゃいました。
社内で話しかけようとしても、取り付く島もなくて。…よっぽどのトラウマだったんだな。本当、子供だったとは言え最低ですよね」
芝田は途方に暮れていた。
綴崎は芝田がいう通り、過去のトラウマが蘇って退職に至ったのか。もしくは、過去の職歴の詐称を暴露されると恐れたのか。
意識が高い割に、不器用な彼女の現在は、誰も知らないのである。
今年の新入社員は男子2名と女子1名。最後の1人が挨拶を終えると、社員達は盛大な拍手を送った。
春は出会いと別れの季節、と言ったものだ。
まあ、他の季節でも出会いや別れは存在するのであるが、春は良くも悪くも区切りの季節なので、尚更記憶に残るのだろう。
「いやあ、フレッシュですね」
先輩からマンツーマンで教育を受けている新入社員を遠目に、安西が呟くとゆず子は笑った。
「安西さんも去年まであそこに居たでしょ?」
「そうですね。でも何か汚れたっていうか、擦れたっていうか」
「ふふふ。大人になったって事よ」
ゆず子の言葉に、安西は苦笑した。
この会社の内勤業務は女性が多めである。よって、話題はすぐに一定のものになる。
「芝田くんて小動物系って感じだよね」
トイレ掃除中、女子社員が新入社員男子の論評を始めているのが聞こえた。
「分かるー。犬ではないんだよね。もっと小さいっていうか」
「対して恵口くんはゴツイよね。何だろ、垢抜ける前の何代目ブラザーズ的な?」
「恵口くん、あの見た目で学生の頃は将棋部で、運動とは無縁だったらしいよ」
「マジで? 普通に野球部のキャプテン顔なんだけど! 2人とも、どういう女子がタイプなのかな?」
(芝田くんは姉御肌タイプが好きで、恵口くんは明るい子だそうよ)
とうに知っているゆず子は心の中で、情報を反芻させた。
男子トイレに行くと、噂の本人の1人、芝田が居た。芝田はゆず子を見ると、笑顔で挨拶してきた。
「お疲れ様です、鳴瀬さん!」
「お疲れ様です。あら、あたしの名前、誰かに教えてもらったの?」
「はい、高辺部長に。『あの人はここの裏ボスだから、社長の次に丁重にしなさい』と」
「やーだ! そんな事ないわよ」
ゆず子は笑って答えた。ただ年数長く出入りしているだけで、権限などは全くない。
まあ、芝田も分かった上で言っているのだろう。ゆず子は言った。
「どう? 何となく分かってきた?」
「そうですね。素敵なお姉さま方ばかりで、空き時間は質問攻めに遭ってますね」
「女子が多いから、男の子と話したいお姉さまが多いでしょうね」
ゆず子の返答に、芝田は笑って首を竦めた。ゆず子は言った。
「まあ、半月経ったし、顔も名前も覚えてきたかな?」
「自分、人の顔を覚えるの得意なんで。だいたいの人は分かります」
「すごいわね」
「そう言えば、あの人…。綴崎さんて、ご結婚されているんですか?」
芝田が急に個人名を出したので、ゆず子はあら?と思った。
「綴崎さん…。うん、そうだよ。何でまた?」
結婚指輪は付けていていい職場なので、社内の既婚者はだいたい付けている。綴崎もそうだ。芝田は人懐こい笑みでトイレを後にした。
「ええ、ちょっと。それでは!」
芝田の綴崎に対する謎行動は、それからたまに見かけるようになった。
「へえ。綴崎さんて、元教員だったんですか?」
「らしいよ。といっても2,3年で辞めたみたいだけど」
昼食時。お姉さま方に、綴崎の事を尋ねているようだ。結城は続けた。
「完璧主義な所があって、『意識高い系』って感じなんだよね。今度休憩が被ったら話を訊いてみるといいよ」
「そうそう、住む世界の『軸』が特殊だから」
橋爪が同調に見せかけた皮肉を言うと、芝田は笑った。
「『軸』とやらが気になりますね、そう言われると」
またある時は。
「綴崎さんの出身? どこだっけ、都内だったと思うんだけど」
「何か、23区内の雰囲気はありますよね。ちなみに自分は多摩です」
先輩の男性社員に、芝田は綴崎の事を尋ねていた。男性社員は言った。
「ああ、何か世田谷じゃなかったっけ。そんな事言ってた様な」
「世田谷、ですか?ふーん…」
(何でそんなに、綴崎さんの事を尋ねてまわっているんだろう?)
しかも芝田は本人には聞かないのだ。
(『意識している故に話しかけられない』とか?でもあたしが見た限りでは、そんな素振りあるようには見えないぞ?)
芝田が何を考えているのか、ゆず子にはサッパリ分からなかった。
当然、社内の女子達は邪推を始める。
「えー、芝田くんてああいうインテリっぽい人、タイプなのかな?」
「あの人、口だけじゃん? 可哀想に、見抜けないのかね」
「ほら、『デキる人』って新入社員からしたら憧れみたいになるから。でも、彼女そんなデキる人かな…?」
知ってか知らずか(十中八九、知ってる上でだろうが)、綴崎もその事に触れるような発言を始める。
「結婚している女性って、結局『他人に選ばれたから』結婚出来た訳なんですよね。それってつまり、選ばれる様な魅力であるとか、セールスポイント的なものを独身の方より持っているって事かと」
無表情で頷く橋爪に、綴崎は続けた。
「喜んで下さいよ、橋爪さんだってご結婚されているじゃありませんか。橋爪さんも、独身男性にもしかすると陰ながら想われているかもしれないですよ!」
(うーん、どういう理論なのやら…)
不意にゆず子と目が合ってしまった綴崎は、間が悪そうに顔を背けた。だが、懲りもせず『既婚女性=最大のイイ女論』を橋爪に続けている。
以前ゆず子の前で、高齢出産ヘイトを本人に聞かれる失態を経験したから学んだのか、相手を選んで持論を展開しているようだ。
「いやあ、無の境地だったんだけど」
トイレ掃除中に会った橋爪は、ぐったりしていた。ゆず子は言った。
「それにしても芝田くん、何であんなに綴崎さんの事を気になってんだろうね?」
「若い子や本人は『気があるんだ』、で一致してるけど、あたしはそんな気しないんだよね。気のせいかな?」
「うーん、でもあたしも好意持ってる様には思えないな。…何か、個人情報聞き出そうとしてるっていうか。それもあえて本人ではなく、周囲に」
「ですよね。て言うか、聞きたい事あるなら、本人と仲良くなって聞き出す方が手っ取り早いし、深く知れると思うんだけど…」
2人はそれぞれ首を傾げた。
新人が入社し、ひと月が経とうとしていた頃。新人歓迎会が開催された。
その後すぐゴールデンウイークが始まり、ゆず子も他の出向先へ急遽行く事になったりで、再びこの会社に戻ったのは6月になってからの事だった。
久々の出勤をすると。
「お久しぶりです。実はこの度、会社を退職する事になりました」
奇しくもその日は、綴崎の出勤最終日であった。ゆず子は目を丸くした。
「あら。しばらく行ってない内にそういう事になっていたんですね…」
「別に2人目を授かったとか、そういう訳じゃないので。そこの所はよろしく願います」
綴崎はそう言ったものの、退職理由の明言は避け、仕事に戻った。
「ゴールデンウイークの後に、急に『配置転換』を希望してね。理由も『家庭の状況の変化』とか『違う仕事を覚えたい』とか、コロコロ変わっていくし。
『最低でも夏以降になる』って言われたら『急を要するので退職します』ですって」
こっそり教えてくれた橋爪も、頭を掻いていた。これまでの綴崎らしからぬ決断に、ゆず子も驚きを隠せなかった。
「えー…『キャリア第一!』みたいな人だったのに。お子さんとか、旦那さんに何かあったのかな?」
「案外、旦那に育児を無理強いさせたから、『離婚危機』になったとか? だったらあり得るね」
橋爪はどこか嬉しそうに笑って言った。
「鳴瀬さん、もしかすると綴崎さんの退職、芝田くんが一枚噛んでるかもしれない」
ゆず子に続報がもたらされたのは、翌週だ。
ロッカールーム清掃中に話しかけてきた結城は、人が来ないのを確かめるよう、辺りに注意を払いながら行った。
「歓迎会に綴崎さんも来てたんですよ。みんなお酒が入って『芝田くん、綴崎さんの事知りたがってたなら、いま聞いちゃいな!』って、隣同士に座らせて。
しばらく皆でわいわいしてたけど、それぞれトイレや席を移動したタイミングで、少し2人だけになって、ちょっと話してたみたいなんだけど…」
結城は少々訝し気な表情で続けた。
「急に『ごめんなさい、急用が出来たから帰ります』って、顔を真っ青にした綴崎さんが幹事に言って。
てっきり具合悪くしたかと心配したんだけど、逃げるように帰っちゃって。次に出勤した時も、明らかに芝田くんに怯えてるかのように、姿を見てビクビクしていたんです」
「…そんな事が。2人は何を話していたの?」
「分かんないです。でも正味5分10分の短い間だったと思います。芝田くんにさり気なく聞いても、『しょうもない世間話です』しか言わないし…」
(恐怖感を与えたとか?でも他の人も居る場で?)
綴崎と芝田に共通点はあまりない。業務も直接一緒にやる事は無い。
それに、芝田は小動物系男子な外見で、逆に相手から舐められそうな雰囲気があり、威圧や恐怖は与えられそうに到底思えない。
(綴崎さんの事を尋ね回っていた。もしや、その過程で綴崎さんが不正を働いた証拠を掴んだ、とか?)
綴崎の業務内容は、お金に関わるものでは無かったと思う。横領や不倫など、考えられる事は色々あるが。
ゆず子が芝田と会ったのは、その日の退勤時のこと。
「お帰りですか?」
「そうですよ。そちらは?」
「遅い休憩です」
心なしか、芝田は元気が無さそうに見えた。エレベーターに乗り込むと、芝田は口を開いた。
「…綴崎さん、辞めちゃいましたね」
「ああ、そうね」
「一言、謝りたかったな…」
芝田の言葉に、ゆず子は目を丸くした。だが口を開くより先にドアが開いたので、2人は外へ出た。会社の外に出たのを見計らい、ゆず子は尋ねた。
「何か、あったの?」
芝田は唇を嚙んだ後、言いづらそうに口を開いた。
「…綴崎さん、以前小学校に居た事をご存じですか? 俺、その小学校に通っていた生徒だったんです」
「え⁈ あら…。そっか、そういう年齢か」
驚きはしたが、確かに計算上、芝田はそういう年齢だ。
(偶然にも、小学校の元恩師の転職先に入社してしまった、そういう事だったのね…)
意外な繋がりに驚くゆず子へ、芝田は続けた。
「変わった苗字だったし、個人的に色々あった相手だったので、覚えてたんです。…向こうも覚えがあったみたいで、俺が元教え子と知って固まっていました」
「…立場上、あたしが聞いていい話なの?」
「うーん、むしろ社内の人に知られると、綴崎さんに迷惑がかかるかな。一応有給消化中で、まだ籍はあるし」
話を訊いて貰いたそうなので、ゆず子は腹を決めた。
「分かった。何かあったの? その昔に」
「綴崎さんが俺の学校に配属されたの、小4だったかな。教員補助でたまに教壇に立つ事もあったんだけど、いじめたんです。『生徒による教員イジメ』」
「ああ、新任の先生とかだと、たまにあるわね…」
「そう。綴崎さんが教室に来たタイミングで、クラスの皆で教室の後ろのドアから一斉に逃げ出したり、言い間違いをいつまで大声でからかって授業妨害したり。しまいに教室で泣き出す事もありました」
「そうだったんだ…」
「俺のクラスの真似をして、他のクラスや学年もやるようになって。冬前に教員補助ではなく、同じ学校の学校事務へ異動しました。
それでも職員室の外で出くわすと、聞こえる様に悪口言ったりして。最低な事してました」
「…だから、辞めたんだ」
「恐らく。ただ、話を訊いてると『3年間低学年を受け持った』とか、実際は多摩の学校だったのに『実家のある世田谷の学校に居た』とか、ちょっと事実と食い違うんですよね。
思い出したくないからか、前職での事を特定されないようにぼかしてるのかと、思いまして」
(なるほど、子供に舐められた経験があったから、『意識が高い人』という武装をして振舞っていたのか)
話を訊きつつ、ゆず子はそう思った。芝田は続けた。
「歓迎会で『綴崎さんの元教え子なんです。多摩の○○小でした』って言って、続けて当時の事を謝ろうと思ったら、言った瞬間に立ち上がって逃げる様に行っちゃいました。
社内で話しかけようとしても、取り付く島もなくて。…よっぽどのトラウマだったんだな。本当、子供だったとは言え最低ですよね」
芝田は途方に暮れていた。
綴崎は芝田がいう通り、過去のトラウマが蘇って退職に至ったのか。もしくは、過去の職歴の詐称を暴露されると恐れたのか。
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