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役割分担
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「本当、うちの旦那は休日ってなると『子育ても家事も』休日になるから困っちゃう」
湯沸室で愚痴を溢した橋爪に、笑って返したのは綴崎美帆だ。
「それは困りますよね。でもだからって、橋爪さんが頑張る必要は無いと思いますよ?」
「えー、でも頼んでもやらないんだもの。私がやるしかないじゃない」
「そうやって繰り返すと、向こうも『どうせ嫁さんがやるから』って、益々やらなくなりますよ。何か1つでいいからやらせないと」
「それが出来たら苦労しないって」
「その代わり、何か1つでもしてくれたら大袈裟に褒めてあげるんですよ。子育てと一緒で、旦那も褒めて伸ばさなきゃ」
綴崎は温め終わった手作り弁当を持つと、足早に湯沸室を後にした。
以前は教職に就いていたが、7年前に中途採用でやってきたという異色の経歴を持つ綴崎は、世間話でこんな事を話していた。
「学校の先生って、もろに縦割りで年功序列の強い職場なのね。新しい試みやクリエイティブな提案をしても、採用どころか非難される。だから、私は見切りをつけたんです。ぬるま湯に浸かっていても、成長なんてしないから」
今風に言えば『意識高い系』とでも言うのか、向上心や知的探求心の強い女性で、社内でもある意味一目置かれている。
「毎週木曜日の夜は、料理教室に通ってるの」
ある時、綴崎が休憩中にそんな話をした。一緒に昼食を取っていた、他の女子社員達は大層驚いていた。
「料理、そんなに好きなんですか?」
「夜って事は、仕事終わりにわざわざ?」
綴崎はにっこり笑ってこう言った。
「仕事終わりに真っすぐ帰らないで、どこか寄るとするでしょ? 例えば新しく出来たお店を覗いて何となく衝動買いするより、習い事の為にお金を使う方が知識や技術も身に着くし、いいと思わない?」
ただ、ゆず子は綴崎の意識の高さに、少し気になる点もあった。
あれは約5年前、綴崎が交際していた彼氏との婚約が決まった時のこと。
「綴崎さん、結婚後も会社では今のままの姓で行くんだよね?」
「勿論。いろいろ名義変更するのも大変だし、そもそも女性の側だけそういう煩わしい風潮があるのなんて、時代にそぐわないですから」
綴崎は当時の部署で初の『結婚後も旧姓を継続』する事を選んだ。
(昔は職場関係の名義変更も含めての『結婚』という一大イベントだったものだけど、昨今は違うのね)
感心するゆず子に、相談を持ち掛けたのは、総務課の結城。
「何か、綴崎さんに結婚式の招待状貰ったんですけど…」
「あら、招待されたんだ」
「あたし、綴崎さんとは全然親しくないんですよ。同期でなければ部署も違うし、今まで話したのも1,2回ぐらいだし」
「え、そうなの?」
「他にも営業課の喜田さんとか、樋高ちゃんとか、社内で仲が良い訳でも無い人も何人か貰ってるんですよ。何でなんだろ?」
結城は首を傾げ、義理は無いからと参加を辞退したようだ。
断り切れず、披露宴に行った喜田の話を訊くと。
「式自体はとても良かったんですけど、招待客のチョイスが謎なんですよね。同じ事務課の5人と、何故かあたしが同じテーブルでしょ。
あと新婦の友人席にいる人が同じ幼稚園だった幼馴染1人と、中高時代の友達1人、小学校の恩師、大学時代の友達2人の5人かな。新郎が友人と仕事関係で3テーブル使ってるから、何かアンバランスっていうか」
黙って訊いていた橋爪が口を開く。
「思ったより来た友達少ないのね、人数合わせだったのかな? 習い事とか勉強会で親しくなった人とお茶したとか、さも仲のいい友達の様に話してたけど、そこまででも無かったんだ」
「成程ね、ちひろちゃんとも話したんだけど、同じ部署以外の招待された人、みんな独身の人だよね~って」
喜田の言葉に、一同は綴崎の『意外な一面』を自覚した。ゆず子がさり気なく式の事を綴崎に尋ねると。
「とても残念というか、納得のいかない事がありましてね。招待状の返事ですよ」
「返事? ああ、『御出席』の『御』を消して『出席』に〇をつけるやつ?」
「それよりも、返信自体頂けない人が多くいましてね。非常にがっかりです」
「へえ、返事寄越さない人、居たんだ?」
「そうなんです。メールでの催促にも、なしのつぶての方が半数も居ました。社会人としてどうなんでしょうね」
綴崎は息をつくと、トイレを後にしたが。
(半数が返事しない⁈どんな交友関係なの?)
ゆず子はその話に驚いたが。
(でもなぁ、自慢のように、独身の女子だけ選んで招待する子だもんね。それなりの事情の相手なのかもね…)
何となく納得せざるを得ない感じがした。
結婚の翌年、妊娠した綴崎は険しい表情でゆず子にこう溢した。
「…今回の妊娠、失敗でした」
「え? どうしたの?」
てっきりマタニティブルーかと思ったが、違っていた。
「予定日11月なんですよ。保活にとても不利なんです」
ゆず子はたしなめた。
「なに言ってるのよ、仕事復帰なんて何月でもいいじゃない。4月の保育園入園なんかより、無事に産んで体調も整える事が最優先よ」
「みんなそう言いますけどね…」
綴崎は溜息をつきながら場を後にした。綴崎はその後無事に男の子を出産し、育休へ。6月に時短で職場復帰をした。
復帰後に初めて会った時、綴崎はゆず子にこんな事を言った。
「半年も休むと、浦島太郎の気分ですよ。鈍った頭と身体を元に戻したいです」
「育休、もっと取っても良かったんじゃない? 住んでる所、待機児童、無い場所なんでしょ?」
「そんな訳に行きませんよ。いつまでも休んでると、仕事も回らなくなりますから!」
綴崎はさも『自分が居ないと仕事が成り立たない』様に言っていたが、実際は特にそういう事も無い、との情報だった。
(まあ、自分1人で仕事をしている気になっている人って、居るよね…。でもその思い込みで仕事が円滑に進むなら、いいのかな)
ゆず子は目を細めつつ、頷いた。
長すぎる前置きと人物紹介はここまでにして、話は冒頭へ戻る。
綴崎の『意識の高さ』は育休明け、以前にも増して更に強まった。自分が経験したからなのかもしれないが、特に既婚・子育て中の人間へ対して、マウントにも近い事をよく言うようになった。
「私、時短料理や宅食ってあまり好きじゃないんです。親が料理する姿を見せると、子供も料理に対する興味を持つと思うんですよ。だから頑張って作ってます」
「旦那さんが育児してるってだけで『すごいねー』『偉いねー』って言う世の風潮、おかしいですよね?だって旦那さんも『親』なんですから、育児は当然ですよ」
時に、未婚の後輩に言う事もあった。
「安西さんも、結婚するなら『男性育休』に積極的な人がいいよ。子供が生まれたら子煩悩に変わる、なんて人、居ないんだから」
ここまで来ると、周囲も辟易とし始める。子供の体調不良で綴崎が欠勤した、ある日の昼休憩で安西と橋爪が疑問を口にする。
「綴崎さんって、宅食サービスに否定的意見持ってましたよね?」
「そうだよ。私が宅食使ったって聞いて、『私は子供に料理する姿を見せてる』って言ってたし」
橋爪が言うと、安西は首を傾げた。
「そうなんですか? この前、鞄から何か出すときに領収書落として、拾って渡したんですけど、それに『ミールヘルプ』ってあったんです。
…『ミールヘルプ』って、宅食ですよね?」
それを聞き、ゆず子も橋爪も目を丸くした。橋爪が答える。
「うん、宅食だね。…何、あの人。ディスった割に使ってるんだ?」
「『7食\4530』って印字見ました」
橋爪は苦笑して言った。
「別に使ってるなら、使ってるでいいじゃない。何で隠してまで見栄張るかな~?」
「私が拾った時、慌てていたんですよね。じゃあ、やっぱ確実かぁ」
(あらあら)
ゆず子は聞かなかったふりで仕事を続けた。
別の日、トイレで橋爪に綴崎がアドバイスしている場面に出くわした。
「役割分担は必要ですよ。『手の空いた方がやる』なんて言う抽象的な決まりじゃダメですよ」
「えー? じゃあ、お宅はどんな風に分担しているの?」
綴崎は胸を張って答えた。
「うちの場合は、子供のお風呂と寝かしつけは夫の義務なんです」
「へえ、義務なんだ」
「そうなんです。どんなに仕事が忙しくても、お風呂と寝かしつけは絶対なんです。子供とのコミュニケーションは取れるし、私も自分の時間が確保出来るからイイ事づくめですよ!」
橋爪は『また始まったよ!』と言いたげに、ゆず子をチラと見た。橋爪は言った。
「成程ね、そのルーティンは何があっても崩さないんだ? 残業の時は?」
「そうですね。泊りの業務さえ無ければ、そうしてます。残業も夜10時までには終わりますので、問題ありません」
その綴崎の返答に、ゆず子も橋爪も引っ掛かりを覚えた。
「え、お子さん何時に寝かしつけてるの?」
「10時です。保育園で昼寝をしっかりしてるので、その時間です」
(夜10時に1歳の子を寝せてるの?遅くない?)
思わず綴崎を見たゆず子と同様の考えか、橋爪も驚きの声を上げた。
「10時⁉ 遅すぎじゃない?」
「それは自分の考えの押し付けですよ、橋爪さん。うちの子の場合は問題ないですよ。朝はちゃんと起きるし、夜間もぐずらないし。それに、そうでもしないと夫が育児に参加出来ませんから」
綴崎は手を洗うと、トイレを後にした。残されたゆず子と橋爪は首を傾げた。
「聞いた? 旦那さんにお風呂と寝かしつけさせるがために、1歳児を夜10時に寝せてるんだって」
「うん…。途中で眠たくなって、お子さんがぐずったらどうするんだろう?
…綴崎さんの旦那さんて、何の仕事してるの?」
「確か消防士だよ。夜勤もあるだろうに、残業あっても旦那さんに絶対押し付けるんだ。…とんだ鬼嫁だね、子供もそのために起こしておくのかな」
2人は揃って眉根を寄せた。
半月後。休憩中の橋爪に安西が世間話を持ち掛けた。
「…この前、地元の友達と飲んだんですけど、とんだ恐妻の持つ職場の先輩の話を訊かされて」
「へえ、どんな?」
橋爪が尋ねると、安西は続けた。
「その子が言うには、旦那さんである先輩が残業になっても、『これは父親としての義務だから』って、子供を決してお風呂に入れたり寝かしつけたりしない奥さんが居る、って話なんですよ」
安西のその話に、ゆず子と橋爪の手が、思わず止まった。橋爪は訊いた。
「どういう事?」
「何か、夫婦間の約束?で、お風呂と寝かしつけは旦那さんの義務らしいんです。その子の先輩、消防士だから夜勤あるんですけど、夜勤の時以外は絶対旦那さんにやらせるために、子供も起こしておくんですって。そこまでする必要あるんですかね?」
(何か、何処かで聞いたぞ…?)
少し離れた距離で顔を見合わすゆず子と橋爪は、恐らく同じことを考えているだろう。
安西は続けた。
「友達が言うには、『あそこの先輩んち、夫婦仲やべえよ~。先輩も嫁の悪口しか言わない笑笑』ですって。まだ結婚とかピンと来ないけど、そういう奥さんにはなりたくないですね、ほんと」
世間と言うのは、案外狭いのかも知れない。
湯沸室で愚痴を溢した橋爪に、笑って返したのは綴崎美帆だ。
「それは困りますよね。でもだからって、橋爪さんが頑張る必要は無いと思いますよ?」
「えー、でも頼んでもやらないんだもの。私がやるしかないじゃない」
「そうやって繰り返すと、向こうも『どうせ嫁さんがやるから』って、益々やらなくなりますよ。何か1つでいいからやらせないと」
「それが出来たら苦労しないって」
「その代わり、何か1つでもしてくれたら大袈裟に褒めてあげるんですよ。子育てと一緒で、旦那も褒めて伸ばさなきゃ」
綴崎は温め終わった手作り弁当を持つと、足早に湯沸室を後にした。
以前は教職に就いていたが、7年前に中途採用でやってきたという異色の経歴を持つ綴崎は、世間話でこんな事を話していた。
「学校の先生って、もろに縦割りで年功序列の強い職場なのね。新しい試みやクリエイティブな提案をしても、採用どころか非難される。だから、私は見切りをつけたんです。ぬるま湯に浸かっていても、成長なんてしないから」
今風に言えば『意識高い系』とでも言うのか、向上心や知的探求心の強い女性で、社内でもある意味一目置かれている。
「毎週木曜日の夜は、料理教室に通ってるの」
ある時、綴崎が休憩中にそんな話をした。一緒に昼食を取っていた、他の女子社員達は大層驚いていた。
「料理、そんなに好きなんですか?」
「夜って事は、仕事終わりにわざわざ?」
綴崎はにっこり笑ってこう言った。
「仕事終わりに真っすぐ帰らないで、どこか寄るとするでしょ? 例えば新しく出来たお店を覗いて何となく衝動買いするより、習い事の為にお金を使う方が知識や技術も身に着くし、いいと思わない?」
ただ、ゆず子は綴崎の意識の高さに、少し気になる点もあった。
あれは約5年前、綴崎が交際していた彼氏との婚約が決まった時のこと。
「綴崎さん、結婚後も会社では今のままの姓で行くんだよね?」
「勿論。いろいろ名義変更するのも大変だし、そもそも女性の側だけそういう煩わしい風潮があるのなんて、時代にそぐわないですから」
綴崎は当時の部署で初の『結婚後も旧姓を継続』する事を選んだ。
(昔は職場関係の名義変更も含めての『結婚』という一大イベントだったものだけど、昨今は違うのね)
感心するゆず子に、相談を持ち掛けたのは、総務課の結城。
「何か、綴崎さんに結婚式の招待状貰ったんですけど…」
「あら、招待されたんだ」
「あたし、綴崎さんとは全然親しくないんですよ。同期でなければ部署も違うし、今まで話したのも1,2回ぐらいだし」
「え、そうなの?」
「他にも営業課の喜田さんとか、樋高ちゃんとか、社内で仲が良い訳でも無い人も何人か貰ってるんですよ。何でなんだろ?」
結城は首を傾げ、義理は無いからと参加を辞退したようだ。
断り切れず、披露宴に行った喜田の話を訊くと。
「式自体はとても良かったんですけど、招待客のチョイスが謎なんですよね。同じ事務課の5人と、何故かあたしが同じテーブルでしょ。
あと新婦の友人席にいる人が同じ幼稚園だった幼馴染1人と、中高時代の友達1人、小学校の恩師、大学時代の友達2人の5人かな。新郎が友人と仕事関係で3テーブル使ってるから、何かアンバランスっていうか」
黙って訊いていた橋爪が口を開く。
「思ったより来た友達少ないのね、人数合わせだったのかな? 習い事とか勉強会で親しくなった人とお茶したとか、さも仲のいい友達の様に話してたけど、そこまででも無かったんだ」
「成程ね、ちひろちゃんとも話したんだけど、同じ部署以外の招待された人、みんな独身の人だよね~って」
喜田の言葉に、一同は綴崎の『意外な一面』を自覚した。ゆず子がさり気なく式の事を綴崎に尋ねると。
「とても残念というか、納得のいかない事がありましてね。招待状の返事ですよ」
「返事? ああ、『御出席』の『御』を消して『出席』に〇をつけるやつ?」
「それよりも、返信自体頂けない人が多くいましてね。非常にがっかりです」
「へえ、返事寄越さない人、居たんだ?」
「そうなんです。メールでの催促にも、なしのつぶての方が半数も居ました。社会人としてどうなんでしょうね」
綴崎は息をつくと、トイレを後にしたが。
(半数が返事しない⁈どんな交友関係なの?)
ゆず子はその話に驚いたが。
(でもなぁ、自慢のように、独身の女子だけ選んで招待する子だもんね。それなりの事情の相手なのかもね…)
何となく納得せざるを得ない感じがした。
結婚の翌年、妊娠した綴崎は険しい表情でゆず子にこう溢した。
「…今回の妊娠、失敗でした」
「え? どうしたの?」
てっきりマタニティブルーかと思ったが、違っていた。
「予定日11月なんですよ。保活にとても不利なんです」
ゆず子はたしなめた。
「なに言ってるのよ、仕事復帰なんて何月でもいいじゃない。4月の保育園入園なんかより、無事に産んで体調も整える事が最優先よ」
「みんなそう言いますけどね…」
綴崎は溜息をつきながら場を後にした。綴崎はその後無事に男の子を出産し、育休へ。6月に時短で職場復帰をした。
復帰後に初めて会った時、綴崎はゆず子にこんな事を言った。
「半年も休むと、浦島太郎の気分ですよ。鈍った頭と身体を元に戻したいです」
「育休、もっと取っても良かったんじゃない? 住んでる所、待機児童、無い場所なんでしょ?」
「そんな訳に行きませんよ。いつまでも休んでると、仕事も回らなくなりますから!」
綴崎はさも『自分が居ないと仕事が成り立たない』様に言っていたが、実際は特にそういう事も無い、との情報だった。
(まあ、自分1人で仕事をしている気になっている人って、居るよね…。でもその思い込みで仕事が円滑に進むなら、いいのかな)
ゆず子は目を細めつつ、頷いた。
長すぎる前置きと人物紹介はここまでにして、話は冒頭へ戻る。
綴崎の『意識の高さ』は育休明け、以前にも増して更に強まった。自分が経験したからなのかもしれないが、特に既婚・子育て中の人間へ対して、マウントにも近い事をよく言うようになった。
「私、時短料理や宅食ってあまり好きじゃないんです。親が料理する姿を見せると、子供も料理に対する興味を持つと思うんですよ。だから頑張って作ってます」
「旦那さんが育児してるってだけで『すごいねー』『偉いねー』って言う世の風潮、おかしいですよね?だって旦那さんも『親』なんですから、育児は当然ですよ」
時に、未婚の後輩に言う事もあった。
「安西さんも、結婚するなら『男性育休』に積極的な人がいいよ。子供が生まれたら子煩悩に変わる、なんて人、居ないんだから」
ここまで来ると、周囲も辟易とし始める。子供の体調不良で綴崎が欠勤した、ある日の昼休憩で安西と橋爪が疑問を口にする。
「綴崎さんって、宅食サービスに否定的意見持ってましたよね?」
「そうだよ。私が宅食使ったって聞いて、『私は子供に料理する姿を見せてる』って言ってたし」
橋爪が言うと、安西は首を傾げた。
「そうなんですか? この前、鞄から何か出すときに領収書落として、拾って渡したんですけど、それに『ミールヘルプ』ってあったんです。
…『ミールヘルプ』って、宅食ですよね?」
それを聞き、ゆず子も橋爪も目を丸くした。橋爪が答える。
「うん、宅食だね。…何、あの人。ディスった割に使ってるんだ?」
「『7食\4530』って印字見ました」
橋爪は苦笑して言った。
「別に使ってるなら、使ってるでいいじゃない。何で隠してまで見栄張るかな~?」
「私が拾った時、慌てていたんですよね。じゃあ、やっぱ確実かぁ」
(あらあら)
ゆず子は聞かなかったふりで仕事を続けた。
別の日、トイレで橋爪に綴崎がアドバイスしている場面に出くわした。
「役割分担は必要ですよ。『手の空いた方がやる』なんて言う抽象的な決まりじゃダメですよ」
「えー? じゃあ、お宅はどんな風に分担しているの?」
綴崎は胸を張って答えた。
「うちの場合は、子供のお風呂と寝かしつけは夫の義務なんです」
「へえ、義務なんだ」
「そうなんです。どんなに仕事が忙しくても、お風呂と寝かしつけは絶対なんです。子供とのコミュニケーションは取れるし、私も自分の時間が確保出来るからイイ事づくめですよ!」
橋爪は『また始まったよ!』と言いたげに、ゆず子をチラと見た。橋爪は言った。
「成程ね、そのルーティンは何があっても崩さないんだ? 残業の時は?」
「そうですね。泊りの業務さえ無ければ、そうしてます。残業も夜10時までには終わりますので、問題ありません」
その綴崎の返答に、ゆず子も橋爪も引っ掛かりを覚えた。
「え、お子さん何時に寝かしつけてるの?」
「10時です。保育園で昼寝をしっかりしてるので、その時間です」
(夜10時に1歳の子を寝せてるの?遅くない?)
思わず綴崎を見たゆず子と同様の考えか、橋爪も驚きの声を上げた。
「10時⁉ 遅すぎじゃない?」
「それは自分の考えの押し付けですよ、橋爪さん。うちの子の場合は問題ないですよ。朝はちゃんと起きるし、夜間もぐずらないし。それに、そうでもしないと夫が育児に参加出来ませんから」
綴崎は手を洗うと、トイレを後にした。残されたゆず子と橋爪は首を傾げた。
「聞いた? 旦那さんにお風呂と寝かしつけさせるがために、1歳児を夜10時に寝せてるんだって」
「うん…。途中で眠たくなって、お子さんがぐずったらどうするんだろう?
…綴崎さんの旦那さんて、何の仕事してるの?」
「確か消防士だよ。夜勤もあるだろうに、残業あっても旦那さんに絶対押し付けるんだ。…とんだ鬼嫁だね、子供もそのために起こしておくのかな」
2人は揃って眉根を寄せた。
半月後。休憩中の橋爪に安西が世間話を持ち掛けた。
「…この前、地元の友達と飲んだんですけど、とんだ恐妻の持つ職場の先輩の話を訊かされて」
「へえ、どんな?」
橋爪が尋ねると、安西は続けた。
「その子が言うには、旦那さんである先輩が残業になっても、『これは父親としての義務だから』って、子供を決してお風呂に入れたり寝かしつけたりしない奥さんが居る、って話なんですよ」
安西のその話に、ゆず子と橋爪の手が、思わず止まった。橋爪は訊いた。
「どういう事?」
「何か、夫婦間の約束?で、お風呂と寝かしつけは旦那さんの義務らしいんです。その子の先輩、消防士だから夜勤あるんですけど、夜勤の時以外は絶対旦那さんにやらせるために、子供も起こしておくんですって。そこまでする必要あるんですかね?」
(何か、何処かで聞いたぞ…?)
少し離れた距離で顔を見合わすゆず子と橋爪は、恐らく同じことを考えているだろう。
安西は続けた。
「友達が言うには、『あそこの先輩んち、夫婦仲やべえよ~。先輩も嫁の悪口しか言わない笑笑』ですって。まだ結婚とかピンと来ないけど、そういう奥さんにはなりたくないですね、ほんと」
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