鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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辛味と塩味 ※同性愛、特定重病に対する表現あり

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 こういった仕事をしていると、よく聞かれる事がある。

「清掃員って、家の中綺麗なんじゃない? 綺麗好きだから、この仕事してるんでしょ?」

 ゆず子は、手を止めずにいつもこう返す。

「いいえー、普通です。綺麗好きって訳でもないですよ」


 清掃員にも、綺麗好きな人も居ればズボラな人も居る。愚問だ。
 その質問は、パン屋が休日に自宅でもパンを焼くのかとか、半導体を作る人は、自宅でも趣味で半導体を作るのか?という話と同等だ。


(年取るとそういう働き口しかない、とか簡単で適度な運動量の仕事をしたいとか、そういう事情もあるんだけれどね)


 『天職(っぽい)=趣味や得意分野』という方程式が、インプットされている人が多い。
 個人的にゆず子が思う、究極の天職に就いた人は『人間国宝の人』だ。でも、人間国宝の人は、果たしてその仕事は趣味や得意分野だったのだろうか?

 そう考えると、その方程式に矛盾がある事に気づく。



屋久志やくしさんて、潔癖症だと思います?」

 掃除中のゆず子に話しかけて来たのは、20代の女性社員:沖田凜香おきたりんか。ゆず子は手を止める。

「潔癖症? 何で?」

「この前、機械トラブルで残業になった時、差し入れにおにぎりを貰ったんですよ。でも屋久志さん、『人の握ったやつは苦手だから』って手をつけなくて」

「あー、たまに居るね、そういう人」

 世の中の変化なのか、最近そういう人も増えていると聞く。沖田は続けた。

「潔癖症気味だったら、しつこく手洗いするとか、トイレなるべく使わないとかもあるのかな、と思って」

「うーん…。全部を見てる訳じゃないけど、普通だと思うよ」


 屋久志和彦やくしかずひこは、42歳になる検品・検査部門に所属する男性社員だ。
 10年ほど前に系列会社から赴任し、ずっと勤務している。アウトドア好きな独身で、休日は釣りやキャンプに興じていると聞いている。


「ですよね。キャンプや釣りなんて、潔癖症の人はやってられないですよね。だから何か意外だなーって思ったんです」

 沖田の言葉に、ゆず子も頷いた。

「むしろ、率先しておにぎりを作って皆に振舞いそうよね」

「確かにそうですね」


 屋久志は孤独を愛してるように見えて、割と面倒見の良い男である。会社の若い男性従業員も、たまに釣りやキャンプに同行する事もあるらしい。


「屋久志係長の作ったカレーが、マジうめえの。何か、自分で調合したスパイス持って来てて、それとバターと肉と絡めてパパパって作っちゃってさ。すげえよ」

「いいなー、食べてみたい」

 休憩室。屋久志とのキャンプに同行した同期の男性社員国枝の話を、口を尖らせた沖田が聞いていた。国枝は言った。

「そういや、知ってる? 『昔、屋久志さんにゲ○疑惑があった』って話」

「そうなの?」

「『女っ気』が全く見えなくてさ。かと言って2次元とかアイドルとか、そういうのも好きでもないから、怪しまれていたんだって。だからキャンプとか釣りに誰かを誘っても、警戒して同行してくれなかったらしいよ」

「えー、可哀想」

「そうなん。ただ恋愛に興味無い人ってやつなのにね」

 沖田は悪戯っぽい笑みを浮かべて、国枝に言った。

「彼女居た事はあったんでしょ? 屋久志さんは」

「みたいよ。『色々あったから、恋愛はもういいや』って言ってた」

「何それ、めっちゃ気になる~」



 沖田は、20歳も上の屋久志をよく気にしていた。


「思ったんですけど屋久志さんて、男性アナウンサーのBとか俳優のCに近い顔立ちですよね?」

「うーん、確かに近いかもしれないね」

 ゆず子が返事すると、沖田は微笑んだ。

「屋久志さんの作る特製カレー、食べてみたいんですけど、『キャンプ部』って基本男子だけなんですよ。行ってみたいなぁ」

「屋久志さんの過去の恋バナ、気になるなぁ。どういうドラマがあったんだろう?」


(これは、もうすっかり…)

 沖田は、屋久志に恋心を募らせ始めているようだった。

(『どういう人なのかちょっと気になる』が導入で始まった感じの様ね。でも、20歳も離れてると、色々大変かもしれないけど…)

 ゆず子は微笑ましく沖田を見ていた。



「鳴瀬さん、やりました!」

 廊下のモップ掛けをしているゆず子に、沖田は嬉しそうに言った。

「どうしたの?」

「キャンプじゃなくバーベキューなんですけど、行く事になりました!!」

「あら、良かったじゃない。じゃあ、噂のカレー食べられるの?」

「そうなんです。念願叶って、カレーが食べられるんです!」

「いいわねえ、是非感想聞かせてね」

「はい!」


 ところが、沖田はその翌週から、屋久志の話をするのをパタッと止めてしまった。

(元気ないなあ。これは告白して振られた感じかな?)

 他の人間に『バーベキュー』の事を訊いてしまうと、2次被害(知られたくない事の漏洩や拡大)に繋がる。
 ゆず子は、さり気なく屋久志に訊いてみる事にした。

「そう言えば、先週のバーベキューどうだったの?」

 屋久志はにこやかに答えた。

「ええ、楽しくやりましたよ。若手の間で、俺の手作りカレーが話題になっていたみたいで。作って食べさせました」

(伊達に大人をしてるから、顔には出さないわね)
 ゆず子は更に尋ねた。

「そうなんだ。沖田さんがね、『楽しみなの!』って言ってたから、私も気になっていてね」

「いやいや、そんな大したものでは無いんですよ」

 沖田の事を口にしても、屋久志は顔色も変えずに答えた。

「それにしても、何でバーベキューにしたの? いつもキャンプなんでしょ?」

「あー、俺、キャンプに女子は誘わない事にしてるんですよ」

「何で?」

 屋久志は頭を掻きながら説明した。

「…こういう話すんのもなんだけど、『非日常で理性のタガが外れる』人ってのが、一定数居るのね。
前にもさ、そういうつもりで開催した訳でないのに、暗くなると男女2人で何処かに消えてゆく人達が居てさ」

「あらあら、そうだったのね」

「そうなの。だから男子限定のキャンプ。まあ、今回のバーベキュー楽しかったけど、これっきりになるかもな…」

「え」

 屋久志はゆず子にそれ以上は何も言わず、場を後にした。



「沖田さん、ここを辞めるそうですよ」

 ゆず子に教えて来たのは、沖田と同期の柄北。ゆず子は尋ねた。

「あらまあ。転職?」

「…そうですね。転職理由が『自分のせいで彼に迷惑をかけたくない』なのが、何とも切ないのですが」

 柄北は色々と話を訊いていたのだろうが、多くは語らず口をつぐんだ。沖田もゆず子に話す事もないまま、会社を退職して行った。

(今どき若いのに、しっかりした子なのね。しつこく何回も告白したり、『フラれた!』とも大騒ぎもせず自分から去るなんて)


 ひと月もしない頃、ゆず子はそこの会社を出てすぐの地点でトラブルに見舞われた。通勤用(出向先への移動用)自転車のチェーンが外れたのだ。

「やれやれ、仕事終わりなのが不幸中の幸いか?」

 道具は何もない。取りあえず横に倒して、自力で直そうとしていると、何者かがやって来た。

「鳴瀬さん、パンクしたの?」

 声を掛けたのは屋久志だった。傍らには、彼のマイカーが停まっている。

(そっか、退勤時間か。なのにわざわざ)
「ううん、チェーンが外れたの。自分でやろうと思って…」

「いいっすよ、手ぇ汚れちゃうし。俺、得意だから」

 屋久志は言うと、愛車のメンテナンス様に積んでいたのか、工具を持ってやって来た。
 チェーンは、ものの10分で元に戻った。

「鳴瀬さんの自転車、アシスト付きじゃないやつなんですね。疲れませんか?」

 お礼に買ったコンビニコーヒーで一息つきながら質問する屋久志に、ゆず子は答えた。

「うん。でも身体動かして体力つけないと、動けない老人になるからね。今の内から鍛えてるの」

 しばし沈黙。屋久志は口を開いた。

「…罪滅ぼしのつもりなのかな」

「え?」

「傷つけてしまった、あの子への」

 沖田の事か。ゆず子は頷いた。

「そういう事もあるわよ」

「俺さ。昔、すごく好きだった人が居てさ。勿論、女の人でね。4年も同棲して、何度もプロポーズしたぐらい好きだったんだけど、別れたんだ。『お互いに進む方向が違っていた』ってやつで」

 屋久志は沈む夕日を眺めていた。

「別れて1年経つかの頃に、彼女が事故死したんだ。その後に、死んだ彼女と共通の知り合いから連絡が来て。『彼女、HIVキャリア患者だったらしいけど、お前知ってたか?』って。目の前が真っ暗になりましたよ」

 ゆず子は恐る恐る、口を開いた。

「何かの間違い、じゃなかったの?」

 屋久志は珈琲を1口飲んだ後、こっちを見て答えた。

「結論から言うと、俺は陰性、彼女は陽性キャリア。…俺と出会った頃には、もう薬を飲んでたんです。聞くと、『美容サプリ』『花粉症や持病の喘息の薬』って言われて、怪しむ事もしなかった」

「同棲してる間、ずっと隠していたの?」

 屋久志は空を見て、息をついた。

「彼女怖かったんだろうな、言うの。でもね、頑なに結婚や子供を持つ事を嫌がってたから、そこは俺への優しさだったんじゃないかって、勝手に思ってる」

 屋久志は懐かしむような表情を浮かべた。

「俺ね、誰かと『深い関係』になりたいとは思わないんだ。人との接触も、彼女の件で全て『怖い』って思うようになっちゃった。あんなに、大好きな人だったのにね。
…あの子から『好き』って言われて嬉しかったけど、想いに応える事は出来ないから」

 ゆず子も、無言で夕日を眺めた。



 時は流れ。柄北が、ゆず子にあるタウン情報誌を見せてきた。

「どうしたの?」

「沖田さん、開業しました。カレー屋さんです」

 開いたページには、ちょっとだけ綺麗になった沖田が満面の笑みで載っていた。

『昔、好きだった人が作ってくれたカレーが、転機となりました』



 道と言うのは、無限に交差し、無限に広がり、続いていくのだ。

 アクシデントを『挫折』と取るか、『転機』と取るかで、未来はどんな風にも変わるものである。

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