鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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年一夫婦

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 クリスマスが終わると、町の様子は『正月』へ様変わりする。

 小売業だと、季節先取りが通常だ。クリスマス商品を売っていてツリーも飾っている『クリスマス商戦』中から、正月商品も扱っていて、時間軸が錯覚を起こしてしまう。


(『商戦』は遅刻厳禁なのよね。競争の激しい業界ですから)

 かと言って大幅なフライングもどうなのだろう?9月に入ったばかりなのに、お節料理予約の折込チラシが投函されていた事もあった。


 明日は仕事納め。今日のゆず子は、カフェテリア白樫で書類作業だ。

「いやあ、明日で仕事納めですね」

 向かいのテーブルには、20代半ばのサラリーマン。先輩と思われるアラサーくらいのサラリーマンも、その向かいに座り、口を開く。

「でもさ、トラブルがあったら呼び出されるから、完全な休みっちゅー訳じゃないよ?」

「うわぁ、呼び出さないでくれ!」

 2人は笑いながらコートを脱いだ。20代の男は言った。

「十和田先輩、あのバッグ、マジで彼女に買ってあげたんですか?」

「買ったよ、30万近くしたけど。お前、彼女欲しいとか言ってるけど、実際金かかるから覚悟しとけよ」

「はははっ、覚えときます!」

 2人はメニューを取り、品物を選び始めた。


(お金のかかる彼女も居れば、無欲な彼女も居るのよね。付き合うのには価値観のすり合わせも必要かな?)
 ゆず子は聞きながら思った。

 20代の男は口を開く。

「そう言えば、事務の菱沼ひしぬまさんて居るじゃないですか。あの人、婚約中って聞いたんですけど」

「ああ、らしいよ。相手、A支店勤務の元同期だよ。俺も会った事ある」

 アラサー男の返答に、20代の男は腕組みした。

「相手の人って、どんな感じの人ですか?」

「んー、普通? 背が高くてヒョロっとしてたかな」

「え、そうなんですか? ガタイのイイ人じゃないんすか?」

「ガタイいい? いいや、細いけど」

「…そうですか」

 釈然としない表情の20代男に、アラサー男は尋ねる。

「何で?」

「実は、イブの日に菱沼さんを駅前で見かけたんですよ」

 20代男は、運ばれてきた珈琲を一口飲むと説明を始めた。

「イブの日に、駅ビルで俺の好きなゲームのイベントあって、朝の10時頃にB駅に行ったんですよ。B駅の駅前って、噴水あるじゃないですか。
そこの前で、待ち合わせ中らしい菱沼さんを見かけたんですよ」

「へー、クリスマスデートしてたんだ」

 アラサー男は手が冷えているのか、両手で珈琲入りカップを持って相槌を打った。20代男は言った。

「それが、待ち合わせに来た相手って言うのが、ガタイが良くてB系ファッションの男の人で。笑顔で手を振り合うと、2人で何処かに行っちゃったんですよ」

「ガタイのいいB系ファッションの男? 厚着してたとかじゃなく?」

「ええ。明らかに身体が大きめの人ですもん。サラリーマンらしくない口髭も生えてました」

 それを聞き、アラサー男は眉根を寄せた。

「口髭ねえ…。婚約者、衛生管理部門だから、口髭なんて生やせない仕事の筈だよな。知り合いか…?」

「かもしれないですけど、クリスマスイブに婚約者以外の男と2人だけで会うなんて、どういう関係だろうって思って」


(あらら?婚約中なのに、他の男と会ってたの?)
 ゆず子は聞き耳を立てて、記入作業を続けた。

 アラサー男は宙を見つつ口を開いた。

「兄弟とか? もしかしたら、他にも同行者が居たりとか」
「それもあり得るけど、2人で他の場所に移動してったんすよね。噴水前で待ち合わせていたのは、2人だけだった、のは確実なんです」

「兄弟、居たかなぁ? 1人っ子だって聞いたけど…」

 アラサー男の言葉に、20代男は真剣な目で言った。

「俺、見ちゃいけない場面を見たのかも…」

 20代男は続けた。

「相手居て、イブやクリスマス当日に会う予定があるのは当たり前ですよ。今年は土日だから尚更です。
…だから、予定がブッキングしないよう、婚約者と会うのは夜で、浮気相手と会うのは昼にずらしたとか…」


(予定を把握してれば、相手が確実に仕事中の時間帯に逢えば、バレずに浮気可能っちゃ可能よね。でも…)

 ゆず子のその先の考えを、アラサー男が代わりに述べた。

「…だとしたら、人の多い駅前で待ち合わせする? 誰が見てるか分かんねえじゃん。実際、お前に見られてるし」

「俺の場合はたまたまイベあったけど、休みである土日の朝から、人混みに出掛ける奴なんて居なくないすか? 相手が友達だとしても、出かけるのは夕方からだと思うんですよ。
…それを見越した上での『昼浮気』」

 20代男は浮気を疑っている。アラサー男は難しそうな顔をしていた。

「婚約中にやるかな、そういうリスキーなこと。あの人、ノリはいいけど向こう見ずなとこは無いよ」


(男の兄弟が居ない、婚約中の女性が、婚約者以外の男とクリスマスイブの昼間に、人気の多い場所で密会の待ち合わせ…。果たしてそんな事、するものかしら)

 ゆず子も知らず知らずのうちに腕組みをしてしまった。

(やましい関係で無かったとしても、疑わしい事をあえてする必要は無いと思うのよね)


 三者の思考は、スマホの通知音で搔き消された。アラサー男は自身のスマホを見ると、中腰で入り口を見やった。

「井口課長、こちらです」

 呼びかけと共に現れたのは、40代くらいの小太りな男だった。

「お疲れさん~。悪いね、忘れ物しちゃって」

 課長はアラサー男の隣に座ると、ビジネスカバンからUSBメモリとファイルを出し、アラサー男に渡した。

「いえいえ。おかげでちょっと時間出来たので、珈琲飲んでました」

「そうか。じゃあ俺も1杯貰おうかな」

 課長が珈琲を頼むと、20代男は尋ねた。

「そう言えば課長は、菱沼さんとも長いんですよね?」

「まあ、言っても10年も無いけどね。あの子、某大手から転職してウチに来たんだよ」

「え、中途だったんですか?」

「そうだよ、C証券。今でこそ適正な勤務時間が義務付けられるけど、当時は超絶ブラックでね。心身病んじゃっての転職だったんだ。
『こんなに平穏な職場なんて、初めてです!』って度々言ってたな」

 アラサー男はその言葉に感心した。

「そうだったんですね。C証券なんて、2,3年前にも過労死案件ありましたもんね」

「うん。最初の結婚なんて、C証券勤めのせいでダメになったみたいなもんだから」

 課長の言葉に、ゆず子を含めた3人は呆気に取られた。20代男が言う。

「『最初の結婚』? 井口課長のですか?」

 課長はキョトンとした。

「え? 俺は1回しか結婚してないよ。…あ! そっか、知らないか。菱沼さん、バツイチなんだよ」

 その言葉に、2人は大層驚いた。

「え! そうなんすか?」

「…知りませんでした」

 課長はにこやかに言った。

「本人が言うには、『学生の時、ノリで籍を入れた』って話でさ。大学出てからC証券勤めですれ違いが増えて、しかもストレスで言い争いも増えたから、『お互いこれ以上嫌いにならないために』って事で離婚したらしいんだ。
離婚してからは、仲の良い友人の1人として今もやり取りしているみたいだよ」

「成程、距離が出来たから上手くいくってやつですね。…婚約者は、離婚歴の事は?」

 アラサー男が尋ねると、課長は答えた。

「勿論知っているよ。その上での結婚さ」

 課長は窓の外を眺めた後、続けた。

「そう言えば、今年も『墓参りデート』したのかな」

「何ですか、それ」

「元旦那さんのお母さん、つまり元姑さんと結婚前も離婚後もすごく仲が良かったけど、4,5年前に亡くなっちゃったらしくて、今は元旦那さんと会いつつ墓参りしてるんだって。確かクリスマスの時期なんだよ」


(はあー、成程ね)
 書類を書きつつ、ゆず子は頷いた。


 クリスマスに逢瀬を重ねる男女には、色んなドラマがあるらしい。
 友達以上恋人未満の間柄、周囲が見えないくらい熱烈な恋人、惰性で続いている倦怠期のカップル、前向きな理由で別れた元夫婦…。

 皆、人生と言う長い時間を歩む途中で、偶然にも時間軸が重なった者同士なのだ。



(長い人生、伴侶が1人だけっていうのが、当たり前の時代じゃなくなって来てるのかも)

 ゆず子は珈琲に口を付けた。

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