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偽装失敗 ※犯罪行為表現あり
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職業柄、対峙する特殊な事情、というものがある。人の秘密だったり、俯瞰して見るからこそ推察出来る欠点・問題点など。
そういったものの次に多いのは…。
かしゃん!
金属音の様な、硬いものが落下した様な音がして、ゆず子は思わず振り返った。
廊下の奥、黒いダウンを着たニット帽の誰かが、足早に歩いていくのが見えた。
(何の音かしら)
周囲を見渡すも、そこにゆず子とその人物以外の姿は無いので、恐らく、あの黒ダウンの人間だろう。
(キーホルダーか、何かがぶつかった音かな?)
目を凝らすと、少し離れた床の上に何かが落ちている。
(ゴミ…?)
近づいて手に取ったそれは、ホタテの貝だった。勿論、本物では無く3センチくらいの大きさの装飾パーツだ。
先端には、薄汚れてしまった細い割っか状の紐が付いており、そのホタテが『ケータイストラップ』であった事を主張していた。
(紐切れて無いし、解けちゃったみたいね。あの黒いの着てた人の落とし物かな?)
人物は既に居なくなっており、ゆず子はすぐ後を追ったが、姿はどこにも無かった。
(拾得物案件か)
職業柄落とし物を拾う事が多い。落とし物かと思ったらただのゴミ、という事もあるが、一応届けるのが基本だ。
商業施設内、従業員用スペースに、警備員の詰め所がある。ゆず子は慣れた足取りで届けに行った。
「お疲れ様です。拾得物なんですけど」
「お疲れ様です。はーい」
対応したのは顔見知りのベテラン警備員:阿久津。差し出した物に目を丸くした。
「何これ、ホタテ?」
「そうなの、ストラップみたい。落として行ったの、従業員の人だと思うのよね。裏で会ったし、バッグをゴソゴソしてたから」
「了解。じゃあ、これ記入で」
ゆず子は慣れた手つきで『拾得届』を記入した。
余談だが、ゆず子が今まで拾った色んな物の中で、1番インパクトがあったのは『ドアノブ』だった。
拾ったのは某会社内。なのに破損などで該当するドアは1か所も無かった(外部から誰かがドアノブだけ持ち込んだ?真相不明のミステリーだった)。
ところが翌日。本日の場所の就業が終了し、帰途に付くゆず子の元に、1本の電話があった。相手は所属先の社長:鳥海。
「もしもし」
『あ、もしもし。今いいかな?』
(何だろう。急な出勤先の変更かな)
「大丈夫です。何かありましたか?」
『昨日の出向先の滝童SCから、確認したい事があるって連絡あってさ』
「…確認、ですか? 何かしら」
『拾得物案件の事で、話を詳しく聞きたいらしい。覚えある?』
(あの、ホタテ?)
覚えがあるっちゃあるので、ゆず子は即座に返事した。
「ああ、はい。あります。あれが、どうかしたんでしょうか?」
『何かね、盗難事案に絡むらしくてさ。拾った状況とか、見かけた人物について聞きたいらしい』
「え」
落とし物、でこういった事態に巻き込まれるのは、この齢で初の経験だった。
電話で済むのかと思いきや、直接話を聞きたいとの事で、ゆず子はそのまま商業施設へ向かう事になった。
本日の出向先と、わりかし近いのが幸いか。
(まさか、あのホタテがこんな事に発展するなんて…)
ドキドキするゆず子を待ち受けたのは、警備員をまとめる立場の警備課長と阿久津。そしてバラエティ雑貨店店長の厚島、従業員の里木、同じく茂庭。
(わーお。容疑者全員集まってる、みたいな物々しい雰囲気ね)
警備課長は着席を促すと、控えめな笑みを浮かべてこう言った。
「非番のところ、わざわざ来ていただいてすみませんね。すぐ終わらせますので」
「はい」
警備課長は詳しく説明した。
「実は、鳴瀬さんが見つけたホタテの飾りって言うのは、そこのスパイダーストアさんの金庫の鍵に付いてたキーホルダーなんです。それで、スパイダーストアさんの金庫の鍵が、昨日から紛失しておりまして」
「あら。そうなんですね」
思わずゆず子はバラエティ雑貨店の面々を見やった。彼らは神妙な面持ちでそこに居た。警備課長は言った。
「それで、鳴瀬さんがキーホルダーを見つけた経緯を、聞かせてもらっていいですか?」
彼らは別にゆず子を疑っている訳では無い。ゆず子は一呼吸置くと口を開いた。
「分かりました」
「届の方には、発見日時は昨日の14時~14時20分の間とありましたが、間違いはありませんね?」
「はい」
「詳しい時間は分かりますか?」
「はい。いつも大体、掃除のルートが決まってまして。上がりの時間が14時半で、その少し前に見つけたので間違いないかと」
「鳴瀬さんは『従業員の方が落とした』とおっしゃってましたが、落としたのを見られたんでしょうか?」
「いえ。何か硬くて小さい物が落ちたみたいな音がして、音のした方を見たら人が居た、という感じです。その人が居た地点にキーホルダーがあったので、『音の原因はこれだったか』と思って、拾いました」
ゆず子は正直に自分の体験した状況を説明した。警備課長は頷いた後、こんな質問をしてきた。
「…その人物って、どんな方でしたか?」
「どんな…? あー、ちょっとはっきりとは…」
一瞬だけだったし、離れていたし、ゆず子はこめかみに手を当てて、特徴を思い出そうとした。
「黒っぽい、冬物の上着を着てたと思うんですが…。それ以外は忘れちゃって」
「そうですよね、無理言ってすみません」
「いえいえ、こちらこそ。お役に立てなくて」
すると、黙って聞いていた阿久津が口を開いた。
「んー、やっぱり黒いジャンパーの人間か」
「そうだなぁ。合致するよな、監視カメラの人間と」
警備課長もそう言うと、一同に少々待つように言って、部屋を出てしまった。
(え、まだ居ないといけないの?)
唖然とするゆず子に、厚島が声を掛ける。
「あのですね、昨日の朝、開店作業の時は在った筈の金庫の鍵が、夜の閉店作業の時に無くなってしまいましてね」
「そうなんだ。それって、紛失?」
厚島は首を振った。
「紛失、と言うにはあまりにもおかしくて」
「おかしい?」
ゆず子が尋ねると、里木も口を開いた。
「鍵が無くなったから、どこかに落としたかと思って、警備室に鍵の落とし物あるか問い合わせたら、『無い』。でも鍵に付いていたキーホルダーだけは届いてたんです」
「ああ、それが私の拾ったやつ。でもあれって、あの黒いジャンパーの人が落とした…?」
(黒いジャンパーの人物が、鍵を持ち出した犯人、ということ?)
ゆず子が言うと、茂庭は首を傾げた。
「でも、ウチの店のレジ金しまっておく金庫の鍵なんて、外部の人はどこに置いてるか分かる訳ないんですよ。どうやって持ち出したんだろ?」
ここの商業施設は、各店舗のレジ金は専用の金庫室があり、閉店時にそこに持って行きしまっておく。
そして金庫の鍵は、各店舗で責任を持って保管する決まりとなっている。ゆず子は尋ねた。
「それでお金、盗まれちゃったの?」
バラエティ雑貨店の3人は、揃って首を振った。厚島が答えた。
「営業時間中、うちの店は金庫に何も入れて置かないんですね。だから金銭の被害は無かったんです。でも鍵が無い以上は複製目的の可能性もあるから、金庫新しくする手続きもしなきゃな~」
「金庫、新しく出来るんだ?」
『金庫室』と聞くと、壁一面にどっしりと設置してあるイメージしかない。ゆず子の言葉に、厚島は意外そうな表情をした。
「そうですよ、表計算ソフトのセルみたいな小さい箱だから。不要なやつ、ボコッと抜き取って、新しいやつ填めるっていうか。…掃除で中に入らないんですか?」
「ええ、管轄じゃないので。案外、設備保安上の関係で入っちゃダメな場所も多いんですよ」
ゆず子の返答に、一同はへ~っと頷いた。
「誰かが勝手に持ち出したとしたら、やっぱり金銭目当てだったのかしら?」
ゆず子が言うと、里木は腕組みした。
「で、しょうね。鍵の場所だって知ってるの、厚島さん、安川さん、私、茂庭くんの4人だけなのに」
茂庭が口を尖らす。
「学生バイトが、閉店作業の時に盗み見てて、外に漏らしたりは?」
厚島が苦笑する。
「外に漏らすって、窃盗団と繋がってる子、なんて居る~?」
「前に無断欠勤多いから解雇した、サクマって居たじゃないすか。あいつと繋がってる奴が、鍵の置き場所教えたりは?」
里木が茂庭の言葉に眉根を寄せる。
「逆恨みってやつ? でもこうやって、すぐ特定される様な事する?」
その時、警備課長と阿久津が戻って来た。手には何枚かの紙を持っている。
「お待たせしました。防犯カメラの映像をね、静止画にして印刷してきました。実際の映像を見て貰うのが1番なんだけど規約上ダメなので、画質あまり良くないけどこちらで確認願います」
差し出された1枚目。バック通路を黒いダウンに白っぽいニット帽の人物が歩いている。時間は、13:50。
警備課長は言った。
「多分、時間的に鳴瀬さんが見かけたのはこの人じゃないかと思うんですが、いかがでしょう?」
「うーん…。帽子の色までは覚えてないけど、こんな感じの様な…?」
厚島も首を傾げる。
「今の時期、こういう感じの人、多いですよね」
里木も言った。
「あたしも通勤用のダウンは黒です。しかも量産品だから、同じの着てる人見ますね」
警備課長はもう2枚を出しつつ、言った。
「実はこの人物、金庫室内部で妙な動きしてたので、こちらでもこの時マークしてたんですよ」
その言葉にゆず子は感心した。
(へえ?いつも暇そうにモニター前でお茶してるだけだと思ってた)
見せられたのは、その人物が壁沿いの金庫前で立ち尽くしているものと、しゃがんでいるものの2枚。
警備課長は続けた。
「何かを探しているようで、室内をウロウロしていたんですね。3分ぐらいそうした後、諦めたのか何もせずに外へ出たんです」
「鍵、持ってるのに金庫開けなかったんですか?」
思わずゆず子が問うと、厚島が答えた。
「金庫にはね、店名が書いてないんですよ」
茂庭も補足した。
「施設内だけで使う郵便番号みたいな、『管理番号』があるんですよ。金庫には管理番号だけが表示されてるんです」
「つまり、この人物は管理番号の事を知らなかったから、どこの金庫の鍵か分からず開けれなかったってこと?」
ゆず子の言葉に、一同は黙りこくった。里木が言いにくそうに声を上げる。
「…この人、あたしのダウンと同じの着てる」
皆は一斉に里木を見た。里木は帰宅時間だったのか、荷物を一式持っていた。傍らから、黒のダウンを取り出す。
「このダウン、背中にメーカーのロゴ、白で入ってるでしょ? この後ろ姿、同じ位置に白い何かある」
見比べると、確かにそうだった。茂庭が目を細める。
「本当だ。しかも里木さんと同じようなショルダーバッグも下げてるし」
(え、どういう事?)
混乱するゆず子をよそに、厚島は首を傾げる。
「でも妙だよな。昨日の14時頃は里木さんお店に入っていて、この時間は休憩で抜けたりもしてないよね?」
「そうですね。昨日はお子さんの体調不良で急遽早退した、安川さんの代わりに13時から入ったので」
(何者かが、里木のフリをして金庫の鍵を持ち出し、金庫室へ入った?)
黙っていた阿久津が口を開く。
「でもこの人物、あなたじゃないのは確実ですよね」
阿久津は画像を指さし言った。
「金庫室の出入口には、銀行と同じように出入りした人物の背の高さが分かるよう、色付きのクロスが貼ってあるんです。この人物は明らかに緑のゾーン、160センチに届いてませんから」
里木は身長が165くらいあり、女性としては長身の方だ。茂庭が呟く。
「サクマは里木さんよりも背が高いしな。…背の低い、誰か?」
考え込む一同に、警備課長は言った。
「取りあえず、人物に覚えは無いという事で、間違いないですね?…今日はお手数おかけしました。ご協力ありがとうございました」
その日は、そのまま解散となった。
翌々週。ゆず子が従業員トイレを掃除しようとすると、バラエティ雑貨店副店長の安川が入れ違いに出てきた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です~。そう言えばこないだは、お騒がせしました」
「いえいえ。あれから、鍵は見つかったの?」
「全然。結局、人の居ない時間帯だったから、無くなったのが盗難でなのか紛失なのか、不明なままっすよ。防カメの人物も、鍵持ってたかどうか不確実だし」
安川は首を竦めた。
「そうなのね。お役に立てなくて」
「いいえー、それよりさ、年末年始前に急に1人辞めちゃってさぁ」
「あらあら、この時期に?」
「そうなん。『急に引っ越す事になった。友達とルームシェアする』だってさ。今の時期に? って感じだよ」
「へえ、そうなのね」
「あれ? 鳴瀬さん仲良くなかったっけ? 名城さんだよ」
「え、そうなの?」
「さすがの厚島店長も渋い顔してたよ。『明日から引っ越し作業始まるので、今日限りで』って言われたから」
(ほほう?)
未遂事件の事は、学生バイトであろうと、周知されただろう。その直後に、急な辞職とは。
名城は小柄だった。繰り返し里木に『出し抜かれる』事があったものの、量産品で入手しやすいとは言え、同じ色の物を買ってまで、成り済ますものだろうか。
(有耶無耶になったからいいけど、これを機に犯罪まがいな事、止めてくれればいいな…)
案じるも、所詮は他人の人生。踏む外すも堪えるも、本人しか出来ないのである。
そういったものの次に多いのは…。
かしゃん!
金属音の様な、硬いものが落下した様な音がして、ゆず子は思わず振り返った。
廊下の奥、黒いダウンを着たニット帽の誰かが、足早に歩いていくのが見えた。
(何の音かしら)
周囲を見渡すも、そこにゆず子とその人物以外の姿は無いので、恐らく、あの黒ダウンの人間だろう。
(キーホルダーか、何かがぶつかった音かな?)
目を凝らすと、少し離れた床の上に何かが落ちている。
(ゴミ…?)
近づいて手に取ったそれは、ホタテの貝だった。勿論、本物では無く3センチくらいの大きさの装飾パーツだ。
先端には、薄汚れてしまった細い割っか状の紐が付いており、そのホタテが『ケータイストラップ』であった事を主張していた。
(紐切れて無いし、解けちゃったみたいね。あの黒いの着てた人の落とし物かな?)
人物は既に居なくなっており、ゆず子はすぐ後を追ったが、姿はどこにも無かった。
(拾得物案件か)
職業柄落とし物を拾う事が多い。落とし物かと思ったらただのゴミ、という事もあるが、一応届けるのが基本だ。
商業施設内、従業員用スペースに、警備員の詰め所がある。ゆず子は慣れた足取りで届けに行った。
「お疲れ様です。拾得物なんですけど」
「お疲れ様です。はーい」
対応したのは顔見知りのベテラン警備員:阿久津。差し出した物に目を丸くした。
「何これ、ホタテ?」
「そうなの、ストラップみたい。落として行ったの、従業員の人だと思うのよね。裏で会ったし、バッグをゴソゴソしてたから」
「了解。じゃあ、これ記入で」
ゆず子は慣れた手つきで『拾得届』を記入した。
余談だが、ゆず子が今まで拾った色んな物の中で、1番インパクトがあったのは『ドアノブ』だった。
拾ったのは某会社内。なのに破損などで該当するドアは1か所も無かった(外部から誰かがドアノブだけ持ち込んだ?真相不明のミステリーだった)。
ところが翌日。本日の場所の就業が終了し、帰途に付くゆず子の元に、1本の電話があった。相手は所属先の社長:鳥海。
「もしもし」
『あ、もしもし。今いいかな?』
(何だろう。急な出勤先の変更かな)
「大丈夫です。何かありましたか?」
『昨日の出向先の滝童SCから、確認したい事があるって連絡あってさ』
「…確認、ですか? 何かしら」
『拾得物案件の事で、話を詳しく聞きたいらしい。覚えある?』
(あの、ホタテ?)
覚えがあるっちゃあるので、ゆず子は即座に返事した。
「ああ、はい。あります。あれが、どうかしたんでしょうか?」
『何かね、盗難事案に絡むらしくてさ。拾った状況とか、見かけた人物について聞きたいらしい』
「え」
落とし物、でこういった事態に巻き込まれるのは、この齢で初の経験だった。
電話で済むのかと思いきや、直接話を聞きたいとの事で、ゆず子はそのまま商業施設へ向かう事になった。
本日の出向先と、わりかし近いのが幸いか。
(まさか、あのホタテがこんな事に発展するなんて…)
ドキドキするゆず子を待ち受けたのは、警備員をまとめる立場の警備課長と阿久津。そしてバラエティ雑貨店店長の厚島、従業員の里木、同じく茂庭。
(わーお。容疑者全員集まってる、みたいな物々しい雰囲気ね)
警備課長は着席を促すと、控えめな笑みを浮かべてこう言った。
「非番のところ、わざわざ来ていただいてすみませんね。すぐ終わらせますので」
「はい」
警備課長は詳しく説明した。
「実は、鳴瀬さんが見つけたホタテの飾りって言うのは、そこのスパイダーストアさんの金庫の鍵に付いてたキーホルダーなんです。それで、スパイダーストアさんの金庫の鍵が、昨日から紛失しておりまして」
「あら。そうなんですね」
思わずゆず子はバラエティ雑貨店の面々を見やった。彼らは神妙な面持ちでそこに居た。警備課長は言った。
「それで、鳴瀬さんがキーホルダーを見つけた経緯を、聞かせてもらっていいですか?」
彼らは別にゆず子を疑っている訳では無い。ゆず子は一呼吸置くと口を開いた。
「分かりました」
「届の方には、発見日時は昨日の14時~14時20分の間とありましたが、間違いはありませんね?」
「はい」
「詳しい時間は分かりますか?」
「はい。いつも大体、掃除のルートが決まってまして。上がりの時間が14時半で、その少し前に見つけたので間違いないかと」
「鳴瀬さんは『従業員の方が落とした』とおっしゃってましたが、落としたのを見られたんでしょうか?」
「いえ。何か硬くて小さい物が落ちたみたいな音がして、音のした方を見たら人が居た、という感じです。その人が居た地点にキーホルダーがあったので、『音の原因はこれだったか』と思って、拾いました」
ゆず子は正直に自分の体験した状況を説明した。警備課長は頷いた後、こんな質問をしてきた。
「…その人物って、どんな方でしたか?」
「どんな…? あー、ちょっとはっきりとは…」
一瞬だけだったし、離れていたし、ゆず子はこめかみに手を当てて、特徴を思い出そうとした。
「黒っぽい、冬物の上着を着てたと思うんですが…。それ以外は忘れちゃって」
「そうですよね、無理言ってすみません」
「いえいえ、こちらこそ。お役に立てなくて」
すると、黙って聞いていた阿久津が口を開いた。
「んー、やっぱり黒いジャンパーの人間か」
「そうだなぁ。合致するよな、監視カメラの人間と」
警備課長もそう言うと、一同に少々待つように言って、部屋を出てしまった。
(え、まだ居ないといけないの?)
唖然とするゆず子に、厚島が声を掛ける。
「あのですね、昨日の朝、開店作業の時は在った筈の金庫の鍵が、夜の閉店作業の時に無くなってしまいましてね」
「そうなんだ。それって、紛失?」
厚島は首を振った。
「紛失、と言うにはあまりにもおかしくて」
「おかしい?」
ゆず子が尋ねると、里木も口を開いた。
「鍵が無くなったから、どこかに落としたかと思って、警備室に鍵の落とし物あるか問い合わせたら、『無い』。でも鍵に付いていたキーホルダーだけは届いてたんです」
「ああ、それが私の拾ったやつ。でもあれって、あの黒いジャンパーの人が落とした…?」
(黒いジャンパーの人物が、鍵を持ち出した犯人、ということ?)
ゆず子が言うと、茂庭は首を傾げた。
「でも、ウチの店のレジ金しまっておく金庫の鍵なんて、外部の人はどこに置いてるか分かる訳ないんですよ。どうやって持ち出したんだろ?」
ここの商業施設は、各店舗のレジ金は専用の金庫室があり、閉店時にそこに持って行きしまっておく。
そして金庫の鍵は、各店舗で責任を持って保管する決まりとなっている。ゆず子は尋ねた。
「それでお金、盗まれちゃったの?」
バラエティ雑貨店の3人は、揃って首を振った。厚島が答えた。
「営業時間中、うちの店は金庫に何も入れて置かないんですね。だから金銭の被害は無かったんです。でも鍵が無い以上は複製目的の可能性もあるから、金庫新しくする手続きもしなきゃな~」
「金庫、新しく出来るんだ?」
『金庫室』と聞くと、壁一面にどっしりと設置してあるイメージしかない。ゆず子の言葉に、厚島は意外そうな表情をした。
「そうですよ、表計算ソフトのセルみたいな小さい箱だから。不要なやつ、ボコッと抜き取って、新しいやつ填めるっていうか。…掃除で中に入らないんですか?」
「ええ、管轄じゃないので。案外、設備保安上の関係で入っちゃダメな場所も多いんですよ」
ゆず子の返答に、一同はへ~っと頷いた。
「誰かが勝手に持ち出したとしたら、やっぱり金銭目当てだったのかしら?」
ゆず子が言うと、里木は腕組みした。
「で、しょうね。鍵の場所だって知ってるの、厚島さん、安川さん、私、茂庭くんの4人だけなのに」
茂庭が口を尖らす。
「学生バイトが、閉店作業の時に盗み見てて、外に漏らしたりは?」
厚島が苦笑する。
「外に漏らすって、窃盗団と繋がってる子、なんて居る~?」
「前に無断欠勤多いから解雇した、サクマって居たじゃないすか。あいつと繋がってる奴が、鍵の置き場所教えたりは?」
里木が茂庭の言葉に眉根を寄せる。
「逆恨みってやつ? でもこうやって、すぐ特定される様な事する?」
その時、警備課長と阿久津が戻って来た。手には何枚かの紙を持っている。
「お待たせしました。防犯カメラの映像をね、静止画にして印刷してきました。実際の映像を見て貰うのが1番なんだけど規約上ダメなので、画質あまり良くないけどこちらで確認願います」
差し出された1枚目。バック通路を黒いダウンに白っぽいニット帽の人物が歩いている。時間は、13:50。
警備課長は言った。
「多分、時間的に鳴瀬さんが見かけたのはこの人じゃないかと思うんですが、いかがでしょう?」
「うーん…。帽子の色までは覚えてないけど、こんな感じの様な…?」
厚島も首を傾げる。
「今の時期、こういう感じの人、多いですよね」
里木も言った。
「あたしも通勤用のダウンは黒です。しかも量産品だから、同じの着てる人見ますね」
警備課長はもう2枚を出しつつ、言った。
「実はこの人物、金庫室内部で妙な動きしてたので、こちらでもこの時マークしてたんですよ」
その言葉にゆず子は感心した。
(へえ?いつも暇そうにモニター前でお茶してるだけだと思ってた)
見せられたのは、その人物が壁沿いの金庫前で立ち尽くしているものと、しゃがんでいるものの2枚。
警備課長は続けた。
「何かを探しているようで、室内をウロウロしていたんですね。3分ぐらいそうした後、諦めたのか何もせずに外へ出たんです」
「鍵、持ってるのに金庫開けなかったんですか?」
思わずゆず子が問うと、厚島が答えた。
「金庫にはね、店名が書いてないんですよ」
茂庭も補足した。
「施設内だけで使う郵便番号みたいな、『管理番号』があるんですよ。金庫には管理番号だけが表示されてるんです」
「つまり、この人物は管理番号の事を知らなかったから、どこの金庫の鍵か分からず開けれなかったってこと?」
ゆず子の言葉に、一同は黙りこくった。里木が言いにくそうに声を上げる。
「…この人、あたしのダウンと同じの着てる」
皆は一斉に里木を見た。里木は帰宅時間だったのか、荷物を一式持っていた。傍らから、黒のダウンを取り出す。
「このダウン、背中にメーカーのロゴ、白で入ってるでしょ? この後ろ姿、同じ位置に白い何かある」
見比べると、確かにそうだった。茂庭が目を細める。
「本当だ。しかも里木さんと同じようなショルダーバッグも下げてるし」
(え、どういう事?)
混乱するゆず子をよそに、厚島は首を傾げる。
「でも妙だよな。昨日の14時頃は里木さんお店に入っていて、この時間は休憩で抜けたりもしてないよね?」
「そうですね。昨日はお子さんの体調不良で急遽早退した、安川さんの代わりに13時から入ったので」
(何者かが、里木のフリをして金庫の鍵を持ち出し、金庫室へ入った?)
黙っていた阿久津が口を開く。
「でもこの人物、あなたじゃないのは確実ですよね」
阿久津は画像を指さし言った。
「金庫室の出入口には、銀行と同じように出入りした人物の背の高さが分かるよう、色付きのクロスが貼ってあるんです。この人物は明らかに緑のゾーン、160センチに届いてませんから」
里木は身長が165くらいあり、女性としては長身の方だ。茂庭が呟く。
「サクマは里木さんよりも背が高いしな。…背の低い、誰か?」
考え込む一同に、警備課長は言った。
「取りあえず、人物に覚えは無いという事で、間違いないですね?…今日はお手数おかけしました。ご協力ありがとうございました」
その日は、そのまま解散となった。
翌々週。ゆず子が従業員トイレを掃除しようとすると、バラエティ雑貨店副店長の安川が入れ違いに出てきた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です~。そう言えばこないだは、お騒がせしました」
「いえいえ。あれから、鍵は見つかったの?」
「全然。結局、人の居ない時間帯だったから、無くなったのが盗難でなのか紛失なのか、不明なままっすよ。防カメの人物も、鍵持ってたかどうか不確実だし」
安川は首を竦めた。
「そうなのね。お役に立てなくて」
「いいえー、それよりさ、年末年始前に急に1人辞めちゃってさぁ」
「あらあら、この時期に?」
「そうなん。『急に引っ越す事になった。友達とルームシェアする』だってさ。今の時期に? って感じだよ」
「へえ、そうなのね」
「あれ? 鳴瀬さん仲良くなかったっけ? 名城さんだよ」
「え、そうなの?」
「さすがの厚島店長も渋い顔してたよ。『明日から引っ越し作業始まるので、今日限りで』って言われたから」
(ほほう?)
未遂事件の事は、学生バイトであろうと、周知されただろう。その直後に、急な辞職とは。
名城は小柄だった。繰り返し里木に『出し抜かれる』事があったものの、量産品で入手しやすいとは言え、同じ色の物を買ってまで、成り済ますものだろうか。
(有耶無耶になったからいいけど、これを機に犯罪まがいな事、止めてくれればいいな…)
案じるも、所詮は他人の人生。踏む外すも堪えるも、本人しか出来ないのである。
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