鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

文字の大きさ
上 下
26 / 99

1122 ※NTR表現あり

しおりを挟む
 『お前100までわしゃ99まで、ともに白髪が生えるまで』…。
 誰が言った言葉なのだろう。そもそも歌だったっけ、何の時に聞いた文言だっただろうか。うろ覚えだが、いい言葉である。


 ゆず子には、最近気になるものがある。ひと月くらい前から、退勤途中でよく見かける老夫婦がいるのだ。

「ミツトシさん、いい天気ね」

「そうだね」

「お洗濯物が、よく乾きそうね」

「そうだね、いっぱい干してきたからね」

 妻の乗った車椅子を押す夫が、2人で仲睦まじく散歩しているのだ。

(2人とも80代くらいかな。何か、見てると癒されるなあ)

 妻はいつも明るい声で夫に話しかけ、夫はにこやかに相槌を打っている。

(こういう熟年夫婦って憧れるわね。とても仲がいいのね)

 2人はいつも信号を渡り、その先の突き当りへ行き、黒い屋根に薄茶色の壁の2階建ての一軒家へ入っていくのだ。

(2人暮らしかな。洗濯物は2階のベランダではなく、1階の庭先に干している。奥さん車椅子って事は、家の中の事は旦那さんやヘルパーさんがやってるのかな)

 年配の人間は、歩けても階段の昇り降りが年々辛くなってくるものだ。
 干したり取り込む必要のある洗濯物は、移動距離の少ない1階部分に干すようになる。

(どの程度ヘルパーさんに任せているか知らないけど、旦那さんも献身的にやっている家なのかな。この年代で珍しいこと)

 80歳代くらいだと『男は台所に入らず思考』が1番濃かった年代なので、妻が倒れたとしても夫が家事をやる事はほとんど無く、家事代行を外注(娘に来てもらう&食事の宅配サービス利用)するのが多いかもしれない。

(まあむしろ、男が家事をやると逆に非難された時代だからね。それにかまける事なく、変化に合わせて対応するのはすごい事よね)

 感心するのは、妻の服装にもある。妻自身が選んでいるのかもしれないが、いつも可愛らしい服を着ていて、その服もちゃんと手入れが行き届いてるのだ。

(男の人が服を管理する場合、『取りあえず着れる状態にすりゃOK』って感じだから、毛玉とかシワや裾ほつれは二の次なんだけど、奥様ちゃんとした物を着てるのね。旦那さんもそうだわ)

 もしかしたら外での移動が車椅子なだけで、屋内では妻が自力で動けるのかもしれない。衣服の管理は妻か、或いは夫が几帳面な性格か。

(まあ、どちらにせよ、このご夫婦の仲が良いのは確かね。羨ましいわ)

 ゆず子は2人を見かける度、そう思うのだった。


「たまに帰る時にね、とっても仲が良いご夫婦を見かけるのよ。何か、見てるだけで癒されるって言うか」

「へえ」

 マンションの清掃業務後、管理人室でのお茶を頂きながらゆず子が例の夫婦の話をすると、津山と善市郎は感心して聞いていた。
 津山は言った。

「この齢になって『夫婦円満』が羨ましいって、ようやく思えるようになってきたわ。少し前までは『あんなの嘘ばっか』ってやさぐれてたんだけどね」

 バツイチ独身の津山は笑った。定年直前に妻を亡くし、その後独身の善市郎も言った。

「仲いい人達は、本当に最初から最期まで仲いいよな。逆に、色々あったから晩年に仲が良くなった夫婦も居るわな。俺の知り合いも居たわ、負債を抱えたのがきっかけで仲が良くなった夫婦」

「何それ、逆じゃない?」

 津山がキョトンとすると、善市郎は言った。

「子供の教育費と商売の負債がかさんでさ。『家と土地売って、アパート借りるか』って、査定したら全然安くて、むしろアパート借りる方が高くつくってなって。
だから、家に住み続けた状態で、夫婦一丸でお金関係を徹底的に調べて、節約して仕事も頑張って何とかしたんだと」

「そういうケースもあるんだ。売らない方が良いのもあるのね」

 ゆず子はかりんとうを口にした。津山は言った。

「私達とか、それより上の年代って、『理不尽に耐えそのんでこその結婚生活』ってのが美徳とされたでしょ? 今の夫婦が羨ましいよ。
言いたいこと言っていいし、男女も平等だし、子供居ようが居まいが、親と同居するしないも選び放題だもん」

「そうよねえ。私達の時代と真逆よね~」

 津山は茶を啜った後、口を開いた。

「そう言えばさ、あたしの小っちゃい頃に、近所であったらしいよ」

「何が?」

「『種』を貰って、離婚を回避したかもしれない夫婦」

 津山のニヤニヤ顔が、『種』がどういう意味かを物語っている。津山は続けた。

「結婚してから3年経っても、子宝に恵まれない夫婦が居てさ。その頃って『嫁して三年、子無きは去れ』なんて、子供出来ないだけで一方的に嫁に、離婚告げていい時代だったじゃない?
だから嫁さん、肩身の狭い思いしていてさ」

「…今でもあるけどな、そういう家」

「そうね、完全に無くなってはいないよね」

 善市郎とゆず子がそう言うと、津山は頷いた。

「そうだね。多分、そこの夫婦は旦那に原因があったんじゃないかな? 昔は一律、女性側の問題ってされてたけどさ。
とにかく、旦那側の親戚が『子供出来ないなら養子貰え』とか『新しい嫁貰え』って言い始めて。そしたら、嫁さんが妊娠したの。結局、子供は2人生まれたのよ」

「へえ、その子供って言うのが、旦那さんの子供じゃないって感じ?」

「そうなの、旦那と似てなくて。…相手が、隣の家の旦那さんじゃないかって」

 ゆず子と善市郎は吹き出した。

「ちょっと、近すぎるよ!」

「『醬油貸して』のノリで『貰った』んかよ!」

「言うのも何だけどさ、隣の旦那さんって『イイ男』だったらしいの。あたしが子供の頃は、そりゃあ『オジサン』だったけど、父親似だったそこの家の娘は美人だったし、年取っても『イイ男』だった頃の名残はあった。
…今はもう死んでるけどさ、その『イイ男』」

 津山にゆず子は質問した。

「生きてたら何歳くらい? そのイイ男」

「90越えてるんじゃないかな? んで、子供なかなか生まれなかった隣の嫁さんも、結構な美人さんでね。『ソース顔』って言うの? 目鼻立ちハッキリした人だったのよ」

 津山の言葉に、ゆず子は感心した。

「『ソース顔』って、久々に聞いたわ。あったね、日本人特有な『醬油顔』と外国人的な『ソース顔』って」

 津山も頷いた。

「そうなんだよ。生まれた子供、2人とも『ソース』な感じでさ。『醤油』な旦那さんの要素が無いっていうか。
…それで、そこの嫁さんが隣の旦那さんとデキてるって噂もあってね。手を繋いで歩いていた、とか手編みのセーターを贈っていた、とか」

 善市郎が口を挟む。

「相手の奥さん、何も言わねえの? いくら『田舎の表沙汰出来ない慣習』とは言え、嫌じゃねえ?」

「相手の奥さん、若くして死んでるのよ。子供出来なかった嫁さんが嫁いだ、その年に。1番下の子供が、小学校入ったぐらいだったかな?
まだ子供小さいし、時代的にも後妻を取る時代だったんだけど、隣の旦那さんは後妻を拒否した」

「…美人な新婚のお嫁さんに、恋した?」

 ゆず子の言葉に、津山はニンマリした。

「真相は分からないよ。隣同士だから、子供を預かる事もあったし、料理のお裾分けで自宅に上がる事もあったみたいね。ただ隣同士ってだけなのに、かなり仲良かったのは確か。
旦那さん同士で特に諍いあったとかは聞いてないな。…合意なのかな、『寝取られ』が」

「…昼間の話題かよ」

 善市郎は引きながらも笑っていた。ゆず子は言った。

「旦那さん、何で自分の嫁さんの『寝取られ』に納得いってたんだろ。普通嫌よね、他人の子を育てたり、嫁さんが他の男とそうなっちゃうの」

「うーん、『新しい嫁を!』って言う親戚を宥められない性格か、もしくは性癖かね。昔って、『個々の感情』より『家の存続』が重要だったしね」

 津山は新しい菓子の封を切りつつ、返事した。



 今日の帰りも、ゆず子は例の夫婦と出くわした。絵に描いた様な幸せそうな熟年夫婦だ。

「ミツトシさん、今日の夜ご飯は何かしら?」

「今日の夜はね、えーと、何だったかな」

 2人は笑いながら、自宅へ入っていく。門の表札には、『渡邉常郎・キヨコ』と書いてある。
 老いて記憶があやふやになってしまったキヨコは、今日も『ミツトシさん』とデート出来てご満悦だ。

 常郎は残り少ない人生、キヨコの傍に居られればそれだけで幸せなのだろう。


 『うまく行ってるかの様に見えるよね、本当は2人しか知らない』。誰の歌だっただろう、うろ覚えだが核心をついている。

 夫婦の事なんて、当人だけしか知りえないし、他人の口出しは無用なのだ。

しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

『食管法廃止と米の行方一倉庫管理者の証言』

小川敦人
経済・企業
エッセイ『食管法廃止と米の行方――倉庫管理者の証言』は、1995年に廃止された食糧管理法(食管法)を背景に、日本の食料政策とその影響について倉庫管理者の視点から描いた作品です。主人公の野村隆志は、1977年から政府米の品質管理に携わり、食管法のもとで米の一元管理が行われていた時代を経験してきました。戦後の食糧難を知る世代として、米の価値を重んじ、厳格な倉庫管理のもとで働いていました。 しかし、1980年代後半から米の過剰生産や市場原理の導入を背景に、食管法の廃止が議論されるようになります。1993年の「タイ米騒動」を経て、1995年に食管法が正式に廃止されると、政府の関与が縮小され、米市場は自由化の道を歩み始めます。野村の職場である倉庫業界も大きな変化を余儀なくされ、彼は市場原理が支配する新たな時代への不安を抱えながらも、変化に適応していきます。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

男と女の初夜

緑谷めい
恋愛
 キクナー王国との戦にあっさり敗れたコヅクーエ王国。  終戦条約の約款により、コヅクーエ王国の王女クリスティーヌは、"高圧的で粗暴"という評判のキクナー王国の国王フェリクスに嫁ぐこととなった。  しかし、クリスティーヌもまた”傲慢で我が儘”と噂される王女であった――

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

処理中です...