鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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回想の男

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 世の中には、『プレイボーイ』と呼ばれる男が居る。

 その中でも、伝説的だった男が居た。彼は今どこで何をしているだろう。年に1度くらいだが、ゆず子には思い出す男が居た。



 ある工場に清掃業務で出入りしていた時、工場に非正規従業員として所属していた黒崎公人くろさき きみとは、20代半ばのオシャレな男子だった。

「黒崎くん、こないだのあのお店、また行こうぜ!」

「いいっすよ、あそこのキャバで良ければ」

 携帯電話(まだガラケー全盛期だった)を弄りつつ、黒崎は男性従業員に笑って返した。
 休憩室にやって来た女性従業員は、わざと黒崎を見ないようにし、1番遠い席に座った。


 ゆず子が女子トイレ掃除をしていると、パートの主婦らの話す声が聞こえてきた。

「見た? 国見さんの態度」

「うん。あいつも手を出されたんだね、分かり易いこと」


 黒崎は、仕事で一緒に組む女性従業員に手を出す事で有名だった。
 最初は女子社員(24)、その3ヶ月後には派遣の女子社員(22)、4ヶ月後にシングルマザーのパート従業員(32)、半年が経過し、現在の女子社員(22)。

 いつぞやはペアの相手が男性従業員だったが、勿論『手を出す』事は無かった。
 そこで黒崎はその当時話題だった映画をもじって、『バディイーター』と揶揄された。だが、黒崎はその呼び名を面白がっていた。


「日本語としても外国語としても成立してないよね。でも俺、嫌いじゃないよ。枠にはまってなくて、逆に面白くない?」

 トイレ掃除中のゆず子に、黒崎は笑って言った。

「そうなんだ。普通の人は、あだ名付けられたら嫌がるのにね」

「うん、俺『普通』が嫌いだし。…鳴瀬さんて、下の名前何て言うの?」

 思わずゆず子が振り返って黒崎を見ると、個室の扉に寄りかかってこちらを見てた。

「『ゆず子』だよ。『ゆず』は平仮名、『子』は漢字」

「へえ! 字は違うけど、同じ名前だ」

「同じ? 誰と?」

 ゆず子が言うと、黒崎は携帯電話を操作して、ある画像を見せてきた。
 映っているのは、60半ば位のグレーヘアの女性。着ている物や、佇まいに何処か気品が漂う。黒崎は言った。

「俺がさ、初めて1人暮らしをしたアパートの大家さん。何かと可愛がってもらってさ。この人、名前が『由珠子ゆずこ』さんって言うん」

「へえ…、綺麗な人ね」

「でしょ! すごく素敵な人なんだよ」

 そう答えた黒崎の表情は、とてもイキイキと輝いていた。


 以来、黒崎は『由珠子さん』の話をよくするようになった。

「初めての1人暮らし上手くできなくて、家賃が間に合わなかった事あったんだ。で、正直に話したら『大丈夫なの?ちゃんと食べているの?ちょっといらっしゃい』って、家に招かれて。
久しぶりに、ちゃんとしたメシを食わせてくれた恩人なんだ」


「由珠子さんは、マジのお嬢さまだったんだ。不動産業をやっていた旦那さんと結婚したんだけど、息子さんが中学生の頃に亡くなっちゃって。
旦那さんの仕事の事はノータッチだったけど、息子や従業員を守るべく、頑張って勉強して会社を潰す事無く存続させたんだ」


「旦那さん一筋の人で、再婚話を勧められても断ったんだって。今は会社を息子に任せて、アパート経営をしてんだ。
とても上品で穏やかで、でもピュアって言うの? 俺の親より年上だけど、笑顔が可愛いの! 何言ってんだよって感じだけど、マジ癒されるんだ~」


「住む所変わっても、月に1度はお茶飲みを一緒にさせてもらってるんだ」

(おやおや…。これは職場の女性とは別で、プラトニックな恋みたい)

 女泣かせのプレイボーイの、もう1つの顔を思いがけず知った。黒崎は自身の由珠子に対する気持ちが、『恋』だという事に気づいてないらしい。

 彼女が黒崎の思いに気づいているかは知らないが、恐らく息子よりも年下の黒崎の事は、恋愛の範疇にはないだろう。
 黒崎にとって、彼女はかけがえのない存在の様だった。



「ねえねえ、狩野さんて独身だったっけ?」

「え? あの人既婚者だよ」

「そうなの? 何かやたら黒崎くんを構ってるから、狙ってると思ったんだけど」

 事務室でゴミをまとめているゆず子の耳に、そんな話が入って来た。



「いやあ~、マジ参るんだけど」

 男子トイレで黒崎はしかめっ面をした。

「狩野さんにロックオンされてんですよ。旦那居るのに男漁りしようとか頭おかしいわ。先週いきなりメールが来て、誰だろうと思ったら『横山さんにアドレス聞いちゃいました♡』って、メールにあってさ。
横山主任も勝手に教えんなっての」

 苦笑する黒崎に、ゆず子は尋ねた。

「狩野さんは『範囲外』なんだ?」

「当たり前、俺は他人の女に興味ないもん。それぐらいのルールはわきまえてますから。
…それに俺、世界で1番嫌いなんだよ。不倫は」

 黒崎は目に冷ややかな怒りを宿していた。詳しく知らないが、黒崎は男手一つで育ったと誰かに聞いていた。

(モラルを重視するプレイボーイか。何か、彼らしいわね)



「鳴瀬さん、黒崎君とよく話してますよね? 彼、どういう話題が多いんですか?」

 狩野は黒崎を落とすための情報収集か、ゆず子の元へ現れた。

「えー? 世間話よ。ごひいきのサッカー選手の話とか、バイクの話」

「それだけですか? 他には?」

「狩野さん、黒崎くんが気になるの?」

 話題を変えようと思い、茶化す様に尋ねたのだが、狩野はその問いに目を輝かせた。

「そりゃあ、もう! 何か母性本能くすぐられるんですよ~。カワイイですよね、あの子」

(悪びれもせずに公言するのか…。困った人だな)

 ゆず子は気づかれぬよう、息をついた。



 ある時、出勤すると工場は騒然としていた。

「黒崎とかいう男を早く出しやがれ!! どこのどいつや!」

 事務室前では、40歳前後の男が真っ赤な顔で怒鳴り散らしていた。

(ええ…⁉何があったのこれ)

 人払いを受けて場を離れると、パート従業員の主婦がぼそりと呟いた。

「…あれ、狩野の旦那だよ」

「本当?」

「おおかた、黒崎とのメールのやり取りでも見つけたんじゃないの?」

(大変…!)

 この時、ゆず子はいま思い返しても説明がつかない行動をした。
 清掃員として作業をするために貸与されている鍵を出すと、人だかりとは逆の方向へ向かった。

 従業員出入口とは逆方向にある、出荷場へ最短ルートで向かうと、従業員駐車場を見渡した。

(まだ来てない…?いや、あのエンジン音は…!)

 道路からこちらへ向かってくる1台のバイクを見つけると、ゆず子は大きく手を振った。

「鳴瀬さん…⁉」

 驚いた表情で停車した黒崎に駆け寄ると、ゆず子は告げた。

「狩野さんの旦那が来てる! 逃げて」

 黒崎はキョトンとした後、笑った。

「ありがとう、ゆず子さん」

 黒崎はそう言うと、踵を返してバイクを走らせた。
 幸運にも、その一連のやり取りを見ていた者は居なかったようだ。


 黒崎はそのまま行方をくらまし、連絡もつかないまま勤務契約が終了した。住まいもさっさと引き払ったのか、もぬけの殻だったらしい。

 狩野もトラブルのすぐ後に退社し、顛末がどうなったのかは有耶無耶だった。



(『逃げて』って、映画かドラマのヒロインみたい。やれやれ)
 いま思い出すと、顔から火が出そうな思い出だ。

 黒崎が現在何をしているのか、到底知る術は無い。
 けれども、今も自由に恋愛を楽しみ、『由珠子』とお茶を飲むだけの逢瀬を重ねている事を、ゆず子は願っている。



 枠にはまる事を嫌い、モラルを重要視するプレイボーイを忘れられないゆず子もまた、彼に心を奪われた哀れな女の1人なのだろう。

 …なんちゃって。


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