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懺悔の珈琲 ※中絶、大病罹患表現あり

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 ゆず子がいつもの様に出勤すると、事務部の湯原が笑顔で話しかけてきた。

「おはようございます、鳴瀬さん。ビッグニュースですよ」

「おはようございます。え、なあに?」

「園田係長が結婚したんです!」

「へえ! それはおめでたいわね」


 営業の園田雅也そのだ まさやは、国立大卒&入社20年目で仕事も出来る、某月9俳優似のイケメンで身長180センチと言う『人生ガチャ大当たり』の男。
 フットサルが趣味で若々しく、とても40代には見えない。

 長く『結婚願望は無い』『自由が1番』と言い独身を貫いてきたが、ここに来てついに年貢を納めたという訳だ。


「お相手は?」

「それが、何と24歳なんですよ。写真見せてもらったけど、園田係長にお似合いの美人さんで!」

「まあ! これまた随分若い子にしたのね」

「趣味のフットサルで知り合ったそうですよ」

 見た目も若々しいし、流行り物も好きらしいし、年齢差があっても共通の趣味があれば大丈夫なのだろう。
 ゆず子達が話してる所に、噂の張本人:園田が通りかかった。

「あ、お聞きしましたよ。ご結婚おめでとうございます」

 ゆず子が言うと、園田は肩を竦めて笑った。

「え! 聞いちゃった? 参ったな、みんな光の速さで喋るんだもん。ええ、この度そういう事になりました」

「ご結婚の決め手は何ですか?」

 湯原が悪戯っぽく尋ねると、園田は照れ笑いした。

「えー、きっかけ? まあ『そこに彼女が居たから』、かなぁ?」

 園田は笑いつつ片手を振り、外回りへと向かった。



 その後、順調に挙式とハネムーンを済ませ出社した園田は、業務の前に土産配りをしていた。
 そんな園田へ来客があった。

「園田くん、久しぶり。近くまで来たから寄ってみたよ」 

唐田からた部長! お久しぶりです!!」

 以前この会社に勤めて、現在は定年退職をした元上司だった。

「何年ぶりですかね! お世話になっていたのに、全然顔見せてなくて」

「いいんだよ、1番仕事が忙しい頃だろ? 元気なのが1番だよ」


 ゆず子がこの職場に出入りするようになって、約10年。唐田はゆず子が担当になった翌年に定年退職していたので、顔は何となく覚えていた。


 唐田は周りの人々を見渡し言った。

「いやはや、すっかりメンツも変わったなあ。みんな僕の事、知らないでしょ?『何か知らない偉そうな爺さん来た!』って、思ってるでしょ?」

 ゆず子は笑った。

「とんでもない! 私も覚えてますよ」

 河北も言った。

「そうですね、今の営業部事務部で唐田部長を知ってるのは…、私、小林部長、園田くん、嶋田課長ぐらいかな? 後は店舗関係者で何人か居ますかね」

「時の流れは速いね~。僕も齢を取る訳だよ、はははっ!」

 唐田は笑いつつ、ふと園田の手元に目をやった。

「どっか行って来たの? 出張?」

 すると、河北は得意げに言った。

「そうそう、うちの最後の大物独身貴族が結婚したんですよ! これはハネムーン土産」

「ええっ! 本当か、それ!!」

「あ、はい。お知らせしてなくて申し訳ありません」

 照れ笑いを浮かべ園田が弁解すると、唐田は園田の手を取った。

「そうかあ、やっと結婚したかあ! メグミちゃんもこれで安心だ!!」

 ところが、唐田のその発言で、室内の空気が妙になった。

(え、何?)

 慌てて、河北が口を添える。

「唐田部長、社長に挨拶はされました? そろそろ、出先から戻られる頃なので行きましょう」

「え? ああ」

 河北は唐田を廊下へ連れ出した。


「あー、びっくりした!」

 少し後に廊下で会った河北は、ゆず子を見ると溜息をついた。

「あれ、どうかしたの?」

 河北は誰も来ないのを確認すると、小声で言った。

「唐田部長が現役だった頃に、園田くんが付き合ってた元彼女の名前だよ。勤めていた時期が違ったから、私は会った事ないけど、ここの元社員で園田くんと同期だったらしい」

「あらま。10年前に辞めたから、今の状況知らないんだ」

 もし奥様が場に居たら、状況によっては修羅の空気になったかも。河北は続けた。

「それがさ、私がここで働き始めるずっと前? 入社すぐから付き合っていたみたいなのね。10年前当時で既に『結婚する、しない』でグダグダの状態だったから、唐田部長も気にかけててさ。
だから勘違いしたのかな。一応廊下で説明したけど」

「それはそれは…。いつ終わったの?」

「さあね、自然消滅じゃない? だいぶ前から、話を聞かないし。それにあの子、彼女居ても居なくてもご覧の通りモテるから。そっちの話はたまに聞いたね」

(ふーん、恋多き男の結婚か。ひと悶着の1つや2つ、あっておかしくないわね)
 ゆず子はそう思った。



「鳴瀬さん、園田係長の元カノって、会った事あります?」

 早速、社内では噂になっていた。ゆず子は湯原に言った。

「ありませんよ。私がここに配属されたのは10年くらい前だけど、見た事も元カノさんの名前すらも知らないよ」

 下手に情報提供すると、後々面倒な展開になりかねない。ゆず子はそう答えた。

 湯原は更に質問した。

「何か、東武先輩が2,3年前に園田係長が女の人と食事してるの見たらしいんですよ。同世代ぐらいらしくて、それが『メグミさん』なのかな?って」

「うーん、彼モテるでしょ? いつまでも元カノと会わずに、色んな人とデートするんじゃない?」

 ゆず子が言うと、湯原は苦笑いを浮かべつつ、言った。

「言っちゃなんですけど、あの人『若い子好き』なんですよ。他の目撃談も20代くらいの若い子ばかりだし、あえて同世代とデートしたの、何でだろって思って…。
そうそう、鳴瀬さんの経験上、『独身主義』の人が結婚を決めるのって、どういう時ですか?」

「えー、人によるよ? 心境の変化とか。人の考えなんて、コロコロ変わるもの」


 だいたいはきっかけだ。

 身近な人間の大病や死で、急に『家族』が欲しくなったり。天災や急病で、長く着かず離れずだった相手の、人としての偉大さに気づいたり。
 老後不安で、50になったのをきっかけに『オトナ婚』を決めた輩も居た。

 恐らく、42にしてかなり歳下の女性を選んだ園田に関しては…。


「俺ね、結婚は嫌いだったけど、子供は大好きなんだよ。甥や姪と遊ぶの大好きだし、奴らから何かを教えて貰うのも抵抗なくてさ!」

 湯沸室で会った園田は目をキラキラさせていた。ゆず子は言った。

「そうね、園田くんスマホゲームとかアプリとか、若い子と教え合いっこ普通にしてるものね」

「うん。『上司としてのプライド無いの?』なんて言ってくる人も居るけどさ。それに、これからもし子供生まれたら、大学まで通わせたいし、年齢的に今がラストチャンスかなぁ?って思ってて…」


 結婚は当人同士で決めるものだ。第三者はその理由に口出しは無用である。



 それから数か月が過ぎた、ある時。

 ゆず子がゴミ出し中、小柄で可愛らしい感じの見慣れぬ女性に、河北が付き添っている場面に出くわした。

(お客様?…の割に服装がラフだし、表情が重いぞ?)

 女性を見送った河北は、姿が見えなくなるや、ゆず子の方に向き直った。小声。

「…園田くんが、取引先で倒れた。あの人、奥さんよ。会社に置いてある荷物、取りに来たの」

「ええっ?! 大丈夫なの?」

「意識あるみたいだけど、検査しないと詳しくは分かんないんだって。大事にならないといいけど」



 検査の結果、園田が大病に罹っている事が判明し、病休を取る事になったと聞いた。

「えー、結婚してまだ半年だよ? 奥さん可哀想…」

「病名、教えないって事はヤバいかもしれないね」

 社内の人間は口々に噂した。



 仕事を終えたゆず子が帰途に着こうとした時、思わぬ人物と会った。

「…鳴瀬さん。今日、仕事だったんですね」

 園田だ。力の無い笑みを浮かべた園田は、実年齢以上に老け込んで見えた。

「園田くん…! 大丈夫? 何でここに?」

「ええ、病気休暇の書類とか出さないといけなかったので。…もし良かったら、少し話せませんか?」


 2人はコンビニの軒先に移動すると、コーヒー片手にベンチへ座った。

「聞いたよ、病気なんでしょ? 身体は平気なの?」

「…自覚症状、まるで無くて。激痛で病院行って、検査して初めて分かりました」

「そうだったんだ、大変だったね。奥さんも心配してたでしょ?」

 園田は少し黙り込んだ後、口を開いた。

「鳴瀬さん。覚えてます? 唐田部長が俺の元カノの名前、口にしたの」

「え? ああ、うん。でもまあ、あれは年配の人だとよくある間違いだよ」

「…入社した頃。会社が設立して間もなかったから、休日返上もよくあるくらい忙しくて。
合コン行く暇も無いけど、彼女は欲しかったから、同期の中で1番可愛かった子に告白して付き合い始めたのが、唐田部長が言ってたメグミなんです」

 園田は暗い表情のまま、1人語りを始めた。

「一応ね、きっかけは最低だけど、俺なりにメグミの事は大切にしていたんです。
地元の友達や親にも紹介して、向こうの家族とも会ったりして。メグミも普通にいい子だったし一緒に居て楽しかったから、いつか結婚すると思ってました」

 2人の目の前を、大学生カップルが通り過ぎた。

「でも、ある頃からメグミが『いつ結婚するの?』って、催促するようになって。とうに社内では付き合ってるの知られてたから、メグミだけじゃなく他の人からも言われるようになって…。
しんどくなって『別れよう』って言ったんです」

 ゆず子はコーヒーを見ながら、黙って聞いていた。

「メグミが『社内の人にこれ以上言われないように、転職するから別れたくない』って転職して、俺は『まだ結婚したくない』メグミは『結婚したい』で、膠着状態。
俺が都合の良い時に呼びつけて、会うだけの関係になりました。その間に他の子と会ったり、デートしても、メグミは何も言いませんでした。
…言えば『終わる』、そう思ったのかもしれません」

 ゆず子は園田の横顔を見つめた。

「3年前、珍しくメグミから呼び出されて『妊娠した』と言われたんです。毎回避妊してたし、齢も40手前。ありえないと思ったんです。
『どうする?』って訊かれて、メグミ見たら、…こう、何かすっかり老けていて」

 ゆず子は無意識に息をついた。

「ここまで独身でいて、結婚する相手がこのおばさんか…、って一瞬思ってしまって。丁度、新事業の始まりで忙しかったし『俺の子だって証拠が無いから、籍を入れる事は出来ない、無かった事にしてくれ』って…」

 園田は鼻を啜った。

「病院に同行しました。処置が終わった後、10年ぶりにメグミの自宅まで送りました。運転中に刺されても仕方ないって覚悟したけど、何も無くて。
…メグミとはそれっきりです」

 ゆず子は厳しい目で園田を見ていた。

「もっとちゃんと謝りたかったけど、どうしても怖くて連絡出来ないんです。その報いですかね、精巣癌に罹ったのは。
リンパ転移の可能性があるらしくて、医者と相談したけど、子供欲しいとか言ってる場合じゃないって…」

 園田は手の甲で涙を拭った。


 彼のこの涙は何の涙なのだろう。20年近くも心身を弄び、母になる機会をも奪ってしまった女性への贖罪か。
 中絶を強いた自分が、因果の様に自分の子を持つ事が出来なくなってしまう事への絶望か。
 大病に罹り、予後も軽くない事への恐怖心か。


 何処からともなく、夕刻を告げる音楽が流れてきた。ゆず子は立ち上がった。

「コーヒーありがとう。じゃあ、私はこれで」

 ゆず子はそう言うと立ち去った。

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