鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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 『情が移る』という事柄がある。状況は人それぞれだ。
 捨てるつもりのぬいぐるみと目が合った瞬間に捨てられなくなったり、セールストークに乗せられ、買うつもりの無かった物を買ってしまったり。

 人によっては『温情』の発動した瞬間を見計らって、付け込む輩も存在する。


「えー? じゃあもう3日も家に居るの?」

 声を上げたのは、ラーメン店のパート従業員:末永すえなが。末永の非難めいた声に口を尖らせたのは、ラーメン屋副店長の会田かいだだ。

「だって、仕方ないでしょ? 家に帰れないんだから」


 2人は副店長とパートタイマーという上下関係ではあるが、年齢が同じで同世代の子供も居る事から、砕けた感じで話す仲だ。


 末永は前のめりで言った。

「家に居る間、ご飯食べさせてあげてるんでしょ? ちゃんと食費貰いなって!」

「でも息子が『彼女からお金もらうなんて、おかしい』って言うし…」

 会田の弁解に何か言いたげな末永は、ゆず子を見かけると呼んできた。

「鳴瀬さん、ちょっといい? 聞いて聞いて!」

「はーい! どうしました?」

 特に急ぎの用がないので向かうと、末永はざっくりと説明した。

「会田さんちに、息子の彼女が家出して転がり込んでるんだって! 無職の引きこもりで、お金払う訳でもなく会田さんにおんぶにだっこで世話してもらってるらしいの!」

「ちょっと、赤ちゃんみたいな言い方!」

「だってさ、23なのに有り得ないでしょ? 彼氏の母ちゃんが仕事してる間、掃除するでもご飯作るでもなく、帰ってきた会田さんにご飯作ってもらって食べるだけだなんて!」

 おばちゃん2人はギャアギャア話していた。ゆず子は笑いつつ質問した。

「あら。上げ膳据え膳の家出人が居るんだ。それは大変ですね」

「言ってもさ、今回ウチに来るのが初めてなんだよ。それですぐに、台所に入って手伝うって神経どうなのよ?
気を遣ってるから、入って手伝わないのかもしれないじゃない」

「え、家に来るの初めてで、その理由が家出なの?」

 思わずゆず子が口を出すと、会田は説明をした。

「お父ちゃんと2人暮らしでね、そのお父ちゃんがお酒飲むと暴力振るうらしいのよ」

「本当? 口実じゃなくて?」

 末永が訝しがると、会田は首を振った。

「別に全身見たわけじゃないけど、腕だけでも『根性焼き』の跡とか、青痣沢山付いてたんだもの。末永さんも見たらきっと、その子の命の危険を感じちゃうわよ?
息子もそれを見て、匿う為にウチに連れてきたんだから!」


(久しぶりに訊いたな、根性焼きって言葉…)

 確かに不憫だが、ゆず子は当事者でないので、どうにも出来ない。末永は言った。

「警察に保護してもらうとか、何とか出来ないの?」

「一応提案はしてるんだけどね。『年に何回か酒飲んで不安定になるやつだから、その時期を過ぎれば大丈夫』って、断るのよ」

「何それ~。嘘っぽい~」

 末永は引き続き懐疑的だ。ゆず子は言った。

「そのお父さんに、会田さんちはバレてないの?」

「うん、向こうの親は知らないよ。警察の保護って言っても一時的なものだし、最終的には『お父さんに突き止められない所に住む、知り合いを頼ってくれ』ってするんだよね。
だから、仕方ないのよ」

 会田はそう言うと、水筒のお茶を飲み干した。



 数日後。商業施設のバック通路で会田に出くわしたゆず子は、挨拶がてら尋ねた。

「お疲れ様です。あれからどうなの? 居候ちゃんは」

「お疲れ様です。まだ居るよ。でね、色々家事を手伝ってくれるようになったの」

 会田は嬉しそうに答えた。

「そうなんだ」

「元から家でも家事をしてた子だから、思ってたよりも手際が良くてね。昨日も2人でおでんを作って、仕事から帰った息子と3人で食べたんだ」

「あら。まるで、息子さんと結婚した後の生活みたいね」

「本当~。息子も歴代の彼女何人か連れてきた事あったけど、何か今回の彼女が1番しっくりくるのよね」

 会田は終始笑顔だった。



 施設内にあるゴミ集積場へ行くと、店で出た生ゴミを出すとこらしい末永と会った。

「お疲れ様~」

「お疲れ様です」

「やれやれ、会田さんの人の好さには参るわ」

 末永がため息をついたので、ゆず子も思わず足を止めた。

「ああ、居候の?」

「完全に転がされているじゃん? 聞いててモヤモヤすんのよ」

「そうなの?」

「息子さんの彼女って言ってたじゃん? 出会って4日だったんだって」

「4日?! 出会って4日で、彼氏のとこに転がり込んだの?」

(ほ~う…。『出会って10日同棲』を越える新記録ね)

「らしいよ。まともな神経してないよ、その女。あたしの読みでは…、『押しかけ女房』みたいな感じで男を渡り歩く、女ホームレスみたいなだと思うよ」

「辛辣ねえ」

「だいたい『父親の暴力から逃げた』的な言い訳、昔からある常套句だよ。あたしも若い頃、狙ってた男んち押しかけて同じ様な事言って、無理に泊った事あったなぁ。あっはは!!」

 末永が笑い飛ばすとゆず子も吹き出した。
(同族だから手口が良く分かるのね…)

 笑った後、末永は言った。

「…今回さ。会田さんのとこ、シングルマザーで思ったよりお金ないってその彼女は知ったから、きっと他を探すよ。もっとお金持ってて、好き勝手出来る男を」

「ええー、そんな後妻業みたいな」

「でも『金持っててしっかりした男』は、最初から『出自不明の家出少女』なんか相手にしないんだよね。ほんと、バカな奴」

「それは、確かにそうだね」

 苦笑いでゆず子が同意すると、末永は腕組みした。

「会田さんさ、苦労や辛い事いっぱいあった人だしさぁ。そういうトラブルメーカーみたいな奴、関わって来ないで欲しいんだよね」

 辛辣発言の多い末永だが、会田に対する親愛の情の様なものが、ゆず子には垣間見えた。



 ゆず子が次に会った時、会田の『息子の彼女愛』は更に大きくなっていた。

「見て見て!」

 会田に見せられたスマホの画面には、犬耳が生えた会田と猫耳が生えた若い女の画像が表示されていた。

「あらま! これ、例の息子の彼女さん?」

「そうなの。スマホの画像加工アプリ教えてもらって、一緒に撮ったの」

 会田は満面の笑みだった。頼んでもないのに、他の画像も見せてくる。

「あらあら、いっぱい撮ったのね」

「プリクラは撮った事はあるんだけど、画像加工アプリはやった事なくて。すごいのね、美肌も目を大きくするのも一瞬だし。
私がもし婚活する時にも仕立てて貰おうかな、なんちゃって!!」

 ゆず子は感心して言った。

「本当、息子さんの彼女とこんなに仲良くなれるなんて、羨ましいくらいだわ」

「…私ね、本当は娘も居たの」

 会田はスマホを仕舞いつつ言った。

「健康な身体で産んであげられなくて、2歳になる前に死んじゃったんだ。生きてれば丁度、ルリちゃんと同じくらいだから、何か他人みたいに思えなくて。
娘が居たらしたかった事、色々出来て楽しいの。ショッピングも、スイーツバイキングも」

「そういう事があったのね、じゃあ尚更だ」

 不意に聞かされた話に、ゆず子がそう答えると、会田は時計を見つつ言った。

「最近あの子、ハローワーク行って仕事探してるんだ。『いつまでも食べさせてもらう訳にいかないから』だって。
付き合わせてごめんね、お疲れ様でした!」

 会田は夕食の準備があるのか、足早に去って行った。



「あ! 鳴瀬さん、お疲れ様~」

 客用トイレの掃除中、声を掛けられふと振り返ると50代くらいの女性が居た。末永だ。

「お疲れ様です。仕事上がり?」

「ううん、休みで買い物しに来てたの。鳴瀬さん、こっち側も掃除してるんだね~」

「そうなの。ただ、南館の日と北館の日があるけど」

「へ~。あたしも定年後に鳴瀬さんのとこ、働こうかな?」

「大歓迎。随時募集してます!」

 2人は軽口を叩いて笑った。末永は言った。

「前に話してた会田さんのとこの居候、息子さんが追い出したんだって」

「あらあら、別れたの?」

「職探ししてるフリして、浮気相手のとこ行ってたんだって! あたしが睨んだ通りだった~」

「何それ、衣食住お世話になってるのに…」

 ゆず子は苦笑した。末永もしかめ面だった。

「会田さん、それで息子さんと大ゲンカよ。『何かの間違いだ、何で追い出した!』って。絆され過ぎだよ」

「感情移入、相当だったからね…。それに、そもそもは息子さんとその彼女さんとの問題であって、どうこう言う立場でもないのに」

「そうなの。だからあたしも宥めたり、話聞いてあげたりしてさ。最近、ようやく落ち着いたとこだよ」

(別れた当人より、周りの人の方が執着するなんて、珍しいな)
「それはお疲れ様でした…」

「今でも『あの子、行き場所無くなってお父さんのとこ戻ってないかな?』って心配してるから、『会田さんみたいに優しい人を手玉に取って、上手くやってるでしょ』って言っておいたわ。
息子の方は未練も無いみたい。最近の若者だから、ドライなのね」


 きっと、『家出少女ルリ』は色んな男の元を渡り歩いて、これからも生き延びるのだろう。
 古傷のある腕と、したたかで鋭い嗅覚を持ったその女は、どんなに『弱そうな外見』をしてようとも、実は『強い』女性なのではないか。

 ゆず子は、そう思うのだった。

    
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