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枯れ尾花
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世の中には『幽霊』という存在がある。
だが本当の所、幽霊というものは、案外少ないのかもしれない。
「あ、福田先輩これですよ。私が見掛けたやつ」
従業員休憩室でスマホをいじる柄北柚羽は、傍らで休憩中の福田菜美へ話しかけた。
福田は興味無さそうに横目で見た後、スマホを手に取った。
「はあ? 何これ」
「事故物件サイトですよ。ここにうちの会社が載っているんです」
「ふーん…。『平成○年春頃。従業員用トイレで女性従業員急死。自殺か病死か不明だが、直前に社内でトラブルあり』。聞いた事無いよ、こんな話」
「そうなんですか? 4年前なら福田さん、居ましたよね?」
柄北は入社して8ヶ月。4年前の事は知る由も無い。福田はむすっとして答えた。
「居たけど、そんな話聞いた事も見た事も無い。嘘情報だよ」
「へえ、そうなんですか」
「おばちゃんにも聞いたら? 鳴瀬さーん!」
急にこっちに振られたが、ゆず子はにこやかに返した。
「はーい! どうしました?」
「うちの新人が怖い話好きでさぁ。うちの工場のトイレで死んだ人、居ないよね?」
話は聞こえていたが、一応ゆず子はスマホを確認する。
「へえ、世の中にはこういうサイトもあるのねえ」
ゆず子が感心すると、福田はジト目で口を尖らす。
「取りあえず、死人出たかどうか教えてあげてよ」
「あら、ごめんなさい。確かに、トイレで死んだ人は居ないわよ」
「ほらぁ!」
「えー、そうなんですね」
柄北は残念そうな顔をした。ふと気づいたゆず子はある事を口にする。
「あ、でも武藤さんだっけ? 体調崩して、トイレで動けなくなった子…」
ゆず子が言い終わらない内に、福田は険しい表情になり、睨みつけてきた。
「鳴瀬さん。それは武藤さんじゃなくて、高橋さんだったよ?」
「あら、だったかしら?」
「も~、人の名前ごっちゃになってるんだよ! じゃ、私は休憩そろそろ終わるんで行くね」
福田は怒った目元のまま、微妙な空気の休憩室を後にした。
(あらあら。こんなじゃ、いかにも『疑ってくれ』と言ってるようなものじゃない)
ゆず子は首を竦めた。
「鳴瀬さん。良ければこの前の話、聞いてもいいですか?」
別の日。早番仕事上がりの柄北がこっそりやって来た。福田はまだ仕事中だ。
「トイレの話? 死んだ人が居ないのは本当だよ。その頃も毎日じゃないけど、ここに出入りしてたから」
「いいえ。『武藤さん』についてです」
(あーあ、興味持っちゃってる)
「ええとね、その頃ここに勤めてた人だね。詳しくは知らないけど、転職してよそに行って、勿論死んでませんよ?」
ゆず子は知ってる情報を教えた。柄北は少し考える素振りを見せた。
「若い、女の人ですか?」
「そうね。福田さんの1つ下だったかな?」
「そうですか…」
柄北はそう言うと、そのまま帰って行った。
別の日。福田が上司である林田と、休憩室で話し込んでいる所に出くわした。
「へえ、こういうサイトにねえ」
林田は飄々とした態度で、福田のスマホを覗いて言った。
「ガセ情報だし、運営元に連絡して消してもらわないと。ただでさえ人手不足の業界だし、求人かけても集まらなくなったら大変だと思うんです~」
(あ、上司に密告してるのね)
ゴミをまとめつつやり取りを見ていたが、林田は福田の訴えを相手にしてない様子だ。
「求人見た人が皆コレを見るとは限らないでしょ。むしろ案外、これ見て逆に興味持って来るのが増えるなら、いいんじゃない?」
席を立つ林田を、福田は険しい表情で見ていた。
「柄北さん」
柄北が休憩を取っていると、にこやかに微笑む福田がやって来た。
「こないだのサイト覗いたら、ここの会社の投稿、無くなってたよ」
その言葉を聞いて、柄北は手元のスマホで確認した。
「…本当ですね」
(あらあら。消えたらやけにご機嫌なのね…)
ゆず子は窓を拭きつつ思った。福田は柄北に言った。
「あなたまさか、他の人にも投稿の話、してないでしょうね?」
「してませんよ」
福田は柄北の言葉を訊くと、真顔を笑顔に変えてこう言った。
「良かった! 面白おかしい話でもさ、拡散するとそれなりの処分を受ける事があるんだよ。
柄北さんは子供の頃だから知らないけど、『SNSに職場でバカやってる画像』を投稿して、会社に損害を与えたから『営業妨害』で解雇されて損害賠償を請求された事件、昔あったんだよ。
だから、直接投稿してなくとも、拡散したり人に言いふらしたりは絶対止めてね? 二の舞いになるよ!」
「はい。分かりました」
柄北がそう言うと、福田はニコニコしながら、昼食を頬張った。
ゆず子が掃除のために従業員トイレに行くと、柄北が居た。ゆず子はさり気なく尋ねた。
「前に言ってたサイト、誰でも投稿出来るものなの?」
「ん~。多分出来ると思いますよ? やった事無いから知らないですけど」
柄北はスマホを弄りつつ、返事した。
(福田さんにとって、『武藤さんがトイレで体調不良起こした件』は、トップシークレットなのね…。何があったんだろう)
ゆず子は記憶を遡る。武藤は福田の1年後輩で、冴えない感じの女子だった。
福田は直接の後輩だった武藤に、仕事を手取り足取り教えていた。
(丁度、武藤さんがトイレで体調不良起こしたり、仕事を辞めた時期は、別の職場にも出向してたから人づてなんだよね)
そう思いつつ隣の個室を掃除しようとしたゆず子は、ある物を発見した。
「すいませーん、女子トイレに眼鏡の忘れ物あったんですけど」
ゆず子は休憩室に行き、中に居た従業員に声をかけた。傍らのパートの主婦らが、反応した。
「眼鏡?」
「うん、丁度窓際の個室でね。窓の縁に置いてあったの」
「黒いフレーム…、西村さんのじゃない?」
「えー、あたしの老眼鏡ここだよ」
柄北がふと口を開く。
「…夜勤のパートさんのじゃないですか? 黒縁眼鏡でロングヘアの人、見た事あります」
「はあ? そんな人、居ないよ?」
反応したのは福田だ。
「夜勤の女の人に、『黒縁眼鏡でロングヘア』の人は居ないよ」
福田は夜勤もあるので、夜勤帯の人間も把握しているようだ。柄北はキョトンとした。
「そうなんですか? 早朝出勤してすぐにトイレ行くと、たまに見かけた事があったので、てっきり…」
ところが、福田はその言葉に顔色を一変させた。
「いやいや、ちょっと待って。だからそういう人、居ないって。あんた何言ってるの?」
妙な空気になったので、ゆず子は取り繕うように言った。
「まあ女の人だと、髪型変わったり眼鏡をコンタクトにしたり、色々変わるよね! 取りあえず事務所に届けてきますよ」
事務員に眼鏡を渡したゆず子が戻ると、休憩終了なのか福田と柄北の姿は無く、先のパート主婦らがひそひそ話をしていた。
「そう言えば、あの眼鏡に似てるやつかけてた子、居たよね。武藤さんだっけか? 若いのにモサッとしたデザインの眼鏡だから、覚えてたんだけど…」
「あの子、福田に苛められてたんでしょ? トイレで過呼吸起こしたんだよね」
「本当に過呼吸?『自殺未遂』じゃなく?」
(お、気になる情報がたくさん…)
数日を待たずして、『女子トイレに黒縁眼鏡をかけた元従業員の女の霊が出る』との噂が流れるようになった。
当時の様子を知る者は、『黒縁眼鏡の女には福田が関係してる』とも囁いた。
「本っ当、サイアクなんだけど!!」
トイレ掃除中に出くわした福田は荒れていた。ゆず子は言った。
「あくまで噂だもんね。私だって何年もここを掃除してるけど、遭った事無いわよ」
「それもこれも柄北の所為なんだよ。怖い話好きだか知らんけど、余計な話しやがって!」
「でも柄北さん、武藤さんを知らないよね? 黒縁眼鏡でロングヘアって特徴、何で知ってるんだろう?」
ゆず子の指摘に一瞬福田はハッとしたが、こう言った。
「おおかた、あたしの事が嫌いな古株のおばちゃんにでも聞いたんでしょ?」
「うーん。で、聞き出してわざわざ眼鏡を準備したの? 自腹で買って…?」
「じゃないの?」
ゆず子が見た限りでは、福田の『後輩への当たり』はちょっと強いが、柄北も『本気で参ってる』ようには見えない。
あくまで内情は知らないが。
「武藤さん、今どうしてるだろうね?」
「さあね、死んでないのは確かだよ。チョ~気分悪い!!」
福田は乱暴にドアを開けて、トイレの外へ出て行った。
喫煙所の掃除をしていると、林田が苦笑交じりに入って来た。
「お疲れ様です」
「お疲れさまです。参ったわぁ、たかだか怪談話でミーティングする事になっちゃったよ~」
林田は頭を掻いて、電子タバコを取り出した。ゆず子は目を丸くする。
「あらま、そこまでになっちゃったんですか?」
「うん。うちのエース女子が『不名誉だ!』って激おこでさ。放っておけばいいのに、どうしても一言申したいみたいで」
「私が聞くのもなんですが、武藤さんはいま何をしてるんでしょうね?」
「辞めた後は医療事務の学校で資格取って、総合病院に勤めてるみたいよ。誰だかが病院で会ったって聞いた」
(どっちにしろ、生きてるのに何で今になって幽霊騒ぎになるんだろう?)
林田は顔を少々しかめた。
「…福田もなあ、何度言っても『パワハラっ気』が抜けないんだよ。元々の性格もあるけど、完璧主義だし」
「仕事は出来る子ですからね。方向が変われば、伸びますよね」
ゆず子は口を添えた。
別の日。出勤したゆず子がゴミ袋をまとめていると、主婦パートタイマーの三島が話しかけてきた。
「…面白い事が起きたよ」
「え、何?」
「福田がさ、『幽霊騒動』にモノ申したいだかで、噂してた連中を集めてつるし上げたの。
柄北さんとか自分の後輩連中と、うちらパートを同席させて『今後こういう事実無根の噂はしません』って誓わせて」
「あら、そういう事あったんだね」
「でね、集まりを解散した後に、流れで『本当に霊が居るなら心霊写真が撮れるかも』とかって、柄北さんや福田と沖田さんの3人が女子トイレで写真撮ったんだよ。
そしたら…、写ったの」
ゆず子は思わず口をあんぐりさせた。
「えぇ?! 写ったって、『霊』が?」
「奥の窓際の個室に、眼鏡の女が。あたしも見せてもらったんだけど、ドアの隙間から覗くように居て…!」
「ちょっとやめてよ! 掃除出来なくなるじゃん」
三島は楽しそうに笑って続けた。
「福田がそれ見たら、腰抜かして泣き出しちゃって! 林田さんや部長も出て来て大騒ぎになった。悪いけどあいつ嫌いだから笑っちゃった!!」
「そうだったんだ…。それでどうなったの?」
「あたしは定時で上がっちゃったから、人づてで訊いたんだけど、『生霊なら、謝罪したら向こうの気が済むかも』って、武藤さんの連絡先をたまたま消さずに居た誰かのスマホで、福田が武藤さんに電話して謝罪したらしい。
いやあ、見たかったわぁ」
三島は残念そうに言いつつ、笑顔だった。
(何か、ファンタジーな話だな。事実なのに)
福田は目下の者に醜態を晒した事から、すっかりおとなしいらしい。
『苛めた後輩の幽霊』の話は事実無根なので消えても、『苛めた後輩の生霊を成仏させる為に謝罪した』話は、事実なので消えないだろう。
上層部にも広く知られる事態となり、『部下や後輩への指導態度』が会社全体で見直され改められる事となった。
『幽霊』は社内改革へ一役買ったのだ。
時は流れ翌年。新入社員の研修が始まった。
「お疲れさんです」
「お疲れさま。研修見てると、去年の自分を思い出さない?」
仕事終わりの柄北に言うと、笑って返された。
「確かに。ヒヤヒヤしますよ、今の自分『自分がされて嫌だった教え方してないかな?』って、思いますから」
あれから福田は、穏やかな口調とおおらかな仕事ぶりを心がけるようになり、不評も聞かなくなった。
「『先輩』も平穏になったし、幽霊も役に立つのね」
「…ああ、それなんですけど」
柄北は、ゆず子にスマホを見せてきた。
飲み会の集合写真か、20代くらいの女子6人と柄北も居る画像だが、他の女子に見覚えはない。
「これは、友達?」
「自分、高校生の頃からあるゲームが好きで、SNSで知り合った同じゲームが好きな近場在住の人達と、こうやって女子会をしてるんです。
…この人、分かります?」
ゆず子は目を凝らした。ここの従業員か?でも覚えがない。
「えー…? ごめん、誰だろう?」
「眼鏡やめてコンタクトになった、武藤莉子さんです」
(え?)
柄北は微笑んでいた。
「去年の会の時に、福田さんの愚痴を話したら、『同じ職場』だって事が偶然分かって」
「…じゃあ、前から、武藤さんを知ってたの?」
「そうなんです。
彼女が『同じ被害者を出したくない、幽霊騒ぎで懲らしめてやろう』って提案したんです。
武藤さんの眼鏡と似てるやつを置いたのは、私です。その節はすみませんでした」
「あ、うん…」
「心霊写真もね、作成アプリあるんですよ。
眼鏡かけて、俯いて自撮りした画像を予め準備してて。トイレの写真を撮って、1枚ずつ入念に確認してるフリで、画像を組み合わせる。
簡単でした」
ゆず子の背筋が、ゾッとした。柄北は笑顔のままだ。
「彼女も福田さんからの謝罪を受けたし、福田さんの態度も改善されたし、イイ事ずくめですよ。途中、どうなるかと思いましたが。
あ、これ内緒にしてて下さいね? それでは失礼します」
幽霊の正体見たり枯れ尾花とは言うが、『枯れ尾花』自体が幽霊よりも怖かったのだった。
だが本当の所、幽霊というものは、案外少ないのかもしれない。
「あ、福田先輩これですよ。私が見掛けたやつ」
従業員休憩室でスマホをいじる柄北柚羽は、傍らで休憩中の福田菜美へ話しかけた。
福田は興味無さそうに横目で見た後、スマホを手に取った。
「はあ? 何これ」
「事故物件サイトですよ。ここにうちの会社が載っているんです」
「ふーん…。『平成○年春頃。従業員用トイレで女性従業員急死。自殺か病死か不明だが、直前に社内でトラブルあり』。聞いた事無いよ、こんな話」
「そうなんですか? 4年前なら福田さん、居ましたよね?」
柄北は入社して8ヶ月。4年前の事は知る由も無い。福田はむすっとして答えた。
「居たけど、そんな話聞いた事も見た事も無い。嘘情報だよ」
「へえ、そうなんですか」
「おばちゃんにも聞いたら? 鳴瀬さーん!」
急にこっちに振られたが、ゆず子はにこやかに返した。
「はーい! どうしました?」
「うちの新人が怖い話好きでさぁ。うちの工場のトイレで死んだ人、居ないよね?」
話は聞こえていたが、一応ゆず子はスマホを確認する。
「へえ、世の中にはこういうサイトもあるのねえ」
ゆず子が感心すると、福田はジト目で口を尖らす。
「取りあえず、死人出たかどうか教えてあげてよ」
「あら、ごめんなさい。確かに、トイレで死んだ人は居ないわよ」
「ほらぁ!」
「えー、そうなんですね」
柄北は残念そうな顔をした。ふと気づいたゆず子はある事を口にする。
「あ、でも武藤さんだっけ? 体調崩して、トイレで動けなくなった子…」
ゆず子が言い終わらない内に、福田は険しい表情になり、睨みつけてきた。
「鳴瀬さん。それは武藤さんじゃなくて、高橋さんだったよ?」
「あら、だったかしら?」
「も~、人の名前ごっちゃになってるんだよ! じゃ、私は休憩そろそろ終わるんで行くね」
福田は怒った目元のまま、微妙な空気の休憩室を後にした。
(あらあら。こんなじゃ、いかにも『疑ってくれ』と言ってるようなものじゃない)
ゆず子は首を竦めた。
「鳴瀬さん。良ければこの前の話、聞いてもいいですか?」
別の日。早番仕事上がりの柄北がこっそりやって来た。福田はまだ仕事中だ。
「トイレの話? 死んだ人が居ないのは本当だよ。その頃も毎日じゃないけど、ここに出入りしてたから」
「いいえ。『武藤さん』についてです」
(あーあ、興味持っちゃってる)
「ええとね、その頃ここに勤めてた人だね。詳しくは知らないけど、転職してよそに行って、勿論死んでませんよ?」
ゆず子は知ってる情報を教えた。柄北は少し考える素振りを見せた。
「若い、女の人ですか?」
「そうね。福田さんの1つ下だったかな?」
「そうですか…」
柄北はそう言うと、そのまま帰って行った。
別の日。福田が上司である林田と、休憩室で話し込んでいる所に出くわした。
「へえ、こういうサイトにねえ」
林田は飄々とした態度で、福田のスマホを覗いて言った。
「ガセ情報だし、運営元に連絡して消してもらわないと。ただでさえ人手不足の業界だし、求人かけても集まらなくなったら大変だと思うんです~」
(あ、上司に密告してるのね)
ゴミをまとめつつやり取りを見ていたが、林田は福田の訴えを相手にしてない様子だ。
「求人見た人が皆コレを見るとは限らないでしょ。むしろ案外、これ見て逆に興味持って来るのが増えるなら、いいんじゃない?」
席を立つ林田を、福田は険しい表情で見ていた。
「柄北さん」
柄北が休憩を取っていると、にこやかに微笑む福田がやって来た。
「こないだのサイト覗いたら、ここの会社の投稿、無くなってたよ」
その言葉を聞いて、柄北は手元のスマホで確認した。
「…本当ですね」
(あらあら。消えたらやけにご機嫌なのね…)
ゆず子は窓を拭きつつ思った。福田は柄北に言った。
「あなたまさか、他の人にも投稿の話、してないでしょうね?」
「してませんよ」
福田は柄北の言葉を訊くと、真顔を笑顔に変えてこう言った。
「良かった! 面白おかしい話でもさ、拡散するとそれなりの処分を受ける事があるんだよ。
柄北さんは子供の頃だから知らないけど、『SNSに職場でバカやってる画像』を投稿して、会社に損害を与えたから『営業妨害』で解雇されて損害賠償を請求された事件、昔あったんだよ。
だから、直接投稿してなくとも、拡散したり人に言いふらしたりは絶対止めてね? 二の舞いになるよ!」
「はい。分かりました」
柄北がそう言うと、福田はニコニコしながら、昼食を頬張った。
ゆず子が掃除のために従業員トイレに行くと、柄北が居た。ゆず子はさり気なく尋ねた。
「前に言ってたサイト、誰でも投稿出来るものなの?」
「ん~。多分出来ると思いますよ? やった事無いから知らないですけど」
柄北はスマホを弄りつつ、返事した。
(福田さんにとって、『武藤さんがトイレで体調不良起こした件』は、トップシークレットなのね…。何があったんだろう)
ゆず子は記憶を遡る。武藤は福田の1年後輩で、冴えない感じの女子だった。
福田は直接の後輩だった武藤に、仕事を手取り足取り教えていた。
(丁度、武藤さんがトイレで体調不良起こしたり、仕事を辞めた時期は、別の職場にも出向してたから人づてなんだよね)
そう思いつつ隣の個室を掃除しようとしたゆず子は、ある物を発見した。
「すいませーん、女子トイレに眼鏡の忘れ物あったんですけど」
ゆず子は休憩室に行き、中に居た従業員に声をかけた。傍らのパートの主婦らが、反応した。
「眼鏡?」
「うん、丁度窓際の個室でね。窓の縁に置いてあったの」
「黒いフレーム…、西村さんのじゃない?」
「えー、あたしの老眼鏡ここだよ」
柄北がふと口を開く。
「…夜勤のパートさんのじゃないですか? 黒縁眼鏡でロングヘアの人、見た事あります」
「はあ? そんな人、居ないよ?」
反応したのは福田だ。
「夜勤の女の人に、『黒縁眼鏡でロングヘア』の人は居ないよ」
福田は夜勤もあるので、夜勤帯の人間も把握しているようだ。柄北はキョトンとした。
「そうなんですか? 早朝出勤してすぐにトイレ行くと、たまに見かけた事があったので、てっきり…」
ところが、福田はその言葉に顔色を一変させた。
「いやいや、ちょっと待って。だからそういう人、居ないって。あんた何言ってるの?」
妙な空気になったので、ゆず子は取り繕うように言った。
「まあ女の人だと、髪型変わったり眼鏡をコンタクトにしたり、色々変わるよね! 取りあえず事務所に届けてきますよ」
事務員に眼鏡を渡したゆず子が戻ると、休憩終了なのか福田と柄北の姿は無く、先のパート主婦らがひそひそ話をしていた。
「そう言えば、あの眼鏡に似てるやつかけてた子、居たよね。武藤さんだっけか? 若いのにモサッとしたデザインの眼鏡だから、覚えてたんだけど…」
「あの子、福田に苛められてたんでしょ? トイレで過呼吸起こしたんだよね」
「本当に過呼吸?『自殺未遂』じゃなく?」
(お、気になる情報がたくさん…)
数日を待たずして、『女子トイレに黒縁眼鏡をかけた元従業員の女の霊が出る』との噂が流れるようになった。
当時の様子を知る者は、『黒縁眼鏡の女には福田が関係してる』とも囁いた。
「本っ当、サイアクなんだけど!!」
トイレ掃除中に出くわした福田は荒れていた。ゆず子は言った。
「あくまで噂だもんね。私だって何年もここを掃除してるけど、遭った事無いわよ」
「それもこれも柄北の所為なんだよ。怖い話好きだか知らんけど、余計な話しやがって!」
「でも柄北さん、武藤さんを知らないよね? 黒縁眼鏡でロングヘアって特徴、何で知ってるんだろう?」
ゆず子の指摘に一瞬福田はハッとしたが、こう言った。
「おおかた、あたしの事が嫌いな古株のおばちゃんにでも聞いたんでしょ?」
「うーん。で、聞き出してわざわざ眼鏡を準備したの? 自腹で買って…?」
「じゃないの?」
ゆず子が見た限りでは、福田の『後輩への当たり』はちょっと強いが、柄北も『本気で参ってる』ようには見えない。
あくまで内情は知らないが。
「武藤さん、今どうしてるだろうね?」
「さあね、死んでないのは確かだよ。チョ~気分悪い!!」
福田は乱暴にドアを開けて、トイレの外へ出て行った。
喫煙所の掃除をしていると、林田が苦笑交じりに入って来た。
「お疲れ様です」
「お疲れさまです。参ったわぁ、たかだか怪談話でミーティングする事になっちゃったよ~」
林田は頭を掻いて、電子タバコを取り出した。ゆず子は目を丸くする。
「あらま、そこまでになっちゃったんですか?」
「うん。うちのエース女子が『不名誉だ!』って激おこでさ。放っておけばいいのに、どうしても一言申したいみたいで」
「私が聞くのもなんですが、武藤さんはいま何をしてるんでしょうね?」
「辞めた後は医療事務の学校で資格取って、総合病院に勤めてるみたいよ。誰だかが病院で会ったって聞いた」
(どっちにしろ、生きてるのに何で今になって幽霊騒ぎになるんだろう?)
林田は顔を少々しかめた。
「…福田もなあ、何度言っても『パワハラっ気』が抜けないんだよ。元々の性格もあるけど、完璧主義だし」
「仕事は出来る子ですからね。方向が変われば、伸びますよね」
ゆず子は口を添えた。
別の日。出勤したゆず子がゴミ袋をまとめていると、主婦パートタイマーの三島が話しかけてきた。
「…面白い事が起きたよ」
「え、何?」
「福田がさ、『幽霊騒動』にモノ申したいだかで、噂してた連中を集めてつるし上げたの。
柄北さんとか自分の後輩連中と、うちらパートを同席させて『今後こういう事実無根の噂はしません』って誓わせて」
「あら、そういう事あったんだね」
「でね、集まりを解散した後に、流れで『本当に霊が居るなら心霊写真が撮れるかも』とかって、柄北さんや福田と沖田さんの3人が女子トイレで写真撮ったんだよ。
そしたら…、写ったの」
ゆず子は思わず口をあんぐりさせた。
「えぇ?! 写ったって、『霊』が?」
「奥の窓際の個室に、眼鏡の女が。あたしも見せてもらったんだけど、ドアの隙間から覗くように居て…!」
「ちょっとやめてよ! 掃除出来なくなるじゃん」
三島は楽しそうに笑って続けた。
「福田がそれ見たら、腰抜かして泣き出しちゃって! 林田さんや部長も出て来て大騒ぎになった。悪いけどあいつ嫌いだから笑っちゃった!!」
「そうだったんだ…。それでどうなったの?」
「あたしは定時で上がっちゃったから、人づてで訊いたんだけど、『生霊なら、謝罪したら向こうの気が済むかも』って、武藤さんの連絡先をたまたま消さずに居た誰かのスマホで、福田が武藤さんに電話して謝罪したらしい。
いやあ、見たかったわぁ」
三島は残念そうに言いつつ、笑顔だった。
(何か、ファンタジーな話だな。事実なのに)
福田は目下の者に醜態を晒した事から、すっかりおとなしいらしい。
『苛めた後輩の幽霊』の話は事実無根なので消えても、『苛めた後輩の生霊を成仏させる為に謝罪した』話は、事実なので消えないだろう。
上層部にも広く知られる事態となり、『部下や後輩への指導態度』が会社全体で見直され改められる事となった。
『幽霊』は社内改革へ一役買ったのだ。
時は流れ翌年。新入社員の研修が始まった。
「お疲れさんです」
「お疲れさま。研修見てると、去年の自分を思い出さない?」
仕事終わりの柄北に言うと、笑って返された。
「確かに。ヒヤヒヤしますよ、今の自分『自分がされて嫌だった教え方してないかな?』って、思いますから」
あれから福田は、穏やかな口調とおおらかな仕事ぶりを心がけるようになり、不評も聞かなくなった。
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「…ああ、それなんですけど」
柄北は、ゆず子にスマホを見せてきた。
飲み会の集合写真か、20代くらいの女子6人と柄北も居る画像だが、他の女子に見覚えはない。
「これは、友達?」
「自分、高校生の頃からあるゲームが好きで、SNSで知り合った同じゲームが好きな近場在住の人達と、こうやって女子会をしてるんです。
…この人、分かります?」
ゆず子は目を凝らした。ここの従業員か?でも覚えがない。
「えー…? ごめん、誰だろう?」
「眼鏡やめてコンタクトになった、武藤莉子さんです」
(え?)
柄北は微笑んでいた。
「去年の会の時に、福田さんの愚痴を話したら、『同じ職場』だって事が偶然分かって」
「…じゃあ、前から、武藤さんを知ってたの?」
「そうなんです。
彼女が『同じ被害者を出したくない、幽霊騒ぎで懲らしめてやろう』って提案したんです。
武藤さんの眼鏡と似てるやつを置いたのは、私です。その節はすみませんでした」
「あ、うん…」
「心霊写真もね、作成アプリあるんですよ。
眼鏡かけて、俯いて自撮りした画像を予め準備してて。トイレの写真を撮って、1枚ずつ入念に確認してるフリで、画像を組み合わせる。
簡単でした」
ゆず子の背筋が、ゾッとした。柄北は笑顔のままだ。
「彼女も福田さんからの謝罪を受けたし、福田さんの態度も改善されたし、イイ事ずくめですよ。途中、どうなるかと思いましたが。
あ、これ内緒にしてて下さいね? それでは失礼します」
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しかし、クリスティーヌもまた”傲慢で我が儘”と噂される王女であった――
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