鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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枯れ尾花

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 世の中には『幽霊』という存在がある。
 だが本当の所、幽霊というものは、案外少ないのかもしれない。



「あ、福田先輩これですよ。私が見掛けたやつ」

 従業員休憩室でスマホをいじる柄北柚羽からきた ゆうは、傍らで休憩中の福田菜美ふくだ なみへ話しかけた。
 福田は興味無さそうに横目で見た後、スマホを手に取った。

「はあ? 何これ」

「事故物件サイトですよ。ここにうちの会社が載っているんです」

「ふーん…。『平成○年春頃。従業員用トイレで女性従業員急死。自殺か病死か不明だが、直前に社内でトラブルあり』。聞いた事無いよ、こんな話」

「そうなんですか? 4年前なら福田さん、居ましたよね?」

 柄北は入社して8ヶ月。4年前の事は知る由も無い。福田はむすっとして答えた。

「居たけど、そんな話聞いた事も見た事も無い。嘘情報ガセだよ」

「へえ、そうなんですか」

「おばちゃんにも聞いたら? 鳴瀬さーん!」

 急にこっちに振られたが、ゆず子はにこやかに返した。

「はーい! どうしました?」

「うちの新人が怖い話好きでさぁ。うちの工場のトイレで死んだ人、居ないよね?」

 話は聞こえていたが、一応ゆず子はスマホを確認する。

「へえ、世の中にはこういうサイトもあるのねえ」

 ゆず子が感心すると、福田はジト目で口を尖らす。

「取りあえず、死人出たかどうか教えてあげてよ」

「あら、ごめんなさい。確かに、トイレで死んだ人は居ないわよ」

「ほらぁ!」

「えー、そうなんですね」

 柄北は残念そうな顔をした。ふと気づいたゆず子はある事を口にする。

「あ、でも武藤むとうさんだっけ? 体調崩して、トイレで動けなくなった子…」

 ゆず子が言い終わらない内に、福田は険しい表情になり、睨みつけてきた。

「鳴瀬さん。それは武藤さんじゃなくて、高橋さんだったよ?」

「あら、だったかしら?」

「も~、人の名前ごっちゃになってるんだよ! じゃ、私は休憩そろそろ終わるんで行くね」

 福田は怒った目元のまま、微妙な空気の休憩室を後にした。

(あらあら。こんなじゃ、いかにも『疑ってくれ』と言ってるようなものじゃない)

 ゆず子は首を竦めた。



「鳴瀬さん。良ければこの前の話、聞いてもいいですか?」

 別の日。早番仕事上がりの柄北がこっそりやって来た。福田はまだ仕事中だ。

「トイレの話? 死んだ人が居ないのは本当だよ。その頃も毎日じゃないけど、ここに出入りしてたから」

「いいえ。『武藤さん』についてです」

(あーあ、興味持っちゃってる)

「ええとね、その頃ここに勤めてた人だね。詳しくは知らないけど、転職してよそに行って、勿論死んでませんよ?」

 ゆず子は知ってる情報を教えた。柄北は少し考える素振りを見せた。

「若い、女の人ですか?」

「そうね。福田さんの1つ下だったかな?」

「そうですか…」

 柄北はそう言うと、そのまま帰って行った。



 別の日。福田が上司である林田と、休憩室で話し込んでいる所に出くわした。

「へえ、こういうサイトにねえ」

 林田は飄々とした態度で、福田のスマホを覗いて言った。

「ガセ情報だし、運営元に連絡して消してもらわないと。ただでさえ人手不足の業界だし、求人かけても集まらなくなったら大変だと思うんです~」

(あ、上司に密告してるのね)

 ゴミをまとめつつやり取りを見ていたが、林田は福田の訴えを相手にしてない様子だ。

「求人見た人が皆コレを見るとは限らないでしょ。むしろ案外、これ見て逆に興味持って来るのが増えるなら、いいんじゃない?」

 席を立つ林田を、福田は険しい表情で見ていた。


「柄北さん」

 柄北が休憩を取っていると、にこやかに微笑む福田がやって来た。

「こないだのサイト覗いたら、ここの会社の投稿、無くなってたよ」

 その言葉を聞いて、柄北は手元のスマホで確認した。

「…本当ですね」

(あらあら。消えたらやけにご機嫌なのね…)
 ゆず子は窓を拭きつつ思った。福田は柄北に言った。

「あなたまさか、他の人にも投稿の話、してないでしょうね?」

「してませんよ」

 福田は柄北の言葉を訊くと、真顔を笑顔に変えてこう言った。

「良かった! 面白おかしい話でもさ、拡散するとそれなりの処分を受ける事があるんだよ。
柄北さんは子供の頃だから知らないけど、『SNSに職場でバカやってる画像』を投稿して、会社に損害を与えたから『営業妨害』で解雇されて損害賠償を請求された事件、昔あったんだよ。
だから、直接投稿してなくとも、拡散したり人に言いふらしたりは絶対止めてね? 二の舞いになるよ!」

「はい。分かりました」

 柄北がそう言うと、福田はニコニコしながら、昼食を頬張った。


 ゆず子が掃除のために従業員トイレに行くと、柄北が居た。ゆず子はさり気なく尋ねた。

「前に言ってたサイト、誰でも投稿出来るものなの?」

「ん~。多分出来ると思いますよ? やった事無いから知らないですけど」

 柄北はスマホを弄りつつ、返事した。

(福田さんにとって、『武藤さんがトイレで体調不良起こした件』は、トップシークレットなのね…。何があったんだろう)

 ゆず子は記憶を遡る。武藤は福田の1年後輩で、冴えない感じの女子だった。
 福田は直接の後輩だった武藤に、仕事を手取り足取り教えていた。

(丁度、武藤さんがトイレで体調不良起こしたり、仕事を辞めた時期は、別の職場にも出向してたから人づてなんだよね)

 そう思いつつ隣の個室を掃除しようとしたゆず子は、ある物を発見した。


「すいませーん、女子トイレに眼鏡の忘れ物あったんですけど」

 ゆず子は休憩室に行き、中に居た従業員に声をかけた。傍らのパートの主婦らが、反応した。

「眼鏡?」

「うん、丁度窓際の個室でね。窓の縁に置いてあったの」

「黒いフレーム…、西村さんのじゃない?」

「えー、あたしの老眼鏡ここだよ」

 柄北がふと口を開く。

「…夜勤のパートさんのじゃないですか? 黒縁眼鏡でロングヘアの人、見た事あります」

「はあ? そんな人、居ないよ?」

 反応したのは福田だ。

「夜勤の女の人に、『黒縁眼鏡でロングヘア』の人は居ないよ」

 福田は夜勤もあるので、夜勤帯の人間も把握しているようだ。柄北はキョトンとした。

「そうなんですか? 早朝出勤してすぐにトイレ行くと、たまに見かけた事があったので、てっきり…」

 ところが、福田はその言葉に顔色を一変させた。

「いやいや、ちょっと待って。だからそういう人、居ないって。あんた何言ってるの?」

 妙な空気になったので、ゆず子は取り繕うように言った。

「まあ女の人だと、髪型変わったり眼鏡をコンタクトにしたり、色々変わるよね! 取りあえず事務所に届けてきますよ」

 事務員に眼鏡を渡したゆず子が戻ると、休憩終了なのか福田と柄北の姿は無く、先のパート主婦らがひそひそ話をしていた。

「そう言えば、あの眼鏡に似てるやつかけてた子、居たよね。武藤さんだっけか? 若いのにモサッとしたデザインの眼鏡だから、覚えてたんだけど…」

「あの子、福田に苛められてたんでしょ? トイレで過呼吸起こしたんだよね」

「本当に過呼吸?『自殺未遂』じゃなく?」

(お、気になる情報がたくさん…)



 数日を待たずして、『女子トイレに黒縁眼鏡をかけた元従業員の女の霊が出る』との噂が流れるようになった。
 当時の様子を知る者は、『黒縁眼鏡の女には福田が関係してる』とも囁いた。



「本っ当、サイアクなんだけど!!」

 トイレ掃除中に出くわした福田は荒れていた。ゆず子は言った。

「あくまで噂だもんね。私だって何年もここを掃除してるけど、遭った事無いわよ」

「それもこれも柄北の所為なんだよ。怖い話好きだか知らんけど、余計な話しやがって!」

「でも柄北さん、武藤さんを知らないよね? 黒縁眼鏡でロングヘアって特徴、何で知ってるんだろう?」

 ゆず子の指摘に一瞬福田はハッとしたが、こう言った。

「おおかた、あたしの事が嫌いな古株のおばちゃんにでも聞いたんでしょ?」

「うーん。で、聞き出してわざわざ眼鏡を準備したの? 自腹で買って…?」

「じゃないの?」


 ゆず子が見た限りでは、福田の『後輩への当たり』はちょっと強いが、柄北も『本気で参ってる』ようには見えない。
 あくまで内情は知らないが。


「武藤さん、今どうしてるだろうね?」

「さあね、死んでないのは確かだよ。チョ~気分悪い!!」

 福田は乱暴にドアを開けて、トイレの外へ出て行った。



 喫煙所の掃除をしていると、林田が苦笑交じりに入って来た。

「お疲れ様です」

「お疲れさまです。参ったわぁ、たかだか怪談話でミーティングする事になっちゃったよ~」

 林田は頭を掻いて、電子タバコを取り出した。ゆず子は目を丸くする。

「あらま、そこまでになっちゃったんですか?」

「うん。うちのエース女子福田が『不名誉だ!』って激おこでさ。放っておけばいいのに、どうしても一言申したいみたいで」

「私が聞くのもなんですが、武藤さんはいま何をしてるんでしょうね?」

「辞めた後は医療事務の学校で資格取って、総合病院に勤めてるみたいよ。誰だかが病院で会ったって聞いた」

(どっちにしろ、生きてるのに何で今になって幽霊騒ぎになるんだろう?)
 
 林田は顔を少々しかめた。

「…福田もなあ、何度言っても『パワハラっ気』が抜けないんだよ。元々の性格もあるけど、完璧主義だし」

「仕事は出来る子ですからね。方向が変われば、伸びますよね」

 ゆず子は口を添えた。



 別の日。出勤したゆず子がゴミ袋をまとめていると、主婦パートタイマーの三島が話しかけてきた。

「…面白い事が起きたよ」

「え、何?」

「福田がさ、『幽霊騒動』にモノ申したいだかで、噂してた連中を集めてつるし上げたの。
柄北さんとか自分の後輩連中と、うちらパートを同席させて『今後こういう事実無根の噂はしません』って誓わせて」

「あら、そういう事あったんだね」

「でね、集まりを解散した後に、流れで『本当に霊が居るなら心霊写真が撮れるかも』とかって、柄北さんや福田と沖田さんの3人が女子トイレで写真撮ったんだよ。
そしたら…、写ったの」

 ゆず子は思わず口をあんぐりさせた。

「えぇ?! 写ったって、『霊』が?」

「奥の窓際の個室に、眼鏡の女が。あたしも見せてもらったんだけど、ドアの隙間から覗くように居て…!」

「ちょっとやめてよ! 掃除出来なくなるじゃん」

 三島は楽しそうに笑って続けた。

「福田がそれ見たら、腰抜かして泣き出しちゃって! 林田さんや部長も出て来て大騒ぎになった。悪いけどあいつ嫌いだから笑っちゃった!!」

「そうだったんだ…。それでどうなったの?」

「あたしは定時で上がっちゃったから、人づてで訊いたんだけど、『生霊なら、謝罪したら向こうの気が済むかも』って、武藤さんの連絡先をたまたま消さずに居た誰かのスマホで、福田が武藤さんに電話して謝罪したらしい。
いやあ、見たかったわぁ」

 三島は残念そうに言いつつ、笑顔だった。

(何か、ファンタジーな話だな。事実なのに)



 福田は目下の者に醜態を晒した事から、すっかりおとなしいらしい。
 『苛めた後輩の幽霊』の話は事実無根なので消えても、『苛めた後輩の生霊を成仏させる為に謝罪した』話は、事実なので消えないだろう。


 上層部にも広く知られる事態となり、『部下や後輩への指導態度』が会社全体で見直され改められる事となった。
 『幽霊』は社内改革へ一役買ったのだ。



 時は流れ翌年。新入社員の研修が始まった。

「お疲れさんです」

「お疲れさま。研修見てると、去年の自分を思い出さない?」

 仕事終わりの柄北に言うと、笑って返された。

「確かに。ヒヤヒヤしますよ、今の自分『自分がされて嫌だった教え方してないかな?』って、思いますから」


 あれから福田は、穏やかな口調とおおらかな仕事ぶりを心がけるようになり、不評も聞かなくなった。


「『先輩』も平穏になったし、幽霊も役に立つのね」

「…ああ、それなんですけど」

 柄北は、ゆず子にスマホを見せてきた。
 飲み会の集合写真か、20代くらいの女子6人と柄北も居る画像だが、他の女子に見覚えはない。

「これは、友達?」

「自分、高校生の頃からあるゲームが好きで、SNSで知り合った同じゲームが好きな近場在住の人達と、こうやって女子会をしてるんです。
…この人、分かります?」

 ゆず子は目を凝らした。ここの従業員か?でも覚えがない。

「えー…? ごめん、誰だろう?」

「眼鏡やめてコンタクトになった、武藤莉子むとう りこさんです」

(え?)

 柄北は微笑んでいた。

「去年の会の時に、福田さんの愚痴を話したら、『同じ職場』だって事が偶然分かって」

「…じゃあ、前から、武藤さんを知ってたの?」

「そうなんです。
彼女が『同じ被害者を出したくない、幽霊騒ぎで懲らしめてやろう』って提案したんです。
武藤さんの眼鏡と似てるやつを置いたのは、私です。その節はすみませんでした」

「あ、うん…」

「心霊写真もね、作成アプリあるんですよ。
眼鏡かけて、俯いて自撮りした画像サンプルを予め準備してて。トイレの写真を撮って、1枚ずつ入念に確認してるフリで、画像を組み合わせる。
簡単でした」

 ゆず子の背筋が、ゾッとした。柄北は笑顔のままだ。

「彼女も福田さんからの謝罪を受けたし、福田さんの態度も改善されたし、イイ事ずくめですよ。途中、どうなるかと思いましたが。
あ、これ内緒にしてて下さいね? それでは失礼します」


 幽霊の正体見たり枯れ尾花とは言うが、『枯れ尾花』自体が幽霊よりも怖かったのだった。

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