鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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 『自分はこうしたい』と、決心した人を止める事は難しい。身内は勿論、外野の意見など絶対に耳を貸す事は無い。

 進む道が間違っていたとしても、正しいとは言い難かったとしても、心を決めた人は止まらず進んでいく。

 その先が明るい未来であればと、祈らずにはいられない。


 ショッピングモール開店前の清掃中、ファストファッション系アパレル:ブルームースの朝礼に出くわした。
 何気なく、シャッター代わりのネットカーテン越しに中を見ると、店長と思われる男性が大きな声を上げた。

「○月○日! 天候晴れ! おはようございます!」

「おはようございます!」

 店長に続き、並んだ他の従業員が声を張り上げる。


 この手の朝礼の挨拶というのは、店舗によって実に様々である。
 オクターブを3つ上げた声を出したり、絶叫の様な馬鹿デカい声を出したり、『ウィー!』『エーッシュ!!』などと何語か分からぬ応答をしたり。

 まるで一種の宗教の儀式の様で、外部から眺めてる分には、非常に興味深いという意味で面白いのだ。


「はい! 今日から研修の新人さんが入ります。では自己紹介を!」

「はい! おはようございます! 本日からお世話になります、穂村ほむらるりです! よろしくお願いいたします!!」

 お辞儀をしたのは、あどけなさの残る若い女性だった。



「お疲れ様でーす」

 不意に声を掛けられたゆず子が見ると、そこには穂村を指導中らしい若手従業員:鐘田かねだが居た。ゆず子も笑顔で応じた。

「お疲れ様です」

「この様に、バック通路で他店舗や出入り業者の人に会ったら、必ずご挨拶をして下さい」

「分かりました。お疲れ様です!」

 穂村は深く頭を下げ、改めて挨拶をした。ゆず子は鐘田に言った。

「新人さん入ったのね。素直そうないい子じゃない?」

「そうなの。今年の3月まで高校生だったんだって。若さが眩しくて直視出来ないのよ~」

 鐘田のジョークに、穂村は恥ずかしそうに俯いた。



 しばらくした頃、店舗裏のバック通路で鐘田が、後輩の男性従業員と話しているのに出くわした。

「小嶋副店長の入院中に入る、堀川ほりかわさんてどんな人なんですか? 鐘田さんの同期なんですよね?」

「あー…、仕事はまあ出来るんだけど、ざっくり女癖サイアクなんだよ。こう言うのもアレだけど」

「へえ、同時進行アリとかですか?」

「うーん…。ちょっとここで言えないや。言えるのは、穂村ちゃんを奴は絶対狙う」

「え? 穂村さんがタイプなんですか? まあ、ピュアそうだけど…」

 後輩は怪訝そうだった。

 確かに穂村に『守ってあげたい妹』的可愛さはあるが、『女性の色気』的エロスは感じられない。
 鐘田と同世代のアラサー男子(しかも女癖サイアク?)が、進んで好むだろうか。

(ふーん。好みがロリ○ン寄りって事かしら…)

 廊下のモップ掛けをしながら、ゆず子は勝手に邪推した。



 その件の人物とは、それから2週間後に出会った。

「お疲れ様です!」

 長身、爽やか&優しそう、笑顔が超絶美しい男性従業員が、バック通路で商品を台車で運んでいた。

「お疲れ様です」

(あー、彼かな?これは思ってた以上にイケメンだぞ)

 挨拶を返しつつ、ゆず子は思った。

(この顔立ちなら、何もしなくても女の方からやって来るタイプだよね。ほほう、散々泣かしてきたって訳か)

 ゆず子は1人で納得した。



 そしてある時、決定的な場面に出くわした。

 堀川と穂村の2人が、仲睦まじい様子で店舗で出たゴミの袋を、施設内のゴミ集積場に運んでいたのだ。
 ゆず子はさり気なく観察する。

(これは…、『越えた』かな?)

 堀川はさり気ない手つきで、穂村の手の甲に付いていた糸くずを払ってあげていた。穂村も至極当然の事の様に、触れられてもノーリアクション。

 男性慣れしていない女性ならば、例え手だけでも触れられれば引っ込めるなどの反応をするだろう。

(『鈍感』だからとか『子供』だからとかでは無さそうだぞ…)

 穂村が堀川に向ける笑顔。ゆず子の長年の勘がそれを裏付けている。



 それからひと月が経つか否か。いつもの様に出勤しようとすると、従業員出入口付近にパトカーが停まっていた。

 大規模商業施設だ。万引きやトラブルで警察が出入りする事はよくある。
 そう思ってバック通路の掃除を始めて、ブルームースの裏へ来た時、ゆず子はあるものを目にした。

 ブルームースの店長と鐘田が、深刻そうな顔で警官と話していたのだ。

(あら…、この店舗が関係してるんだ…?)


 その後、ゴミ集積場で鐘田を見かけたゆず子は、声を掛けた。

「お巡りさん来てたけど、万引きでもあったの?」

「あー…、見てたんですね」

 鐘田は観念した様な表情の後、周囲を窺うと設置してある観葉植物の裏へ、ゆず子を招いた。

「女好きの同期が、女性トラブルを起こして…」

 ゆず子の脳裏に、堀川の笑顔がよぎる。

「女性トラブル?」

 鐘田は小声で話した。

「そうなんすよ。奴、元々は同系列他店舗の人で、臨時にウチに来てもらってる人間だったんですけど…。
元の店舗で『手を出されちゃった』バイトの女の子が、『既婚者のくせに未婚だって騙したな!!』って、店に来て暴れて設置物壊された~」

「うわあ…、ドラマみたいな修羅場がねえ」

 他人事ながら、そんな事あるんだとゆず子は感心した。鐘田は首を竦めた。

「まあ奥さんもね、元々は店で働いてた学生バイトちゃんで、しかもデキ婚なんだけどね」

「あら…」
(揃いも揃って若い子ばかりに手を出すのね…)

「ちょっとねぇ、今回ばかりは本社も許さないんじゃないかなあ。小さいトラブルも前からたまにあったけど、ここまで行くと『私生活のトラブル』で笑って済ませられねーさ」

「そうなんだ、大変だったわね」


 堀川には処分が下されたのか、その日を境に見かける事は無くなった。
 以来、見かけた穂村はとても元気が無く、見るからに気の毒だった。

(そりゃあね、同時進行されてておまけに既婚だなんて分かったら…。18,9の子には相当キツイよね)

 穂村もその後、辞めてしまったのか、姿を見なくなってしまった。



 その後しばらくして、ブルームースが移転する事になり、閉店作業が始まった。
 バック通路で見かけた鐘田に、ゆず子は話しかけた。

「お疲れ様です。閉店するんですね」

「お疲れ様です。うん、88号線沿いの居抜き物件にお引越し。私もそっちに行く~」

「そうなんだ。あっちのお店に行っても頑張ってね」

「はい! ありがとうございます」

 鐘田は満面の笑みの後、話を切り出した。

「あー、おばちゃん覚えてるかな? 新人さんで、ご挨拶の仕方を教えた、溢れる若さの子」

「3月まで高校生だったって子?」
(穂村の事か?)

「うん、穂村さんって言うんだけどさ。いま青森の店舗に行ったんだ」

「随分遠いお店行っちゃったのね」

「それがさ…、例の警察沙汰になった奴の子供、お腹に居るんだって」

「え」

 ゆず子は思わず声を上げた。

「奴、あの事件の後『社内の秩序を乱した』って事で青森にあるオープン予定の新店に飛ばされて、奥さんからも離婚を切り出されたんだ。
そしたら穂村さんの妊娠が分かって、『私も彼の所に行く』って決心して、異動を志願したの。も~ビックリ」

 頭の情報処理が追い付かない。鐘田は息をつくとこう話した。

「まだ協議中で離婚してないらしいけど、2人は半同棲してるみたい。穂村さん、全て覚悟の上で産んで、2人で育てたいって言ってた。
いやー、ここまで強い意志があると、誰が何と言っても訊かないだろうね。あの子、すごいわ」


 『女好き』な堀川も、穂村のひたむきな純愛に触れる事で変わってくれるだろうか。そう願わずにはいられない。

 結局、情報提供者も当人たちも遠くへ行ってしまったので、その後の消息は不明だ。

 離婚は成立し入籍をしたのか。堀川の『手癖の悪さ』は鳴りを潜めたのか、それとも変わらないままで穂村が耐え忍んでいるのか。


 ゆず子の史上最も『続報が気になる話』の1つである。

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