鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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偏食の君

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 あるショッピングモールの従業員用休憩室。

「えー、美彩ちゃんお昼そんだけ? ダイエット?」

「まさか。いつもこんな感じですよ?」

 ゆず子がその会話にふと顔を上げると、そこには若者に人気の某アパレルメーカーの女性店員2名が居た。

 依岡美彩いおか みさは、小ぶりなチョコチップマフィン2個と炭酸飲料を前に、先輩が何故そんなリアクションを取るのか分からない、と言った表情をしていた。

 店長:浅賀あさかが頭を掻く。

「最近の子って、こういう食生活なのかぁ…」

「いいえー、あたしが特殊なだけですよ」


 俗に言う『ショップ店員』は、自店の服を着こなして接客するので、食事を制限するなどして体型変化に備えている人間はよく居る様だ。

 だが、依岡の場合はまたそれと違っていた。

「そうそう、1階にハンバーガー専門店がオープンするから、従業員用にハンバーガー無料券貰ったんだけど、要らない?」

「あー…。すみません、あたしお肉食べれなくって」

「そーなんだ? ここ、フィッシュカツバーガーも美味しいよ」

「魚もダメなんです…」

「え。ちなみに何なら食べれるの?」

「お菓子とか甘いものと、果物なら何とか」

 依岡は極度の偏食だったのだ。



「…アレルギーとか、あるの?」

 今日のお昼は、100%果汁のリンゴジュースとドーナツ2個。何となく気になったゆず子は、通りすがりに依岡へ尋ねた。

「あ、多分無いかな? …本当はちゃんと食べないといけないのは、分かってるんですけどね」

 色んな人から幾度となく、偏食の事を指摘されているのだろう。依岡は俯いた。

「そうなんだ。1人暮らしなの?」

「お母さんと2人暮らし。お母さんはもう、あたしの偏食諦めてます」

「ふーん」



 別の日。浅賀が、手製のおにぎりを食べている時に通りかかったゆず子は、依岡の事を訊いた。

「あの新人さん、すごい食生活だね。瘦せてるせいか、すごく幼く見えるけど幾つなの?」

「あの子は21ですね。ほんと食生活、ヤバいよね~。お菓子と果物の他で食べれるの、フライドポテトとナッツ類と甘いパンとかクロワッサン。牛乳とか卵は、お菓子に入ってないと食べれないらしくて。
…あんなに食べなくて偏食な子、初めて見ましたよ」

「本当だね。体、大丈夫なのかしら」

 今は若いから大丈夫でも、将来が心配である。浅賀はこう言った。

「でもあの子さ、虫歯1本も無いらしいの。ああ見えて重い商品も運べるし、風邪もひかない。小学生の頃にはそういう食生活だったって言うから、身体がもう慣れてるんですかねぇ?」

 そもそも、どうしてあそこまでの偏食に至ったのだろう。



 それからしばらくして。ゆず子がしばらくぶりに依岡を見かけると、テーブルの上には野菜ジュースとツナサンドがあった。

 思わず足を止めたゆず子は、話しかけた。

「しばらくね。最近はこういうのも食べるようになったの?」

「あ、こんにちは! はい、色々あって」

 依岡は笑顔で答えた。

(心境の変化でもあったのかな?ちゃんとバランスよく食べるのは、いい事だぞ)

 と、微笑ましく思ったゆず子だったが。



「ああ、美彩ちゃん妊娠したのよ。デキ婚ね」

 何気なく浅賀に訊くと、あっけらかんと答えた。

「おめでた? あらそうだったの」

「旦那さんは食生活とやかく言わない人なんだけど、美彩ちゃん自身は『子供居るから流石に変えないと』って、考えたみたい。
野菜はとりあえず『野菜ジュース』から、タンパク質は匂いの少ないツナとか豆腐とかから、頑張って食べるようにしてますよ」

(流石の偏食家も、結婚と妊娠を経て克服へ動いたのね…)



 その後、たまたま依岡に会ったゆず子は、話しかけた。

「店長さんから聞いたよ、おめでとうございます」

「あ、どういたしまして」

「悪阻は平気なの? 無理しないようにね」

「おかげさまで。店長も他の皆さんも優しいから、毎日程々に出来てます」

 依岡はまだ膨らんでないお腹を撫でた。

「頑張って偏食直そうとしてるんだって? 偉いね」

「何か最近、食べるの楽しくって。これだったら、もっと早くからチャレンジすれば良かった~」

 依岡はお腹を撫でながら、話を続けた。

「うち、私が小6の時に離婚したんです。お父さんが職場の若い子と不倫して。相手、19歳ですよ? 娘と年の近い子を選んだんですよ~、最悪です。
反抗期だったしそれがショックで、偏食始まったんです」

「あらまぁ…」

「お父さんがね、食べるの好きな人だったから、『父親がおいしいって言ってたもの、食べたくない』って感じで。でも、今思うと食べ物に罪は無いのに、何やってんだろって」

 依岡は笑いつつ、昔話をしてくれた。

「お母さんには苦労させちゃったからね。せめてまともな食事出来るようになって、お母さんに心配させずにこの子を育てたいなあって」

「うん、出来るよ、きっと」

 ゆず子は心からのエールを送った。



 時は流れ。無事男児を出産したらしいと、風の噂をゆず子は耳にした。浅賀店長を見かけたゆず子は、それとなく聞いてみた。

「依岡さん、いま育休中なの?」

「うん。先月ベビちゃんの顔見せに来てくれたよ」

 浅賀は言いつつ、依岡とその息子と3人で撮った画像を見せてくれた。依岡はすっかり母の顔となっていた。

「わあ~! 可愛い!!」

「ね! 美彩ちゃんそっくり。…なんだけど、ちょっと心配な話聞いちゃってさぁ」

「どうしたの?」

「ベビちゃんの体調が良くないみたいで。大きい病院に行くってメール来たの」

「あら…。何でしょう」

「一応、4月に保育園入れて復帰する予定なんだ。何でもないといいんだけど」



 4月になったが、依岡が復帰する事は無かった。たまたま浅賀と会うと。

「美彩ちゃん、復帰取りやめたんだ。退職した」

「そうなの? もしかしてお子さん?」

「それがさ…、重度のアレルギー持ちらしくて」

「どういう事?」

「何かね、生後2ヶ月くらいから下痢と肌荒れが酷くなって。病院で見て貰ったら『乳アレルギー』って診断されて、『アレルギー対応粉ミルク』を使うようになったんだって。
そしたらその翌月に、呼吸困難を起こして救急搬送になったの。原因は、『小麦とピーナッツのアレルギー』」

「え? 生後3ヶ月でしょ、まさか離乳食もうあげてたの?」

 若いとは言え、そんな無茶をする子だっただろうか。だが浅賀は言った。

「違う違う。同じ部屋で旦那さんと美彩ちゃんが、ピーナッツクリームを塗ったトーストを食べてたの。
つまり、自分が口にしてなくても、同じ部屋にアレルギーの原因物質があるだけで、重い反応を起こしちゃう、そういうお子さんなんだって…!」

「えぇ…。そういう事、あるんだ」

 重度の症状が出る人も居るという事は知っていたが、そこまでとは。浅賀は続けた。

「他にもね、卵とかオレンジとかいっぱいあってね。ここらの保育園小さいとこ多いから、重度のアレルギーの子には対応が出来ないらしくて。
アレルギー反応を小さくする治療を何年かやってから、改めて働く事にするんだって」

「そっかぁ…」


 
 皮肉な事に、『食べない』彼女の元に『食べれない』息子が生まれてしまった。



 ただ、幸か不幸か彼女のSNSには、アレルギーを考慮した美味しそうな手製の料理画像が、毎日の様に投稿されている。
 食べなかった彼女は、食べれない息子の為に日々奮闘しているのだ。

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