隻腕のビスクドール

半熟紳士

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マズルカ

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 意識が覚醒する。

 目を覚ますと、そこには穴の開いた天井があった。病院でも自宅でも無い――ならば、ここはどこだろうか。

 大方、どこかの廃墟かも知れないが、廃墟で寝るという趣味は無い。

 そんなことを考えつつ、体を起こそうとしたが、ほとんど動かすことができない。

 仁は拘束されていた。専用の拘束具と言うわけではなく、鎖で義手をぐるぐる巻きにするというなんとも荒っぽいものだ。

 「うわ。血の巡り悪くなりそう」

 身をよじろうとした瞬間、微かな鈍痛を感じた。

「ぐっ……」

 瞬間、拘束する前の記憶が一気にフラッシュバックした。

 人の死体。カテゴリーI。変貌した自分の腕。そして――再び自分の前に現れた、

「何が、どうなってるんだか」

 あれが全て夢だったらどんなにいいか。

 しかしそれでは、自分が拘束されていることや、体に包帯が巻かれていることに説明が付かない。

「やっとお目覚め?」

 ぐるぐると回り始めた仁の思考を遮るように、凜とした鈴の音が聞こえてきた。

 あの声だ。仁が意識を失う前に聞こえていた声。声がした方向に目を向け――そのまま、絶句した。壁にもたれかかっていたのは隻腕の少女《かいぶつ》。

「――ビスク、ドール」

 呆然と呟く仁に、ふんと鼻を鳴らして〈ビスクドール〉は言葉を返す。

「何それ、もしかして私のこと? うっわ、センス最悪。もっとイカすコードネームにしなさいよね」

 理解が追いつかない。

 仁を見下ろしているのは、紛れもなく〈ビスクドール〉だ。

 だが、何というか、仁の記憶とかけ離れすぎちゃいないだろうか。

 そもそも、口をきくキャンサーなんて今まで聞いたことがない。

 全体的に二足歩行のものが多いが、外見はどう足掻いても怪物なキャンサーが大半だ。

 限りなく人間に近いフォルムのカテゴリーHは極めてイレギュラーな存在なのだ。

 そして今、カテゴリーHのイレギュラー性は格段に跳ね上がった。

 意思疎通まで可能なキャンサーなど、これまでのキャンサーの研究をひっくり返しかねないくらいの発見だ。

「ちょっと、何ボケーッとしてんのよ。それともなに、この世界じゃ十代後半でボケ始めるのかしら」

 なるほど、これじゃあ〈ビスクドール〉とは言えまい。

 こんなペラペラ喋る磁気人形はちょっとないだろう――というか、最早ホラーの領域である。

 自分で名付けておいてなんだが、明日RCUに出向いてコードネームの改称を申請するべきか本気で悩みそうになった。

「って、今はそんなことはどうでもいいだろ間抜け……!」

「はぁ?」

「あー、いや違う。こっちの話」

 新発見その二。

 〈ビスクドール〉のガン飛ばしは中々の迫力である。

「それで? あんたの名前は?」

「へ?」

 唐突に切り出され、目をぱちぱちと瞬かせる。

「だから、名前よ。それくらい一つや二つ持ってるもんでしょ」

「普通名前って一つしかないものだろ。て言うか、そういうはまず自分から名乗るのが常識じゃ……」

 乾いた破裂音と共に、仁の背後に銃痕が出来上がる。

「無知なあんたに常識を一つ教えてやるわ。それが通じるのは、互いの立場が対等な時のみよ」

 どうやら彼女の中では、仁の立場はかなり低いらしい。

「……草部仁だ」

「仁、草部仁……ふうん、悪くない名前ね」

 と、何故かマズルカは嬉しそうに肩を揺らした。

「私はマズルカ。マズルカ様と呼んでもいいわ」

「全力で遠慮しておく」

 進んで下僕になるほど、仁はマゾヒストではない。

「それであんた、自分の体がどうなってるか分かってる?」

 なんとなくは分からなくもない。

 義手が突然武器に変貌したこと。身体能力が飛躍的に上昇したこと。

 しかしその大本にあるのが何であるのかは、皆目見当が付かなかった。

 素直に首を振る。

「そ、なら単刀直入に言う。あんた、もう人間辞めてるわよ」

 言葉の意味が、一瞬理解できなかった。

「人間を辞めていると言うのはあれかな。スゴ技を披露した人に送られる賛辞的な奴ってことでいいんだよね?」

「そんなわけないでしょ。あんたの体はもう殆どキャンサーになっているってことよ」

 あっさりと、マズルカは言った。

「僕がキャンサー? 冗談だろ、そんなの」

 恐怖や怒りでは無く、純粋な疑問が仁の脳内を支配していた。

 それだけ、叩き付けられた事実が大きく、そして重すぎた。

「信じられない? なら、証拠を見せてやるわ」

 そう言うと、マズルカは赤く滲んだ包帯を掴み、一気に引き裂いた。

「なっ……」

 そこには、何もなかった。

 傷らしき薄い線は過労して確認できるが、これだけの血が滲んでいたのにこの傷はいささかアンバランスがすぎる。

「ここまでの修復力は、人間じゃあり得ない。もっとも、人間だったらとっくに死んでたけどね。知らなかった? あんたの折れた肋骨、肺にぶっ刺さってたのよ」

 思わず胸を押さえる。痛みもなく、順調に内蔵が機能しているのが分かる……

「……ちょっと待て。胸の傷って君がやった奴じゃないか?」

「それがどうかした?」

「申し訳無いとは」

「思わないわね」

 デスヨネー。

「これで理解できた? あんたはもう人間じゃない。私と同じ、化け物なの」

 それが仁には死刑宣告のように聞こえた。

 比喩ではあるまい。マズルカの言葉が正しいとするならば、人間としての草部仁はとっくに死んでいると言うことになるのだから。

「納得した?」

「……できると思うか?」

 いきなりそんなこと言われてすぐに納得できるのであれば、RCUへの未練なんてすっぱり切れている。

「できるできないじゃないの。あんたがどう思おうが、その体は既に人間のものではなくなってんの。こんな風に――ねっ!」

「なっ!?」

 マズルカが投擲したのは、直径三十センチはあるコンクリート片。

 こんなものに当たったらただでは済むまい。縛り付けられているために避けることも出来ない。

 反射的に左手を払った瞬間――コンクリート片は木っ端微塵に砕け散った。

「ふーん。まだスイッチは切れてないみたいね」

「いきなり何するんだよ!?」

「ちょっとしたテストよ。普通の人間だったら顔面割られて死んでるけど、今のあんたはどうかしら?」

「どうって……」

 少し手が痛むくらいしかダメージは無い。しかもコンクリートは粉砕できている。

 数時間前の自分が出来る芸当ではないのは確かだった。

「理由なんて明白でしょ。その腕を使ったんだから」

「腕……?」

 鎖で巻かれた義手に目を落とす。

「ま、少し制御できてなかったみたいだけど、自我を食われるほどでもなかった……まあ及第点ってところね。保険として鎖巻いといたけど、その様子じゃもう大丈夫みたいだし、後で外してあげるわ」

「待ってくれ。そもそもこの腕ってなんなんだ。それくらい教えてくれたっていいだろ?」

「私の腕」

「……へ?」

 ちょっと待て。なんかすっごい不穏な言葉がぶっ飛んでこなかったか、今。

「私の腕っつったのよ。半年前にあんたが吹っ飛ばした、ね」

 あの日、腕を失ったのは仁だけではなかった。

 ヤケクソ気味に撃った炸裂弾によって、マズルカもまた右腕を吹き飛ばされていた。

「……ちょっと待て。じゃあなんで君の腕はそのままなんだ?」

 腕を一本失ったとて、高い回復力を持つキャンサーにとっては特に痛手にはならないはずなのだが、彼女は依然として隻腕のままだった。

「簡単な話よ。私の腕は今、あんたの腕としてちゃんと機能している。それが異常なしと判断されたんでしょうね……まったく、本っ等にいい加減な判定だこと」

 入院中に聞かされた言葉を思い出す。本来であれば、死んでもおかしくなかった傷だったと。

 ここまで後遺症がなく完全回復したのは奇跡だと。

 生還できた理由が、キャンサーの腕の力というのならば、それは奇跡では無く必然だったことになる。

「……あの時から、人間じゃなくなっていたってことか」

「やっぱりショック? 自殺する? 死んでくれたら私の腕も治るだろうし、それはそれで構わないけど」

「……生憎と、人間のまま死にたいとか、そんな詩的な思考を持ち合わせていなくてね」

 もちろん、ショックだし恐い。キャンサーは自分から両親を奪った。

 そんな奴らと同類と言われれば、いい気分じゃない。

 はっきり言って吐きそうだ。だがそれと死にたいという感情はまるで別の問題なのである。
「ふうん、やっぱり命は惜しい?」

「当然だろ。僕のために何人もの人が死んでいるんだ。自殺なんてしてみろ、顔向けできないどころか三途の川で袋だたきだ」

「あっそ、じゃあ決まりね」

「……何が?」

「あんたがその腕を手放すつもりが無い以上、私の手伝いをしてもらうわよ」

「は!?」
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