隻腕のビスクドール

半熟紳士

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再会

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 むーっとむくれながら、ミシルはコーヒーカップを傾け――はてと首をかしげた。

「では仁君。一つ義手のテストをしましょう」

「テスト?」 

「このカップにコーヒーを入れてみてください。大丈夫、今の仁君なら出来るはずです」

「コーヒーくらい自分で淹れてください」

「遵奉精神って尊いと思いませんか?」

「今は嫌いですね」

 ちぇーっと舌打ちしながら、席から離れてとコーヒーメーカーを弄り始める。

 しばらくは会話もなくただ緩やかに時間が流れていたが、突如研究室の扉が開き、一人の少女が入ってきた。

「ミシル、〈ガガガリス〉の整備は終わったか……っと、来ていたのか、仁」

 黒く長い髪を一本に束ねた彼女の名前は、波沢渚沙《なみさわなぎさ》。

 一つ年上だが、RCU時代の同期だ。

 負傷して引退した仁と違って、今もRCU水浜支部のエースとして活躍している。

「整備は終わってますよ。次からはもうちょっと丁寧に扱って欲しいものですけどね」

「ああ、善処する」

 ちなみにこのやりとりは、凪紗がRCUに入隊して以降ずっと行われているが、未だに改善している様子はない。

 相変わらず、〈デスペラード〉の破壊数もキャンサーの討伐数もRCUトップを走り続けているらしい。

「……僕はそろそろ帰ります」

 用が済んだのであれば長居は無用だとばかりに、席を立った。

「ありゃ、もう帰っちゃうんですか?」

「僕がこれ以上ここにいたって、意味が無いでしょ。それじゃ」

 お大事にーと、ミシルの言葉を背に受け、研究室を後にする。

 学校以上に見慣れた、RCUの廊下を歩く。

 本来であれば、ドロップアウトした自分がもうここに立ち入る資格なんて無い。

 あくまで義手のメンテナンスという大義名分があれど、居心地が悪いことに変わりがないのだ。

 凪紗のような現役の隊員と出くわすと特に。

 顔見知りの隊員とすれ違う度に、心に重しが乗せられている気分だ。

 別段彼らに悪意があるわけではない。

 仁が勝手に気にして勝手に凹んでいるだけだ――ところで、

「……なんで付いてくるんだよ、ナギ」

「うん? 見送ってやろうと思っただけだぞ」

 当たり前のように仁の隣を歩いている凪紗は、きょとんと首をかしげた。

「もう子供じゃないんだぞ。一人で普通に帰れるよ」

「確かに子供ではないが、私は姉だ。姉が弟と一緒にいるのに理由がいるのか?」

「何度も言ってるけど、僕はおまえの弟じゃない」

 血が繋がっているわけでも無ければ、同じ家に引き取られた義理の兄妹というわけでもない。

 しかしまるで無関係とは言い難い。

 仁と凪紗はかつて、ミシルが運営していた孤児院で生活していた。

 その時から凪紗は、自分のことをお姉ちゃんだといってはばからなかったが、仁も仁で一度もその事実を認めたことはなかった。

「しかしおまえも人が悪いな。来るのならば来ると一つ連絡を寄越してくれればいいではないか」

「なんでナギに連絡しなきゃいけないんだよ。メンテナンスを手伝うことなんてできないだろ」

「話し相手くらいは務まるだろう?」

「職務放棄って言うんだよ、それ」

「失礼な。仕事はちゃんとしているぞ。一昨日だってキャンサーを倒したのだからな!」

 ふっふん、と得意げに胸を張る。

 それと同時に、たわわ二つな果実もお揺れになり、仁は思わず目を逸らした。

 いい加減恥じらいと言う感情を身に付けてくれと言いたいところだが、そんなことを言ったら胸を見ていたと自白しているようなものだ。

 何というジレンマだろうか。

 外に出ると、空は紅に染まり、夕飯の買い出しのためかパンパンに膨れたエコバッグを持った人がちらほら見られる。

 この街の建物は比較的新しいものが多い。

 十年以上の歴史を持つものは極めて珍しいだろう。

 この街に来た頃は、建物より瓦礫の方が多かった気がするが、時の流れというのは仁の考えているより速いものらしい。

「そう言えばさ、〈ビスクドール〉は今どうなってる?」

 ふと、気になっていたことを口にする。

「いいや、相変わらず逃げられているな。悪運が無駄に強いと見える」

 凪紗は、憎々しげに呟いた。

「そっか」

 相変わらず、仁の右腕を奪ったあの少女かいぶつは建材らしい。

「だが心配するな。奴は必ず見つけ出す。見つけ出して――私が、この手で殺す」

 ぐっと凪紗は拳を握りしめる。

 彼女が〈ビスクドール〉を目の敵にしているのは知っている。

 仮に逆の立場だったとしても、仁も同じ感情を抱いていただろう。

 しかし、それを素直に嬉しいと思えないところがるのも確かだった。

 仁が助かったのは、あくまで偶然だ。

〈ビスクドール〉がその気になっていれば、確実に死んでいたのは想像に難くない。

「でも、闘うときは絶対に一人にならない方がいいよ。あいつは、他のキャンサーとは違っていたから」

「強さがか?」

「それもそうだけど……なんだろう、存在っていうか雰囲気が桁違いって言うか規格外っていうか」

「つまり無茶苦茶すごいということだな!」

「ああ、まあ、うん」

 ざっくりしすぎているが間違ってはいない。 
 
「なに、案ずるな仁。だからと言って遅れを取るような私じゃないさ。私も半年前より確実に強くなっているしな。その代わりデスペラードが何度も壊れたが些末な問題だと思わないか?」

「……また反省文でも書かされたのか?」

「RCUはキャンサーから人々を守るための機関だぞ。デスペラードが壊れようが、人を助けられれば十分だろうに」

「ナギは極端すぎるんだよ。もう少し無理なく戦えってことだろ」

 RCUの技術班(ミシルを除く)は、凪紗のことをキャンサー以上に恐れているということを風の噂で聞いたことがあるが、あながち間違いではないようだ。

「ふむう、そう言うものか」

「そう言うものです。本当に大丈夫か……?」

 昔から、凪紗は妙に突っ走りがちな所がある。

 それが悪い方向に働かなければいいのだが――

「――っと!」

 反射的に身を引く。次の瞬間、凪紗の両腕が宙を切る。

「ぬ、避けたか」

「避けるだろ、そりゃあ」

 凪紗は今、仁に抱きつこうとしていた。

 凪紗は昔から親しい相手に抱きつく癖があったが、成長した今でもそのクセは抜けきってないらしい。

 だが体の方は容赦なく成長しているので、仁にとっては非常に心臓に悪いのだ。

 色々な意味で。

「……む? どうやらあのスーパーで卵の特売をしているらしいぞ」

「何っ!?」

 思わず振り向いた。

 一人暮らしの学生にとって、特売は神のお告げに比肩する価値を持つ。

 日常的に使う卵となれば尚更だ――

「……ん?」

 だが、いくら探してもスーパーなんてどこにもない。

「謀ったな、ナギッ!」

「とぅっ」

 視界が塞がり、むにゅんと柔らかい感触が仁の顔面を受け止めた。

「ふふっ、うれしいな。弟に心配されるというのも悪くない」

「むがががっ」

 僕は弟じゃない、と言いたいが胸に邪魔されてまともな言葉になりゃしない。

 苦しい。

 苦しいが――

「……」

 苦しさをさっ引けば、以外と悪くない。

 現役RCU隊員の凪紗と、引退した仁。

 身体能力はどうしても凪紗に軍配が上がってしまう。

 つまりどう抵抗しても抜け出すことは不可能だ。

 非常に遺憾だが、ここは一つ抵抗するのを諦めよう。ほら、息苦しさも消えて夢心地に――

 ……って死にかけてるだろそれ――! 

 あやうく本当の天国に行くところだ。

 明日の朝刊に、

『男子高校生巨乳ニ死ス』

 と言う記事が一面に載りかねない。

 なんとか力尽くで引き剥がそうとした瞬間、施設内に警報が鳴り響いた。

「……!」

 仁は反射的に腰に手を伸ばし――思いっ切り空振りした。

 当然だ。

 半年前と違って、そこには〈デスペラード〉が格納されているデバイスなどないのだから。

「――」

 視界が開け、呼吸が楽になる。

「仁、一緒にシェルターへ避難するぞ。もうすぐここは戦場になる」

 さっきまで無邪気さはなりを潜め、凪紗は完全に戦士の顔になっていた。

 先程鳴り響いた警報は、ゲートという現象が確認されたことによるものだ。

 空間が割れるという、一見荒唐無稽に見える現象が、キャンサー出現の合図となる。

 キャンサーはゲートから現れるため、人々はキャンサーがゲートから出てくるまでに避難をする必要がある。

「護衛はいいよ。それよりも早くキャンサーのところに向かった方がいいだろ」

「だが」

「大丈夫、一人で行ける」

「……分かった。無事を祈るぞ」

 凪紗はライセンスカードを取り出し、脚に巻き付けて会えるデバイスに装填した。

『IGNITION、〈ガガガリス〉』

 デバイスから放出された大量のナノマシンが体に絡み付き、主人を守るための鎧と、的を抉るための槍を形成する。

 デスペラード〈ガガガリス〉

 渚沙専用に開発されたスピード特化型のデスペラード。

 基本的に鎧と武器はセットで運用するため、両方ともこのネーミングで呼ぶ。

 〈ガガガリス〉を装着した凪紗は、仁に向かって小さく頷くと、地面を蹴り、次々と建物に飛び移っていく。

 小さくなっていく背中を見送りながら、仁は何をすることもなく呆然と立ち尽くしていた。

「……って、何やってるんだ間抜け」

 一人で逃げられるとのたまった側から、その場で硬直していたなんてとんだお笑いぐさだ。

 今やるべき事は、さっさと尻尾巻いてシェルターに逃げ込むことだけだ。

 そんなの分かっている。

 だがこの体に染みついた習性は、半年経った今でも未だに抜けきっていないらしい。

 あの場に行ったとしても、秒速で殺されるのがオチだというのに。

 悔しくはない。

 それは当然のこととして受け入れた。

  受け入れたはず、なのだが。

「ああくそっ、なんなんだよ本当に……!」

 気付けば、街から人の姿が消えていた。

 こんなのバレたら凪紗から大目玉を食らう。

 やるせない思いを抱えたまま振り向こうとして――息が止まった。

 少し離れた場所に、一人の少女が立っていた。

 白絹の髪に、白磁の肌。

 ――なんで

 ルビーを思わせる紅の瞳

 ――どうして

 美という概念をそのまま人の形に落とし込んだような少女。

 ――こんな、ところに

 少女には――右腕がなかった。

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