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欲求不満
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「欲求不満」
そう、ミシル・セリザワは言った。
ややサイズが不釣り合いなを白衣を着た姿からは一見、十代前半の少女に見える。
しかし彼女が纏う老獪な空気が、彼女が見た目相応の年齢でないことを如実に表していた。
そもそも彼女と出会ったのはかれこれ十年前のことなのだが、外見がまるで変わっていないのである。
本人は永遠の十七歳とのたまっているが、絶対に二、三週目の十七歳だろうと仁は当たりを付けている。
そんな彼女だが、ある意味人類の切り札と呼べる存在でもある。
何せ〈デスペラード〉の開発者である。
ミシルがいなければ、人類はキャンサー蹂躙されとっくに終焉を迎えていただろう。
そんな偉大なる科学者ではあるのだが、仁は今ひとつ彼女を尊敬できなかった。
この手の科学者は変人という偏見が存在するが、ミシルはその偏見を煮詰めて凝縮したような人間なのである。
なるべくお近づきになりたくない人間であることに間違いないが、仁はどうしても週に一回は彼女の元を訪れる必要があった。
それが義手の定期メンテナンスだ。
この義手は最新鋭の技術を使っているだけあって非常に高性能な逸品なのだが、定期的なメンテナンスが必要になるのだ。
放課後、彼女の研究室を訪れた仁は、メンテナンスが終わった後に件の違和感を打ち明けてみようと思ったのだが、諦めた。
なんかロクでも無い答えが返ってきそうだったからだ。
そんな訳で、当たり障り無く終わらせようと思った矢先、前述の四文字がぶっ飛んできた訳である。
「……今なんて?」
「欲求不満のカラダを持て余している?」
「なんか余計な言葉が追加されてませんかね」
「ふっ、そんなことは些末な問題ですとも」
「悩める学生がド変態になってしまうのが些末な問題ですか?」
「それで、欲求不満の団地妻の仁君ですが」
「悪化してるどころか性転換しちゃってますよね」
「何かいい響きじゃないですか? 団地妻ってエロいですよね」
「全国の団地妻さんに謝ってくださいね。それで、僕のどこが欲求不満になってるって言うんですか。少なくとも貴女よりはマシな気がするんですけどね」
「確かに最近はとんとご無沙汰ですがそれはさておき、仁君の欲求不満はエロい意味ではありませんとも」
ならなんであんな例えをしたんだと言いたかったが、ぐっとこらえた。
感情的になっても、彼女相手だと無駄なカロリーしか消費しないと、十年の付き合いで仁は学んでいる。
「今では当たり前にあったことが急に無くなると、人は形容しがたい不安を抱くものですとも。ある意味中毒症状みたいな感じですかね。オナ禁中みたいな」
相変わらず例えが最悪だった。
神は二物を与えずと言うが、最低限のモラルは与えるべきなのではなかったのだろうか。
受験勉強の時にしか信仰していなかったカミサマに石を投げたくなる仁である。
「……仮に僕に欲求不満があったとして、それは一体どんな欲求なんです?」
「他人に聞くより、自分の心に聞いた方が早くないです?」
「答えが出て来ないから聞いてるんです。それに、いつまでもはぐらかされても気持ち悪いですし」
「――闘争欲求」
淡々と、ミシルは言った。
「……なんですって?」
「闘争欲求、ですよ。それが今、仁君に燻っているものですとも」
「冗談でしょ……そんなこと、あるわけがない」
完全にアブナイ人間である。
半径五メートル以内に入ってきてほしくないタイプだろう。
「何故? むしろ、なってもおかしくないと思いますけどねえ。半年前まで、キャンサーとの戦いは仁君の日常になっていた。そうでしょう?」
「そりゃまあ……そう言う仕事ですし。じゃあ何ですか、僕が今もキャンサーとの戦いを求めてるって、そう言いたいんですか?」
「勿論ですとも!」
質の悪い冗談にも程がある。
キャンサーとの戦いの殆どは、痛みが伴うものだ。
死にかけたことだって山ほどあるし、しまいには右腕まで失うことになった。
そんなキャンサーとの戦いを、今にでも求めているとでも言うのか。
冗談じゃない。
「うーん……こんな昔話を知っていますか? かつて古代ローマには、奴隷同士を闘わせるコロッセオがありました。どちらかが死ぬまで続けるデスマッチ。連勝を重ねた奴隷は、報酬として自由の身になることができたそうです。ではここで問題です。その自由の身になった奴隷は、その後どうなったでしょうか?」
「そりゃあ……一般市民として平和に暮らしたんじゃないですか?」
「半分正解です。そしてもう半分は……再びコロッセオに戻った、ですとも!」
「バカなんですか?」
凄まじく失礼な物言いだが、そうも言いたくもなる。
なんだって、態々戻る必要もないのに死と隣り合わせの場所に戻る必要があるのかがさっぱり分からない。
「命がけと言うのは、ある意味最強の興奮状態ですからね。しかしコロッセオを出てしまったら、そのような興奮は殆ど味わうことは出来ません。争いの殆ど無い平和な生活……それに耐えられなかった者は、コロッセオに戻り、再び戦いに身を投じた、と言うわけですとも。今の仁君は、まさにその状態って訳ですとも」
「……」
「おや、顔色良くないですよ?」
「そんな話聞いて良くなるヤツがいたら是非ともお目にかかりたいですよ。あまりにも質の悪い冗談ってもんでしょうが」
「おや、ミシルの言葉が信用できませんか」
「あなたの言葉だからこそ信用しないんですよ」
十年の付き合いだと言うのに、未だに彼女は胡散臭さすぎるのだ。
「ふーん……まあ、勝手に暴れ出す可能性は低そうですし、放っておいても良さそうですね。では一つアドバイスをしましょう。今の生活に違和感を抱いていたとしても、それは決して悪いことではありませんとも。今は擦り合わせの時期ってだけで、時間が経てばそれが新しい日常になっていくものです」
「……それ、本心ですか?」
「いいえ? 一番当たり障りのないことを言いましたとも♪」
にしし、と笑って見せた。
「……そう言う所ですよ、今ひとつ信用されてないところは」
「えぇ!? 心外ですとも!」
そう、ミシル・セリザワは言った。
ややサイズが不釣り合いなを白衣を着た姿からは一見、十代前半の少女に見える。
しかし彼女が纏う老獪な空気が、彼女が見た目相応の年齢でないことを如実に表していた。
そもそも彼女と出会ったのはかれこれ十年前のことなのだが、外見がまるで変わっていないのである。
本人は永遠の十七歳とのたまっているが、絶対に二、三週目の十七歳だろうと仁は当たりを付けている。
そんな彼女だが、ある意味人類の切り札と呼べる存在でもある。
何せ〈デスペラード〉の開発者である。
ミシルがいなければ、人類はキャンサー蹂躙されとっくに終焉を迎えていただろう。
そんな偉大なる科学者ではあるのだが、仁は今ひとつ彼女を尊敬できなかった。
この手の科学者は変人という偏見が存在するが、ミシルはその偏見を煮詰めて凝縮したような人間なのである。
なるべくお近づきになりたくない人間であることに間違いないが、仁はどうしても週に一回は彼女の元を訪れる必要があった。
それが義手の定期メンテナンスだ。
この義手は最新鋭の技術を使っているだけあって非常に高性能な逸品なのだが、定期的なメンテナンスが必要になるのだ。
放課後、彼女の研究室を訪れた仁は、メンテナンスが終わった後に件の違和感を打ち明けてみようと思ったのだが、諦めた。
なんかロクでも無い答えが返ってきそうだったからだ。
そんな訳で、当たり障り無く終わらせようと思った矢先、前述の四文字がぶっ飛んできた訳である。
「……今なんて?」
「欲求不満のカラダを持て余している?」
「なんか余計な言葉が追加されてませんかね」
「ふっ、そんなことは些末な問題ですとも」
「悩める学生がド変態になってしまうのが些末な問題ですか?」
「それで、欲求不満の団地妻の仁君ですが」
「悪化してるどころか性転換しちゃってますよね」
「何かいい響きじゃないですか? 団地妻ってエロいですよね」
「全国の団地妻さんに謝ってくださいね。それで、僕のどこが欲求不満になってるって言うんですか。少なくとも貴女よりはマシな気がするんですけどね」
「確かに最近はとんとご無沙汰ですがそれはさておき、仁君の欲求不満はエロい意味ではありませんとも」
ならなんであんな例えをしたんだと言いたかったが、ぐっとこらえた。
感情的になっても、彼女相手だと無駄なカロリーしか消費しないと、十年の付き合いで仁は学んでいる。
「今では当たり前にあったことが急に無くなると、人は形容しがたい不安を抱くものですとも。ある意味中毒症状みたいな感じですかね。オナ禁中みたいな」
相変わらず例えが最悪だった。
神は二物を与えずと言うが、最低限のモラルは与えるべきなのではなかったのだろうか。
受験勉強の時にしか信仰していなかったカミサマに石を投げたくなる仁である。
「……仮に僕に欲求不満があったとして、それは一体どんな欲求なんです?」
「他人に聞くより、自分の心に聞いた方が早くないです?」
「答えが出て来ないから聞いてるんです。それに、いつまでもはぐらかされても気持ち悪いですし」
「――闘争欲求」
淡々と、ミシルは言った。
「……なんですって?」
「闘争欲求、ですよ。それが今、仁君に燻っているものですとも」
「冗談でしょ……そんなこと、あるわけがない」
完全にアブナイ人間である。
半径五メートル以内に入ってきてほしくないタイプだろう。
「何故? むしろ、なってもおかしくないと思いますけどねえ。半年前まで、キャンサーとの戦いは仁君の日常になっていた。そうでしょう?」
「そりゃまあ……そう言う仕事ですし。じゃあ何ですか、僕が今もキャンサーとの戦いを求めてるって、そう言いたいんですか?」
「勿論ですとも!」
質の悪い冗談にも程がある。
キャンサーとの戦いの殆どは、痛みが伴うものだ。
死にかけたことだって山ほどあるし、しまいには右腕まで失うことになった。
そんなキャンサーとの戦いを、今にでも求めているとでも言うのか。
冗談じゃない。
「うーん……こんな昔話を知っていますか? かつて古代ローマには、奴隷同士を闘わせるコロッセオがありました。どちらかが死ぬまで続けるデスマッチ。連勝を重ねた奴隷は、報酬として自由の身になることができたそうです。ではここで問題です。その自由の身になった奴隷は、その後どうなったでしょうか?」
「そりゃあ……一般市民として平和に暮らしたんじゃないですか?」
「半分正解です。そしてもう半分は……再びコロッセオに戻った、ですとも!」
「バカなんですか?」
凄まじく失礼な物言いだが、そうも言いたくもなる。
なんだって、態々戻る必要もないのに死と隣り合わせの場所に戻る必要があるのかがさっぱり分からない。
「命がけと言うのは、ある意味最強の興奮状態ですからね。しかしコロッセオを出てしまったら、そのような興奮は殆ど味わうことは出来ません。争いの殆ど無い平和な生活……それに耐えられなかった者は、コロッセオに戻り、再び戦いに身を投じた、と言うわけですとも。今の仁君は、まさにその状態って訳ですとも」
「……」
「おや、顔色良くないですよ?」
「そんな話聞いて良くなるヤツがいたら是非ともお目にかかりたいですよ。あまりにも質の悪い冗談ってもんでしょうが」
「おや、ミシルの言葉が信用できませんか」
「あなたの言葉だからこそ信用しないんですよ」
十年の付き合いだと言うのに、未だに彼女は胡散臭さすぎるのだ。
「ふーん……まあ、勝手に暴れ出す可能性は低そうですし、放っておいても良さそうですね。では一つアドバイスをしましょう。今の生活に違和感を抱いていたとしても、それは決して悪いことではありませんとも。今は擦り合わせの時期ってだけで、時間が経てばそれが新しい日常になっていくものです」
「……それ、本心ですか?」
「いいえ? 一番当たり障りのないことを言いましたとも♪」
にしし、と笑って見せた。
「……そう言う所ですよ、今ひとつ信用されてないところは」
「えぇ!? 心外ですとも!」
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