隻腕のビスクドール

半熟紳士

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ビスクドール

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 ドラマやアニメで芝生に寝っ転がっているのは一見、とても気持ちいいように見える。

 だが実際にやってみると、この大自然のベッドは芝がチクチクしてあんまり寝心地はよくない。

 それでも、今自分が寝っ転がっている瓦礫のベッドよりは遙かにマシだろう。

 ノイズがかかった思考で、草部仁くさかべじんはそんなことを思った。

 そんなことを悠長に考えている場合ではないことは分かっている。

 死神の鎌は少年の喉元に吸い付き、いつその命を吹っ飛ばすか分からない。

 少年の右腕は綺麗に吹き飛び、そこから命の源と言うべき血が容赦なく流れている。

 身に纏った鎧装〈デスペラード〉も大破し、装着者を守るための装甲は肉を切り裂く凶器と化していた。

 ごぽり、と生温い血が口から吐き出される。

 そんな自分を、睥睨している怪物がいた。

 それはぞっとするように美しい少女だった。

 透き通るような銀髪に陶器のように白い肌は、彼女に人間離れした美貌を引き立てる代わりに、彼女の生気を一つ残らず奪い取っているようだった。

 この少女かいぶつが、仁の体をズタズタにした張本人だった。

 キャンサーと呼ばれる存在の一種であるこの少女かいぶつと仁は戦い、こうして今死に体で地面に転がっている。
 今までのキャンサーが赤子に見えるくらい、少女かいぶつは圧倒的だった。

 こちらが手を抜いていたわけではない。

 今まで確認されていなかった純粋な人型のキャンサーの出現に狼狽しなかったと言えば嘘になるが、それで判断を間違えるほど仁は未熟ではなかった。

 純粋に、実力で負けたのである。

 彼女が手にした白亜の大砲が光を放った瞬間、全てが終わっていた。

 街並みは一瞬で瓦礫へと変わり、自分は大地に転がっていた。

 正確には痛み分けだろうと思うのは負け惜しみだろうか。

 少女かいぶつの右腕も、仁と同じように存在しなかった。

 彼女の腕を吹き飛ばしたのは、無論仁である。

 大砲が放たれるギリギリのタイミングで撃った炸裂弾が無事ヒットしたらしい。

 射撃にはちょっと自信があるのだ――もっとも、今日でその自慢とは無縁になりそうだが。

 二人とも右腕を失った。

 だがキャンサーと人間が同じ傷を負った場合、先に死ぬのは人間の方だ。

 おまけにキャンサーは再生能力も高い。

 これで痛み分けと思っていた数秒前の自分に少し呆れる。

 死ぬ。

 ああ、死ぬのか。

 ぼんやりと、そんなことを思った。

  目の前に迫ってきていると言うのに、どこか他人事のようだ。

 現実逃避と言う奴だろうか。

 思考はノイズが強まり、まともに考えることすら出来なくなっている。

 意識が肉体から離れていく感覚がしても、もがくことはできない。

 徐々に視界も黒く染まっていく中、仁の目は白い少女かいぶつから目を離すことが出来なかった――


 ――瞬間、頭部を凄まじい衝撃が襲った。

「!?」

 がばり、と顔を上げる。

「――おかしい」

 あの傷を考えれば、まともに動く事なんて不可能なはずだ――

 その思考の方がおかしいと気付いたのは、四方八方から注がれる好機の視線だった。

 視線を言語化できる機械が開発されていたならば、満場一致で「あー、やったわコイツ」であろう。

 ここは瓦礫の街ではなく、学校の教室だった。

 時計を見やるとバリバリ授業時間である。

 つまり先程の衝撃が意味するものは――

「何がおかしいんだ草部? ええ?」

 視線を上げると、そこにいたのは件の少女かいぶつではなく、額に青筋を立てた中年の数学教師であった。



「――あの体罰教師め、訴えてやる」

 後頭部をさすりながら愚痴をこぼすこ仁に、言葉が返ってくる事はない。

 さもありなん。

 今、図書室にいるのは仁一人だけ。そんな状態で相づちの声があったらホラーである。

 昼休みには、図書室にある飲食スペースで昼食を取っていることが日課になっている。

 このイレギュラーなスペースは、先代図書委員長がなんでもいいから図書室に来てくんなはれと作ったものらしいが、今は仁と彼の数少ない友人の一人である斑目千代まだらめちよの二人しか利用していない状況である。

 先代委員長は今頃予備校で泣いているだろう。

 その千代も、一昨日から病欠で学校を休んでいるので、仁は一人で食事していると言うわけである。

「でも、なんだってあんな夢を見たんだろ」

 夢というには真に迫ったあの夢は、妄想の産物という訳では無い。

 あの出来事は、半年前に本当に起こった紛れもない事実だ。

 あの時、一命を取り留めた仁はキャンサー殲滅機関RCU(Remove Cancer Unit)を辞め、今では凡庸な高校生として日々を謳歌している。

 あの少女かいぶつは未だに討伐されていない。

 キャンサーはその姿形によって様々なカテゴリーに分類されるが、彼女は世界で初めて観測された人型のキャンサー、カテゴリーH。

 コードネーム〈ビスクドール〉と名付けられた少女かいぶつは、仁との戦い以降しばし行方を眩ませていたが、二ヶ月前からその姿が確認されており、何度かRCUと戦闘になったが、決着が付く事は無く逃げられているらしい。

 パニックが発生することを考慮して、RCUはその存在を公にしていない。

 しかし一部では、都市伝説としてまことしやかに囁かれているとかいないとか。

 確かに、荒唐無稽な話ではある。

 キャンサーの姿は様々なものがあるが、限りなく人に近い姿形をしているキャンサーなんて、見ていない人間にとっては、質の悪い冗談しか聞こえまい。

 だが、あれは夢や幻なんかではなかったと、仁は胸を張って言える。

 それだけ、〈ビスクドール〉の姿は鮮烈だった。

 あの人間離れした美貌を忘れろと言う方が無理がある。

 完全に忘れるには、それこそ頭部を思いっ切りぶん殴るしかあるまい。

 もっとも、丸めた教科書など問題外だが。

「……いや、何を考えているんだ間抜け」

 どんな姿をしてようが、アレはキャンサーだ。

 放っておけば街を破壊し、多くの人の命を奪う怪物だ。

 それを未然に防ぐために、仁は引き金を引いた。

 そのことに後悔はない。

 小さな違和感が脳裏をかすめたが、ないったらないのである。

 その結果、街は最低限の被害で済んだ。

 結果として腕を一本失うことになったが、今はこれと言って不便があるわけではない。

 それはすべて義手の恩恵だ。

 死の淵からなんとか帰還し目を覚ました時には、既にこの黒い義手が付いていた。

 自由に動かすにはそれなりに慣れが必要だったが、半年たった今ではそれこそ手足のように動かすことが出来る。 

  キャンサーの被害によって義手や義足の需要は増えたものの、人々にとってはそれらはなじみの薄いものであることに変わりが無い。

 仁も好奇の目にさらされたことは二度や三度のことではない。

   夏服に切り替わったこの時期は特にそうだ。

 半袖になるために隠しようがないのである。
 
 日常生活をつつがなく送れているのも義手のお陰だが、人を遠ざけているのもこの義手のせいだった――というのは、言い過ぎだろうか。

 もっとも、義手云々に構わず近づいてきてくれた人間もそれなりにいたのだが。

 弁当を食べ終え、千代から借りている本を読み始める。

 ツインテールを愛する男子高校生がツインテールの幼女に変身して戦うという、随分とぶっ飛んだ作品だが、中々に面白い。

 読書は、RCUを辞めて自由時間が増えた仁の、新しい趣味であった。

 日常的に図書室を利用している仁だが、ここの本を借りた事は一度も無かった。

 やがて昼休み終了のチャイムが鳴り、仁は教室に向かった。

 その途中で、廊下に貼ってある一枚のポスターが目に入った。

 〈デスペラード〉を身に纏った美少女のイラストの下に、『RCU隊員募集!』と書かれている。

 RCUは常に人材不足なので、広報に余念が無いのは今に始まったことではないが、残念ながらイラストにあるような美少女は極めて少ない。

 もっとも、まるでいない訳ではないが――

 そんなことを考えながら、義手に視線を落とす。

「……違う」

 ぽろりと、そんな言葉がこぼれ落ちた。

 何が違うのだろう。今の日常に不満はない。

 キャンサーとの戦闘の度に死と隣り合わせになることは無いし、新しい趣味はできたし、友人も少ないがいる。

 平凡で充実した学生生活だ。

 その日々を躊躇いなく捨てられるかと言われれば、断じてノーと言える。

 だがそれと同時に、何かが足りないと思ってしまっている。

 かつてあったのに、今の生活では絶対に得られないモノ。

 深く考えようとするほど、霧がかかって前に進めない。

 そんな違和感につきまとわれながら、仁は日々を生きていた。
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エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

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