3 / 12
3
しおりを挟む
五月に入り、少しずつ気温も高くなり始めた頃。突然、本家の長兄から電報が届いた。電報といっても我が家に仕える眷属が届けてくれたもので、途中で誰かに読まれる心配のないものだ。
おみを置いて本家に向かうのは、少し不安でもあった。数日とはいえ山を離れるなんてここう数年一度もなかったのだ。私か山を離れられないことを知っているため、こんなふうに呼び出されることは考慮してもらっていたはずなのに。
「一体どうしたというのですか。兄上」
目の前に座る長兄、修一は私の質問に対してちらりと視線をよこすのみ。その仕草が父にそっくりだと思った。母親似の私と違い、父と瓜二つの長兄は黙っていても威圧感がある。
かつて、氏子や巫女から話しかけにくいと相談されたことがある。ああ見えて優しい人ですよ、と言ってはおいたが、滅多なことでは笑いもしないため、あまり信じてもらえない。
その長兄がいつもの何倍にも増して険しい顔をしている。これはなにかあったのかもしれない。
「先日、政府から通達が来た」
「はぁ」
「この戦争もかなり危ないようだ。藁にも縋りたいのだろう」
「兄上、回りくどい言い方はおやめください。らしくもない」
単刀直入な話し方しかしなかった長兄が、やけに口ごもっている。しかし、もう長い付き合いだ。おまけに血の繋がった兄弟でもある。
彼が何を言いたいのか、なんとなくだがわかってしまった。
「おみを利用するのですか」
「そう、なるかもしれん」
「まさか! それは決して許してはいけない!」
「わかっている! だが事態はかなり緊迫しているのだ。おみ様を差し出せないのであれば別のものを要求するかもしれん」
「別のもの?」
おみを二度と政府に利用させない。戦いに巻き込まない。あの子にはただ美しいものだけを見ていて欲しい。
そう願ってあの山に連れていったのだ。長兄もそれはわかっているのだろう。だが、別のものというのが気にかかる。
「それは一体」
「……神風」
「な……っ!?」
長兄が零したその小さな呟きに言葉を失った。
神風、まさか、そんな。
どうして今になって。
「神風を、起こせと言われた。室生の力を使って」
「出来るわけがない! 文永も弘安も偶然です!」
「その偶然ですら願っているのだ」
「馬鹿な……」
まさかここまで話が大きくなっていたとは。想像以上だった。そして神風。蒙古襲来の時に起きたと言われる暴風雨。確かにあの頃のおみはまだ生まれたばかりで、今以上に泣いていただろう。
だが、蒙古襲来の際に吹いた風とは関係ない。そこまでおみに力を制御することは出来なかったはずだ。一体どこから話が洩れてしまったんだろう。
「何にしても、おみは渡せません」
「お前はそう言うと思っていた」
「……申し訳ありません。しかしこれだけは譲れないのです」
思い返してみれば、おみは私よりもたくさんの戦争を見てきた。人が人を殺す、あまりにも愚かな行為を見続けてきたのだ。
今もそう。いくら私と坂口が結界を張っていたとしても戦闘機が上空を飛ぶのは見えてしまう。その度に悲しそうな顔をするおみを、私はこれ以上見たくはないのだ。
「今回はまだ見逃してもらえるだろう。しかしこれ以上戦況が悪くなれば、もしかしたら」
「……そうならないよう、祈っております」
「私もだよ。今日は会えてよかった、修三」
「はい、兄上」
早く山に帰りたい。おみに会いたい。今頃、坂口の家で畑仕事を手伝っているのだろうか。それとも日向ぼっこをしているだろうか。
ぎゅっと目を閉じる。瞼の裏には、おみの笑顔が浮かんでいた。その眩しさにじわりと涙が滲んでいた。
おみを置いて本家に向かうのは、少し不安でもあった。数日とはいえ山を離れるなんてここう数年一度もなかったのだ。私か山を離れられないことを知っているため、こんなふうに呼び出されることは考慮してもらっていたはずなのに。
「一体どうしたというのですか。兄上」
目の前に座る長兄、修一は私の質問に対してちらりと視線をよこすのみ。その仕草が父にそっくりだと思った。母親似の私と違い、父と瓜二つの長兄は黙っていても威圧感がある。
かつて、氏子や巫女から話しかけにくいと相談されたことがある。ああ見えて優しい人ですよ、と言ってはおいたが、滅多なことでは笑いもしないため、あまり信じてもらえない。
その長兄がいつもの何倍にも増して険しい顔をしている。これはなにかあったのかもしれない。
「先日、政府から通達が来た」
「はぁ」
「この戦争もかなり危ないようだ。藁にも縋りたいのだろう」
「兄上、回りくどい言い方はおやめください。らしくもない」
単刀直入な話し方しかしなかった長兄が、やけに口ごもっている。しかし、もう長い付き合いだ。おまけに血の繋がった兄弟でもある。
彼が何を言いたいのか、なんとなくだがわかってしまった。
「おみを利用するのですか」
「そう、なるかもしれん」
「まさか! それは決して許してはいけない!」
「わかっている! だが事態はかなり緊迫しているのだ。おみ様を差し出せないのであれば別のものを要求するかもしれん」
「別のもの?」
おみを二度と政府に利用させない。戦いに巻き込まない。あの子にはただ美しいものだけを見ていて欲しい。
そう願ってあの山に連れていったのだ。長兄もそれはわかっているのだろう。だが、別のものというのが気にかかる。
「それは一体」
「……神風」
「な……っ!?」
長兄が零したその小さな呟きに言葉を失った。
神風、まさか、そんな。
どうして今になって。
「神風を、起こせと言われた。室生の力を使って」
「出来るわけがない! 文永も弘安も偶然です!」
「その偶然ですら願っているのだ」
「馬鹿な……」
まさかここまで話が大きくなっていたとは。想像以上だった。そして神風。蒙古襲来の時に起きたと言われる暴風雨。確かにあの頃のおみはまだ生まれたばかりで、今以上に泣いていただろう。
だが、蒙古襲来の際に吹いた風とは関係ない。そこまでおみに力を制御することは出来なかったはずだ。一体どこから話が洩れてしまったんだろう。
「何にしても、おみは渡せません」
「お前はそう言うと思っていた」
「……申し訳ありません。しかしこれだけは譲れないのです」
思い返してみれば、おみは私よりもたくさんの戦争を見てきた。人が人を殺す、あまりにも愚かな行為を見続けてきたのだ。
今もそう。いくら私と坂口が結界を張っていたとしても戦闘機が上空を飛ぶのは見えてしまう。その度に悲しそうな顔をするおみを、私はこれ以上見たくはないのだ。
「今回はまだ見逃してもらえるだろう。しかしこれ以上戦況が悪くなれば、もしかしたら」
「……そうならないよう、祈っております」
「私もだよ。今日は会えてよかった、修三」
「はい、兄上」
早く山に帰りたい。おみに会いたい。今頃、坂口の家で畑仕事を手伝っているのだろうか。それとも日向ぼっこをしているだろうか。
ぎゅっと目を閉じる。瞼の裏には、おみの笑顔が浮かんでいた。その眩しさにじわりと涙が滲んでいた。
11
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】捨ててください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。
でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。
分かっている。
貴方は私の事を愛していない。
私は貴方の側にいるだけで良かったのに。
貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。
もういいの。
ありがとう貴方。
もう私の事は、、、
捨ててください。
続編投稿しました。
初回完結6月25日
第2回目完結7月18日
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
君の残したミステリ
ふるは ゆう
キャラ文芸
〇〇のアヤが死んだ、突然の事ではなかった。以前から入退院を繰り返していて……から始まる六つの短編です。ミステリと言うよりは、それぞれのアヤとの関係性を楽しんでください。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる