このたび、小さな龍神様のお世話係になりました

一花みえる

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1巻

1-2

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「へんなの」
「そうかな」
「うーん……たぶん」

 おみはこうして、俺が怒らないか不安そうに尋ねてくることがある。泣いた時やいたずらをしたあとが特に多い。
 それまで天真爛漫てんしんらんまんに笑っていたおみが、突然しょんぼりした顔をするのには理由がある。
 俺がおみの保護役になる前。
 先代の保護役だった俺の曽祖父と離れ離れになったあと、保護役に適した人間が現れず、おみはやむなく八十年近く本家で育てられていた。その間は龍神様としてあるべき姿を求められ、やるべきことを淡々と行ってきた、と聞いている。
 必要な時に雨を降らせ、そうでない時は決して泣かないように我慢させられた。我慢できずに泣いてしまうと、本家の人から「それは今必要な涙ですか?」と言われたそうだ。
 おみとしては、感情のまま泣いたから必要かどうかなんて理解できない。しかし、周囲が求めるのは龍神としてのおみだ。
 本家では子供らしく遊んだりいたずらをしたり、時にはわがままを言ったりなどはできなかったのだろう。外を走り回ることもできるはずはなく、つまみ食いなんてもってのほか。
 求められれば雨を降らす。雨をつかさどる龍神の正しい姿だが、まだまだ子供のおみには窮屈だったんだろう。
 そんな環境から離れ今までの縛りがなくなったとはいえ、求められた龍神の姿から離れたことをするたびに不安になるのだろう。俺を見ては不安そうに尋ねてくるのだった。
 とはいえ、おみは人間を知ることで育つ。このまま本家にいたところで人間を知ることはできない。
 そんな時、俺が八十年振りに保護役に適性のある人間だとわかり、保護役に選ばれ、おみと一緒にここで暮らすことになった。
 それが今から一ヶ月前。最初は大人しくしていたおみに、徐々に年相応の振る舞いが見られるようになったことは喜ばしい。時々、幼すぎるが。

「ほら、素麺そうめんを洗ってくれ。そしたらご飯を食べよう」
「うぃ!」

 おみが、トマトまみれの顔でニコニコ笑う。
 いつの間にか窓の外では雨が上がり、トマトと同じ色の夕日が山の向こうに沈もうとしていた。


 その後、間違えてワサビを食べてしまったおみが大泣きしたことで局地的な大雨が降ったが、「畑のトマトがますます成長していたから、明日もまた食べよう」と約束してなんとか泣き止ませることに成功した。
 半べそをかきながらトマトを食べるおみの頬は、同じくらい真っ赤になっていた。


    *


 そんな、食いしん坊で泣き虫なおみと過ごす日々は、大変ながらも平和に過ぎていく。おみが毎日泣くおかげでこのあたりは水不足とはほど遠く、庭の植物もすくすく育っている。
 まだ涼しい朝のうちに畑仕事をする。おみはこのお山でれた野菜を食べることで、効率的に霊力をたくわえることができる。俺も同じものを食べているのは、単純にそのほうが食事の用意が楽だからだ。
 そうこうしているとあっという間にお昼になり、ご飯を食べたら俺は書店の仕事に取り掛かる。
 室生書房はぼちぼち繁盛していて、昼間はそちらの仕事にかかりきりになっている。
 玄関の近くにある風通しのいい納戸なんどを書庫にして、おみがもう読まなくなった絵本をずらりと並べる。一冊ずつ写真を撮って、あらすじと一緒にホームページに載せておくと、買いたいと思った人が連絡をしてくれるのだ。
 俺はおみの世話があるからこのお山から離れられないし、このお山には特殊な結界が張ってあるため、俺や室生家の人間以外は入ってこられない。定期的に本家の人が食材を届けてくれるので、そのタイミングで梱包した絵本をまとめて渡し、代わりに発送してもらっている。
 そもそも、本家から定期的に大量の絵本が送られてくるのが、事の発端だ。
 絵本が次から次へと届いては溜まっていき、二人暮らしにしては大きすぎる屋敷にもかかわらず圧迫され始めていたのだ。放っておいても消えてくれないし、おみが読まなくなった本は放置されるのみ。
 ネット書店はそんな絵本の定期処分にぴったりだった。
 本家から衣食住の全てを与えられているからお金は必要ないけれど、変化のある日々というのは生活の潤いになる。
 ちなみに稼いだお金は全て貯金している。いつか、おみと一緒に旅行ができるようになったら使おうと思って貯めているのだ。果たして、それがいつになるのかはわからないが。
 書房の作業をしている間、おみは本家から送られてきた新しい絵本を読んで過ごすことになる。
 言葉にしてみると、とても平凡で穏やかな日々。
 だが実際は慌ただしいことこの上ない。

「りょーた……あつい……」
「夏だからなぁ」
「あついー……」

 八月の暑さも盛りの盛り。朝から気温が高く蝉の声も響き渡っている。居間はエアコンがついているけれど、強い日差しのせいでじわじわと汗がにじんでくる。
 お山は標高が高く一般人は入れないため、人口密度もスカスカなほど低い。だからふもとの街より随分と涼しく感じる。ただ今日は、そうであったとしても、かなり暑かった。
 暑さに弱いおみは、ここ数日ずっとうにゃうにゃ言いながらぐでっと溶けていた。自慢の尻尾しっぽはぺしゃりと垂れ下がり、少しでも涼しいところを探すためにウロウロ家の中をさまよい歩いている。そんなに動き回ると逆に暑いんじゃないのか、と思わなくもないが、好きにさせていた。
 会話の相手をしてやりたいが、俺も書房のやらなくちゃいけないことがあるので、適当に返してやりながら手を動かし続けた。
 いつもは書庫で仕事をしているけれど、今日のようにかなり暑い日はとてもじゃないが作業はできない。
 元々は納戸なんどだった書庫はエアコンを設置するにはやや狭い。古い扇風機しかない書庫は、いくら風通しがいいとはいっても、長時間作業していれば熱中症になってしまう。
 だから今日は、エアコンのある居間で仕事をしていた。注文が入っていた絵本を梱包し、段ボールに詰めていく。しかし外気温が高すぎるのか、エアコンをつけていても暑い。

「おみ、自分の上にだけ雨雲出せないのか」
「うー……できない……」
「そっか」
「できないから、りょーたのとこでしゅぎょーしてる」
「なるほど……」

 たしかに、そんな器用なことができたら泣いただけで大雨が降ったりしないだろう。そんな、未熟で幼い龍神様は、何を思ったか俺の膝に乗ってきた。絶対に暑いだろ。何を考えているんだ。
 おみの体はいつも以上に熱を帯びていた。触れたところからじんわりと体温が伝わってくる。うう、熱い……

「りょーた、あせかいてる」
「暑いからな」
「うにぃ……」
「お前が乗ってるから、もっと暑い」
「むむ」

 暑い暑いと言うくせに膝から退こうとしない。これはもう、暑いせいで駄々をねているだけだな。うんうん、わかるよ。俺も小さい頃そうだった。
 少しでもなだめられるかと思い、あごの下をくすぐってやる。それだけで嬉しそうに笑う、単純なやつだ。
 しかし、どうしたものか。人である俺はこの暑さにまだ耐えられるが、おみは人じゃない。これで体調を崩そうものなら、大変なことになる。どうにか涼しくしてやれないだろうか。うーん……

「あ、そうだ」
「んぁ?」
「たしか物置にあったはず……おみ、ちょっと待ってて」
「うぃ!」

 いつもだったら、なるべく動きたくないと思うのに。おみのためなら何かしてやりたい。どうにかして喜んでもらいたい。
 これが親心ってやつなんだろうか。二十六になって、結婚もしていないのに、初めて知った。なんだかおかしくなって、首を傾げた。


「ふあぁ……きもちい……」
「まるで温泉だな」
「おんせん?」
「そう。極楽極楽、ってさ」

 物置から引っ張り出してきたのは、古いビニールプールだった。必死こいて膨らませ家の前に置き、冷たい水をたっぷり入れてやる。
 近くの川まで連れていきたかったけれど、それまでの道中で暑さにやられてしまうかもしれない。それなら苦労してでも家で済ませたほうが安全だろう。
 さすがにおみ用の水着はなかったから修行で使っている行衣ぎょういを着せた。これは、毎朝滝のある小川に行って霊力をたくわえる修行をする時に着ているものだ。野菜を食べて内側から霊力を取り込み、滝に打たれることで外側から霊力を浴びることがおみの修行である。
 ビニールプールで遊ぶのは修行と勝手が違うだろうが、気にしている様子はない。
 俺は玄関の横に置いている木で作られたベンチに座って、団扇うちわで暑さをしのぐことにする。

「ぱちゃぱちゃ」

 おみは両手で水面を叩き、キラキラ光る水飛沫しぶきを見てはニコニコと笑っている。こんなことならおもちゃでも用意しておけばよかった。

「アヒルとか浮かべても楽しそうだな」
「あひるしゃ」

 それじゃあ本当に風呂か、と自分で自分に突っ込む。

「おみ、これすき!」
「よかった。プールから上がったらアイス食べような」
「やったー!」 

 おみが両手を上げた途端、空に浮かんでいた雲がどこかに流れて行った。強い太陽の光が差す。
 わかりやすいやつ。

「おーう、室生のぼん、風流だねぇ」
「あ、坂口さん」

 声が聞こえてきてそちらを見ると、着流しに団扇うちわ、横で結んだ長い髪にカンカン帽、という風流な身なりの男性が遠くに見えた。杖をつく姿から、それが近くに住む坂口さんだということがすぐにわかった。というか、このお山に住んでいるのは俺たちと坂口さんだけだ。それに、俺をああやって呼ぶのも坂口さんだけ。
 話によると俺の曽祖父の古い友人らしい。だからか、俺が保護役を引き継いだ時から何かと気にかけてくれている。いつも笑っていて気のいいおじさんだが、時々おみをからかって楽しんでいる。
 坂口さんはビニールプールに目を向けて、楽しそうなおみを見て今日もくしゃりと笑いながら話しかけた。

「おみ坊も楽しそうだなぁ、気持ちいいかい?」
「きもちー! さかぐちはおさんぽ?」
「おう。あと、差し入れだ」
「さしーれ?」

 どこから出したか、坂口さんは大きな風呂敷を手渡してきた。
 中を見ると、日本酒の一升瓶と、大きなちくわが詰められたタッパーが入っている。日本酒は島根の地酒のようだ。ということは、このちくわはあご野焼きかな。
 あご野焼きというのはトビウオのすり身を焼き上げたもので、『あごが落ちるほどおいしい』という名前の由来通り、かじるとトビウオの旨みがぎゅっと染み出してくる。地酒を使った味付けが風味をまた格段によくしていて、これをつまみに冷えた日本酒を呑むと最高だ。
 坂口さんは時々こうやってお酒とつまみを持って来てくれる。ほとんどが島根の名産なのは、彼の実家から送られて来ているからだ。
 そして、こういう時は大抵「今夜一杯どうだい?」という意味が込められている。

「すみません、いつもいつも」
「いいってことよ。早く冷蔵庫に入れてきな。おみ坊はオレが見といてやるから」
「さかぐちーあそぼー」
「はいはい」

 とりあえず、おみの面倒は坂口さんに任せるとして。俺は急いで冷蔵庫に向かった。暑さでぬるくなると、あご野焼きが悪くなってしまう。
 そうだ、せっかくだから夕飯も一緒に食べるかな。
 いつもおみと二人だけど、人が増えると賑やかになるから、食卓が楽しくなる。おみは人見知りな性格だけど、坂口さんには懐いているから一緒にご飯を食べるとわかったらきっと喜ぶだろう。それだったら献立も考えてしまおう。
 あご野焼きと日本酒を冷蔵庫に仕舞うついでに、食材を確認する。ほうれん草と豆腐があった。それなら、ほうれん草のおひたしと冷奴に決まりだな。日本酒にもピッタリだ。
 思わず頬が緩むのを感じながら、俺は冷蔵庫の扉を閉めた。
 おみとの生活はわからないことばかりだし、おみの世話をするのは俺一人だけど、孤独じゃないのはこうやって支えてくれる人がいるからだ。
 人というか……神様、だけど。
 いつもニコニコ笑っていて、お魚が大好きな神様。
 坂口さんは恵比寿様だ。なぜ先代が恵比寿様なんていう超有名な神様と仲良しだったのか、そもそもどうして恵比寿様がお山に住んでいるのか。知らないことはたくさんあるが、あまり気にしないでくれと言われたので気にしないようにしている。
 ここでは小さなことを気にしていたら負けなのだ。

「坂口さん、おみ、お待たせしました……って、なんですか、それ」
「りょーた! みて! おおきい!」

 晩ご飯の下ごしらえを簡単に終わらせて外に戻ると、プールには銀色の毛玉と、同じくらいの大きさをした立派な西瓜すいかが浮かんでいた。だから一体どこから出したんだ。

「最近あっついだろう? 少しでも涼しくなるようにって、おみ坊にな」
「さかぐちやさしー」
「だろう? まあ、最近このあたりじゃ雨が多くてよく育たねぇんだけどな」
「んにゅ」

 おみがちょっとだけ唇を歪めた。眉毛も八の字になっている。思い当たることがあるんだろう。ちなみに最近の多雨は完全にこの毛玉のせいです。昨日の夕方に降った雨も、この毛玉がテーブルで足を打った時に泣いたせいです。

「また良いのがれたら持ってきてやるよ。修行、頑張れよ」
「さかぐちもがんばれよ」
「何をだよ。じゃな、ぼん。また夜に来るよ」

 カランコロンと下駄を鳴らしながら、坂口さんは手を振って帰っていく。
 遠ざかっていく背中に「晩ご飯もぜひ!」と言ってみると、「当然」と言わんばかりに帽子を振られた。いちいち格好いいな、あの人。
 そんな坂口さんにぷらぷら手を振るおみは、少し浮かない顔をしていた。
 ちくり、と頭が痛くなる、やれやれ。お前は本当に隠し事が下手くそだな。

「りょーた、おみ、めーわくかけてる?」
「坂口さんに?」
「うん……すいか、そだたないって」

 俯くおみの、濡れてぺしょんとなった髪を撫でる。

「そんなこともある。おみが泣いても泣かなくても、西瓜すいかが育ちにくい時はあるよ」
「でも、おみがちゃんとできたら……」


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