上 下
190 / 276
穀雨 【4月長編】

10

しおりを挟む
 海鈴が我が家を訪れて、もうすぐ二週間が経つ。修行の経過は決して悪くはないが、良いとも言えない。調子がいい時は大型犬くらいまでは大きくなれるが、基本は柴犬サイズだ。どんなに頑張っても人を乗せるほどの大きさにはなれない。
 最初は前向きだった海鈴もここにきて焦り始めたのか、朝だけではなく昼も修行をしたいと言い始めた。しかし。
「それは無理だ」
「なんでっすか!」
 キャンキャン吠え立てる海鈴におやつの苺をあげながら説明する。おみは隣でたっぷり練乳をかけながら頬張っていた。おい、師匠だろ。もう少し話を聞いてあげろよ。
「まず、川での修行は長時間しても意味がない。集中力や霊力が枯渇する。そんな状況でいくら川に入っても意味がない

「ぐぬぬ……」
「それに、一番大切なのは昼間の行動だ。土に触れることでこの地に流れる霊力を蓄えることができる。だから無闇に川へ行くよりも畑仕事をする方が効率的だ」
「むぅ」
 苺を食べつつ、それでも唸ることは忘れない。
 理屈は分かっているんだろう。どんなにわがままを言っても意味がないってことも、頭では理解しているんだろう。でも、気持ちはついて来ていない。焦りが先走って「何かしなくては」と思っているんだろう。とはいえ俺がしてやれることはそう多くない。なんたって俺はただの人間で、霊力を使って体を大きくしたり、姿形を変えることはできない。
 そうなると、助言できるのはおみしか残っていない。
「んー、かいちゃ、あのね」
「ししょー……」
 お腹いっぱい苺を食べてホクホクしたおみが、ようやく口を開いた。口の端に苺の欠片が付いているせいで何を言っても間抜けに見えてしまいそうだが。
 それでも海鈴は藁にも縋る思いでおみを見つめていた。
「かいちゃ、なんでおっきくなりたいの?」
「決まってるっす! おいち様を背中に乗せて、お空を飛ぶんす!」
「えーじゃあかんたんだよ、すぐにおっきくなれるよ」
「えぇー?」
 そんな風に、簡単に言ってのけたおみは食後のお茶を飲み始めた。焦らすなぁ、師匠よ。
「りょーた、ちょっとだけ川に行ってもいい?」
「いいけど」
「たぶんね、かいちゃ、おっきくなれるよ」
 どうしてそんな風に断言できるんだろう。何か考えがあるんだろうか。とりあえずおみの言う通り、川へ向かうことにする。半信半疑の俺と海鈴をよそ目に、おみは鼻歌まじりに出かける用意を始めた。


「川に来たっすけど……どうしたらいいんすか?」
「おみね、ずっと言われてきたの。だれのためにしゅぎょーするのか、わすれちゃだめだよって」
「誰のため……海鈴の場合、おいちさんか」
「そー!」
 数時間前に訪れた川に再びやってきて、禊をしたあと川へと入っていく。念の為、結界を張って俺も待機する。あとはもう見守るだけだ。
「かいちゃ、いーしゃんをせなかにのせたいんでしょ?」
「そっす」
「じゃあ、それを忘れないで」
「……っす」
 誰のためか。それを忘れないで。
 それは確かに、おみには必要なことだ。人の願いから生まれたおみは、人のために生きる。だからおみが修行をするのは人のためでないといけない。それを忘れてしまうとかつて大きなおみが言っていた通り「指先一つで世界を滅ぼす」ことになる。
 溜まった霊力が本当の力を発揮するのは、まさしくその「誰か」のために強い思いを持った時だ。
 だから、おみは「簡単だ」と言ったのだろう。海鈴はそれがはっきりしている。
「じゃ、いくっす!」
「おー!」
「んー!」
 一際大きく唸った海鈴が、白銀色に輝き始めた。その影が大きくなっていく。それは柴犬とか大型犬とか比ではなく、空に届くまで膨らんでいった。
「おおー! かいちゃ、おっきー!」
「す、すごいな」
「きゃおーん!」
 相変わらず鳴き声は可愛らしいままだが、俺たちの前には立派な毛並みをした、真っ白の「霊犬」が現れていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【泣き虫龍神様】干天の慈雨

一花みえる
キャラ文芸
雨乞いのため生贄にされた柚希は、龍神様のいるという山奥へと向かう。そこで出会ったのは、「おみ」と名乗る不思議な子供だった。 泣き虫龍神様の番外編です!

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。