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穀雨 【4月長編】

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「とーちゃーく!」
「わー!」
 辿り着いたのは、我が室生家に代々伝わる由緒正しい修行の滝。ではあるが、おみと海鈴の前だとなぜか楽しげな川遊びに見えてしまう。一応ここは清く正しい場所のはずなんだけど。おかしいな。
 とにかく、早く今日の修行を終わらせてしまおう。あまり長居する場所でもない。
 まずは身を清めるために、近くの水場で禊を行う。修行着のおみが「こっちだよー」と海鈴を連れて水場に入っていく。俺は少し離れたところで香を焚いて、準備が整うまで待つことにする。
「ピャー! 水は嫌っす!」
「しゅぎょーだよ、かいちゃ!」
「きゃーん!」
 どうやら海鈴は普通の犬と同じように水が苦手のようだ。遠くからすったもんだする声が聞こえてくる中、俺は自分のペースで瞑想を続ける。室生の血が流れていれば簡単に使える結界とはいえ、まともに修行をしたことがないためそれなりに気持ちを整える必要があるのだ。
 自然の力を最大限に受け取り、霊力を限界まで引き出してもらう。おみの霊力をまともに浴びると一瞬で消えてしまうほど貧弱な俺でも、この結界を張ることで守られるのだ。
「りょーた、じゅんびできたよー」
「おー」
「くぅん……」
 びしょ濡れになり、すでに耳が垂れている海鈴をよそにサクサクおみは修行の準備を始める。さすが師匠。なかなかに厳しいな。
「それじゃ、行くぞ」
「うぃ」
 かつて、じいちゃんから教えてもらった俺の結界。それは、この世で俺にしか使えない。室生の本家でも知っている人はごくわずかだろう。なんせ資料が残されていないのだ。それは時代が時代だったせいもあるし、じいちゃんがあんな形で死んでしまったからというのもある。
 俺は直接教えてもらったからよかったものの。
 なんて面倒な方法だと今でも不満を覚えることがある。
 だって。
「あらざらむ、月の心に、書き留めし」
 五七五の音で作られたこの詠唱は、今までおみの守護をしてきた人たちの時勢の句だ。それらを繋げた長歌が結界を張るための詠唱になる。その詠唱はおみの守護者にだけ伝えられてきた。そして、今効力のある詠唱を知っているのはこの世で俺と本家の数人ということになる。
 長々とした詠唱が続く。これほど多くの人がおみを守り、今まで育ててきた。その先に俺がいる。毎朝この詠唱を唱えるたびにその重さを実感するのだ。本当に俺でいいのか、という疑問と。何があっても次に繋げなければならないという責任を。
「花も花なれ」
 ここまでが、じいちゃんが唱えていた詠唱だ。そして最後に紡がれるのが、じいちゃんの辞世の句になる。
「水まさりなば」
 最後の一節を唱えた瞬間、あたりに結界が張られた。俺から半径1キロほどの結界で、中にいれば外からの影響を一切受けない。霊力もほとんど必要としないため、いざという時は迷わず使えと言われていた。とはいえ、いくら少ない霊力で済むとはいえ長時間は使えない。俺の霊力があまりにも少ないからだ。
 腰を下ろした地面からたくさんの力が湧き上がってくる。この地に眠る先代たちの思いと霊力だ。
 彼らによって今の俺とおみは生かされている。
「かいちゃ、まずはね、こうやって川に入るの」
「くぅん……水っすか」
「冷たくないから、だいじょぶ」
「きゅうん……」
 多分、そういう問題じゃないんだろうな。尻尾を震わせながら海鈴が川に引き摺り込まれている。そしておみが「んー!」と唸って。
「ぱぱーん!」
「おお!」
 あっという間に龍の姿に変化した。
 ふわふわの立髪に銀色の鱗、そして鋭い爪。どこからどう見ても立派な龍神様だ。
 大きさが物足りないことを除いては。
「うーん、やっぱりまだ小さいな」
「みぃー」
 見た目はとても立派ではあるが、全長は俺が両手を伸ばしたよりも小さい。せめてこの倍くらいまで大きくなって欲しいが。まだまだ時間がかかりそうだ。
 しかし、海鈴の目には衝撃的に映ったようで。
「すごいっすー!」
「ふふーん!」
 尻尾をブンブン振って感激していた。
 よかったなぁ、おみ。
「じゃ、かいちゃもやってみて」
「うっす!」
 その後、何度も二人で「んー!」と唸りながら修行を続けていた。
 さて、海鈴はどこまで大きくなれるかな。先はまだ長い。焦らずにやっていこう。
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