夜鷹の光

一花みえる

文字の大きさ
上 下
14 / 25

89日目

しおりを挟む
 毎日遅くまで作業をした結果、ようやく全ての作業が終わった。すでに店を出て新しい家で暮らしいている蔭間もいる。周が選んでくれた家族はどこもしっかりとしているから、届けられる手紙には楽しく過ごす日々と、お礼の言葉がつめられていた。
 部屋の隅に積み上げられたいた書類がなくなり、これからは周とのんびり過ごすことができる。支度をしながら浮き足立っている自分を必死に宥めつつ、周が訪れるのを待ち侘びていた。
「夜鷹」
「ああ、こんばんは」
「うん……」
    珍しく、周が落ち着かない表情をしていた。何かを悩んでいるような、言い出しにくそうな、不思議な顔だ。
    一体どうしたんだろう。
「周、どこか調子でも悪いのか」
「いや、そうじゃないんだけど」
「だったら悩み事か?」
「うん……」
    ふう、とため息をついて腰を下ろした周は、今までとは少し異なる憂いを帯びているように感じた。
「夜鷹……女将さんには了承を得たんだけど、君との約束の話についてなんだ」
「約束?」
「そう。百夜通う、約束」
    その瞬間、なんだか悪い気配がした。今まで当たり前に周はずっと傍にいると思っていた。でも、あと十日もすればここの客ではなくなってしまう。
    分かっていたのに。なぜだろう、今になってその現実を突きつけられる予感がした。
「それが、どうしたんだ」
「回りくどい言い方は嫌いだから、単刀直入に言わせてもらうね」
「……うん」
    もしかしたら、もうここに通わないのだろうか。やるべき事も終わったし、店もなくなる。それならもう、ここに来る理由がなくなったと言いたいんだろうか。
     そんなことを考えていると、周はぎゅっと俺の手を握ってきた。少しだけかさついた手のひらが、なんだかとても心地よかった。
「明日から、しばらくここに来られない」
「そう、か」
    分かっていた。いつもそうだった。どの客も、いつも途中でいなくなる。俺のことを好きだとか綺麗だとか言っておいて、結局すぐにいなくなる。
    その度に、ああ、やっぱり、と。
    少しずつ現実に見切りを付けてきた。
    でも周だけは違うと思っていた。信じていた。それさえも、俺の勘違いだったんだろうか。
「そんな顔をしないで。事情をきちんと説明するから」
「別に、飽きたのならそう言えばいいだろ!」
「夜鷹!」
    こちらに伸ばされた手から逃げようと体を捩る。それでもすぐき抱きしめられてしまい、俺たちは随分と近くに居たんだと気付かされた。いつの間に近づいてしまっていたんだろう。
    心も、体も。
    もうこの距離じゃないと落ち着かないほど、俺たちは近くに居すぎてしまった。
「……なんで急に、来られないなんて」
「少なくとも君に飽きたわけじゃない。決して。それは分かっていて欲しい」
「信じられるか!    陰間には、客は何とでも言える!    そうやって見捨てられた姉さんたちを何人も見てきた!    それで、どうやって信じろなんて……!」
「じゃあ、どうやったら信じてくれる?」
    覗き込んできた周の瞳は、あまりにも真剣だった。もし、俺が「貴方の小指が欲しい」と言ったら、なんの躊躇いもなく小刀で切り落とすだろう。
    そう思わせるほど、周の表情は真剣だった。
    そうだ。周はそういう男じゃないか。馬鹿みたいに正直で、純粋で、俺が喜ぶためなら何でもしてくれた。言葉にも行動にも裏表がない。
   なるほど。今になってようやく理解した。 俺は、周のそういうところが。
(すき、なんだ)
「夜鷹?」
「いや。貴方はとても、可愛らしい人だと思って」
「え、ええ?    そういう話をしていたっけ……?」
    切れ長の目をぱちぱちさせる仕草も、妙に可愛らしく見えてくる。これが惚れた欲目というやつか。
「理由を教えてくれ。ここに来られない理由。話せるところだけでいいから。それで貴方を信じるよ」
「それだけ?」
「十分だろう。俺たちの間では」
     大丈夫。会えない期間があっても、俺は周を信じている。そしてきっと周も。
「少し遠くに行かないといけないんだ。すぐには戻ってこられない」
「それは、引き取り手探し?」
「そう。私が一番懸念していたところだから、直接行きたくて」
「……わかった。信じる」
「ありがとう」
    周を信じる。それは、今の俺に出来る唯一の手段だと思った。それでも胸の奥をチクチク刺すような痛みは消えてくれない。呼吸が浅く、目の裏がじんわりと熱を持っていた。
    この感情は一体なんだろう。今まで一度も感じたことがなかった。
「寂しい?」
「自惚れるな。暇を弄ぶなと思っただけだ」
「それは悪いことをしてしまうね」
「だいたい……貴方はどうなんだ」
「寂しいよ。とても」
「……っ」
    こうもまっすぐに見つめられ、噛み締めるように言われると流石にこちらも居た堪れない気持ちになる。変に強がったところで周には意味が無い。この長い付き合いで分かっているはずなのに。
    今でもこの視線に、勝てる気がしない。
「君は?    寂しい?」
「い、言わせたいだけだろう!?」
「うん。聞きたい」
    優しく、諭すような声がすとんと胸に落ちてくる。そうして、胸に詰まっていた名前の付けられない感情の正体にようやく気づいた。
    そうか。俺は、寂しかったのか。
「寂しい……俺も」
「うん」
「それだけか!?    他に無いのか、こう、慰めるとか、なにか」
「色々と考えてはいたけれど、難しいね」
「なんだそれは……やっぱり貴方はどこか抜けている」
    小さく笑ったら、周も安心したように口元を緩めた。それから袂から藤色の巾着袋を取り出した。
    いつも周が纏っている白檀の香りが強く漂ってくる。
「これは?」
「私が普段使っている香袋だ。これの香りが消える前に、必ず戻ってくるから。だから、君に持っていて欲しい」
「大切なものなんじゃないのか。随分と使い込まれているようだし」
「そう。だから君に預けるんだ」
    香袋にしては少し大きな巾着袋は、所々生地が薄くなっている。そこを丁寧に縫い合わせているのが分かって、周がとても大切にしていることがすぐに分かった。
    そっと鼻先に近づけると、周と同じ香りがする。それだけで寂しさがちょっとだけ消えていくような気がした。
「分かった。待ってる」
「ありがとう」
「でも香袋だけだと、貴方のことを忘れてしまいそうだ」
「え?」
    ぎゅ、と抱きついていた腕に力を込める。着物から、肌から、髪先から香る白檀と、周自身の香を思い切り吸い込む。
    じゃれつくように首筋へ唇を寄せると、弾けるように周の体が飛び上がった。
「よ、よだか……!?」
「十日も置いてけぼりにするんだ。少しくらい甘やかしてくれ」
「……うん」
    結局その日は、朝日が登るまで二人とも眠ることはなかった。俺の着ていた内着には、周の香がたっぷりと染み込んで、着ているだけでまだ抱きしめられているような感覚になる。
    熱を帯びた琥珀色の瞳に見つめられながら、三千世界の鴉を疎む理由をようやく知った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一介の大学生にすぎない僕ですが、ポメ嫁と仔ポメ、まとめて幸せにする覚悟です

月田朋
BL
のうてんきな大学生平太は、祖父の山で親子ポメラニアン二匹に遭遇する。そんな平太が村役場で出会ったのは、かわいくも美人なモカときゃわわな男児マロンの、わけありっぽい親子だった。 パパなのにママみのあるモカに、感じるのは同情&劣情。 はたして親子は何者なのか、聞きたくてもマロンの夜泣きにはばまれ、夜は更けて。二人の恋の行方はいかに。 パパなのにママみのあるかわいいおくさんはお好きですか(大混乱)

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

召喚された美人サラリーマンは性欲悪魔兄弟達にイカされる

KUMA
BL
朱刃音碧(あかばねあおい)30歳。 ある有名な大人の玩具の開発部門で、働くサラリーマン。 ある日暇をモテ余す悪魔達に、逆召喚され混乱する余裕もなく悪魔達にセックスされる。 性欲悪魔(8人攻め)×人間 エロいリーマンに悪魔達は釘付け…『お前は俺達のもの。』

潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話

あかさたな!
BL
潜入捜査官のユウジは マフィアのボスの愛人まで潜入していた。 だがある日、それがボスにバレて、 執着監禁されちゃって、 幸せになっちゃう話 少し歪んだ愛だが、ルカという歳下に メロメロに溺愛されちゃう。 そんなハッピー寄りなティーストです! ▶︎潜入捜査とかスパイとか設定がかなりゆるふわですが、 雰囲気だけ楽しんでいただけると幸いです! _____ ▶︎タイトルそのうち変えます 2022/05/16変更! 拘束(仮題名)→ 潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話 ▶︎毎日18時更新頑張ります!一万字前後のお話に収める予定です 2022/05/24の更新は1日お休みします。すみません。   ▶︎▶︎r18表現が含まれます※ ◀︎◀︎ _____

「優秀で美青年な友人の精液を飲むと頭が良くなってイケメンになれるらしい」ので、友人にお願いしてみた。

和泉奏
BL
頭も良くて美青年な完璧男な友人から液を搾取する話。

隠れSな攻めの短編集

あかさたな!
BL
こちら全話独立、オトナな短編集です。 1話1話完結しています。 いきなりオトナな内容に入るのでご注意を。 今回はソフトからドがつくくらいのSまで、いろんなタイプの攻めがみられる短編集です!隠れSとか、メガネSとか、年下Sとか…⁉︎ 【お仕置きで奥の処女をもらう参謀】【口の中をいじめる歯医者】 【独占欲で使用人をいじめる王様】 【無自覚Sがトイレを我慢させる】 【召喚された勇者は魔術師の性癖(ケモ耳)に巻き込まれる】 【勝手にイくことを許さない許嫁】 【胸の敏感なところだけでいかせたいいじめっ子】 【自称Sをしばく女装っ子の部下】 【魔王を公開処刑する勇者】 【酔うとエスになるカテキョ】 【虎視眈々と下剋上を狙うヴァンパイアの眷属】 【貴族坊ちゃんの弱みを握った庶民】 【主人を調教する奴隷】 2022/04/15を持って、こちらの短編集は完結とさせていただきます。 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 前作に ・年下攻め ・いじわるな溺愛攻め ・下剋上っぽい関係 短編集も完結してるで、プロフィールからぜひ!

潜入した僕、専属メイドとしてラブラブセックスしまくる話

ずー子
BL
敵陣にスパイ潜入した美少年がそのままボスに気に入られて女装でラブラブセックスしまくる話です。冒頭とエピローグだけ載せました。 悪のイケオジ×スパイ美少年。魔王×勇者がお好きな方は多分好きだと思います。女装シーン書くのとっても楽しかったです。可愛い男の娘、最強。 本編気になる方はPixivのページをチェックしてみてくださいませ! https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21381209

壁穴奴隷No.19 麻袋の男

猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。 麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は? シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。 前編・後編+後日談の全3話 SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。 ※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。 ※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。

処理中です...