とら×とら

篠瀬白子

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告白 1

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「やっばいっ! トラちゃん俺やっばいよっ!?」
「おー、記念に写メ撮ってやろうか? はい、チーズ」
「いぇーい!」


パシャリ。雄樹のスマホで今しがた撮影した写メを見せると、雄樹は更に興奮しながらニコニコとメールを打ち始めた。多分、添付して仁さんに送るのだろう。俺の隣でくすくすと微笑んでいた志狼と目を見合わせて、苦笑する。


「小虎はどうだった?」
「まぁ、いつも通りだな。志狼は?」
「んーまぁ一応、進学校にいたからね、俺」


あぁ、そういえばそうでした。
志狼の答案用紙に書かれた赤字のオール百という数字に目を細める。
ちなみに雄樹は平均九十台で、俺は九十と八十台でバラバラだ。つまり、仲良し三人組の中に追試はいない。それが結果である。

志狼が俺たちの高校に転校してから数日経つが、まるで以前からそうであったかのように、名目上はカシスト支店の調理室にてダベっている俺ら三人は、追試なし祝いとして各自お菓子を取り出し、同じように持ち込んだ炭酸水で乾杯する。


「けど雄樹が小虎より頭良いとは思わなかったな。カンニングしてないよね?」
「ちょっと、シローくん失礼ですよそれー」
「ごめんごめん」


確かに、尋常では考えられない記憶法で恐ろしい点数を叩きだす雄樹には驚かされるが、今回のように全教科高得点というのは初めてだ。志狼が持って来たポテチを頂きながら理由を問うと、雄樹はアホ面満開で笑った。


「今回のテストで良い点とったら、進学は美容専門学校でも良いって親と約束したんだー」
「「美容専門学校?」」


思いがけない返答に俺と志狼の声がかぶる。
うんっ! と元気な返事をする雄樹は頬を染めてふにゃりと笑む。


「俺、将来美容師になりたくて」
「お前……だから髪色コロコロ変わってたのか」
「ん? それは俺の趣味」


趣味かよ、と真顔で突っ込む俺にケラケラと雄樹は腹を抱えるのだった。

それからメールではなく、仁さんから電話が入った雄樹はニマニマとやはりアホ面満開で廊下に出た。
俺と志狼は若干冷やかしながら、廊下に姿を消した雄樹をここぞとばかりに肴に飲む。


「でも驚いたな。雄樹もちゃんと将来のこと考えてたんだね」
「あー、うん。なんかでも、ちょっと寂しいかも」
「親心みたいな?」
「あはは。いや、どっちかって言うとお兄ちゃん?」
「あぁ、雄樹の恋人兼保護者は仁さんだもんね」
「そうそう」


俺と同じように、雄樹と仁さんの関係を非難することはなかった志狼が微笑む。


「小虎は?」
「え?」
「将来の夢、小虎にもあるんでしょ?」
「あー……うん、そうなりたいなって夢はあるかな」


将来の夢はある。ここまで言ったのだから続きを言うべきだが、俺はどうしてもそれを最初に言いたい相手がいたので口を閉ざす。
そんな俺に気づいているのかそうじゃないのか、志狼は雄樹が持って来たパーティーサイズのポッキーをかじった。


「俺は医者になりたいなって思ってるんだ」
「医者?」
「うん、普通は喜ばれそうな夢だけどね。ほら、うちってあの人の代から会社経営してるから。両親は継いで欲しいみたいだけど」
「えと、佐代子さんの会社?」
「そう、今はもう祖母さんじゃなくて、父さんの会社だけどね」


医者を目指したいと言う志狼の目は若干伏せられて、いくら両親と和解できても問題はまだ山積みであることを感じ取る。
俺はそんな志狼がかじっていたポッキーの先を摘まみ、パキッと折ってみた。


「小虎?」
「俺、どんな道に進んでも志狼なら上手にこなせるって思う」
「……そう?」
「うん。でも無理してやんちゃしても、俺と雄樹が止めてやる」
「……こと、」
「だからシローくん、今はいっぱいいっぱい悩んで、納得するまで悩んでよ。そんで答えが出たときは、俺と雄樹にも教えて?」


そしたら俺と雄樹が盛大に祝ってやるからさ。そう言って短く折ったポッキーを同じようにかじると、志狼はそっとはにかんだ。


「やっぱり俺、小虎が好きだなぁ」
「あはは、うん、俺も志狼が好き」


むず痒いけれど嬉しい言葉に同意すると、志狼は違うよ、と呟く。


「俺の好きは、小虎の好きとは違うよ」
「志狼?」
「俺は小虎が好きだ。この意味、分かる?」


微笑んだまま志狼が問う。食べる手が止まったまま俺は口を閉じて固まった。

意味は、分かる。今なら、今だから分かる。
無意識にそっと口を開く俺に、こちらを見つめる柔らかで優しい瞳が揺らぐ。


「でも答えを聞きたいわけじゃないんだ。答えなら、もう分かってるから」
「……」
「情けないとこばっかで、格好いいとこなんて見せられなかったけど、でも小虎を好きになれて良かった。小虎は俺を憧れって言ってくれるけど、俺の憧れは小虎だよ。小虎を好きになった自分が、だから俺は誇りなんだ」


真っ直ぐと、嘘偽りのない純粋な思い。
出会ったあの日からずっと憧れていた友人からの、誠実な告白。
答えが分かっていると言いながら、それでも自分の気持ちを誇りだと言ってくれる頼もしさ。

あぁ、だから俺はこの人に憧れている。


「ありがとう……志狼」
「……うん」
「ありがとう」
「うん、」


きっと、俺が困ったときや悩んだとき、雄樹と志狼は駆けつけてくれるだろう。同じように二人が辛いときは、必ず俺が駆けつける。
そこに芽生えている感情は、家族や恋人に対するものとは違うけれど、とても似ていて時にはそれ以上に堅い。
俺たちがいつか大人になっても、この絆だけは絶対に切れないと断言できる。


「俺こそありがとう、小虎」
「おう、どーいたしまして」


互いに強く握った拳を軽く合わせて、俺と志狼は笑った。


「なんか青春してんなぁ、お前ら」
「ちょっと、えっちゃん止めたげてよぉ!?」


ガラリ。
俺と志狼を囲う柔らかな空気が一瞬で壊される。
その下手人である豹牙先輩はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべ、その後ろで制服の裾を引っ張る雄樹はアホ面だ。


「いやー、お粥食いに来たけど良いもん見れたわ」
「ごめんねシロー! 今すぐぶん殴って黙らせるから続けて!」


と、まるで漫才のような行為を繰り広げられ、さすがに俺と志狼は苦笑する。
その笑みを見た雄樹はのそりと近づき、俺と志狼の間に座った。


「……えー、では今から追試なし祝いではなく、シローくん失恋パーティーを開催します」
「おい雄樹、俺よりひでぇぞその茶化し方」


と、まったくもって豹牙先輩の言うとおりである。
それでもこれが雄樹らしい気の使い方だと俺と志狼はもう一度、顔を合わせて笑った。

それから結局いつものようにダベっていただけで放課後になり、テスト返却日ということで休みを貰っていた俺たちはさっさと学校をあとにした。
いつもならバイトが休みでも結局カシストに行って仕事をするのだが、今日は雄樹が「俺はシローくんを癒すのでトラちゃんは大人しく帰ってください」と言ってきたので、なぜか豹牙先輩と帰ることに。とはいえ、実際帰り道は反対である。


「じゃあ行くか」
「いえ、俺は歩いて帰りますよ。道反対だし、いくらバイクでも面倒でしょう?」
「ばーか、今からデートすんだよ」
「で、デート?」


ほら、早く乗れ。そう急く豹牙先輩からヘルメットを手渡され、有無を言わせない雰囲気に俺はしぶしぶ頷くのであった。

デートと言ってもそれが冗談であることは分かり切っていたが、連れて来られた小さな喫茶店を前に訝しむ。行先はなんとなくデスリカだと思っていたが、そうではないらしい。
中に入ると客の数は少なく閑散としている。バーカウンター内にいる初老の男性は豹牙先輩を見ると緩やかに微笑んだ。


「小虎、ほらこっちに座れ」
「あ、はい」


慣れた様子で窓際のテーブル席へ促す豹牙先輩に従う。窓際だというのに成長の良い植え込みのせいで景色は悪い。コトリ、置かれた水の入ったコップに見上げると、先ほどの男性が柔らかなしわを刻ませて一度、頭を下げた。


「コーヒーで良いか?」
「はい、大丈夫です」


俺の返事を聞いた豹牙先輩がコーヒーを二つ頼むと、男性はもう一度頭を下げてバーカウンターへ戻って行った。そんな男性を目で追う俺とは違い、やはり慣れている豹牙先輩が煙草に火をつける。


「ここな、司たちが高校生の頃、溜まり場にしてた喫茶店なんだよ」
「え? ……へぇ、なんか意外ですね」
「あははっ、だよなぁ」


屈託のない笑みで顔を綻ばせながら、豹牙先輩が続けた。


「でも仁さんがカシストをやっても良いって思った理由がさ、まさにここなんだよなぁ」


と、言われて店内をゆっくり見回す。
なるほど、確かに内装は似ても似つかないけれど、このゆったりと流れる時間で人を受け入れる雰囲気は俺もよく知っている。思わずニヤつく俺に、豹牙先輩が悪戯気に笑った。


「今日は、つーかまぁ、丁度いいと思ったから今日にしただけなんだが」
「はい?」
「そろそろじゃねーかなって、思って」
「そろそろ?」


困ったような、嬉しいような複雑な顔をした豹牙先輩が「あぁ」と頷く。


「俺と小虎の共通点は、弟ってだけじゃねーと思ってんだけど?」


と、続けて言われ、俺は思わず目を瞬いた。

ドクリ。大きく打った鼓動の音がなぜか脳の中から聞こえた気がしてまた、目を瞬く。
そんな俺の姿を見ている豹牙先輩は、やっぱりどこか寂しそうな表情で微笑んだままだ。

静寂に包まれた店内に、ふと扉の開く音が鳴る。扉を背にして座る俺とは違い、そちらを視野に入れる豹牙先輩が目を見開いた。


「なんだぁお前ら、デートか?」


んなわけねぇか、あははっ。と聞き慣れた笑い声に振り向くと、そこに居たのは予想通り巴さんで。
彼は俺と豹牙先輩を眺めたかと思うと、なぜか豹牙先輩を退かせてそこに収まる。不服そうな顔で俺の隣にやってきた豹牙先輩が腰を下ろすと、タイミング良くコーヒーが三つテーブルに運ばれてきた。
その光景に巴さんだけは「相変わらず食えねぇジジイだな」と呟く。


「偶然豹牙のバイクをそこで見かけてよ、なんとなーく小虎が居そうな気がして来てみたら、やっぱり居やがった」
「巴、お前……」
「ったく、どいつもこいつも警戒すんなよ」


ブラックのままコーヒーに口をつけた巴さんに豹牙先輩が口を閉ざす。俺はそんな二人に苦笑を浮かべ、巴さんに向き直った。


「なにか俺にご用ですか?」
「……あぁ、まぁな」


コーヒーカップを口元に置いたまま、こちらを見つめる巴さんが目を細める。音を立てずにカップを置くと、彼は些か乱暴な手つきで煙草を吸い始めた。


「礼を言いに来た」
「え?」
「あと、理由も聞きに来た」


理由? オウム返しで問う俺に、巴さんが頷く。


「どうしてあのとき、ノエルとの約束を俺に話した」


ぽつりと呟かれた問いに、今度は違う意味で目を瞬かせてしまう。それからゆっくりと口元が緩んでしまい、俺はそのまま微笑む。


「だって巴さん、ノエルさんに会わなかったんでしょう?」


そう言うと彼は目を見開き、文字通り固まった。

俺はそんな巴さんに微笑んだまま、湯気の立つコーヒーへ手を伸ばす。


「ノエルさんが言ってたんですよ。ノアさんが亡くなったことを知らせてくれた人に会いに来たって」
「……」
「でも、話がしたかった、とも言っていました。だから巴さん、ノエルさんには会わなかったんでしょう?」


ゆらりと揺れる湯気が顔にかかる。口を付けたコーヒーの苦みは、不思議と俺を優しく包み込んだ。
俺の問いに答えず黙ったままの彼が、突然自分の前髪をくしゃりと乱す。


「俺はよお、自分が嫌いなんだよなぁ」
「え?」
「嫌いなんだよ、親も、家業も、その息子である俺が、俺は嫌いなんだよ。

なぁ、どうだよ。どう思うよ。
散々馬鹿やって、躊躇なく人も殴れるようになった。力がついて自信も湧いた。女も抱いた。男も抱いた。ろくな人生は望めねぇから親の言うこと聞いて悪事に手を染めた。この手で本物のはじき(銃)を握ったこともある。吸ったことがなくとも麻薬だって目にしたこともある。それに溺れてぶっ壊れた野郎相手に脅したこともある。
でも無かった。目の前で他人が死ぬのを見る様は、今まで一度も無かった。
ついさっきまで辛うじて生きてた男が、家族の名前を呟いてんのに誰も動かずなにもしねぇ。助けようともしねぇ。喉に詰まらせた飯で窒息しかけてんのに、なんで誰も助けねぇんだよ。
なんで、なんで死んだあと、それが当然だって顔してんだよ。可笑しいだろ、可笑しいんだよ。
なぁ、どうだよ。どう思うんだよ。

そんな糞みてぇな世界で生きてきた俺が、ノエルに会えると思えるか?」
「…………巴、さん」


早口で捲し立てるようなその呟きは、むしろ懺悔にも近い。
色を無くした瞳でこちらを見つめる彼に、俺も豹牙先輩も口を閉ざした。


「……いや、悪い。そうじゃねぇ、そうじゃねぇんだ」


しかし目を伏せた巴さんは苦笑を浮かべ、ぼとりと落ちた煙草の灰を指で潰す。


「俺は、だから二年もムショに入ってたし、ノエルには会わなかった。合わせる顔もねぇし、それが自分のできる罪滅ぼしだと思った。まぁ……そのせいで大勢に迷惑掛けちまったが、俺はこれで良いと思い込んでたんだよなぁ。でもよ、あの日、お前が泣いてもいいって言ったとき……はじっ……は、じめてっ、許された気が、した」


深く息を吐く。その息さえ震える彼の逞しい体は、今は誰よりも弱々しく、美しい。
あぁ、そうだったのか。俺は同じように息を漏らし、巴さん、と彼の名を呼んだ。


「ありがとうございます」
「……あ?」
「俺、今回巻き込まれて、本当に良かった」
「……はぁ?」


俺の感謝の言葉に巴さんが顔を上げた。そのあどけない表情に笑みをこぼすと、彼はごくりと息を呑む。


「俺、ずっと分からなかったんです。いえ、本当は認めたくなかっただけなんです。多分、それを認めたら俺は普通じゃなくなるって、怖かった。でもよくよく考えたら、俺って別に普通じゃなかったんですよね。巴さんも、豹牙先輩も司さんも、新山さんも仙堂さんも、別に普通じゃなかったんです。
だってそうでしょ? みんなそれぞれ理由があって行動してるんです。それはきっと、有り触れたことでもなんでもない。普通なんかじゃ、ないんです」
「……」
「それをね、俺は今回やっと素直に認めることができたんです。想像もできない皆さんの事情に巻き込まれても、それでも俺が挫けずにいられた理由は普通なんかじゃないって、今はちゃんと認めることができる」


だから巴さん、と彼の手を握り、一度頷いた。


「ありがとうございました」


それから軽く頭を下げ、再び顔を上げたそこには涙を堪えた巴さんがいたのだった。


それからほどなくして落ち着きを取り戻した彼は、すっかりぬるくなったコーヒーを飲み干して、三人分のコーヒー代をテーブルに置くと店を出た。最後に笑って「また、お粥食いに行く」と言われ、俺が素直に頷くとさらに破顔させていた。


「小虎」
「はい」


黙ったままでいた豹牙先輩に向き直る。先ほどまで困った笑みを見せていた豹牙先輩は、今は穏やかに微笑む。


「俺はお前みたいに考えることはなかったし、多分、そんな暇もなかった。どうにかして繋ぎ止めてないと司が消えるんじゃねぇかって、怖くて怖くて、正気を無くしたアイツをただ受け入れた。今は、よ。それを悔やむ気もねぇし、十分幸せだって思える」
「はい」
「でもお前みたいに自分自身に向き合ってたら少しは、俺も違ったのかもしれない」


だからちょっと羨ましくもある。そう笑う豹牙先輩に、俺は首を横に振った。


「豹牙先輩と司さんは、誰がどう見ても幸せそうじゃないですか。俺、すげー羨ましいですよ」
「……小虎……」


でもね、と続ける俺に豹牙先輩が首を傾げる。


「俺も幸せだから、今、ちょっと豹牙先輩と対等な気分です」


へへへ。笑う俺に先輩は目を丸くして、かと思うとくしゃりと微笑み、俺の頭をこれでもかと撫で回すのであった。

それから他愛もない話をしていると、司さんから「早く仕事に来て」というラブコールを受けた豹牙先輩に送られて、俺は彼と別れた。
まだ玲央も帰ってはいない自宅へ足を踏み入れて、思いっきり深呼吸をする。それだけで募る思いがいっぱいいっぱいになって、笑い出しそうな自分の唇を噛みしめた。

なにひとつ欠けてはいけない思い出を積み上げて、今、俺はやっと自覚している。

靴を脱いで廊下を進む。そこそこの点数を叩きだしたテストをしまう鞄をソファーの上に投げ捨てて、迷わず玲央の部屋へ飛び込んだ。
黒いシーツに包まれたセミダブルのベッドにゆっくりと身を沈め、思いっきり匂いを嗅ぐ。
ドロドロに溶けてしまいそうな甘美な世界の中で、夕飯の献立を考えている俺は多分、世界一幸せ者だ。

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