とら×とら

篠瀬白子

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ノア 1

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「本当に悪かったっ!」
「へ? あ、いやいや」


カシストにて、開店時間数秒足らずでやって来た巴さんに頭を下げられた。
ポカンと開いた口から言葉を発したが、彼の左頬は大きなガーゼで覆われている。


「許してくれんのか?」
「え、はい、もちろん」
「っしゃ! おい聞いたか玲央! これでチャラだからな!」


そもそも何に対して謝っているのか分からず、いや、多分先日の服を捲ったことに対してなんだろうが、巴さんが謝ることではない。あれは俺自身に問題があっただけで、頭を下げることは――て、玲央?
のそり。いつからいたのか、巴さんのうしろから玲央が現れた。


「っせーよ。てめぇ、こんくらいで済んだことに感謝しろよ」
「あー、やだやだ。これだから血の気の多いガキは嫌いなんだ」
「あ゛?」
「わー。なんでもありませーん」


反省しているのかしていないのかよく分からない巴さんに玲央が一睨み。たったそれだけで降参とばかりに手を挙げる巴さんは年上には見えないな。
……すぐキレる玲央のほうは年下っぽく見えるけれども。

若干呆れ顔をしていた俺の元に不機嫌なままの玲央が寄ってきた。慌てて笑顔を作るも、玲央にはどうやらお見通しらしい。ため息をつかれたぞ。


「来い、次は仁だ」
「え? ちょ、玲央!?」


ぐい。腕を取られて引っ張られる。
慌てる俺に気使って歩みは遅いけれど、仁さんがなにをしたって言うのだ。落ち着けよ。
そんな俺たちを見る巴さんはやれやれと肩を竦めているのであった。

カウンター内でグラスを磨いていた仁さんは、玲央と引っ張られる俺を見て苦笑を浮かべていたけれど、スタッフルームの扉を開け、中へと促す。
え? なんでスタッフルームに? なんて思う俺を余所に、玲央の歩みは止まらないのであった。


「お前が出てくるとは思わなかったよ」


俺たちに続いて中に入った仁さんが扉を閉めた。その直前、心配そうにこちらを見る雄樹に心が痛んだが、すまん雄樹、今は構ってやれねぇわ。

俺の腕から手を離し、仁さんの前に立った玲央はおもむろに頭を下げる。……頭を、下げた。


「――え、れ……」
「迷惑をかけてすみませんでした」


驚く俺の声を遮って発せられたその言葉に目を瞠る。
出てくるはずだった言葉が空気になってしまったくせに、心の奥が妙に熱い。


「あの、仁さん俺も……っ」


雄樹が俺のためにと開いてくれた飲みは、確かに閉店後のものだった。けれど幼児退行した俺が次の日バイトを休んだことは確かなのだ。
俺の様子を訝しんだ玲央が休みの連絡を入れてくれたとはいえ、ここ最近、バイトを休みがちな事実もある。
だから俺は今日、カシストに来て一番に仁さんに頭を下げた。
――それを今、きっと玲央もしているのだと分かる。
だからもう一度、玲央に並んで頭を下げようと近寄った俺の前に、玲央が手を出して制止する。


「小虎の病気については言えませんが、二度とこんなことがないよう、しっかり俺が見守ります。だから小虎のこと、これからもよろしくお願いします」
「……」


玲央。声にならない声が思わず口から漏れた。
だって、だってこれは、玲央が俺に誓った面倒を見るという姿勢そのものだ。
近寄りたい。抱きしめたい。大好きだって叫びたい。胸の奥が……すごくすごく、熱いよ、玲央。

そんな玲央に目を丸くした仁さんが、突然笑い出した。


「あはははっ! いや、いいって玲央。顔上げな」


仁さんの言葉に顔を上げた玲央を見た彼の目が、驚愕に見開くのを見た。
けれどもゆっくりその目に真剣さが宿っていき、部屋の中は静まり返る。


「……あー、そうだな、まぁ確かにここ最近休みがちだったトラにはそれなりの誠意は見せて貰うつもりだ。例えその理由が病気だとしても、社会ってのをあんま舐めるような真似は覚えて欲しくねぇ」


玲央の広い背中越しに見る仁さんの瞳は力強い。息を飲むが、それ以上に自分に気合を入れる。


「けどな、仕事への姿勢や努力は認めてんだ。お前らの間で昔、なにがあったかも想像はつく。だからこそ、玲央、お前の気持ちはちゃんと受け取った」


トン。玲央の胸を軽く叩いた仁さんが笑う。
強面なそれだが、とても優しいのが分かる、雄樹も俺も大好きな笑顔だ。


「見守るっつったからにはその言葉、死ぬまで守れよ」
「あぁ、そのつもりだ」


いつもの調子で玲央が不敵に笑うのが分かる。二人の間に流れる空気の質が、むず痒いのに温かい。
俺はそんな二人に近寄り、頭を下げ、すぐに顔を上げた。


「仁さん、俺まだまだ子供ですし、これからも迷惑かけると思います。でも、精いっぱい頑張るのでこれからもよろしくお願いします!」
「おう、トラは稼ぎ頭だしな。これからもしっかり働いてもらうぜ」
「はい!」


ぐしゃぐしゃ。いつものように頭を撫でる仁さんの手に身を委ねる。でもいつもよりくっすぐたくて、少し恥ずかしいや。
そう思っていたら、急に体を引かれ、温かいなにかに包まれた。


「……俺にまで怖ぇ顔すんなよ、玲央」
「死ぬまで守る約束があるからな」


なにか……俺を抱き込む玲央が頭上で笑う。そんな玲央を見る仁さんの目は呆れたそれだが、少しだけ気恥ずかしそうに笑っていた。

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