とら×とら

篠瀬白子

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「夏休み、あっというまだったねぇ」
「……お前、まだそれ言うか」


麗らかな昼下がり、夏休みを終えて早二週間になるというのに、つい三日前まで髪の色が赤だった雄樹(今はお気に入りのオレンジ)の言葉に俺はため息をついた。


「全然休みが足りなーい。てか学校だるーい」
「結局それが全部なんだろ」
「ぶーぶー! トラちゃんの薄情者―!」
「はいはい」


アホの言葉を聞き流し、準備を終えたお粥を眺めて首を回すと、コキッなんて関節の音がした。歳に合わず絶対凝ってるだろ、俺。
そんな俺の態度が気に食わないのか、雄樹はやはりアホなことを言いながら散々駄々を捏ねていたが、お粥目当てにやって来た不良に標的を変え、理不尽な悪戯を仕掛けている。あぁ不良たち、可哀想に。


「トラ、塩昆布」
「ん? はいはーい」


雄樹の魔の手から逃れた数人の不良たちが煙草を咥えながらこちらへ寄ってきた。
各自勝手に決めた場所でもあるのか、座りながら注文を伝えるその姿は自由である。

名前も知らない不良が以前、自分で持ってきた塩昆布を俺に預けて以来、そいつは一々俺に命令してお粥を催促するようになった。他にも食べるラー油やらシラスやら果てにはふりかけまで、不良たちはおかずを持ち込んでは俺に押し付けてくる。
最初はどれが誰の持ち物か分からなかったが、そんな俺に不良たちは親切に教えてくれた。

玲央が兄貴だと知ったときは距離を取っていたというのに、なんともまぁ不思議な話である。


「あーあ、トラの可愛げが彼女にもあったらなー」
「あははっ! 玲央さん聞いたら怒んぞテメー」
「だってよー、物取らせようとすんと自分でやれとか言うんだぜ?」
「そりゃお前、相手が悪いんだって」


ただのお粥と一緒に塩昆布を置く俺を見て、不良たちはまたも自由なことを口にする。
玲央が怒る云々はないと思うが、彼女さんと俺を比べるな。失礼だろ、両方に。


「なー、トラって彼女いねぇの?」
「いたらこんなとこでお粥作ってませんよ」
「だよなー」


納得されるのも癪だが不満は飲み込んでおこう。突っ込んだら負けだ。


「じゃあトラ、合コン行くか? メンツ足りねぇんだよ」
「いやいや、男前目当ての女子たちが俺なんか見たら悲しみますって」
「大丈夫だって、俺らの可愛い後輩だって言うからよ」
「すげー嘘くせーです」


あははっ! 俺の顔を見て爆笑する不良たち。そんな声につられて戻ってきた雄樹が、俺の腕を取って叫んだ。


「どこの牛の骨かも分からん女にトラちゃんはやらん!」
「……馬、な」


つい先日終えたばかりのテストで恐ろしい点数を叩きだした人物の台詞とは思えない言葉に、不良たちはまたも爆笑するのだった。

それから午後は適当に時間を潰し、俺と雄樹はバイト先カシストへ。
学校が終わって直で来た俺たちとは違い、私服姿でうろつく非行少年、少女は一体いつ学校から抜け出したのやら。


「仁さん、ちょっと相談があるんですけど」
「おー? どうした?」


学ランを脱いで定位置に立つ俺の横で、グラスを磨いていた仁さんに声をかける。
こちらを向く彼の表情は心なしか柔らかい。なにか良いことでもあったのだろうか?


「お粥のメニューなんですけど、よく写真で見るような小皿? みたいなのに色んなおかず置いたらどうかなって思うんです」
「長皿のことか? 悪くねぇ案だとは思うが……」
「仁さん前言ってたじゃないですか、メニューは多い方がいいって。でもただ増やすより、おかずを数種類つけたお粥のほうがいいんじゃないかなって思いまして」
「ふーん?」


勝手に持ちこんではおかずを俺に預ける不良たちを見ているうちに思い至った案を語る俺を見る仁さんの瞳が、今度は悪戯っぽく弧を描いた。


「随分やる気じゃねぇか、なぁ、トラ?」


そんなニヒルな笑みに、思わず苦笑が浮かんだのは言うまでもあるまい。

それから俺の案を受け入れてくれた仁さんと二人、もちろん手は止めずにおかずについて話し合う。
やっぱ塩昆布みたいなしょっぱいものは外せないだろ? 和え物とかもいいかもしんないな。あ、ばあちゃん家で食べた味噌みたいな、なにかと合わせたやつとかどうだろ?


「やっぱ実際、食い合わせてみねぇと分かんねぇな」
「ですね」


結局話し合いはそこに行きつき、明日にでも閉店後試食会をしようということになった。

翌日、カシスト支店もとい調理部が終わるなり、俺と雄樹は学校から抜け出した。
近くのスーパーで待ち合わせをしていた仁さんと合流し、三人であーだこーだ言いつつおかずになりそうなものをカゴの中へ。傍から見ると保護者と子供である。間違いではないけれど。


「あれ? トラじゃん。つーか雄樹も……うぇ!? 仁さん!? ちすっ!」


そうして買い物を終えてスーパーから出ると、私服姿の不良たちと遭遇した。しかも以前、俺を合コンに誘ってきた集団だ。
仁さんはそんな彼らに適当な返事をしながら「おめーらサボりかー?」なんて笑っている。まぁ俺たちもサボりですけどね。


「てかマジ良いとこで会った。トラ、今から合コンいかね? 仁さん、トラ借りてっていいっすか?」
「あぁ? ダメに決まってんだろーが。こいつは今から仕事だ、仕事」


不良の一人が俺の肩を抱きながらまた合コンのことを口にする。当然、それは仁さんに一刀両断されていたが、俺自身行く気はないので仕方がない。諦めてください。
ちくしょー、惨敗だったらお粥食いに行くからなー! と言いながら、不良たちはそれでも笑顔で向こう側へ歩いて行ってしまった。売り上げ的には来てくれたほうが嬉しいが、まぁ頑張ってきてください。

それからいつものようにお粥を捌き、閉店後は三人で試食会(結局あの不良たちは来なかった)。
どれも確かに美味しいのだけど、仁さんが用意しようとしている長皿に乗るおかずの数は三つ。結局話はまとまらず、とりあえず今日はお開きに。

帰り道、なんだか甘いものが食べたくなってコンビニでプリンを買った。一応、玲央の分も。
玲央がプリンを食べる姿を想像してつい笑ってしまうが、秋も近くなった外の空気は寒く、俺は小走りで家へと向かった。


「うおっ!?」


家に帰るとやはり部屋は真っ暗で、先ほどのプリンを先に食べてしまおうか悩みながら電気をつけた。ら、ソファーに玲央が座っていた。電気くらいつけろよな……。

不審に思いながら近づくと、玲央の服は真っ赤に染まっている。当然、みな返り血である。

――最近の玲央は様子がおかしい。
夏休みが明けてから以前のように帰りが遅くなった。デスリカにお粥のデリバリーをする時も、酒を浴びるように飲んでいるか、可愛い女の子の腰を抱いてヤリ部屋だとかに入るところばかりで、こうして家に帰ってくると、その姿にはなにかしら喧嘩の跡が残っている。

とはいえその目に俺を拒絶する色はなく、昔のように殴られることはないと感じているが……その目を見るのは、なんだか怖いとも思う。


「玲央、ただいま」


とはいえそんな玲央になにかできることもなく、普段通りに接している俺は弟として失格なんだろうな。
きっと……玲央には悩みがあるのだと思う。それを打ち明けてもらえない寂しさと、自分の不甲斐なさが申し訳ない。

どこか遠くを見つめていた玲央は目線だけをこちらに向け、「おかえり」と呟く。
俺は買ってきたプリンを袋から取り出し、ニコッと微笑んだ。


「プリン買ってきた。あとで食べよ?」
「……飯」
「え?」
「腹減った、飯」


一瞬思考がついていけずに固まる。今、なんて言った? 飯?


「でも玲央、俺が作っても」
「飯」


けして睨んでいるわけではないが、あまりの気迫に俺は頷くのであった。

なんだなんだ、一体どうしたと言うのだ。有り合せの食材で作った炒飯を、あの玲央が食べてやがる。……悩みすぎの結果なのか?

試食会でお腹いっぱいの俺が呆然と見つめるも、無表情なままの玲央はついに完食。綺麗になったお皿を見て、さらに目が丸くなる。


「ごちそうさん」
「はぁ……お粗末様でした」


食後のビールをあおる玲央に、思わず敬語で返す姿は間抜けなことだろう。そんな俺を無視し、腹の満たされた獣は風呂へと行ってしまった。
玲央が去ったあと、もう一度お皿を凝視する俺の口元がニヤけていたことは、絶対に秘密である。


「玲央、プリンは?」


玲央につづいて風呂に入った俺は、さっそく冷蔵庫からプリンを取り出す。
まだ上半身裸でソファーに座り、テレビを見ている玲央は「いらねぇ」と一言。まぁ分かってましたけどね。

プリンを手にスプーンを咥えて移動する。どこに座ろうか迷ったが、結局床にした。
テレビから流れる番組は深夜コメディーである。ゲストや視聴者の笑い声が静かなリビングに木霊した。


「んぐっ!?」


そんなテレビを見ながらプリンを食べる俺の尻を、玲央が足で軽く突いてきやがった。今度は八つ当たりか? 少し睨んで振り返った瞬間、体が浮く。そして気がついた頃には玲央の膝のあいだにお座り状態。……なんで?


「玲央?」
「一口寄こせ」
「へ? あぁ、玲央の分なら冷蔵庫にあるけど?」
「一口でいい、寄こせ」


なんという俺様。まぁ慣れたけれども。
とはいえ俺が使っていたスプーンでは食べないだろうと思い、新しいものを取りに立ち上がった。ら、無理やり戻された。しかも今度は腰に腕が回っている。……なんで?


「……新しいスプーン取ってこれねぇんだけど」
「それでいい」
「? これ?」
「あぁ」


おぉ、明日は槍でも降るのだろうか。あの変な潔癖症の玲央様が、俺の使用済みスプーンでいいとおっしゃるぞ。
俺は悪くない。自分にそう言い聞かせ、カラメルを絡ませてプリンをすくう。


「ん、あーん」
「…………」


差し出した俺に玲央が固まった。と思いきや、ゆっくりこちらに近づきパクリと一口。……本当に食いやがった。明日は槍決定だな、こりゃ。


「甘ぇ」


しかしプリンの甘さに顔をしかめた玲央は、手に持っていたビールを一気にあおぐ。なら何故食べたと突っ込みたいが、それは止めておこう。
さてテレビを見るかと降りようとした俺を、またも玲央が止めてきた。


「……玲央?」
「……」
「どーしたの、具合悪い?」
「……」
「れーお」
「遊園地」
「へ?」


幻聴か? 今、玲央の口からありえない単語が聞こえてこなかったか?
腰をがっちりと抑えられ、満足に振り向くこともできずにいる俺のうなじに、なにかが触れた。多分、玲央の額だと思うのだが。


「遊園地、前に行きてぇって言ってただろ? 行くか」
「はぁ?」


おいおい玲央さん、本当にどうしたんですか。
悩みすぎてついに現実逃避でもしたのか? いや、玲央に限ってそれはないか。
でも……酒でも女でも喧嘩でも晴らせない悩みなら、相当なのかもしれない。かといって、ここで玲央に付き合うのもなんだか違う気がする。


「……嬉しいけど、どうしたのさ」
「あ?」


素直に頷かない俺に、若干怒りを含んだ声が突き刺さる。俺を捕える玲央の手に、さらに力が加わった。
下手に返事をするわけにもいかず、どうしようかと黙っていると玲央がため息をつき、俺の肩に顎を乗せてきた。


「……俺や泉、匡子のことで迷惑かけたろ」
「……へ?」
「だから攫われたりとか、話し相手になったりとか、しまいにゃ女装までしただろテメー。だからその礼になんかしてやろうと思ったんだよ、悪いか」
「……は? え、あ、いや。全然、全然悪くないです、はい」


……おい待ってくれ。もしかして最近玲央が悩んでた理由って……まさかこれ?
玲央にしては珍しい直球な言葉を言えず、ずっと悩んでたとか?

いやいやいや、ないだろ、ないない。

でもやべぇ、顔がニヤけるんだが。


「玲央、ありがと……すごい嬉しい」
「……あぁ」


うしろから抱きこまれる形で良かったと思う。これでもし正面だったなら、今の俺のアホ面が丸見えだった。それでもニヤける俺の首元に、玲央が顔を埋めてくる。


「でも玲央、俺はもういっぱいお礼もらってるよ」
「はぁ?」
「助けに来てくれたし、おかえりって言ってくれた。それに母さんにも一緒に挨拶行けただろ? なによりこうして俺のこと、面倒見てくれてるじゃん? ほんと、貰いすぎて逆にお礼しなきゃなんねーくらい」


あはは。そう言って笑った俺に、玲央が勢いよく顔を上げてきた。ゴッと音がして、玲央の額と俺の耳が衝突したが、まぁ許そう。
なにを言われるのかと身構える俺に、玲央は深く深くため息をつき、もう一度顔を埋めてきたかと思うと、抱きしめる力をますます増やした。ぐ、苦しいのですが。


「もっと甘えろ」
「え?」
「俺になにもさせねぇ気か。もっと甘えて、ワガママ言えよ」
「……」


と、言われましても。


「俺、家でこうしてのんびりしてんの、好きだよ?」
「……欲がねぇな、てめぇはよ」
「あはははは」


んー、だって実際こうしてんの好きだし。家でのんびりするってこと、玲央と二人で暮らすようになってから知ったし。なにより、玲央に触られているのは安心する。

――ん? いやいや待て。

触られて安心ってなんか変じゃないか? いや、頭を撫でるのと一緒か?
んん? じゃあこうやって後ろから抱きしめるのはどうなんだ? 普通なのか? これ、普通か?


「土曜日、バイト休め」
「へ?」
「早起きして弁当作れよ」
「え?」
「出かけんぞ馬鹿トラ。返事」
「……はい……?」


疑問形ではあるが、返事をした俺に獣は満足そうに噛みついた。翌朝、ガーゼで首を隠したのは言うまでもあるまい。なんなの一体。

いや、それより問題なのは以前より不快感を感じていない自分自身だ。やばくね? 俺。

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