とら×とら

篠瀬白子

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墓参り 3

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翌日、母さんの墓参りへは皆で行くことになった。
祖母は朝からお弁当を作っていて、祖父はあのハイブリットカーを嬉しそうに磨いている。
玲央は財布だけを持ったらしく、俺はなにを持てばいいのか悩んでいると、祖父も祖母も「元気な姿一つで十分」と笑ってくれた。


「トラちゃん、ちょっといいかしら?」
「はいっ」


お弁当を風呂敷に包んだ祖母が俺を呼ぶ。そちらへ向かうと祖母は俺に花鋏を手渡した。


「お庭から好きな花を採ってきてちょうだい。お墓にお供えするからね」
「え? でも、俺が選んでいいんですか? その、母さんの好きな花……とか、分かんない、です」
「あらぁ、いいのよぉ。可愛い息子が選んでくれた花だもの。喜ぶに決まってるじゃない」


ね? そう言って微笑む祖母に、ゆっくりと頷く。
おずおずと庭先までやって来ると、昨日はあまり見ずにいたことを後悔した。
一般家庭とは思えないほど、手の行き届いた立派な花壇。色とりどりの花が風に吹かれながら、柔らかな香りを運んでくる。


「……」


けれど、そんな素敵な花を見ても、どれにすべきか迷ってしまう。
俺は母さんのことをなにも知らないのだ。

……でも、あの写真で見た母さんは、本当に綺麗な人だった。
あれほど愛おしく俺を抱きしめて、優しく、優しく名前を呼んでくれそうな人。
華奢な白い両腕をめいいっぱい広げて、眠る俺を大切にあやしてくれる人。
きっといい香りがして、その腕に抱きしめられただけで、俺は安心感に満ちてしまうんだ。


「……うん」


やっぱりここは無難な菊にしよう。でも小ぶりだから、このピンクの花も一緒にして、それから立派な百合も供えたいな。あと――ヒマワリも、供えよう。

祖母が愛情を込めて育てた花に、優しく花鋏を入れる。
パキッと独特な音がして、そのたびに気持ちが穏やかになっていく気がした。
採ってきた花を祖母に見せると、祖母は「あらあら」なんて笑いながら、嬉しそうに受け取ってくれた。意味が分からなくて首をかしげるが、やはり祖母は笑うだけなのだった。

それから車に乗り込み、目的地までゆったりとした時間を過ごす。
後部座席で隣に座る玲央は景色を眺めていたけれど、なんだか無性にその手を握りたくなってしまった俺は、一緒についてきた達郎を撫でまわしておいた。
しばらくして墓地につくと、車を一番に降りた達郎がどこかへ駆けだしてしまう。
祖父は笑いながら「大丈夫」と言っていたが、心配だった俺は荷物を持ったまま達郎を追いかけることにした。


「達郎!」


犬なだけあって、足が速いな達郎。

行先は決まっているのか、達郎は迷わずグングンと前へ進んでいき、迷路のような墓地の中を俺は走りつづけた。
角を曲がってしまった達郎を追う頃には息が上がってしまい、少し減速しながら俺も角を曲がると、お墓の前でお座りをする達郎の姿を見つけた。
そして、その隣には髪の長い女性が一人、達郎と同じお墓を並んで見つめている。


「たつ……ろ……」


盛大に肩で息をしながら達郎の名を呼ぶと、こちらを振り向いた達郎がワンッ! と吠えた。げ、元気ですね、達郎さん……。


「小虎」
「え?」


うしろから聞こえた玲央の声に振り返ると、ポコンとおでこになにかが当たる。地味に痛かったので手で擦ると、少しだけ肩で息をする玲央がため息をついた。


「勝手に行くんじゃねぇよ、馬鹿トラ」


それからじとりと俺を睨んできたので、大人しく頷いておく。
いつのまにか足元に来ていた達郎が尻尾を振りながら玲央の足に自分の前足を上げていた。
先ほどのお墓を見ると、女性の姿はもう、どこにもなかった。


「さぁさぁ二人とも、お墓のお掃除をしましょうね」


ゆっくり歩いてきた祖父と祖母は、お墓の前で待っていた俺たちにホウキとバケツを差し出した。
まずは掃き掃除から。そう言う祖母に促され、母さんの眠るお墓の周りをホウキで掃く。竹ボウキの独特な音が辺りに行き渡る。なんだか少し、楽しい気持ちだ。
そのあと、水を絞ったタオルで墓石を丁寧に拭いた。まだ新しい墓石は日の光を受けて輝いている。

そうして掃除が終わると、祖父が用意していた線香に火をつけてくれた。


「はい、小虎くん」


線香を受け取り、墓石の前に歩み寄る。
立てるべきなのか置くべきなのか分からず固まっていると、うしろから手を伸ばした玲央がしれっと線香を置いてしまう。
とりあえず同じように線香を置いて、小さな階段を下りた。


「さぁ、挨拶していきましょう」


同じように線香を置いた祖父と祖母が、並んで手を合わせる。
やはりまた、俺は真似をして手を合わせておく……なにせ墓参り自体、はじめての体験なのだ。

えーと、挨拶ってどうするんだ? とりあえず頭の中で思い描けばいいのかな?

ちらり。参考にしようと盗み見た玲央の姿に、思わず息を飲む。


「……」


どこか真剣で、少し硬い表情。なにか難しいことを考えているみたいに、口は強く結ばれている。


「……」


この人が、俺の兄。金色に染めた髪と、皆が放っておかない容姿を持つ、同じ血を分けたとは思えない、たった一人の兄弟。
不器用で真っ直ぐで、しゃんとしていて自己中心。なんだかとっても矛盾だらけのくせに、不思議と大きくて、側にいると幸せになる。


昔はそりゃ、色々あった。
殴られて、蹴られて、およそ弟に向けるべきではない言葉をたくさんぶつけられた。
でも、それでもねぇ母さん、俺は玲央の弟であることを、誇りに思うよ。

玲央はさ、本当に最低だったと思うんだ。
そりゃ世間一般では、親から受ける苦痛を暴力でぶつけるのはダメだって言われるかもしれないけど、でも玲央にとって、それはもしかしたら声だったのかもしれない。
直接言えないような、喉元まで出かかっては吐き出せない、声だったのかもしれない。

だから自分に似たような不良ばかりの世界に足を踏み入れて、強さゆえに総長なんてやっちゃってさ。
少し、格好つけのところがあるから、ちょうどいいかもしれないけどね?

でも母さん、玲央は俺のこと、決して見放したりはしなかったよ。
親父は俺のことを人間として扱ったことはないけれど、玲央は、玲央はちゃんと俺の言葉を聞いてくれたよ。

責任を取るって、おかえりって、言ってくれるんだ。

だから母さん、俺もこれだけは――絶対に守る。


「……玲央と、幸せになるよ……母さん」
「!」


閉じていた目を開けて、微笑みながら母さんの眠るその場所を見つめる。
隣で同じように挨拶をしていた玲央がこちらを凝視していたけれど、あえて気づかない振りをして立ち上がった。
それから一歩、二歩、うしろに下がる。


「じいちゃん、ばあちゃん……ろくに顔も見せに来ない孫だけど、俺は二人の孫ですごく嬉しいよ」


俺の行動を見つめていたじいちゃんとばあちゃんが、目を見開く。


「母さん……母さんは俺が母さんを選んだって言ってくれたけど、もしそうなら俺、母さんを選んで本当に良かったと思う」


尻尾を振りながら足元にくっつく達郎が、ワン! と吠える。


「達郎は名前がしぶいけど、すっげーかっこいいよな」


こちらを凝視したまま固まる玲央が、なにか言おうと口を開くその前に、俺は言葉をつづける。


「色々あったけど、俺は玲央が大好きだ」


すっと頭を下げて、息を吸う。思いっきり顔を上げて、これまでにない笑顔がほら、自然と浮かぶ。


「俺、ここの一員として、家族として産まれてきて、本当に幸せですっ!」


こんな馬鹿な俺だけど、ねぇ母さん、産んでくれてありがとうって言わせて。


ミーンミーン、蝉の声。チチチ、チチチ、鳥の声。
縁側に腰を下ろして耳を傾けると、山の中からは色んな音が聞こえてくる。


「トラちゃん」
「ん?」


そんな俺の横に、いつのまにか来ていたばあちゃんがちょこんと座っていた。


「あのね、トラちゃん。本当は言おうか迷っていたのだけど、どうしてもトラちゃんに聞いて欲しいことがあるの」
「……ん、なぁに?」


じいちゃんは見当たらず、玲央はお風呂に入っている静かな時間の中で、ばあちゃんは少し困ったように微笑みながら俺の手を取った。


「アルバムを見せたときに、少し話したけれどね。レオちゃんも娘同様、あの人から暴力を受けていたわ」
「……うん」
「確かにね、暴力を受け始めたのは、レオちゃんがトラちゃんに手をあげてからなの。でもね、レオちゃんは小さい時からお母さんが苦しむ姿を、ずっとずっと、見てきたの」
「……ん」


自然から聞こえる音は穏やかで、ばあちゃんの語る言葉がゆっくり溶けていく。でもどれ一つ、こぼさずに抱えていきたい。


「……レオちゃんは、小さい時からあの人のことが嫌いだったけれど、トラちゃん、あなたはとても懐いていたわ。だからね、あの人もトラちゃんだけは絶対に手放さないって、親権争いでも主張したのよ。だから……なのかしら。多分ね、レオちゃんはだからトラちゃんのこと、嫌ってたんじゃないかしら……って、私は勝手に思っているのだけど」
「ばあちゃん、いいよ、俺は大丈夫だから、ね?」


言葉を濁して俯くばあちゃんに微笑みを向ける。そんな俺を見たばあちゃんは一度その目を伏せてから、ゆっくりと開いた。


「……娘が死んで、レオちゃんを預かったときにね、レオちゃん……レオちゃんは、お母さんのお墓の前で私たちに頭を下げたのよ」


思いがけない言葉に目を見開くと、それまで迷いのあったばあちゃんの目はただ真っ直ぐ俺だけを見つめていた。


「自分の暴力のせいで家族を壊したけど、もう一度だけチャンスをくださいって、レオちゃんは頭を下げたのよ」


俺の手を握るばあちゃんのしわだらけの手から、ほんのりと熱が届く。
それは本当にゆっくりとした時間で全身を回ってきたけれど、今、熱く俺の心臓を打ってくる。


「……ばあ、ちゃん」
「だからね、トラちゃん。こんなことをトラちゃんに言うのは間違いだって分かっているけれど、お願いよ……――レオちゃんのこと、お願いさせてね、トラちゃん」


悲痛な面持ちで俺の手を握るばあちゃんが、俺の手ごと自分の胸に抱いた。
少しだけ震えている小さな手は、こんなにも頼りないのに、こんなにも愛おしい。


「……ばあちゃん、俺ね、玲央のことを許したくはないんだ。なかったことには、したくない」
「……トラ……ちゃん」
「うん。でもさ、多分昔のことは許す許さないとか、そういうことじゃないと思うんだ。なかったこととか、多分そういうことでもないんだけど……多分、忘れちゃいけないことだから、俺も玲央も、ちゃんと覚えてなきゃいけないことだと思う」
「……」
「だから俺、思うんだけど、乗り越えちゃえばいいんだよ」
「……え?」


これ以上ないほど苦しむばあちゃんは、玲央がとっても大好きなんだって分かる。でもばあちゃん、俺だって同じなんだ。玲央が大好きなんだ。


「だからばあちゃんはさ、なんにも心配しなくていいよ。だって母さんは、俺たちを兄弟にしてくれたんだから、すれ違うことも喧嘩することもあるけど、あの玲央が兄貴なんだもん。なんでも出来るよ。ね、そう思うだろ、ばあちゃん?」


できるだけ優しげに微笑みながら、ばあちゃんと同じ目線に自分の顔を持っていく。
ばあちゃんの手が、強く俺を握った。


「……えぇっ、ええ、そうね……そうよね、トラちゃん……っ」


そう言って微笑むばあちゃんは、あの写真で見た母さんにとてもよく似ていた。


そのあと、どこかへ行っていたじいちゃんが手に持っていたのは、家庭用の花火セットだった。
お風呂から上がった玲央が「ガキくせぇ」と一蹴したが、俺が花火で遊ぶのを初めてだと知ると、しぶしぶ縁側に腰掛け、線香花火を手に取っていた。つーか玲央が線香花火って……。


「うおっ!? 達郎、ちょっ、あぶないって!」


初めての花火にはしゃぐ俺の側で、火花を玩具だと思っているのか達郎がまとわりつく。触ると熱いんだぞ、これ。
しかし俺の注意も虚しく、飛び跳ねる達郎の足にバケツが当たり、中に入っていた水が地面に置いた花火を濡らしてしまった。じいちゃんもばあちゃんも慌てて達郎を止めるも遅く、花火は水たまりの底である。


「小虎」


その光景に苦笑を浮かべていた俺に声をかけたのは、縁側で花火ではなく煙草をふかす玲央だった。
玲央に近づくと、なにかの束をポイッと渡される――線香花火だ。


「……ありがと」
「あぁ」


俺の感謝の気持ちに随分とそっけない返事だけれど、十分嬉しい。ばあちゃんがニコニコと火のついたロウソクを地面に置き直す。

揺れる炎の上に、そっと線香花火の先端を近づけると、パチ……パチッと火花が飛んだ。


「……綺麗」


思わずそう呟くと、近くで見守っていたばあちゃんとじいちゃんが頷いてくれる。
それに笑みを返して線香花火に目を戻した瞬間、大きな手が無遠慮に俺の頭を撫でまわした。


「わ、ちょ、あっ!」


驚いた拍子に火種がぽとりと地面に落ちる。それを見つめる俺のうしろで、犯人はクツクツと喉を鳴らして笑っている。


「……玲央」
「まだあんだろ?」


そう言って笑う玲央の姿は無性に腹立たしいけれど、なんだかとても、胸の奥が温かになったのだ。

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