とら×とら

篠瀬白子

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外出 2

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「夏休み?」
「そだよ、来週から夏休みじゃん」


週明けの調理室にて、雄樹がまたお手製のスケジュール表をひらひらさせながら俺に言う。
そうか、もう夏休みなのか。手に持っていた漫画本を置いて、雄樹のスケジュール表を受け取る。おい、バイトバイトバイトじゃねぇか。


「夏休み、か……まぁバイト一択だな」
「あはは、でも俺と仁さん旅行行くよ? ほら、ここ」
「……二泊三日……しかも温泉ですか」
「うん。俺と仁さん温泉好きだかんねー」


いいんじゃないんですかねぇ、温泉。とか思いつつも頭の隅に浮かぶのは、バイトが休みなら暇だな、ということだった。
自分でもうんざりするほど思ってはいるが、俺の日常にはバイトしかない。昼は雄樹と昼寝して、夜はカシストでバイトして。以前よりも軽くなったシフトはまだ週六だし、労働基準法なんてもう破りまくりの踏みまくりだ。
だから休みの日といえば勉強しかしてねぇし、家にはゲームもないから携帯いじるか昼寝か勉強か。

あ、やばい。やっぱり友達作ろう……。


「俺、友達作るわ。夏休みの目標それにする」
「えぇ!? 俺がいるのに!?」
「だって雄樹、いつでもいるわけじゃねーもん。それに恋人だっているし、俺とばっか遊ぶわけにもいかねーだろ?」
「でも俺はトラちゃんのダチだよ!」
「知ってる。安心しろって、お前以上のダチなんていねーから」


そう言って微笑めば、雄樹は不服そうながらにも頷いた。あぁ、可愛いやつ。

それからの俺は早かった。まず、カシストにて友達になれそうなやつを探し、デスリカでもデリバリーをしながら探してみる。が、まぁ、見ただけで友達になれそうなやつなど分からないし、そもそも雄樹とだってダチになったきっかけは「友達になろー」とか、アホ面かまして話しかけてくれたからで……あぁ、なんかめげそう。


「友達作る?」
「はい、俺寂しくて」


デリバリーのためデスリカにいた俺は、滅多に見ることのない隆二さんと豹牙先輩のツーショットに囲まれていた。
とは言っても隆二さんはソファーに座っていて、豹牙先輩はお酒を運びに来ただけらしいが。

あれ、待てよ。こうして顔を合わせているのなら、もしかして、豹牙先輩って自分で隆二さんにあのときの五百円返したのかな……あれ?


「でも雄樹がいるだろ?」
「え? あ、いや。雄樹は仁さんと付き合ってるし、友達とだけ遊ぶってわけにもいかないじゃないですか」
「あー、まぁ。でも小虎には俺らがいるだろ?」


そう言って、隆二さんがニコリと笑う。その笑顔に胸をときめかせてしまうが、そんな簡単な話ではない。


「いや、隆二さんは俺にとってお兄ちゃんで、豹牙先輩は先輩です。友達ではないです」
「……なんか嬉しいような寂しいような」


複雑そうな隆二さんの顔に困ってもしまうが、さすがに兄貴の弟でも隆二さんと友達! なんて恐れ多いことを言える俺じゃあない。
つーか隆二さんや豹牙先輩を友達として見れないことは事実だし、うん。


「つーかお兄ちゃんなんだ、俺?」
「え? はい。なんか理想のお兄ちゃんって感じです」
「ぶふっ」


少しだけ楽しそうな隆二さんに頷けば、トレイを抱えた豹牙先輩が噴き出した。
理由も分からずに二人を交互に見れば、隆二さんがそんな俺の頭を撫でてくる。


「ま、いーけど。俺も小虎のこと、可愛い弟みたいに思ってるよ」
「……っ」


きゅんっ、なんて乙女チックな音がした。どうして隆二さんみたいな素敵な人が兄貴に振り回されているのだろう。くそう、いくら兄貴でも許せん。
ふいにうしろからも頭を撫でられて振り向けば、口角を上げた豹牙先輩がいた。


「俺も小虎のこと、可愛い後輩だって思ってんぞ?」
「……っ」


わわ、顔が熱い。くそう、イケメンたちめ。俺じゃなくて女の子に「可愛い」って言えよ。あ、言ってるかもだけど。
あー、だからとにかく……恥ずかし……っ。


「おい」
「……あ、兄貴……」


そんなことをしていれば、シャツなど着ている意味もない恰好で兄貴が二階へやってきた。
どうせまたヤッていたのだろう。童貞の俺でも慣れたぞ、こんくらい。


「なにしてんだよ、てめぇ」
「え? いや、デリバリー。隆二さんに」
「……チッ」


なぜか不機嫌な兄貴が隆二さんの隣に腰を下ろす。
豹牙先輩はそんな兄貴にクスリと微笑み、颯爽と螺旋階段のほうへ向かっていった。


「不機嫌だな?」
「あ? あー……緩くてよぉ、全然気持ちよくねーからイケなかった」


う、わー……。聞きたくない話だぞ、これ。
俺もデリバリーをしたことはしたので、カシストに戻ろうと立ち上がる。


「おい」
「え?」


なのに兄貴が呼ぶから、反応しないわけにはいかなくて。


「今日は帰るから、風呂ためとけ」
「……はいはい」


だけどまぁ、俺に用があるわけなんてないし、別になにか言って欲しかったわけじゃないが。でもだからってパシリかよ。ちくしょうめ……。

さっさとカシストに戻って今日の業務を終えれば、罰として掃除当番になった雄樹がヒーヒー言いながらモップをかけていた。
俺はそんなやつの姿になぜか安心してカシストから出る。ビルの外はまだまだ深夜徘徊をする不良たちが大勢いたが、どうせデスリカにでも行くのだろう。
カシストは昼も喫茶店をやるから夜は二時になったら閉店だ。デスリカは五時までやっているが。

ネオン通りから路地に入ってマンションを目指す。徒歩二十分の距離も夏は独特の空気があるからいい。冬になれば寒そうだけど。


――カラァアン……。

「?」


ふと、暗がりで先の見えない路地の奥から音がした。
大方どっかの不良が喧嘩でもしているか、酔っ払って倒れているのだろう。呆れて足を進めようとしたとき、暗がりからなにかがこちらに、伸びた。


「うわっ!?」
「……動くんじゃねぇよっ!」


それはどうやら人の手で、俺はいつぞやのように両手を取られて捕らわれている。そっとうしろを見れば、なぜか血まみれになった不良。
ゾッとして暗がりのほうに目を向けると、なにかがキラリと光る。

ゆっくりと、闇の向こうから足が伸びてくる。黒のロングノーズは兄貴が持っているものと色違いだ。一瞬兄貴を連想したが、それはすぐに消え去った。
闇から現れたのは、銀髪をした短ランの美形だったのである。またイケメンかよっ!


「なに、それ」
「うっせぇ!」
「――え、わわっ!?」


銀髪の美形が前髪から覗く双眸をこちらに向ける。俺は兄貴の眼光に慣れているからたいして怖くもないが、いや、怖いけど、うしろの男はそれに怯えたように俺を美形のほうに突き飛ばした。
俺はそこら辺の物と一緒の扱いか?

当然、美形は俺を避ける。当然、俺は地面にぶっ倒れる。そして男が背を向けた瞬間、美形は一瞬で間合いを詰め、その背中を蹴り飛ばしたのであった。


「ったく……あ?」


一発で伸した男の背中を踏みつけたまま、美形が俺を見る。
地面に膝をつけたままの俺はアホ面でもかましているだろう。つーかなに、俺、どうすりゃいいの。


「……アンタ、これの仲間?」
「え? ……いや、知らない人だけど」
「だよね」


確認のつもりだったのだろうか。ため息をついた美形が男の頭を蹴ってから俺のほうに近寄る。スッと差し出された手にはたくさんの指輪がついていた。


「立って。送る」
「……え?」
「俺のせいで迷惑かけたから、送る」
「……」


なんとまぁ、律儀な。俺なんて見てない振りしてさっさと帰ろうとしてたのに。
迷いながらも手を取れば、一瞬で体が浮いた。
立ち上がった俺の体を、美形がパンパンと埃を払う。見た目に反して優しい性格に目がただ丸くなっていた。


「……ありがと」
「どーいたしまして」


平然と言ってのける美形は俺より身長がある。ただ、兄貴よりは小さいな。つーか兄貴がデカすぎんだ、化け物かよアイツは。


「家どっち?」
「あ、……あっち、です」


指をさしてマンションのほうを知らせれば、美形は少しのあいだ俺を見つめ、かと思えば歩きだす。
倒れている男に目を向けたが、俺は美形のあとを追った。正直、ここら辺で不良が倒れているなんてしょっちゅうなんだ。一々全員相手にしてたら俺のほうが持たん。許せ、不良たちよ。


「……あの」
「なに」
「……ここら辺の人、じゃないです、よね?」
「まぁね」


人通りのない暗い道を並んで歩く。短ランに校章がついていないから不思議に思って詮索なるものをするが、自分で聞いといてなんか切なくなってきた。
別に好奇心、ってわけじゃないんだけど。


「……」
「……」
「……」
「聞いて終り? 変なやつ」
「わ、う……すみません」


自己嫌悪、とでも言うのだろうか。
肩をすぼめてしまえば美形がクスッと笑った。慌てて横を見れば、前を向いたまま口角を上げる姿。
隆二さんとはまた違う美しさがそこにはあった。


「アンタいくつ? 敬語使ってるけどさ、高一?」
「あ、はい……えと、」
「俺も。同い年だから敬語止めなよ。かたっくるしい」
「う、うん」


なんだろう。同い年のくせに大人だな、こいつ。あぁ雄樹にも見習って欲しい。


「名前は?」
「小虎」
「小虎? ふーん、可愛いね。俺は志狼(しろう)。だっせぇよな」
「志狼? ……ははっ」
「ちょっと、なに笑ってんだよ」


「俺は笑わないでやっただろ」そう言いながら睨んでくる志狼には申し訳ないが、なんだか可愛い名前に笑ってしまった。すまん。
笑いの収まらない俺に対し、志狼は諦めたように息を吐く。


「まぁいいけど、笑われんのは慣れてるし」
「あ……ごめん……」
「いいよ、別に。お前も笑われるだろ?」
「……まぁ、ね。可愛いとかよく言われる……けど正直、嬉しくはないな」
「ははっ、分かる分かる」


口に手を当てながら志狼が笑う。規則的に並んだ街灯の光が、銀の髪を照らす。キラキラと光って、なんだか目を細めてしまう。


「小虎ってどこ高? 天高(あまこう)?」
「あ、うん。天宮(あまみや)」
「へぇ。俺、夏休み終わったら転入するから、仲良くしてね?」
「え、あ……それは、別に」


転入。この時期に、か。
珍しいものでも見るような視線を志狼に送れば、やつはすぐに気づいてフッと微笑む。
やはり俺や雄樹とは違ってどこか大人だ。同い年のくせに、なんだか妬ましい。


「小虎はこの時間までなにしてたの?」
「あ、バイト。カシストってバーで」
「カシスト……? あぁ、デスリカの下?」
「うん……つーかなに、知ってんの?」
「まぁ、こっちの世界には色々あるから」


こっちの世界。多分それは不良の世界、ということなんだろうか。よく分からないが。
深くは追及しないでおこうと息を吸う。夏特有のまとわりつくような空気がどこか煩わしい。


「あ、もういいよ。あのマンションだから」
「そう? じゃあおやすみ、小虎」
「うん……おやすみ」


あっというまに過ぎ去った二十分を、少し惜しいとも思う。雄樹以外のやつとここまで話したのは久しぶりだ。
隆二さんたちは別としても、なんだか……胸の奥がうずうずする。なんか、なぁ。

背中を向ける志狼がまた街灯の光に照らされる。眩い銀の髪が透けてしまえば、どこか兄貴を思い出さずにはいられない。


「志狼っ!」


だから、なんだろうか。光で簡単に透けてしまう髪が、あまりにも似ているから、なんだろうか。
俺は無意識のうちに叫んでいた。少し驚いた表情をする志狼がこちらを見る。


「明日も俺、バイトだからっ! よかったら、来いよっ!」


俺はなにを言っているのだろうか。たった少し話しただけで、勝手に仲良くなれたとか思っているのだろうか。分からない。
分からない、けど。志狼がフッと微笑んだだけで、なにもかもが許された気がしたんだ。


「分かった。気が向いたら行くよ、小虎」
「……おうっ」


柔らかな笑みを浮かべる志狼に、俺の頬はなぜか赤く染まっていた。



それから兄貴の命令通り、お風呂にお湯を張ってすでに渡された夏休みの宿題をしていれば、兄貴が帰ってきた。
最近は勉強をするのもなにをするのもリビングのほうだったので、入り口のほうに顔を向ける。
どこか不機嫌そうな兄貴だったが、やつはさっさと自室に向かうと着替えを携えて風呂へ向かった。なんなんだ、アイツ。


「おい」


なのに数分後、腰にタオルを巻いただけの兄貴が俺を呼ぶもんだから、ビビる以前に引いたわ、普通に。なんちゅー恰好してんだてめぇ。


「な、なに……」
「背中流せ」
「……は?」
「今日はむしゃくしゃしてんだよ。いいからやれ」
「……」


なんて傲慢なやつなんだろう。今にはじまったわけではないが、少し信じられないぞ、俺は。
しぶしぶ兄貴のあとを追って風呂場へ行けば、さっさと風呂イスに座って背中を向ける兄貴がいた。
ちょっとだけムッとしながら寝間着のジャージを膝まで上げる。


「スポンジ」
「ほれ」


石鹸もつけられていないスポンジを受け取ってさらにムッとする。
あくびをこぼす兄貴の横を通ってボディーソープをスポンジにプッシュした。くそう、俺様野郎め。
めちゃくちゃに泡を立てて広い背中を上から擦っていけば、「もっと右」とか「上だっつってんだろ」とか、文句ばかりが飛んでくる。

じゃあ自分で洗えよ、とは言えないのがまた悔しい。


「なんでむしゃくしゃしてんの」
「あ? 抱いた女が全員緩かった」
「……」


サイテー。サイテーすぎる、この兄貴。
その腹いせで弟に背中を流させるとか、マジで自己中にもほどがある。まぁ、今にはじまったわけじゃないんだけど。


「……はぁ」
「なぁ」
「え? なに?」


そんな兄貴の背中を洗っていれば、鏡越しにこちらを見るやつと目があった。
なんつーか、逞しい体してんな。


「なんでよ、てめぇは俺の言うことを素直に聞くんだよ」
「……はぁ?」
「嫌だったら嫌って言え。前にもそう言ったろ?」
「……」


どこか真剣な面持ちをされれば、返事に困る。

素直に言えば、きっと笑うだろう。
一緒に出かけて、夢がまた一つ叶った俺が素直に言えば、兄貴はきっと笑う。
それでも言わせてくる兄貴が、悪い。


「……嫌じゃ、ねーから」
「……」
「兄貴とこうして普通にしてんの、嫌じゃねーから」
「……お前……」


どこか驚いたような表情で、鏡越しにこちらを見ている。
その視線から逃げるようにスポンジだけを見て、力を込めて背中を擦る。


「笑いたきゃ笑え。俺はな、アンタのことは許さねーけど、こうして兄弟らしいことすんのは別なんだ」
「……」
「このあいだだってな、一緒に出かけて本当に嬉しかったんだ……兄貴には、分かんないかもしれないけど」
「……はっ」


はははっ、突然笑い出した兄貴の声が浴室に反響する。
背中に泡をつけたまま腹を抱えて笑っている姿なんて、一体誰が想像できよう。見ている俺ですら信じられないというのに。
呆けてスポンジを握ったままでいれば、シャワーヘッドを投げつけられた。


「もういい、泡流せ」
「……」


まだ口元をニヤつかせたまま兄貴が言った。
ムッとしながら流してやれば、やつはなぜか上機嫌に「着替えて寝ろよ」とか言ってくるし。
なんか腹が立つんだが……ちょっと嬉しいとか思う自分がなぁ……。

あー、止め止め。宿題止め。

自室に篭って、以前ギャル男から貰った雑誌をめくってみる。
なんか見開きで載ってるんですけど、あの人。
恐らく専属モデルだろう人たちよりもかなり目立つ位置に立つ兄貴と隆二さんに、寒気なのかなんのか、不思議な思いを感じつつ、俺は泉ちゃん親子にもゾッとした。

この世には色んな人がいるとは言うが、本当だよなぁ。

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