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支店 1
しおりを挟む細い路地裏を通っていった先には転々とネオンの光る店が並ぶ。
人はその通りをネオン通りなどとまんまな名で呼んでいたが、その通りから少し離れたところには未成年たちが足を運ぶクラブやバーが存在していた。
その中でもひときわ客足が多いのは、三階建ての小さなビルの地下に設けられたクラブ、デスリカ。
だが最近、本当にここ二週間で一気に勢力を伸ばした店があった。それはデスリカよりさらに地下に設けられたバー、カシスト。
エレベーターの扉が開くと同時に店内であるそこに足を踏み入れれば、すぐ右横の壁にはこんなポスターが貼られている。
〔お粥、はじめました〕
世界にたった一つしかない、内山手作りである。
◇◇◇◇◇
「卵五つお願いしまーす」
「すいません、梅二つお願いします」
ぎゃーっ! とでも叫び声なのかやる気なのか何なのか、そんなものが口から発せられそうになっているのは、初バイトにてお粥担当を任命された俺、小虎だ。その隣ではガスコンロを増設した仁さんが、いくつものタイマーを見つつカクテルを作っている。
なんでデスリカで酒飲んでるのにここでも飲むんだ、非行少年、少女、意味わからん。なんて頭の隅で思いつつも、今日も似合わないフリルエプロンをつけた内山にできあがったお粥をお盆で渡した。そんなことを就業時間いっぱいしている俺だが、正直、楽しいと思っている。
「お疲れさん」
「……どーも」
やっとお粥作りから解放された俺は、いまだにエプロンをつけてスコッチを飲み続ける内山の隣にて、仁さんがくれた水を口に運んだ。
ぷはっ! なんておっさんくさい動作をすれば、隣の内山はぎゃはは、なんて笑いだす。
「トラちゃんうけるー。マジ最近おっさんくさいよね~」
「……じゃあお前はアレだろ。アキバとか目指すんだろ?」
「メイドさん? やべー、似合うかもよ? おかえりなさいませ~、ご主人さまぁ~ん」
「…………きしょ」
すまん内山、マジで気色悪いわ。
そんな感じで、俺と内山はなんとかバイトを成功させ、順風満帆な日々を過ごしていた。当初心配していた非行少年たちの喧嘩なども起きることはなく、カシストは確実に良い風に乗っている。
「……ふぁ」
「でっけーあくびだね?」
「うっせー。こちとら眠いんじゃ」
「トラちゃんだけに? ぷふっ!」
笑えん。笑えないぞ内山よ。
今がノリだ。なんて言う仁さんの命令により、週五シフトのはずが毎日バイトをしている俺と内山の睡眠は常に学校で取られている。もともと授業なんてそっちのけな我が高校では、それを咎める教師もいないのだから最適な場所なのだ。
ただ……不満を言えば、うるさい。
そう、とてつもなくうるさい。
なんとかちゃんのおっぱい最高とか、なんとかちゃんの締め付けやばいとか、そんな下ネタどころの騒ぎではない話題が教室のあちらこちらで飛び交い、そのたび響く笑い声。
よくまぁこの環境下で仮眠を取っていたと、自分を褒めてやりたいくらいだ。
「静かな場所とかねーのかよ……」
「えー? 俺と二人で静かに過ごせる場所ぉ? やだー、トラちゃんって意外と大胆?」
「はいはい、眠いのね内山くん」
「キャー、バレター」
現在授業中である教室にて、互いに机へ伏す俺と内山は、眠い目を細めながら辿り着けそうにない夢の世界へと思いを馳せる。そのせいか、二人して言動が不審だ。いつになく。
「あー……眠い……」
「んー……じゃさー……静かな場所、探すぅ?」
「あー?」
目に痛いほどのオレンジ髪の内山が、頬をべったりと机にくっつけたまま俺に問う。ちなみについ三日前までの髪は緑色だった。
「探すって……本気で言ってんの?」
「本気ほんきー。どこら辺がいーい? 美術室? 調理室? 理科室?」
「え、ちょ……」
眠すぎて正常な判断ができていないのか、内山は次々と特別室の名をあげる。少しだけ眠気が飛んでいった俺は起き上がり、軽く内山の髪を引っ張った。
「いたーい、やめてー、暴力はんたーい」
「どの口が言ってんだ」
のそり。起き上がった内山はあくびを一つして、生理現象で浮かんできた涙を擦りながら、また俺に聞いた。で、どこにする? なんて。
「お前、ちょっと起きろよ」
「起きてんじゃーん。見なさいよこの二徹した俺の眼(まなこ)を!」
「なんで二徹してんのお前」
「それがさー、マリちゃんが俺のこと寝さしてくんねーの。あ、マリちゃんってエロゲのキャラね」
「え、お前エロゲやってんの?」
「えー? 偏見? 差別? 嫉妬?」
「待て、最後はおかしい」
て、そうじゃない。あやうく内山のアホ話に流されるところだった。
「じゃなくて、場所取りする気かって聞いてんの、俺は」
「うん、しよー?」
はぁ? なんて素っ頓狂な声が出そうになる。それを堪え……きれずにため息を零せば、内山はんー、と背伸びをして立ち上がった。呆然とそれを見ていると、にやーと笑った内山に腕を掴まれ、そのまま廊下へと引きずられていく。
「おい内山、マジ?」
「マジ! マジと書いて本気と読む!」
あ、こいつマジだ。ふとそう思ったのは、内山のアホな台詞が要因になったわけではなく、先ほどまで眠そうにとろけていた目が、まるで野獣のようにギラついていたからである。この目を俺は知っている。内山と出会い、いくどとなく見てきた。
そう、この目は喧嘩をするとき、こいつがする目なのだ。
「というわけで、ドーン!」
「!?」
引きずられたままやって来たのは調理室だ。その扉を豪快に開け放った内山はズカズカと入っていく。そのうしろからこっそり中を覗けば、上級生であろう不良たちが煙草とエロ本を乱雑させながらフケっていた。
「あ? なにお前」
「……内山じゃなかったっけ? 確かブラマリから追放された奴じゃん?」
「あー……あぁ、あー、内山! へー、これが噂の内山くんなわけ?」
エロ本を見ていた不良たちがニヤついている内山を笑うが、それを気にもとめない内山はトントン、となんどかつま先で床を叩くと、勢いよく近くにいた不良の顔を蹴った。蹴りやがった。
蹴られた不良が壁のほうまでぶっ飛ぶと、数秒固まった空気は一気に変わる。座っていた不良や床に寝そべっていた不良たちが一斉に内山のほうへ殴りかかってきたのだ。
しかし内山はいたって普通で、むしろ喜ぶように笑みを深くし、飛びかかってきた不良を足蹴りすると、倒れたそいつを顎から一蹴。
おい、思いっきり鼻血出てんぞ、そいつ。
「ふっざけんなっ!」
上履きに染みた血を床に擦り付けている内山のうしろから、不良が一人飛びかかる。殴られる! そう思って思わず身を乗り出すが、内山はその場にしゃがみ、それを避けると不良の腹に見事な膝蹴りをかました。
「……こわ」
――そう、場所取りとはこの学校にまかり通る謎のルールだ。
弱肉強食がモットーのこの学校では、普通教室以外が使われることはなく、それらは強者のサボり場所となっている。サボり場所が欲しければ、先のサボり住人を喧嘩で負かし、場所を取るしかない。それが場所取りである。
「勝ったよー、トラちゃん?」
で、見事勝者となった内山は嬉しそうな笑みでこちらを振り返った。
「……お前こえーよ」
「え、褒め言葉? でもダメよ! 俺にはマリちゃんがいる!」
「一生マリちゃんのものでいろ、全人類のために」
早々と上級生らしき不良たちを倒した内山は、俺とたいして変わらない腕で軽々と不良たちの襟元を掴み、窓の外へ投げ捨てる。容赦ない、内山さん。
「これで今日から調理室は俺とトラちゃんのもんだねー」
にへっ。そんな笑顔をこぼした内山を見て、喜んでいいのか困るべきなのか分からなかった俺は、とりあえずさっさと眠ることにした。
内山、俺、お前みたいな使える友人がいて本当助かるわ、マジでありがとな。などと思いながら。
「――というわけで支店を開きます!」
「……あ?」
内山が場所取りで勝ち取った調理室にて、目覚めたアホの第一声がそれだった。
「なに、支店って」
「ばっかだなー、トラちゃんはー。ここでカシストの支店をやんの! ま、名目上は調理部ってことで~、お昼限定でお粥売るべー」
「とりあえず夢の世界から帰ってこい」
アホだ。やっぱりコイツはアホだ。
俺の中で内山の位置が確たるものになりつつある中、当の本人はケラケラと笑いながらガス栓を開き、火をつけようと試みている。
「あれ? つかなーい」
「そりゃそうだろ……不良校でガス通ってたら今頃燃えてんだろ、この高校」
「あー、なるほどー」
馬鹿なのはどちらだろう。そんなことを思いつつ壁に掛けられた時計を見る。もう昼過ぎだった。
とりあえず昼飯を取りに教室へ戻り、鞄を持って調理室に戻れば、アホはまだ諦めていなかったのか、またガスコンロをいじっていた。
「ね、先生に言えばガス通してくれんじゃね?」
「んなわけないだろ。ガス通した時点で全焼だぞ」
「えー? トラちゃんウケる~」
「お前の頭が一番ウケるわ」
ケラケラ、ケラケラ。笑っていた内山は急に立ち上がり、「じゃ、職員室行ってくるねー」などと出て行った。どうしよう、やっぱりアホだあの内山。
「は?」
それから数十分後、教師を連れてきたアホの言葉に、俺は自分の耳を疑った。
「だからー、お粥食べてみてー、それから決めるって~」
「……は?」
内山いわく、調理部をやるのはいい。だがガスを通すのはやはり難しい。だからまぁ、とりあえずそのお粥とやら、食べさせろ、らしい。
んな甘い話があるものか。どうせ内山が教師の胸倉でも掴んで脅したに決まっている。なんせここの教師は生徒に弱いのだから。
「というわけでー、今からコンビニ行こ? 材料調達するべーし」
「……」
えー、ちょっとマジで、突っ込んでいい?
それから事はトントンと進んだ。材料調達をし終え調理室にてお粥を作れば、教師たちは大袈裟なリアクションで「旨い!」「これならイケる!」みたいなことを言いながら、なんどもなんども内山と俺を交互に視察していた。それは明らかに、内山の様子を見て言っていただけだ。
ここまで来るともう憐れで不憫でならない。教師たち……それでいいのか大人のくせに。
そしてめでたくないことに、昼限定、調理部もといカシスト支店が不良校にて開店した。
断言する。絶対儲からないから。
「ははっ、お前らばっかだなー」
その日の放課後、いつもと同じようにカシストにてお粥を作る俺の隣で、カクテル作りに勤しむ仁さんが支店の話で笑っていた。こうなってしまった原因である内山はもはや定着しつつあるフリルエプロンを翻しながら接客している。
「ま、楽しそうでいーんじゃねーの?」
「それだけですか、仁さん……」
「や、トラにはちょっとわりぃけど、雄樹があんなに元気なのも久しいからな。正直、俺は嬉しい」
「え? 内山はいつだってアホじゃないですか、アホの申し子ですよアイツ」
「はは。まー言えてるわな」
否定しない仁さんに少しだけ笑ってしまう。ピリリ、タイマーが鳴ったので鍋を退けて次の鍋をそのままコンロに乗せる。できあがったそれをお盆に乗せ、なぜかソファーに座って客と談話しているアホを呼んだ。
「仁さーん、ナポリタン二つお願いしま~す」
「おう、了解」
ヘラヘラと笑ったままの内山は、お粥を受け取りながら注文を伝える。俺はかけたばかりの鍋を退けてコンロを一つ空けた。すぐさまフライパンを取り出した仁さんがお礼を言いながら火にかける。
最近、やはりお粥だけでは飽きているのか、元々置いてあるメニューの注文も増えてきた。
正直、仁さんの作る料理はどれ一つ俺のお粥など足元にも及ばぬくらいに美味い。それこそほっぺが落ちるくらいにめちゃくちゃ美味い。だから仁さんが作るメニューの注文が増えることも、時間の問題だった。
「ま、あんなアホだけどよ、これからも仲良くしてやってくれ」
「そりゃまあ、なんだかんだ言って俺、友達アイツしかいませんから」
手際よくナポリタンを作り出した仁さんに返した言葉で自己嫌悪。そんな俺を仁さんは頭を撫でるという慰めで励ましてくれた。
「や、そうじゃなくてさ。トラがこれから何人友達作っても、雄樹とも仲良くしてくれってことだよ」
「? そりゃ、もちろん」
「はは。そうか、そうか」
嬉しそうに、それはもう、弟よろしく、なんて言う兄のような笑みを浮かべて、仁さんはいつになく上機嫌で俺の頭を撫でまわす。
内山はアホみたいに仁さんに懐いているが、最近、俺もその理由が分かってきた気がした。
なんていうか、面倒見がいいんだよな、この人。
「きゃー! メイドは見た! 浮気の現場!」
「メイドって誰だよアホか」
いつのまにか戻ってきた内山がニヤニヤと、そんな俺と仁さんのやり取りを見て叫んでいたが、すぐ仁さんに一蹴されていた。本当にアホな内山だ。
「……っはー」
どさり。バイトを終え、帰ってきたと同時に自室へと向かい、ベッドに身を預ける。
バイト時間、延々とお粥を作るのも正直楽じゃない。けど、不満でもない。むしろカシストは俺の憩いでもあった。
必要最低限なものしか置かれていない自室を見る。見事なまでに殺風景だ。これが花の男子高生の部屋だとは思えない。思いたくもない。
そんなんだからだろうか、俺は自分でも分かるくらい、己の居場所をカシストに見出していた。
「……」
強く目を瞑り、そっと開ける。変わるはずもない部屋を見回して、ため息を零す。
馬鹿か、俺は。
ここは確かに俺の……兄の家だ。その一室が俺に与えられているだけで、それだけ。それ以外、ここにはない。
「兄弟みたいだよな……あの二人」
脳裏に浮かぶ内山と仁さんのやり取りに、口元がつい緩む。
羨ましいとか、正直そんな気持ちもあるが、そのどちらかの居場所を望んでいるわけではない。
覚悟を決めたように起き上がり、俺は明日の朝食と弁当の準備を始めた。滅多に帰ってくることはない兄の分も、一応毎日作っている。
この家で与えられた俺の仕事は家事全般。別にそう言われたわけではないが、そうしなければいけないとすぐに悟った。
そりゃもちろん、最初の頃は勝手に触るんじゃねー! とか殴られてたけど、一度注意されたことをしなければ兄がまた同じ理由で殴ることはなかった。……それはもちろん、家事だけの話だが。
共同生活をするにあたって、兄は俺にルールを課した。
兄がいる時は自室から出てはいけない。これを守らない場合、いかなる状況下であっても制裁は下された。
「あ、ベーコンない」
冷蔵庫を開けてみれば、お目当てのベーコンがいない。しばらく悩んでもみたが、まぁいいかと財布を取り、玄関へと向かう。コンビニで買うと割高なのだが、他のメニューにするにも材料がないし、仕方がない。
玄関先でスニーカーの紐を結んでいると、不意に目の前の扉が開いた。
「あ」
やばい。そう思うと同時に腹のほうから痛みが広がり、紐を掴んでいた手がいつのまにか床についているのを呆然と見つめた。視線だけを動かしてそちらを見ると、そこには相も変わらず兄弟とは思えない端正な顔をした男が、殺意を向け、佇んでいた。
「視界に入んじゃねぇよ、クソが」
「……」
似てる、な。そう思う。
兄は、なにかと理由をつけては俺を殴っていたクソ親父に、似ている。
じゃあ多分、俺はきっと……お袋に似てるのかな。
そんなことを思いながら、振りあがる兄の手をただ呆然と見つめていた。
次に気づいたのは朝で、俺は腹と背中にいくつもの痣を作ったまま、自室の床に倒れていた。
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