ある王様の話

篠瀬白子

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ミサキはこの学校の王だ。生徒はもちろん教師陣すらミサキには逆らえない。
そこまで辺鄙でもないけれど、田舎と呼ぶには支障のない閉ざされたこの町では、地主の息子であるミサキは王なのだ。

(小さ目だけど)ビルだってあるし、娯楽施設だって当然ある。それでも地主は商売もやり手で、この町の商いはすべて地主が牛耳っていると言っても過言ではない。
だから辺鄙でもないこんな町で、地主をはじめとしたその親族たちは大きな顔をして生きている。そしてその息子であるミサキは間違いなく、この学校の王だ。


「ね、ミサキぃ、このまま抜けようよ。二人でさ……ね?」


膝にまたがりシャツを大胆にも開き、役目を成さない下着から覗く乳房を擦りつけながら、その子は媚びるような甘い吐息を吐きだし自分の唇を相手の唇に押しつける。
相手は、ミサキはそんな彼女になんの抵抗も見せず、しかし口を開こうとはしなかった。


「ミサキぃ、ねぇみさきぃ……私、もう我慢できないよ……」


軽く腰を前後に振りながらミサキの唇を舐める彼女の舌は柘榴のように真っ赤で、ゆくりなく簡単に潰れてしまうほどに熟れていた。
そんな二人から視線を逸らす。とはいえ長方形の密室では至る所で男女が弄り合っているので、俺の視線はどこに向けていいのか分からない。とりあえず被害の少なそうな床を見るが、暗い密室でも充分知覚できる白い斑点と化した液体や、投げ捨てられた避妊具に吐き気がこみあげてしまう。

口を押えて席を立つ。瞬間、手首からカチッと音がして、俺は逃げることもできずにまた、同じ場所に腰を下ろすのだった。

それから二時間後、結局彼女はなんの反応も見せないミサキに痺れを切らし、勝手に跨り腰を揺らして快楽を貪っていた。他の面々も相手を変えて楽しんでいたが、俺は密室に広がる嫌な臭いが制服に染み込んでしまった気がして、正直、焼き捨てたかった。


「ミサキ、どうする? 次はどこ行く?」
「はいはい、ボーリング行きたーい」
「はぁ? そんな体力ないんですけどぉ。女のか弱さ舐めんな」


長方形の密室――カラオケボックスをあとにした面々は、制服姿だというのに煙草を咥えて暇そうに目を細めるミサキの周りに集まる。
いくらミサキがこの町で大きな顔ができるからと言って、さすがに外で煙草はダメだろう。そう思った俺がすかさず煙草を奪い取り、代わりにべっ甲飴を唇に押しつけると、さすがに驚いたのかミサキが目を開く。
辺りが静まり返り、つい「やっちまった……」なんて絶望に打ちひしがれるが、ミサキは抵抗せずに飴を受け入れた。
そんな俺のうしろで先ほどの彼女が舌打ちをしてわざとらしく肩をぶつけてくる。瞬間、よろめいて後ろに倒れるが、手首に繋がるそれがガチッと音を立てて俺を止めた。


「ねぇミサキ、そろそろ罰ゲームは止めようよぉ。さっきだってせっかく楽しんでたのに、すっごい邪魔だったじゃぁん……ねぇ?」
「言えてるー、ひとりで床見ながら顔真っ赤にしてさ。あ、もしかして途中でどっか行こうとしてたのってアレ? トイレで?」
「ぷっ、ちょっと止めなよぉ」


ミサキの腕に自分の胸を押し付けながら彼女が言うと、周りの面々も口を揃えて卑俗な言葉を口にする。
残念ながら、俺の息子はまったく反応を示さなかった。むしろ吐き気しかこみ上げなかった。とは言わずに流れに身を任せる。このままミサキが周りに同意して、この幼稚な罰ゲームが終わることをただ祈る。


「じゃあ、お前らが消えろよ」


しかし予想に反し、口内にある飴をカランッと鳴らしながら、ミサキは笑う。
再び静まり返った周りの面々だが、取り繕うように笑いながら、もーミサキは冗談が上手いなぁ! なんて目的地もないまま歩こうとミサキを引っ張る。

それに連動して、俺の右手首にはめられた手錠が音を立て、ミサキの動く方向へと導かれてしまうのだった。


それは日常風景の一種だった。ミサキを中心としたクラスでも派手な男女のグループは、今日も今日とて王様のご機嫌取り。
少しでもミサキの気を引こうとあの手この手で場を盛り上げる。いじめや下らないゲームやら、それでミサキが楽しんでいるかどうかは別として、人を人とは思えないような悪趣味な遊戯。
ただ、いつもと違ったのは、今回の罰ゲームを受ける敗者がミサキだった、ということである。

そしてその罰ゲームの内容が、あみだくじで決めた人間と一日中、手錠で繋いで過ごす。というものだった。


「ミサキほら、早くそれ外しなよ。それじゃ遊べないよ?」


なんだか饐えた臭いの(やはりここも暗い)ダーツバーにやって来た面々は、赤い長椅子に腰掛け煙草を吸うミサキの手錠を見て笑う。
こんな町にも存在していることを今知ったダーツバーには、他にも数人客がいたが、ミサキの登場により驚きと喜びを見せていた。そんな周りの観察をしながら、俺は早く帰りたいなぁと色とりどりの酒瓶を眺める。

そういえば、昼からなにも食ってなくね? 俺。放課後くじで決められて、それからずっとミサキとこうじゃん?
今日は帰ってゲームのレベル上げしたかったのになぁ、つか腹減った。

意外と柔軟性のあるメンタルに自分で感心しつつ、テーブルの上に乗るグラスに入ったナッツを見る。
誰も食べないなら俺が食べてもいいですか、それ。

などと思う俺を余所に、王様の取り巻きたちはいつのまにやらゲームをはじめていた。
ちらりと横に座るミサキを見る。一緒に遊ばなくてもいいのだろうか?


「なに」
「え?」
「こっち見てただろ」
「……いや、ミサキ、さんはいいのかなぁと……」


さすがに呼び捨てするのは恐れ多くてさん付けすれば、呆然と取り巻き達を見ていたミサキの視線がこちらに向く。


「なんでさん付け? つか同じクラスだし、敬語いらねぇだろ」
「あぁ……えぇと、うん……そうだね」


そうだね、とか普段の自分には似ても似つかない口調にちょっと自己嫌悪。

確かにミサキは王様だ。だから周りはミサキに従う。けれど皆がミサキに心酔するのはそれだけじゃない。
切れ長の瞳に高い鼻筋、生意気そうに結ばれた口元から紡がれる言葉はどこか横暴で、それでいて甘露のような毒を持つ。すらりと伸びた長い手足は少し動かしただけでもどこか色気を孕み、短めに切られた彼だからこそ似合う髪型はどこか野性味が溢れ、黒曜石のように真っ黒でシンプルなピアスがとても扇情的。

言ってしまえば、ミサキは肩書に相応しい容姿を持って生まれた、生粋の王様なのだ。


「ミサキはいいの? あっちで遊ばなくて」
「別にいい」
「……煙草、外で吸うのはさすがに危なくない?」
「危ないって?」
「……警察、とか?」


いくらなんでもこの状態で捕まるのは俺自身も恥ずかしい。なのでさりげなく補導を回避すべく煙草を注意すれば、ミサキは合点がいったように「あぁ、」と呟く。


「それで飴、くれたのか」
「……まぁ、ね」


先ほどのことを思い出して目を逸らす。さすがにちょっとやりすぎたなぁと今では思うが、あのときは自然と体が動いていた。
この歳で捕まりたくないと細胞が活性化したに違いない。そうに違いない。


「じゃあまた、何かくれりゃいいじゃん」
「……」


フッと鼻で笑いながらミサキが紫煙を吐き出す。
さすがにもう目撃者多数のこの場で無理に止める気はないのだが、色々とこみ上げるものがあり、俺は先ほどまで物欲しそうに見つめていたナッツを手に取る。だがミサキにくれてはやらず、自分で咀嚼した。


「別にもういいよ。ミサキの勝手だし」


そもそも俺、さすがに腹減ったし。

そんな俺の行動を見ていたミサキはまたも鼻で笑い、辞めるつもりもなかった煙草を吸いながら、明らかに酒であろうそれをゆっくり、味わっていたのだった。


結局ミサキとの罰ゲームは朝の五時まで続き、朝帰りを果たした俺は両親にそれはもう叱られた。
まぁね、そりゃ帰ってきた息子の制服から煙草やら酒やら香水やらの匂いがしたら怒るでしょうよ、そりゃ怒るでしょうとも。
けれどそれも昨日限り、どうせミサキたちはまた今日も違うゲームで誰か他の被害者を作って遊ぶのだから、俺はもう用済みだ。

恐らく、ミサキを取り巻く彼らにとって、俺含め弱者のことなど避妊具の一種かなにかと思っているに違いない。
一度使ったら用済み。みたいな。


「おはよ基(もとい)、昨日はお疲れさん」
「おう、おかげで重役出勤だよ全くコンチクショーめ」
「まぁまぁ、ノート取っといたけど見る? 一教科二百円」
「金取るの!? なにこのド外道!」


あっはっはっ。悪びれた様子もなく笑う友人に息をつき、当然ながらタダで見せて貰ったノートを書き写す一日を終えても、その日ミサキが学校に来ることはなかった。

翌日、色んな系統の女子に囲まれながら現れたミサキは、やはりいつも通りつまらなさそうな瞳で俺たち弱者という下界を見下ろす。
しかしながらそんな王様とのお戯れは過ぎた話。ミサキが現れたことで静まり返った教室からぽつりぽつりと音が戻る頃には、俺は友人とゲームの話に花を咲かせていた。


――ガチンッ。

「へ?」


と、いうのに。そんな俺の首に冷たい感触。目の前の友人がこれでもかと開き切った瞳で見上げる相手をゆっくり、ゆっくりと振り返る。
そこには鎖を持って微笑むミサキの、いや王様の姿。ゾッとしない笑みに体の芯が冷え渡る。そっと自分の首元に触れると、それはひどく冷たい金属だった。


「今日の罰ゲーム。付き合えよ」
「……え、と……」


一体なんの罰ゲームかと問いただす前に、ミサキの後ろにいた取り巻きの一人がくすくすと笑いながら「今日の犬はお前でーす」などと言っている。なにその不穏な響き。


「だ、そうだ。ほら、お手」
「……」


いやいやいや、激しく突っ込みたいのだが。
そうは思っていても逆らうことなどできやしない。そう、だって彼は王様。この小さな町の綺麗な王様。すべてが彼の為にある。

すっと伸ばした手を、だがしかし俺は乗せることなく逆に握りしめる。


「躾のなってねぇ犬だな」
「そりゃどーも」


だがしかし、所詮はこの町の王様だ。彼の権力が影響するのはこの町だけ。
俺は、あと五日もすれば親の転勤でこの町を出る。

逃亡者に、この権力を恐れる必要はもう、ない。


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