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旅立ち。

ニースに死す。

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「ネオス」

 ローシュは私を置いて行く事は無かった。
 そして全員で船に乗り、ジェノバに行く筈が。

『どう見ても、フランク王国、ガリアのニース港ですね』
「あぁ、惜しい、ちょっとズレたら憧れのモナコだったのに」

 船が騒がしいとは思ってたんですが、風なのか海流なのか、神々の計略なのか。
 仕方無しに着岸して直ぐに、警備兵がやって来た。

《ココは、ローシュとファウストに任せましょうかね》

 私にも分からない、ローシュとファウストだけが分かるフランス語。
 役立つ為にも、出来るだけ傾聴しなくては。

『“貴族の方は印章を見せて下さい”』

 ゆっくり喋って下さってるのは分かるんですが、全く、分からない。



「コチラで良いかしら、腕章なのだけれど」
『拝見させて頂きます』

 ローシュ様の腕輪は、凄く細かい印章が入っている。
 宝石は少しだけど、凄く綺麗。

「真新しいでしょう、ルーマニアってご存知かしら?」

 僕も知らなかった。
 そしてこの警備兵の人も知らないのか、他の人と相談して。

『少し、コチラでお調べが完了するまで移動して頂けますでしょうか』
「全員で?」

『はい、お連れ様全員で』
「分かりました」

 綺麗なお屋敷からは、港が見えた。
 ずっと眺めてたけど、他の人は船に戻って、その船は出ちゃって。

《ローシュ様、貰った書類を見せれば良かったのに》
「ファウスト、ローシュ、ね。アレは困った時用、別に今は困ってはいないでしょう?ベッドは有るし食事も出るんだもの」

《でもお屋敷から出ちゃダメだって》
「だけ、殺されるかもってなれば出すから大丈夫、それより名前の練習。アナタは賢い子なんだから、もっと学んで良い子になるの」

《そしたらローシュ様の夫になれますか?》

「そうねぇ、賢くて素敵になって、私よりも素晴らしい人が見付かるから無理ね」
《ローシュ様が良い》

「色々と見て回って、成人してもそう言ってくれる賢い素敵な子になってたら、考えておくわ」

 ローシュ様の考えておく、は当てにならない。
 だって、誰にだって言うし、改めて考えてみたけどダメだって言ったりもするし。



《ローシュ、いい加減に機嫌を直してはくれないだろうか》
「メルクリウス様、事後承諾は承服しかねます」

《そこは、本当に、すまないと思っている》

「それで、何をすれば宜しいので」
《いや、本当に楽しんで貰うつもりだったんだ、だからこうして直ぐにイタリア語が可能な貴族に繋がった。あの国で、あの状態では、ドレスも何も楽しめなかっただろう》

「ですけど、もうマリッサが待ってるんですから」
《あぁ、アレなら手を出されたから暫くは無理だろう、子供が長旅に耐えられる様になれば。そうだな、3年は居るだろう》

「あの夫様は何て事を」
《異国の者に魅力を感じる者は多い、それを恐れたのもあるが、まぁ夫婦なのだから仕方あるまい》

「ご家族に何てご説明を」
《なまじ学ぶより良いだろう、怒られるとしたらローシュでは無いのだし、アレらも子を見れば秒で許すさ》

「はぁ」
《頼むよローシュ》

「出ません、絶対にお部屋からは出ません、揉め事が目に入るに決まってるんですから。まーたそうやって私を、使うのは良いんですよ、ですけど先に教えて欲しいんですよ」

《お前が思うままで構わないんだよローシュ》
「お言葉ですがね、既に統治され平和なのですから、無理です。しかもドレスはゴシックどころか平民はルネサンス、貴族はバロックを既に通り越し、ロココ。ロココ、イミフ、ハンカチ落とすだ靴を拾わせるだ、お外お怖いですわよ」

 今は寒い時期、ウープロンドと呼ばれる外套コートを羽織っていられる時期だから良いけれど。
 ブリオーもコットも部屋着か寝間着か下着と化しており、その変形のコタルディは平民のお仕着せに、そのままボディスとよばれるディアンドルの様な服へ。

 クーちゃんの大好きなルネサンス期の華美なモノは、王族用の代々受け継ぐ儀礼服だけ、と限定的に生産されたのみで。
 貴族は直ぐにもバロックスタイルへと移行し、華やかなロココ調へ。

 このロココが問題で。

《だが、ソレは一部に》
「その一部に先日まで肩までずっぽり浸かってたんですよ?船に乗る前にズブズブでしたのに、もうお忘れで?じゃああんな事は無いと言い切れますか?……ほらぁ、誓ってくれない時点でアウトですわよぉ」

《お前がゴネると凄まじいな》

「余計な事なのかも知れない、そう思って胃が痛くなりそうなのにアーリスの体液で健康そのもの。ただ心労だけが積み重なっ」
《だから、だ、ココには全国民が今直ぐにでも危機に陥る様な事は無い》

「一部の者は困っているんじゃないですかー、ヤダー」
《仕方無いだろう、完璧な世界とはデストピアなる完全管理社会かも知れないと言ったのは君だぞ》

「でもでもでも、関わらなければどうと言う事は無い。それに、着るのは多少は楽しいのですが、専ら見る方が好きなんですぅ」

《それこそ外へ見に行けば良いだろう》
「パルマ公の奥方みたいなのも御免なんです、一瞬、逆恨みかクソ女、プチ殺しますわよ。って、そう思っちゃったんですからね。そも何ですか、彼女を説得させる為に警備の穴を作るとか、介入過剰では?」

《私では無い》
「なら、どな」

 ノックが、あっ、そして消えた。
 もー。

『良いかしらローシュ?』
「はい、何でしょうクリスティーナ」

『ファウルスト?ファウスト?』
「ファウストですが、あの子が何か?」

『お勉強のご褒美には何が良いかを尋ねたら、アナタと出掛けたいって言うのだけれど』

 あぁ、神よ、神よ。
 どう足掻いても私を外に出す気ですね。

「クリスティーナ、他の事ではダメそうかしら?」
『それしか言わないの、可愛らしいけれど頑固な子ね、ふふふふ』

 クリスティーナ・ド・ピザン、彼女はクーちゃんの資料にも有る正史と同じ有名な女性。
 薔薇物語は前後編とされていた中、続編の薔薇の言葉を書き、前中後編の3部作として完成させた女性。

 百年戦争が無い中、前王はシャルル5世は賢明王、そして税金の父とも呼ばれている。

 この事からして、彼女も仕組まれた女性。
 医師であり占星術師であった父親が前王、シャルル5世により宮廷に召し上げられ、イタリアのボローニャからココへ来た人。

 歴史が違うにも関わらず、シャルル5世は賢明王と呼ばれる程の治世を発揮し、彼女は薔薇の言葉を編纂した。

 そして彼らを手助けしたのは、他でもないサンジェルマン伯爵家、その一族が連綿と理想的な正史を後押ししている。

 どう考えても、転移者か転生者の一家が影の支配者です、本当にありがとうございました。

「それで、何処へ出掛けたいと言っているんでしょうか」
『観劇よ、薔薇物語の舞台なら皆さんと行っても勉強になるだろうから、と。他の者の事も考えられる良い子ね』

 ココで今人気の3部作、公演は日に2回、最低でも2日は掛かるじゃないですか。

「貴女のお話は特に好きよクリスティーナ、けれど」
『ネオスが特に勉強熱心なのよ、彼の為にも、ね?』

 イタリアの近隣国にも関わらず、フランス語は既にフランス語として独立している、それこそ正史通り。
 そこでネオスが躍起になっているのは知っていたけれど、オスマントルコとエジプト、そしてルーマニアの言葉が分かるだけでも充分なのに。

「あの子もご褒美を?」
『いえ、寧ろ息抜きによ、真面目なのは良いけれど人生を楽しまなくてはいけないわ』

 江戸時代然り、平和な治世こそ文明や文化、そして文学を発展させる場合が有る。
 それこそ成熟度を高める為の成熟度、素地が、伸びしろが大きくなるのは良いのだけれど。

「あの子、あの顔で苦労を」
『だからよ、言い寄る者をいなしてこその騎士道精神、単に拒絶するだけでは伸び悩むだけだわ』

 奥方との事件以来、ネオスは指輪を外さないまま。
 慣れる為だとは言っていたけれど。

「はぁ、お気遣い頂き」
『それで、行くの?行かないの?』

「行きますぅ」

 既に家族規模で正史の良い部分を伸ばしている者がココには居る、ともすればそれこそ私が異端、部外者。
 少なくともルツもアーリスもネオスもファウストも文句が無い国なのだから、私は寧ろ場を荒らすかも知れない珍獣、狩られる側かも知れないと云うのに。



《歌劇では無い方が確かに聞き取り易いですね》
「そう」

《ネオスに嫉妬ですか?》
「いいえ、早くココを去りたいだけよ」

 ローシュの言うココ、とは。
 劇場では無く、この国の事。

 彼女は狩られる側だ、と珍しく怯えている。
 一族、貴族に狩られる、サンジェルマン伯爵によって。

 サンジェルマン伯爵、それ自体がパブリックドメインだ、と。
 確かに正史にしても、転生者か転移者の様な振る舞いをしていた者の名だとは、クーリナからも聞いてはいましたが。

《少なくとも、接触は無いんですから》
「賢い者なら直ぐに出て行くだろうと踏んでいるんでしょう」

《少しは楽しそうにして下さい、クリスティーナに悪いですよ》
「恋愛沙汰には寛容だから大丈夫よ、それこそネオスに嫉妬したとでも言えば、寧ろ喜ぶでしょう」

 この国の転移者、若しくは転生者に怯えている。
 そして粗に目が行く事も。

 優しいですからね、お人好しだとも言われる気質を少しは自覚している。

 パルマ公の奥方の事でも、直ぐにも殺さなかったのは優しさでも有る、そして聡明だからこその選択でも有ったとは思うんですが。
 驚いただけだ、と認めない。

 そこも可愛らしいんですけど。

『ルツ、ココでも赤髪は珍しいんだね』
《そうですね》
「サロンへ行ってらっしゃい、私はもう帰るわ」

《それこそ嫉妬心なら嬉しいんですが》
「そう、その通りよ、いつでも婚約破棄してくれて構わないわ」

《撤回します、全く嬉しく無いですね、そんな顔をしないで下さい》
「慣れよ、ルツが慣れれば良いだけだから、お願いだから帰らせて」

 ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココ。
 ローシュが好きな様式はゴシック、けれども貞淑な貴族の外着は最低でもコルセットは必須、部屋着としてどうにかボディスと呼ばれる服装が屋敷でのみ許されている。

 罰則が有る決まりでは無いのですが。

《貞淑でありながらもコルセット無し、それもローシュになら可能なのでは?》
「そうね、考えるから帰るわ。時間を気にしないで、情報は貴重だから」
『送るよローシュ』

「ありがとうアーリス」

 アーリスはココでの情報収集には全く興味が無い、と言うか服に焚き込められた香が嫌だそうで、ローシュの付き添いは殆どアーリスが行っている。
 そうして私とネオス、ファウストが情報収集と言語を取り入れる為、サロンと呼ばれる社交場に出入りしている。

 けれども、どうにもネオスの耳には馴染まず、傾聴しながらも彼は主に文章に残す書記係に。
 ファウストは幼いながらも通訳に、そして私は愛想笑いを浮かべる係。

 ローシュの為に馴染もうとしたのですが、どうにもココの方々は奔放で、それこそクリスティーナの薔薇の言葉と同じく自由恋愛への憧れが強い。

『行ってしまいましたね』
《目立つのがやはり嫌だそうで》
《ローシュ様は何処でも素敵ですからね》

 人種も珍しい事ながらも、彼女はこの中で1番言葉が上手い。
 たったそれだけなのですが、ココでは異様に目立ってしまう。

 奴隷制も無い、移民も無い世界では、どうしても異国の者は非常に目立ってしまう。
 そうした悪目立ちも避ける為、ローシュはサロンに出掛けたのは1度だけ、なんですが。

『“あら、アナタの愛しい人は今日もいらっしゃらないの?”』
《ルツさん、ローシュ様は今日も来ないのかって》
《“はい”目立つ事を嫌う貞淑な方ですから》

《“目立つ事を嫌う貞淑な方なので、もう帰ってしまいました”》

『“あら残念、あの子の事を教えて差し上げたかったのに”』
《“あの子、とは?”》

『“ほら、凄く下品だった子よ”』
《“あぁ、あの下劣な、ローシュ様を馬鹿にした人ですね”》

 誂い、揶揄、好奇心は時に人を傷付けるのですが。
 下品な人程、弁える事を直ぐに忘れるんですよね。



「アーリス、もうマルセイユに行くしか無いのかしら」
『王族の人が居るんだっけ』

「そう、パリは寒いからマルセイユに居るんですって」
『サンジェルマン伯爵も、でしょ』

 ローシュの最近の悩みはサンジェルマン伯爵家。
 コッチの情報は伝わってる筈なのに、向こうからは全然接触が無いから逆に凄く怖い、って。

「役割を押し付けられるのも、否定されるのも、利用されるのも嫌。けれども会うしか楽しく過ごす方法が無い、彼らの流儀に反したら殺されるかも知れないし、追い出されるかもだし」

『仲間って概念は無いの?』
「一神教なら殴り合いになる想像しか無いわ、はぁ」

 神様は情報をくれる時とくれない時の差が激しい、今回もローシュの考えを大事にしたいからって、そのサンジェルマン伯爵家の情報もくれない。
 意地悪じゃないのは分かってるんだけど、意地悪に思える。

『死んでも守るから大丈夫』
「そこは生きて、外遊の情報が無駄になるもの」

 ローシュは真面目で貞淑。
 けど男を多く囲ってサロンに行ったからって、ココでも高級娼婦だとか揶揄されてるらしい。

 言葉が聞き取れないと、直ぐに守ってあげられないのが嫌なんだけど。

 臭い。
 香とか香水臭い、人間の体臭だけの方がまだマシ、嗅ぎ慣れてるし。

 けどココは少ない量だけど香を付ける者が多くて、少なくても数が多いと頭が痛くなる、匂いが多いなら庭園の方がまだマシ。
 好きでも無い食べ物の匂いと香が混ざるって、凄い苦痛で。

『ごめんねローシュ』
「得て不得手が有るし、私も好きじゃないから分かるわ、気に入った匂いだけを嗅ぎたいもの」

『味もね、大好きだよローシュ』
「控えて、馬車の中なんだから」



 私の家に来たナポリからの渡来者は、ルーマニアと呼ばれる辺境国から来た、東洋人だった。
 オスマン帝国からギリシア、そしてナポリからナポリのジェノバへ行く筈が、何の因果か私達の居るフランク王国のニースの港へと船が到着してしまった。

 そこで聞き慣れぬ国名と東洋人なのにも関わらず、言葉が流暢だからと係留され、ナポリの言葉が分かる私の家で預かる事に。

 どうして警備兵がそんな事を、と思ったのだけれど。
 様々な国の男性を連れた、正に魔女狩りの話に登場する東洋の魔女の様に見えたからなのだと、お会いして直ぐに気付いた。

 けれども、そう、言えずで。

 だって、東洋の魔女と言えば、歴戦を戦い抜いた猛者。
 魔女狩り隊を狩り、十字軍を退けた女傑、そう王宮の者だけが知る噂話で。

 黒髪の黒い目の東洋人ってだけで、彼女は全然、好奇の目に怯えるただの女性なのだし。
 真反対の女性に、こんな噂話を聞かせてもね、機密情報と言えば機密情報なのだし。

『あらお帰りなさいローシュ、早かったわね?』
「ただいま戻りました、サロンへは寄らなかったので、はい」

『まだ怖いの?』

「東洋人の評判を落とすワケには参りませんから」
『ローシュ、お辞儀カーテシーだって言葉だって、貴女は完璧よ』

「けれども文は読めませんし、ココの歴史を詳しく知らぬ田舎者のままですから」
『あぁ、そんな些末な事は気にしないで良いの、大丈夫よローシュ。ごめんなさいね』

 可哀想なローシュ。
 私のせいで、若者用のサロンへ連れ出してしまったものだから、下品な女に恥をかかされてしまって。

 とても、深く傷付き、怯えてしまっている。

「いえ、私の努力不足は事実ですから」
『人の時間は有限、貴女の年でも勉学だけを詰め込めば、確かに可能かも知れないけれど。それを人生とは呼ばないわ、単なる牢獄。と云うか、あの下品な女の子はスペイン語とココとナポリ公国の言葉だけで、それこそ貴女と同じ様に読み書きは出来ないって聞いたわ。確かよ、アレは確実に妬み嫉み僻み、卑しくも下品な心の持ち主だって確定してる。だから大丈夫よローシュ、そんな者の言葉に負けないで、貴女はとても聡明なのだから』

「ありがとうございます」
『ねぇ、本当なのだからね?』

「大丈夫ですよ、クリスティーナの言葉は信じてますから」

 ちょっとお父様の知り合いを使って調べさせたけれど、本当に奔放過ぎる下品なご令嬢なのよね。
 だからお父様に言って、家に圧力を掛けて、マナーを学ぶ学園へと行って貰ったのよね。

 どうなってるかしらね、あの子。

『じゃあ、そう信じるわね、お茶にしましょうローシュ』
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