松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

文字の大きさ
上 下
154 / 215
第27章 夢と妻と作家と。

4 役者と罪人。

しおりを挟む

 社長が捕まった直後、僕は林檎さんと神宮寺さんと共に、四葉事務所へと向かい。
 そして新たな事務所社長は、僕の体調の事を心配し、先ずは病院へと診察に向かう様に手配してくれました。

 そこで医師に聞かされた事は、神宮寺さんの説明とほぼ同じ事でした。

 睡眠不足により、人は幻覚や幻聴を体験してしまう場合が有る、と。
 そこに過労、心労が重なれば直ぐに人は心身に異常をきたしてしまう。

 けれど、酒や薬で誤魔化す事も出来る。
 出来るけれど、いつか、綻びが生じてしまう。

 そして、その綻びに漬け込んでいたのが、元の事務所社長や周囲の者だった。

 僕は、もう少しで餌食になる筈だった。
 けれど、本当に運良く、大戸川先生や松書房に助けて貰えました。

 ですが。
 中には既に犠牲になった者が、それなりの数に達していました。

 例え何も無かった者でも、もしそう犠牲になった、と報じられてしまっていたら。



「検査の結果は問題無さそうだけれど、アナタ自身はどうかしら?」

『体については、ですが心となると。他の方が、どうなっているのか気になってしまいまして』
「なら、それについては問題無いわ。今度、こうした問題に巻き込まれてしまった方々の書籍を出すの、そうして身の潔白を訴える。アナタも、参加してみても良いけれど、コレは強制では無いわ。断っても、全く問題無い事よ」

『参加を、検討させて下さい』
「はい、分かりました。では先ず、宿坊で暫く忘れる修行から、後はお願いね」
『はい』

 四葉事務所の最たる後援者、三葉夫人は菩薩女史と言われており、実際も非常にお優しい方でした。
 僕に会いたい、と最初にお伺いした時は非常に困惑しましたが。

 事務所の独断だけでは無く、しっかりと後援者による管理も有るのだなと。
 僕は1つの事務所しか知りませんので、他は分かりませんが、これなら安心だと思えたのは事実です。

 そして、僕はとても信じられなかった。

 辣腕ながらも気配りの出来る、厳しいけれど優しさの有る社長が。
 元社長が、あんなに酷い事を企み。

 あんなに酷い事をしていただなんて。



「ひひ、いひっ。お、俺をそんなに褒めても、何も出ないぞ。何だと!そこまで言えとは言っていないだろう!!あぁ、泣くな泣くな、悪かった悪かった。ひひひっ、いひっ、良かったろう俺の味は」

 彼は僕の真正面に居た。

 けれども目は、あちらこちらへぎょろぎょろと動き。
 僕には見えない誰か、何かの相手をしていた。

 代わる代わる声が聞こえているのだろう。
 きっと、僕が聞いていた幻聴に似たものだったのだろう、そう思えた。

『今まで、ありがとうございました』

「あぁ。ほら、次は俺が相手だ、いっひっひっひっひっ。まぁまぁ、コレも仕事ですから、ね。逆らうならお前の親を……」

 正直、僕は正気に戻って欲しいと思いながらも、このままの方が良いのかも知れないとも思っています。

 実際に被害に遭われた方々のお話を聞く限り、証拠を見聞きする限り、対面した限りでは。
 彼は有る事も無い事も話し、身を守る為なら親をも喰らい尽くす様な男にしか思えません。

 ですからきっと、彼が正気に戻ってしまったら、もっと世間を騒がせ荒らすでしょう。

 ただ、彼に罰は受けて欲しい。
 被害者と同じ分だけ苦しみ、罪を償うべきだ、とも思います。

 けれど、やはり僕は未だ、善人としての元社長の面影が大きく。
 僕には彼をどう裁くべきか、どうなるべきかと謂う判断は付きかねます。

 ですので、何もしない事に決めました。
 陳情書も、何も。

 僕は実際に身に起きた事のみで判断し、皆さんの判断に委ねたいと思います。



『どうも、木嶋、八重子と申します。件の元社長について、幾つか質問をさせて頂きますので、どうか正直にお答え下さい。尚、誤魔化しは時に共犯者と見做される場合も有りますので、ご了承下さい』

『はい』

 本当に、顔も声も良い男。

『コチラの中に、見覚えの有る方が居ましたら、全てコチラへ差し出して下さい。お名前が分かる場合、お名前もご一緒に宜しくお願い致します』
『はい』

 背筋良く、真っ直ぐな瞳。
 きっと本当に真面目な、正直者なのでしょう。

『コチラは、横向きになっていますが』
『見覚えが有る気がするんですが、非常に曖昧で、保留にさせて貰っています』

『成程、ではコチラはまた後で。では次に、目録の事はご存知でしたか』
『いいえ』

『では周囲に被害者だろう、と思われる方は居ましたか。その当時、です』

『いいえ』
『では、今思えば、被害者だったのかも知れない。と思う方は居りますか』

『はい』
『では、詳しくお願い致します』

『彼女は、事故で顔に怪我を負って裏方へ。僕の専属では無いんですが、仕事の管理をして下さっていた方です』

 その彼女は、嘗ては芸能の表舞台に立っていた。
 けれども怪我を負い、裏方へ。

 そう、彼女が例の呪具を作り、元社長を呪った者。

『何故、そう思われたのでしょうか』

『少し前から、連絡が付かず。誰も、彼女の事を言わないので』
『成程』

『もし彼女が何かに関わっているなら、僕は、陳情書を出したいのですが』
『分かりました、その事は後に。次はコチラを、先程と同じく見覚えが有る方の選別をお願い致します』

『はい』



 石井、完全に失敗したらしい。

「そう落ち込まれると空気が淀むんだけれど」

《すまない》
「すまない、じゃなくて、また次の手も浮かびませんか」

《いや、似合いだと思ってな》

「はー、陰気臭い、コレだから男は辛気臭くて嫌なんですよ」
《すまない》

 諦めろ、と言うのは簡単ですが。
 石井に諦めろ、と言ってしまったら、きっと死んでしまうでしょう。

 しかも自死ではと悟られぬ様に、迅速に確実に死に。
 結局は八重子さんにバレてしまう。

 大変ですね、八重子さんも。

「あ、お疲れ様でした」
『陳情書の手配と、そうですね、彼女に会わせて差し上げましょう』

「えーっと、あの状態のまま、ですか」
『少し戻します』

《何故、そこまで心を砕く》
『嫉妬は見苦しいですよ石井。彼の為、だけでは有りませんよ』

 明らかに年上の筈の石井が、一蹴されて。
 可哀想に、きっと石井なら分かるだろう事が分からない、その歯痒さが八重子さんには有るんだろう。

「分かりました、手配します」
『では、休憩としましょう』



 私は夢の中に居た。
 途中までは、順調そのものだった。

 主役を務めた劇が満員となり、次の舞台の事が出る迄は。
 とても、良い夢だった。

 「向こうはお前にするかどうか、迷っているらしい」

 《どう、迷っているのでしょうか》
 「ハッキリ言えば、ヤれるかヤれないか、だ」

 《その、何を》
 「あぁ、いや、今ので確信した。きっと向こうはお前に決めるだろう」

 何の事かは後で直ぐに分かりました。
 性行為の事だったのだ、と。

 しかも私がウブだからこそ取れる役。

 私が愚かだったなら、きっと、ただ悲しみに暮れたでしょう。
 けれど、私に沸き起こったのは怒りでした。

 私の大好きな場所を穢す者達への、憤りでした。



《うぅっ》
『ひっ、違う、俺じゃ、俺じゃない』
「だ、誰か医者を!早く、早く医者へ」

 きっと、こうした事は何度も有るだろうと思った私は、直ぐに酔ったフリをし。
 風呂場の鏡を割り、顔を切り裂き、胸にも幾つか傷を付けました。

《ご、ごめんなさい、朦朧としてしまって》
「あぁ、構わない、どうせアイツが飲ませ過ぎたんだろう。大丈夫だ、心配無い」

 もし医者に診られてしまったら、敢えて付けた傷だとバレてしまうかも知れない、そう思いましたが。

「先生、まぁ、彼女も少し参っていたらしくてね。ココはどうか、穏便に」

「ですけど、状況からして」
「先生、今度、お食事でも如何ですか。先生の憧れの方を手配させて頂きますよ、もし穏便に済まして下さるなら、ですが」

「もし、叶ったとて。コレは本来」
「分かります分かります、1度きり、もうご迷惑はお掛けしませんから」

「1回限りで、お願いします」
「はい、勿論」

 自分だけでは無いのだ、と更に怒りが増しました。
 そして直ぐにも警察へ行こう、と。

 ですが、もし、警察内部まで食い込んでいたなら。
 私は簡単に消され、次の犠牲者が出てしまう、と。

 しかも、そもそも社長だけの案なのか。
 一体、何処まで魔の手に浸食されているのか分からない。

 先ずは傷を癒し、壊滅させる為の情報を得る事にしました。


 

『三重子さん、昔は舞台に立ってらっしゃったそうで』

《あぁ、少しだけですよ》
『もしお嫌でなければ、少しだけ、ココの心情を教えて貰えませんか』

《良いですよ》

 彼の様に純真無垢な者を守りたかった。
 けれど。

「はぁ、ヤるだけで役が得られるなんて、演劇を真面目に学ぶだけ馬鹿よね」
『本当、しかも男は良いわよね、妊娠しないんですもの』
《いやでも出口だぜ、下準備は必要だし、大して良くも無いのに演技してやんなきゃなんない。しかもあの先生は女っぽくが好み、あの先生は男っぽくだ、面倒は面倒なんだよ》

「あ、もしかしてあの先生かしら」
『雄叫び系が好きなあの先生でしょう』
《そうそう、おおーんって叫んでやると喜ぶんだ。演技かどうかも見抜けないクセに、喜んで腰を振りやがる》

「あー、しかもネチっこいの」
『大して上手くも無いクセに、ネチネチネチネチ』
《ネチネチさせられんのも、それなりに苦労するんだからな?》

「まぁ、それはそれで可哀想ね」
『ふふふ、本当』
《まぁ、お陰で次も主役だし、後は適当に稼いで。そうだな、訓練所勤務にでもなるよ》

「あら、もうお尻が限界なの?」
『あらー、垂れ流しは流石に嫌だものね』
《それもだし、まぁ、結婚願望も有るしね》

「どうだかね」
『女だけ、で満足出来るのかしらね?』
《なら、偶に稼がせて貰うだけだよ》

「世渡り上手」
『生き上手ね本当』
《おう》

 もし、彼らに私の真意がバレてしまったら。
 きっと彼らは邪魔をするだろう。

 保身の為に、己が身の可愛さに。
 きっと、自分達の様に受け入れていた筈だ、と無辜の者の足まで引っ張る筈だ。

 私は、孤立無援でした。

 ですが希望も有りました。
 彼は純真無垢で、真面目で。

 きっと何が有ろうとも、もっと良い役者になるだろう、と。

 あの社長への届け物が。
 まさか、まさか彼へ届いていたなんて、それだけは本当に誤算でした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

おねしょ合宿の秘密

カルラ アンジェリ
大衆娯楽
おねしょが治らない10人の中高生の少女10人の治療合宿を通じての友情を描く

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...