松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第27章 夢と妻と作家と。

2 作家と役者。

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『まさか、夜行で途中下車するとは思いませんでした』
「途中で先頭が入れ替わるので、コレも作家先生の案、所謂トリックなんです」

 誰に付けられているか分からない、そんな時には途中下車か、乗り換えか。
 今回は切り替え駅にて駅途中下車し、事前に手配しておいた車へ乗り込み、目的地へと辿り着きました。

 はい、鎌倉です。

『成程』
「お邪魔しまーす」

「はーい、いらっしゃい」
「夜分にすみません、先生は如何ですか?」

「ふふふ、待ち焦がれていたわよ。さ、上がって、アナタも」
「はい、失礼します」
『お邪魔します』

 元は大戸川先生が言い出した事、なんですが。
 同じく他の作家先生も共感し、ご協力頂く事になり。

《あぁ、林檎君、大丈夫だったかい》
「はい、あ、コチラ佐藤先生です」

『あ、あの、アヤメと芍薬を読ませて頂きました』
《あ、いやいや、どうも》
「疲れたでしょう、ご飯が先かお風呂が先か」
「先ずはお風呂で、ご案内しますね」

『あ、はい』
「ふふ、もう勝手知ったるね、ふふふ」
《遠慮せず、寛いでくれ給えよー》
「はーい」

 少し驚きでした。
 好青年な新人人気俳優が、まさか佐藤先生の愛読者だなんて。

『あ、あの、あの佐藤先生なんでしょうか』
「はい、ですけどどうか内密に、お顔等は出されない方ですから」

『勿論です、はい』
「あ、洗濯物はその籠へ、ごゆっくりどうぞ」

 幾分か気晴らしになれば、と思っていたんですが。
 今回、素晴らしく運の巡りが良いのかも知れません。

『はい、ありがとうございます』



 部屋は陰気に満ちていた。

 それは片付けられていないからでも、汚らしさからでも無い。
 呪詛により陰湿な気で満ち溢れ、薄汚れ淀んだ陰気のせい。

 だが、生憎と空気の入れ替えはままならない。
 この部屋に何か動きが有れば、取材陣が騒ぎ出してしまう。

 ましてやこんな夜更けに騒ぎ出されてしまったら、周囲にも迷惑が掛かる。

 こんな生活では、誰でも気が滅入るだろう。
 四六時中見張られ、罵詈雑言と嬌声を浴びせられたなら。

《あぁ、1番に強いのはコレか》

 玉石混淆。
 邪気や憧れ、嫉妬を含んだ品物の中に、最も邪な気を孕んだ物が紛れ込んでいた。

 さぞ下の階や隣室にまで影響していただろう。

 それ程の物が存在していた部屋。
 素人ですら、ココに入る事を躊躇うだろう。

 林檎君以外は。



「ちゅん!」

「まぁ、何処かで雀が鳴いたわね?」
「すみません、夜更かしが苦手なもので、それかも知れません」
《あぁ、無理をせず、僕は夜半まで起きている事が常だから》
『すみません、お付き合い頂いて』

「いえいえ冗談ですよ、無理はしていないんですが、今日は先に失礼させて頂きますね」
《あぁ、お休み林檎君、君もそろそろ休みなさい》
「はいはい、失礼しますね」

「ふふ、すみません、まさか愛読者の方だとは知らず」
「良いのよ、あの人ったら会えたら会えたであぁなんですから、寧ろ良い運で助かったわ」

「ありがとうございます、直ぐに済むそうです、運が良ければ」
「なら、運が良いなら、もう2日は掛かって欲しいわね。少しお願いが有るの、付き合ってくれるわよね?」

「はい、勿論」

 それから夫は、その俳優さんを気に入り、原稿そっちのけでお話し合い。

 片や私は、林檎ちゃんと逢引、と言う名の買い出し。
 客人が居る、けれどそれは林檎ちゃんのみ。

 そう思って頂かないと、変な探りを入れられても困りますし。
 浮気を疑われるなんて、もっと困りますしね。

「ふぅ、こんなものかしらね」

「アヤメさん、ついでに蓄えるつもりですね?」
「勿論よ、漬けたかったのよ、白菜と大根」

 買いに行っても良いのだけれど、そう出ないで済むなら、ね。



《昨夜は取材頂き、大変有り難かったのですが、苦情の処理をしなければいけなくなってしまいました。皆さん、代表者を決め、お1人だけココに滞在する様に。あぁ、交代の時間はお任せしますが、揉めれば公序良俗で逮捕となるのでご理解下さい》

 烏丸の動きにより、俺は何とか外に出れたが。

『実に陰気臭いですね』
《あぁ、だろうな》

 川中島から借りた呪具により、呪詛の蠱毒を仕掛け、些末な怨恨は殆ど処理したが。
 移り香や残り香は、どうにもならない。

 ましてや、1番に強力な呪詛は、殺生石で蓋をしているに過ぎないのだから。

《はぁ、阿保らしい、全部殺してしまえれば楽なのに》
『分かります、御苦労様です烏丸』
《物騒が過ぎるが無視させて貰う、コレをどうする》

『譲ります、ご祝儀に』
《なら貰い受ける》
『ヴー』

《嫌がっているが、構わないのか》
《条件反射だ、貰い受ける、じゃあな》

《あぁ》
『はい、では』

 一時は身を潜めていた犬神は、今や公房、しかもかなりの地位に居る物が多い。

 いや、そもそも生類憐れみの令が出た頃から、既に準備をしていたに過ぎないのかも知れない。
 そうして山の者も既に、内部に。

 いや、それよりも先ずは飯。
 いや風呂か、いや。

《はぁ》
『陽気を補うには羊肉が良いかと』

《あぁ》
『向こうに良い店が有ります、汁物も実に美味でした』

《あぁ》
『では行きましょう』

《あぁ》



 呪いだの心霊だのは、結局は人の心持ち如何だろうに。
 全く、コレだから田舎者は。

「あぁ、神宮寺先生、如何でし」
《僕はご存知の通り、雑誌社に所属しているんですが、そこではしっかりと仕分けがなされるんですよ。作家先生へ見せるべきで無いモノや、届けるべきでは無いモノを、しっかりと仕分けるんです》

「あぁ、そうでしたか。以降は」
《仕分けも何も、本当に面倒だったのでしょう、こんなモノが紛れ込んでいましたよ》

 若造の手に有るのは。

「帳簿、ですか」
《随分、酷いお金の使い方だ、コレだと税金がどうなる事か》

「まさか、裏帳簿だなんて。仮に、有ったとしましょう、ですが」
《何故、ココに有るのか、ですよね》

「そうです、そうした大事な物なら、差し当たっては金庫等に入れているでしょうし」
《強盗にでも入られたのでは、昨今は入られた事に気付かない事が有るそうですが、ご確認はいつされましたか》

「だとしてもです、一体、アナタの望みが何なのか」
《持ちつ持たれつですよ、支え合い、補い合う事です》

「ほう、幾らお困りで」

《残念ですが、生憎と金銭には困っていないんですよ》

「でしたら、売出し中の」
《見目が良い女や男、ですか》

「はい、目録をお渡ししますので、ソチラと交換では如何ですか」

 男なんて言うモノは、大概は見栄か性欲か物欲の塊だ。
 例え本物の裏帳簿でなくとも、コイツは使える、暫くは適当な女を宛てがい。

 弱味を握らせれば。

《目録と言うのは、コレの事ですかね》

「まさか」
《金庫にしまってある筈だ、どうぞ、お確かめを》

「また、ご冗談を。ですが、乗って差し上げましょう」

 本物で有る筈が無い。

 裏帳簿は、あの高かった金庫にしっかり入れていた、そして番号を知る者も僅か。
 しかも斡旋目録の事を知る者も、僅かばかり。

 全て、把握している、掌握している。
 目録の家族の事も、何もかも、全て。

《どうです、本物ですか》

 そんなワケが無い。
 ココに有る筈が。

「どうして、ココに」
『警察の者ですが、少し宜しいですか』

「ちっ、違うんだ」
『何やら顔色が悪い、どうです、交番で一休みしませんか』

「ちがっ、ち」



 邪なる陰気。
 そうした邪気により、どうやら僕は酷く心持ちが傾き、それらにより幻聴が聞こえていたらしく。

『確かに、ココ数日は、はい』
《僅かに影響させるモノも有りましたが、些末な影響、以降はアナタの心持ち次第です》
「僭越ながら、我が社の会長が心配してらしたんです。過労にしても限度が有るだろう、様子を伺いなさい、と」

『すみません、そんなに顔に出てしまっていましたか』
「いえ、出てはいませんでした、厚いドーランで隠されていましたから。ですが、我が社の取材部が、計算をしたんです」

『計算、ですか』
「アナタの労働時間、実務時間です。確かに俳優業は自由業ですが、明らかに、働き過ぎだと」

『ですけど、新人には良く有る事だと』
「移動時間も計算に含まれています。睡眠時間、細切れだったかと、4時間も無かったのでは」
《それでは心身を削る事になりますよ、長くは保たない》

「会長は使い潰される事を懸念し、今回、お助けすべきだとの結論に至ったそうです」

『ですけど。長く、君は売れると、そう良くして下さってますし』
《成程。申し訳ないけれど、コレを、君は読むべきかも知れないね》

 事務所の社長が心身に不調をきたし、公務執行妨害で逮捕。
 その際、脱税の証拠等も押収された、と。

「えっ、あ。僕はココまでの事は知らなかったんですが、すみません、こう大事になるとは」
《ですが朗報も有りますよ、かの大手事務所、四葉事務所からのお手紙です》

『えっ』
「えっ、凄いじゃないですか、新人全てが大当たりだとの噂さの。コレ本物ですか?」
《その筈ですよ、会長から直々に手渡されましたから》

「そうなんですね、あ、良い香りがしますね」
《ですよね。さ、どうぞ》



 大戸川先生の作戦は、実に功を奏し。
 件の俳優は穏便に移籍、事務所は解体となり、所属してらっしゃった方々は散り散りに。

 中には行方知れずの方も居るそうですが、大方、出てしまった噂のせいではと。

「本当に有ったんですかね、斡旋目録」

《林檎君には珍しく、ゴシップの事ですか》
「まぁ、と言うか先生と話していて、ですね」

 売出し中の女優、俳優、それこそ引退した方まで目録に載っており。

 事務所は仕事を、配給先や作家は相手を得る。
 そうした事が横行しており、中には自死を選んだ方も居り、実はそうした事が原因ではと。

 そして事務所社長逮捕の同日、公安が芸能事務所全てに、同時に緊急立ち入り検査を実施。

 更には斡旋目録なる物も同時に出回り始め、国は一括して模造品であるとし、各所へ回収命令を発表。
 回収騒動は勿論の事、各事務所への批難や脅迫が起き。

 警備が必要となる事態へと発展し、警察もまた更に大忙しに。

《本物を知らなければ、模倣品とは見抜ける筈が無いですよね》
「神宮寺さん、見た事は?」

《生憎と、明るい場所とは縁遠いので、裏帳簿程度ですよ》
「裏帳簿、どうして元事務所社長は、持って暴れていたんでしょうね?」

《ご遺族や、被害に遭われた方が、もしかすれば持ち出したのかも知れませんね》
「ですよね、でなければ持ち出す意味が無いですし」

《若しくは、罪悪感が人を狂わせる事も有るそうですし。呪詛も相まって、何か発露してしまったのかも知れませんね》

「病や怪我も怖いですけど、発狂してしまうのも怖いですよね」
《ですね》

 元事務所社長は、すっかり幻聴が聞こえてしまう様になったそうで。

 その内容は、自身を褒める言葉は勿論。
 罵詈雑言、時に噂話まで聞こえるらしく。

 件の俳優さんが聞いていた事と、凄く良く似ているんですよね。
 強い抑圧からの幻聴か、若しくは霊障か、なんですけど。

「神宮寺さん」

《はい?》
「件の方の部屋に、本当に何も無かったんですか?」

《有りましたよ、髪と爪と血液で作られた、陰気に満ちた呪具が》
「大丈夫だったんですか?」

《何とか。あぁ、今度羊肉を食べに行きましょう、美味しいお店を川中島に教えて貰ったんですよ》
「良いですね羊肉、でも良いんですか?女性と行かなくて」

《暫くは陰気には近寄りたくないので、お付き合い願えますか》

「仕方無いですね、先生の心身の不調は取り除かなくてはいけませんし」
《実に汁物が良いんですよ、旨味が有って癖が少ない》

「良いですね、すっかり冷えてきましたし、行きましょう」
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