松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第27章 夢と妻と作家と。

1 作家と役者。

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《うん、私はね、全く以って顔を出し有名になる事に利を見出せないんだ。そんな中、君は名も顔も知られている、さぞご苦労をされているだろうと思ってね。うん、僕には到底真似が出来無いよ、いやコレは嫌味では無く本心だ》

 大戸川先生の言葉が刺さってしまわれたのか、大戸川先生の映画で主役を演じて下さった方が、涙を浮かべ。

『はい、はい』

 そう返事をすると、ポロポロと大粒の涙を流され始めました。

《あぁ、僕には真に理解は難しいだろうけれど、想像するにさぞ不自由だろう》
『はい、はい、今ではとても後悔しております』

 そうして、役者さんは今までの全てを語って下さいました。



「良い演技だったし顔も良い。どうだろうか、都会で一稼ぎしてみないか」

 両親を楽させたくて、僕は一も二も無く返事をしました。

『はい!』

 都会の恐ろしさも、人の恐ろしさも、何も知らないウブでした。

《どう?》
『はい、いえ、まだココが分からなくて』

《そう、まだ情愛が、情欲が分からないのね》

 今では、とても恨んでいます。
 何故、大人達は綺麗事しか教えなかったのかと。

 何故、こんなにも大変なのだと、どうして教えてくれなかったのかと。

《キャー!抱いてー!》
「アイツとは昔馴染みでね」
『どうせ、アレの中身も大層歪んでいるのだろう』

 良いも悪いも、四方八方から飛んで来ます。

 どんなに耳を塞いでも。
 どんなに目を閉じていても。



『本当の僕は違う、けれどもまるで剥き出しの僕を批判されている様で。芯の僕は、実は』
《いや、うん。実の所、人にはそう綺麗な所ばかりでは無いとは思う、けれど要は割合と軸と賢さだ》

 グロテスクを書けば、グロテスクな趣味嗜好をさぞ豊富に持っているのだろう。
 エロティシズムを書けば、殺人計画を書けば、それらを主軸にしているのだろうと誤解される。

 確かに割合は他者より多いかも知れない、だが、私の主軸では無い。

 理不尽が嫌いだからこそ、不幸が嫌いだからこそ、不幸と理不尽を書いている。
 不条理が嫌いだからこそ、こうならぬ様にと、皆と意識の共有をしている。

 私は、そうした思いを込めながら書いているに過ぎない。

「それでも、先生の意思が伝わらない方も必ず出るだろう、それらから守るのが僕らの仕事でも有ります」
《うん、本当に僕は恵まれていると思うよ、うん。君には才能が有る、有るけれど、だからこその苦悩だろう》

 なまじ下手なら、コレは演技だ、コレは役者なのだと思える。

 けれど君は、実に巧かった。
 巧過ぎた。

 何もかもが完璧に揃い。
 何もかもが事実で有るかの様に、目の前で見たかの様に再現されてしまった。

 まさか、そうした事が不幸を生むとは思わなかった。

『先生』
《いや、幸か不幸か、そう言う事だよ。以降、君は暫く舞台にしておけばどうだろうか、アレには境が有るからね。舞台上、観客席、その境が明確に有る》

 舞台と客席。

 有り体に言うならば鳥居と参道、山と村の境がハッキリしている様に、そうすべきだからこそ存在している。
 危うい存在と人、獣と人を分け、互いに平穏に暮らす為の線引き。

 それが境。

 まだ世には、君は早過ぎたらしい。
 非常に、残念だけれど。

「あぁ、境を自らも生み出せ、と言う事ですね」
《いや、まぁ、そうだね》


『はい』



 映画に初出演し、初めて主役を演じた役者さんは、対談時に酷く憔悴していらっしゃいました。

 無理も有りません、顔良し声良し、おまけに素行良し。
 そして何より、作品の出来は実に素晴らしいものでした。

 ですが。
 ですが、だからこそ、より曖昧になってしまった。

 虚構と現実、創作と実話。

 観客は没入し、混乱し。
 様々な憶測が飛び交いました。

 ――明らかに境を明確にすべき事と、焦点を敢えてずらし、ボカシたままにする事。
 ――それらの区別が出来ぬのか、したくないのか、若しくはあまり賢くない人には私の作品は難しいらしい。

 大戸川先生は本来、こうした明言を避けていました。

 理解せぬ者は愚かだ。
 そう断言すると言う事は、判断を鈍らせ詐欺を働く、そうした者の手口に非常に酷似しているからだと。

 ですので、僕らは更に補足を付け加えました。

 ――無知の知。
 ――知らず理解出来ぬ事が有る、と言う事を賢者ならば理解しているであろう、その前提の下に我々は刊行しております。

 その言葉を添え、本書は締め括られました。



《成程、それで彼に繋がるワケですね》
「ですね」

 感受性が高く、某からも影響を受け易い。
 と言う事はつまり、霊からも影響を受け易い。

 その典型例は何も演劇界隈だけでは無く、各所に存在している。

『宜しく、お願い致します』

 相まみえた時には既に、彼は呪詛に掛かっていた。
 顔色は勿論、肌艶も悪い。

 片や事務所社長らしき者は、良く肥え太り血色も良く、肌艶も良い。

「随分と、お若い方で」
「ですが僕よりは年上の、しっかりと能力の有る方で」
《恩師を呼んでも構いませんが、あまり暴かれたくない事まで暴くかも知れません、ご心配でしたら連絡してみますが。どう、致しましょうかね》

 林檎君には悪いけれど、食い扶持には困っていない。
 媚び諂い生きる意味が、俺には全く無い。

「いや、失敬失敬、近頃は詐欺師も多く。いや御社を疑っているワケでは無いんですが、何分、何処にでも鼠は入り込むもので」
《でしたら相性が悪いかも知れませんね、何せ子年生まれなもので》
『あの!どうにか、お願い致します』
「神宮寺さん、大戸川先生の為にも、宜しくお願いします」

 どうしようも無い親のせいで病に罹ってしまった子供を診察する時、医師はこうした思いで働いているのか、と。
 無理も無い、当人は至って健康そのもの。

 全く、何も苦しんではいないのだから。

《場合によっては直ぐに済みますから、ご安心下さい》
「あぁ、それは良かった。でしたらどうか、宜しくお願い致します」

《では先ず、お部屋を拝見させて頂きたいのと、その合間にも仮の宿でお休み頂ければと思うのですが》
「僕の伝手で別荘地へとご案内しようかと、思うのですが」
「それはそれは、助かります」

《彼と林檎君だけ、でお願い致します、人数が増えればそれだけ手間ですから》
「ですが」
「お任せ下さい、炊事以外はこなせますし、決して居場所は漏らしませんので。ご信用、頂けますよね?」

「それは勿論、勿論なんですが」
「いつ何処で誰が聞いているか分かりませんから、到着後、コチラからご連絡差し上げると言う形が最も賢明ですよね?」
《そうですね、現に僕もココに居るワケですし。早速ですが移動としましょうか、あまり長引かせては、大きな怪我や病に繋がるかも知れませんしね》

「どうか、宜しくお願い致します」
《はい》
「お任せを」



 作家先生と関わる、以外の事はあまり無いので。
 正直、最初はとても緊張していたんですが。

『こうして夜行列車に乗るのは、上京以来なんですが、良く乗られるんでしょうか』
「はい、ですけど西のは少し前が始めてでして、随分と違うものだなと驚かされました」

『西の方ではそんなに違うんですね』
「はい、安い寝台の場合は特に……」

 聞き上手な方なので、僕は直ぐに緊張を忘れ。
 列車を降りる頃には、すっかり緊張を忘れてしまっていました。



《コレは、向かう迄が苦労しそうですね》

 有名人の家、しかも安い長屋ともなると、平気で張り込みをする記者達が集まっており。
 そも家に入れるかどうかすら、雲行きが怪しい。

「すみませんが案内はココまでで、何分、次の仕事が入っておりまして」
《そうですか、分かりました、騒動になっても構わないんですね》

「いや、いえ」
《良いでしょう、彼の為に、大人しく行動するとしましょう》

「どうか、宜しくお願い致します」

 ココまでは全て、想定内だ。
 念の為にと川中島を経由し、烏丸に頼んでおいたんだが。

 そろそろ、だろうか。

 《おぉ!昨今話題の警察犬じゃないか》
 『あのー!取材を宜しいですか』

《少し離れた空き地で、お静かに取材頂けるなら構いませんよ。何分、既に夜更けですから》

 そうしてこの隙に、俺は件の家へと入り込んだ。
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