松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第25章 改心と罰。

改・鬼神妻。

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 ウチの妻は、鬼神の様だ。

 殆どが不機嫌で、碌に笑顔も見せない。
 不平家で、不満屋だ。

 けれど、ある時。

「何度言ったら分かるんですか」
《いや、◯◯君がどうしてもと言うから、仕方無く》

「はぁ、そうですか」

 飲みは仕事の付き合いも兼ねているんだ、全くの不理解者で困る。

 けれど、とうとうこの日から、全く話さなくなった。
 そう、全くだ。

《おい、おい》

 飯も無い。
 返事も無い。

 全く大人げない、可愛げの無い女だ。

「はぁ」

 だが、こうして溜め息だけは一丁前だ。

《全く》

 なので僕は好きにさせて貰った。
 好きな様に飲み歩き、好きな様に帰って寝る。

 そう過ごしていたある日。
 目眩と同時に電話が鳴った。

「はい、はい、はい、直ぐに」
《何だ、誰なんだい》

 相変わらず妻は僕を無視し、急いで身支度を済ませ玄関へ。
 なんだかんだ嫌な勘がして、僕もそのままついて行くと。

 病院だった。

 誰か入院したとは聞いていないが、まさか。
 あんなに血相を変えていたんだ、きっと浮気相手だろう。

 そう思いながらも、そのままついて行くと。



「アナタ」

 僕が眠っていた。
 そして自分に何が有ったのかを、思い出そうとしていると。

《こんな馬鹿な子を、良く面倒見てくれたね》
『こう世話を掛けて、本当にすまない』
「奥様、連絡頂いたのは早かったので、それは良かったんですが。不摂生のせいです、もう、旦那さは」

《そうよ、変なイビキに気付いてくれただけでも、十分なんだから》
『最初は好き合って一緒になったにせよ、合わない時は合わないんだ。アンタのせいじゃない、もう自由になってくれて、構わないんだよ』

「はい」

 何も、僕は離縁したかったワケじゃない。
 少しばかり自由にしていただけで。

《はぁ、本当にごめんなさいね、家では良い子だったのよ本当》
『ここまで我儘好き勝手をするとは、本当に悪かった、葬儀まで我慢しておくれ』
「はい」

 思い当たる節は有る。
 ただ、誤解なんだ、単なる言い間違いからの小さな諍い。

 頼む、どうか別れないでくれ。
 頼む、君に辛い思いをさせるつもりは無かったんだ。



「ちょっとアナタ、コレ」
《す、すまない、もうしないよ》

 夫は、回復してしまった。

 しかも、死に掛けて心を入れ替えた、と。
 けれども、もう、無理です。

「少し尋ねただけで、毎回ソレ。もう良いです、離縁させて頂きます」
《な、治す、だからどうか》

「家事が出来るだなんてとんでも無い、蓄財も無い、女に誘われれば直ぐに飲みに行く。君は細かい気にし過ぎだ、勘違いだ、単なる言い間違いだ。果ては誤解だ、そんなつもりは無かった、改善するから許してくれ。と言っても結局は煙草も止めず、相変わらず何の手伝いもしない、償いもしない。しまいには少し尋ねただけで、そう怯える。もう無理です、私は愛し愛されたい、我慢の限界です」

《治す、頼む》
「注意されただけで、滝の様に汗をかかれ、かと言って笑顔で優しく言えば楽しそうだねと嫌味を言う」

《違うんだアレは、嫌味では無くて、思ったままを》
「はい、ですからそれが嫌なんです。見る目が無かった私も悪かった、でもこんなに猫を被って嘘まで、結婚詐欺で訴えないだけ感謝して下さい」

《違うんだ頼む、今度こそ性根を治す、だからどうか離縁しないでくれ》

 何度も何度も、その言葉を信じてきました。
 そして何度も何度も何度も、裏切られてきました。

「私が、何をしたんですか。借金も無い博打も浮気もしていないのに、どうして、分かってくれないんですか」

 大泣きをしてしまった。
 虚しさ、悲しさが込み上げ、止まらなかった。

 夫婦だからと、夫の借金は一緒に返した。
 あんまり窮屈にしない様にと、偶には飲みにも行かせ、一緒に旅行もした。

 けれど、途端に忘れてしまう。
 今まで自分が何をしてきて、自分がどんな立場かを。

 倒れる前も、今も。

《頼む、君に追い詰められてつい、すまなかった》

 私に追い詰められたせい、つまりは私のせいだ、と。
 ですが、そう尋ねると違うと答え。

 また、事実を説明しただけだ、と。

 こうした事が、本当に無理で仕方が無い。
 いつも、そんなつもりは無かったと繰り返す。

 この人にしてみれば、幾ら包丁で刺そうとも、悪意も害意も無ければ無罪なんです。

「無神経、本当に無理です」

 私はもう、荷物も持たずに飛び出してしまった。

 知り合った頃とは、中身が全く変わった様に、不誠実で身勝手。
 けれど、見抜けなかった自分も悪い。

 もう、私は良い年、次は無いだろう。

 このまま誰にも愛されず、報われず、こき使われるだけなら。
 もう、次に、来世で。

『奥さん、あんまりな顔でいると、妖怪に連れてかれちまうよ』

 見慣れぬ夜市の、見慣れた商人さん。

「あぁ、そんなに酷い顔をしてましたか、すみません」
『まぁ今は大分マシだけれど、悩みかい』

「まぁ、はい、良く有る事ですよ」

『コレはね、生き達磨だ。中身をすっかり取り除いたんで、この大きさなんだよ』
「まぁ、こんなに小さくなるものですか」

『あぁ、そんで男に渡せば、女とは一生致せなくなる』

「それは、それはとても素敵ですけど」
『その安物の指輪で構わないよ、どうせ捨てるだけだろう』

「はい、ありがとうございます」

 指輪と交換に、私は乾燥梅の様な生き達磨を手に、家へ。
 結局、荷物を取りに戻るのだからと、手渡して直ぐに荷物を纏め始めた。

《なぁ、本当に》
「どうぞ、幾らでもご自分の好きな様にお過ごし下さい、さようなら」

 次こそは、しっかり見抜き。
 あまり手を掛けず、甘やかさず、もっと早くに見切りを付けよう。

 尽くそうとも我慢しようとも、何をしようとも。
 無意味な人には、無意味なのだから。



『あぁ、とうとう』
「まぁ、だろうねぇ」

《君らは分かっていたのかい》

「まぁ」
『まぁ』

《どうして》
「いや、言ったとて」
『聞いたかい?以前に言った時、僕の妻なら大丈夫だ、そう言って本当に何もしなかったろう』

《けれど》
「まぁまぁ、次が有るさ次が」
『前妻の愚痴でも言えばイチコロだろう、何せ鬼神の様だ、と言っていたのだしね』

「真に迫っていたよ、実にね」
『そうそう、きっとウブい女は信じるさ』

 怖い怖い。
 妻の悪口を言うのも程々に、だ。

 いや本当に、全くだ。
 言えば言うだけ、自らの粗を晒すも同義、だと言うのに。

 まさか、本心で言っているとは思わなかったよ。

 いや本当に。
 嫁の愚痴は、謂わば自戒、そうさせてしまっている自己反省も含んでいると言うのに。

 本当に。
 そして呪い的だ、反対の事を言い妬みや嫉みを回避する、そうした儀式的要素も含んでいると言うのに。

 本当に鬼神の如く出て行かれるとはね、いやはや、彼は相当らしい。

 あぁ、そうらしい。
 幾ばくか、付き合いを考えなければならないね。

 あぁ、そうしよう。
 妻に嫌われては、僕らは生きてはいかれない、特に美味いメシには感謝すべきだ。

 その通り。
 良く良く働くには、妻に支えて貰わねばならぬ、そうしたひよっ子なのだから。

 その通り。
 愛して頂いているんだ、それを決して忘れてはならない、と言うのに。

 慈悲を鬼神の如くとは。

 全くもって、その通り。



《どうか息子を》
『お願い致します』

 ウチの馬鹿息子は、すっかり手足を失ってしまいました。
 こうなると知っていたなら、少しは改心を。

 いえ、どうせ同じ事でしょう。
 何だかんだだと、自分が最も正しく、他人様の言う事なんて話半分以下になってしまう。

 曾祖父に似た、改心なんてものは無い性根。

 アレだけ躾けたと言うのに。
 アレだけ言い聞かせたと言うのに。

『はい、承知しました、では』

 全てが、無駄でした。

 屑を産み育てしまった私は、もう。
 他所様の大切な娘さんを傷付けた。

 幸いにも法は犯していないけれど、もう、私は。
 もう私は、世間様に顔向けが出来無い。

 せめてもの罰として、寺に監督して頂くしか無い。

 あんな屑を産み育てしまった罰を。
 せめて私だけでも、償わなければ。 



「はい、確かに、ありがとうございます真中先生。ですが1つよろしいですか?」
『はい、何でしょう?』

「この、元細君は、後にどの様になったとお考えで?」

『昨今も尚、離縁者の評価は低い。やれ見る目が無い、やれ知恵が無い、と。けれど世にはどうにも御し難い者が居る、そう知る者と、どうか幸せになって欲しいとは思うが。世が世だ、コレだけで、幸せになれるかどうかは分からないね』

「僕は、こうなりたくは無いのですが」
『なら、共通の知り合いを持つ事だ。但し、他所に行ってしまわれない様に、ね』

「難しいですね、結婚は」
『いや何、簡単だよ。運だ運、運が悪いとなれば次。後は、どうにも御し難い者も居る、と知っているだけで十分だ』

「はい、ありがとうございました」
『いえいえ、誰かのお役に立つのも、作家の領分ですからね』
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