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第23章 縁と作家と担当と。
病と霊。
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いつの事かは明言は避けるけれど、依頼者はご両親。
相手は息子さんだった。
『急に、こうなってしまい』
父親が戸を叩き、その部屋に入ると。
彼は細く弱々しい体躯で、何とか机に向かい座っている様な状態だった。
「ひっ!」
《驚かせてすまないね、君の相談に乗りに来た者だよ》
「一体、誰からそんな事を」
《君のご両親、そう名乗る方々からだよ》
その言葉に、彼は先ず爪を噛み始めた。
《また、そうやって》
彼は母親の声に肩をビクリと震わせると、周囲を見渡し。
「おかしいと思われるのは百も承知です、ですがココには、本当に悪霊が居るんです」
《ほう、その悪霊は何をするんだい》
「大抵は、呻き声です。高かったり低かったり、どうやら2体、居るらしいんです」
彼は真剣そのものだった。
そして実際にも、確かに霊は居る。
《他には何か有っただろうか》
「はい」
《疑っているワケではないんだ、君がどの程度見え、聞こえるかの確認も兼ねているんだよ》
「眠っていると、飛び起きる程に大きな音が鳴り響いたり」
『それはいつ、良く起こるのかな』
「夜明け前や、僕がうたた寝をしていると、鉄製の鍋の様な物を叩く大きな音が鳴り。僕が立ち上がるまで、その音は止まないんです」
《なら、立ち上がれば音が止む》
「はい」
《他には》
「急に何かに掴まれたり、激しく揺さぶられたり、場合によっては本が飛んで来る事も有るんです。そして、その前触れには必ず呻き声が聞こえるんです」
《成程、何か怪我は?》
「大きいモノは無いんですが、いつの事かは分からない痛みが、気が付くと背中が痛い事が多いです」
《少し見せて貰えるかな》
「はい」
その背には、明らかに何度も棒や何かで叩かれた跡が有り。
《どんな痛みだろうか》
「今は、ヒリヒリします、何かに叩かれた後の様な痛みです」
《コレの前触れは有るんだろうか》
「それが、覚えていないんです。あの大きな音で目覚めると、痛みが有り、何か有ったのだなとしか。すみません」
《いや、他には有るかな。食事や風呂の邪魔は》
「いえ、食事や風呂、厠や勉強に関しては何も。偶に呻き声は聞こえますが、少しだけですから」
《けれど、怖かったろう》
「はぃ」
彼は震えながら泣き始め、そのまま蹲ってしまった。
《嫌な事を思い出させてすまないね、少し休んでいておくれ》
「でも、またあの大きな音が」
《大丈夫、僕が居る間は何も無い筈だ、もし有れば直ぐに僕に言ってくれ。何とかする》
「はい」
警戒されてはいたが、彼は素直に頷き、ベッドへと横になった。
それを見届け、俺は部屋を出て、そのまま廊下で両親と話し合う事に。
『ウチの子に、この家に何か悪霊が居るのでしょうか』
《アレは、世に言う心霊現象、西洋のポルターガイストですよね?》
「少なくとも彼は、そう思っていますね」
『なら、ウチの息子がおかしいとでも』
《もし、仮に、アナタ方に急に霊が見える様になった場合。いきなり何事も無く振る舞えますか》
《確かに最初は驚くかも知れませんよ、けれどもあの子はもう、何週間もあのままで》
『どうにかして頂けませんか、たった1人の息子なんです、お願いします』
ウチの息子は前から少し軟弱者でした、食が細い上に好き嫌いが激しく、今でも手を焼いている程。
《ですから良く煮て、西洋のスープなる物にして、何とか食べさせている状態なんです》
『そう健やかにと、様々な事をし、ここまで手塩に掛けた息子なんです』
言葉の覚えも遅く、当然の様に字の覚えも遅く、妻と共に根気強く教え続け。
何とか学校へは通わせていたんですが、繊細で気難しい子でして、直ぐにも通う事が難しくなり。
こうして家で西洋式の勉学法も取り入れながら、何とかやって来たんですが。
《もしかすれば、あの子にとっては、少しばかり負担だったのかも知れません》
『ですが私達は愛情深く育てて来たつもりです、ですからおかしくなる筈は無い』
《どうか悪霊を追い払い、息子を元通り、マトモな子に戻してやって下さい》
《はい、出来るだけの事をさせて頂くつもりですので、どうかご安心下さい》
だが、もし、息子が元に戻らなければ。
この男のせいにすれば良い。
霊能者のせいで、おかしくなったのだ、と。
『あら、神宮寺さん』
《どうも、何とかココに来れましたよ、トメさん》
『本当に、やっと』
《早速ですが、彼は何か薬を飲まされていませんでしたか、有ればその残りをココに持って来て下さい。複数有るなら全て、お願いします》
『はい、ただいま』
私は所謂、掃除婦、家政婦で生計を立てております。
この界隈も、結局は年功序列、それと評判が何よりも大事な事ですから。
私は、大概の家の事は見逃してきました。
夫に虐げられながらも働く苦労を知らないから、と甘んじる妻、妻の暴言に耐え切れず逃げ出す夫。
虐げていた子に虐げられる様になった母親、父親、祖父母。
ですけど皆さん、必ず何処かに逃げ場は有るんです。
実家、友人知人の家、妾や愛人の家。
職場、飲み屋や店先、子供でも学校や寺子屋が有る。
ですけれど、坊っちゃんの心が穏やかになれる場所は、何処にも無いんです。
逃げ場も夢中になる事も、全て、坊っちゃんには無いのです。
このままでは、いつか坊っちゃんは死んでしまう。
ですので、僭越ながら、一家政婦が出しゃばってしまいました。
本当はいけませんよ、他人様の家の事には何かしら理由が有る、ですから本来なら決して口も手も出してはならない。
犬も食わぬ事で馬に蹴られて死んでしまっては、元も子もありませんからね。
「あ、トメさん」
『お坊ちゃま、神宮寺さんが来て下さいましたからには、もう大丈夫ですよ』
彼に見えている霊の数、影響の度合い。
そうした事を念入りに調べる事、数刻。
《確かに彼には悪霊が見えています、その影響も有るのでしょう》
《あぁ、やっぱり》
『それで、息子は』
《お元気にもできますが、本当にそれで宜しいんでしょうかね、少し扱いが難しくなってしまうかも知れませんが。塩梅は、どの様にしましょうか》
彼ら彼女達の喉が、ゴクリと動いた。
扱い易い子供を望むのが親の常。
ましてやこう良い家なら、是非も無い事。
但し、一切の情愛が無いか、相当な子供だったか。
コレは親の答え方次第で分かる。
そして、口火を切ったのは。
『あの子の良さは、優しく繊細な部分にも有ります、どうか損なわない程度で。どうか、宜しくお願い致します』
《はい、では、今日から2日だけ頂けますか。必ず、程良い塩梅に、息子さんをお元気にして差し上げます》
《はい、勿論、2日位なら良いわよね?》
『あぁ』
察しの良い林檎君なら、彼が本物か偽者かが分かる筈だけれど。
どうだろうか。
「あの、両方の可能性は無いんでしょうか?」
《そう君の様な柔軟な者が、周囲に居たなら、こんな事にはなっていなかっただろうね》
「ん?となると」
《時に黒い影の様に、時には氷の様に歪に透明であった、そうだよ》
「神宮寺さんには、どう、見えていたのでしょう」
《以前は人と全く同じに見えていましたけど、殺生石のお陰も有って、幾ばくか透けて見えるんです。その硝子に映る虚像の様に、なので硝子に映る姿は、偶に見間違えてしまうんですよ》
「成程、実際に居た、と」
《居るであろう、どころか、寧ろ居てくれなくては困る。そう思う様な者の家には、当然、現れてしまう》
僕には、様々なモノが見えていました。
そして、見えなくなってしまったモノも有りました。
「あの、1つ、お伝えしなければならない事が有ります」
《君のご両親の事だね》
「はい、既に両親は、鬼籍に入っているらしく。他の霊と、区別が付かないんです、やはり葬儀に僕が参加しなかったからでしょうか」
僕は両親が亡くなったと聞かされた直後に倒れ、葬儀には出られない程に衰弱し。
起き上がれる様になった頃、霊が見える様になってしまいました。
《そう、亡くなったのは、いつの事かな》
「分かりません、その当時は日付も曖昧だったので、分かりません」
《訃報は、誰から聞かされたのかな》
「伯父です、父の兄でらっしゃる方から」
《から》
「もう、アレは処分する、と」
富豪の処分、とは、決して覆る事は無い。
彼らは除籍や廃嫡、若しくは行方知れずと言う形で、必ず処分される事になる。
「成程、つまりは御子息は両親から酷い躾けを受けていた。その開放からの安堵で欠神、そうして病に臥せってしまっていたんですね」
《あぁ、その様子から、後継ぎ争いから退いていたご長男が更に手を回し始めた。その魁にと、僕も関わらされたワケだ》
トメさんが寄越した使いは、まさにご長男だった。
甥の為に家に入り、動いて欲しい、と。
「では、霊は?」
《居ましたよ、4体》
私は、今まで霊だ何だとは皆無でした。
ですから、酷く驚きました。
坊っちゃんしか居ない筈の部屋から、怒鳴り声と鍋を叩く音がし。
慌ててお伺いに向かうと、鍋が目の前に落ちて来たんですから。
はい、嘗てのご両親がそうしてらっしゃったのと同じく、夜明けと共に何者かが坊っちゃんを起こそうとしていたんです。
「ぅうっ」
『坊っちゃん!』
そうして魘され始めたかと思うと、急に体を跳ねさせ始め。
「ごめんなさい!」
『坊っちゃん!目をお覚まし下さい!!』
まるで以前の様に、棒やベルトで打たれている時と同じ様に。
何度も何度も坊っちゃんは体を捩ると、何度も何度も謝り始め。
「ごめんなさい、もう起きますごめんなさい」
『坊っちゃん!起きて下さい!ご両親は、もう』
もう、ほんの少し前に、私と本家のご長男様とで亡骸を確認しにいったいのです。
暴漢に襲われ、お2人は川に落ち、そのまま。
神宮寺さんが来て、3日目の夜の事でした。
《どうしまっ》
ハッキリ言って、嵌められた。
2体の浮遊霊が居るだけ、だった筈が。
『坊っちゃんが、坊っちゃんが』
本家筋の長男は、甥の両親を殺させた。
そして両親は死して尚、子へと執着し続け。
不気味な笑みを浮かべながら、息子を罰し続けている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
自分達は正しい行いをしている。
この厳しさは仕方の無い事、子の為を思っての善行だ、と。
下手な悪霊以上に、質が悪い。
同じ階級でなければ、子が居ない者は分からず屋だ、そうとしか思えない者達を説得など。
例え高僧でも、いや、空海や三蔵法師の言葉でも聞いたかどうか。
『邪魔をしないでくれないか』
《子供の居ないアナタには分からないでしょうけれど、コレは子の為なの、私達だって辛いけれど仕方が無い事なのよ》
両親は交代交代で見張り、夜明けと共に息子を叩き起こし、勉強をさせ。
うたた寝をすれば、父親がベルトで鞭を打ち、父親が仕事で居ない時は母親が警策で何度も打ち付けた。
長男は、そんな両親と縁を切らせたかったのだろう。
どちらの意味でも。
「ぅう、ごめんなさい、ごめんなさい」
《目を覚まし、良く見なさい》
神宮寺さんの声で、僕は不意に目を覚ました。
けれど、目の前にはハッキリと姿を現している、両親の霊が。
「ひっ」
《彼らはもう亡くなっている、怯える必要は無いんだ、ハッキリ言ってやりなさい》
「で、ですけど」
《これから先も、彼らと縁を繋げている意味は無い、しっかりと縁切りを宣言しなさい。お互いの為に、楽になる為に、縁を切りなさい》
僕は少し前まで眠っていたので、何処かが朦朧としていました。
けれども他がハッキリしていました、本当に両親は亡くなってしまっている事と、縁を切るべきだと言う事はハッキリ分かっていました。
「さようなら、お父様、お母様」
そう言ったからか、ふと体が軽くなり、また僕は寝込んでしまいました。
そうして夢心地のまま、僕は神宮寺さんの声だけは、姿だけはハッキリ分かっていました。
とうとう包丁まで持ち出した両親から、僕を守ってくれたんです。
身を挺して、必死に。
そこにはトメさんも、伯父さんも居て。
あぁ、僕は守って貰っている。
お礼を言わなければ、まだ死んではいけないんだ、そう思いました。
はい、実は僕は、産まれて来なければ良かったんじゃないかと思っていたんです。
父も母も、自分達も辛いと言いながらも。
笑みを噛み締めながら僕を打っていた事を、硝子に写った姿で見てしまい。
以降、いつ死んでしまおうかと、そうずっと悩んでいたんです。
そんな時、伯父から両親が処分される事を聞かされ。
僕は倒れ、記憶も何もかもが朦朧としてしまった。
それには別の要因、両親が僕へ薬を使っていた事も相まって。
僕は霊を見ていたんですが。
《もう見えないだろう》
「はい、お陰様で」
様々な要因で見えていたモノは、すっかり見えなくなっており。
どうしてか家の中も、酷く明るく見える様になっていたんです。
《もう見える事は無いだろう、ご両親が引き受けてくれたのだから》
「本当に、ありがとうございました」
『本当に、何時でもお掃除の事はお申し付け下さい、3回迄ならタダでして差し上げますから』
《いずれ、では》
「はい」
以降、僕は叔父と住む事になり。
その事も、実は僕を悪霊から引き離した要因では、と思っています。
《そろそろ寝なさい》
伯父は変わり者で、女装家で男色家。
ですが、それがとても似合っている方で、僕は最初女性かと思っていた程でした。
そして、だからこそ両親が酷い躾けに走ってしまったのかも知れない、そう謝罪して下さり。
次は僕へ家を継がせようとまでしてくれている。
本当は優しく、賢い人なんです。
「寝かし付けを、お願いしてはいけませんでしょうか」
狡賢く生きなさい、そう伯父に、最初に教えられました。
なので僕は、狡賢く生き様と思っています。
《何か怖いのかい》
「人に、慣れておきたいんです、触れられる事にも、褒められる事にも」
《君は賢い子、君は良い子だ、ゆっくりおやすみなさい》
伯父の手は大きく、柔らかく、冷たい。
そんな手が酷く落ち着くんです、本当に有る、生きている優しい手なんです。
相手は息子さんだった。
『急に、こうなってしまい』
父親が戸を叩き、その部屋に入ると。
彼は細く弱々しい体躯で、何とか机に向かい座っている様な状態だった。
「ひっ!」
《驚かせてすまないね、君の相談に乗りに来た者だよ》
「一体、誰からそんな事を」
《君のご両親、そう名乗る方々からだよ》
その言葉に、彼は先ず爪を噛み始めた。
《また、そうやって》
彼は母親の声に肩をビクリと震わせると、周囲を見渡し。
「おかしいと思われるのは百も承知です、ですがココには、本当に悪霊が居るんです」
《ほう、その悪霊は何をするんだい》
「大抵は、呻き声です。高かったり低かったり、どうやら2体、居るらしいんです」
彼は真剣そのものだった。
そして実際にも、確かに霊は居る。
《他には何か有っただろうか》
「はい」
《疑っているワケではないんだ、君がどの程度見え、聞こえるかの確認も兼ねているんだよ》
「眠っていると、飛び起きる程に大きな音が鳴り響いたり」
『それはいつ、良く起こるのかな』
「夜明け前や、僕がうたた寝をしていると、鉄製の鍋の様な物を叩く大きな音が鳴り。僕が立ち上がるまで、その音は止まないんです」
《なら、立ち上がれば音が止む》
「はい」
《他には》
「急に何かに掴まれたり、激しく揺さぶられたり、場合によっては本が飛んで来る事も有るんです。そして、その前触れには必ず呻き声が聞こえるんです」
《成程、何か怪我は?》
「大きいモノは無いんですが、いつの事かは分からない痛みが、気が付くと背中が痛い事が多いです」
《少し見せて貰えるかな》
「はい」
その背には、明らかに何度も棒や何かで叩かれた跡が有り。
《どんな痛みだろうか》
「今は、ヒリヒリします、何かに叩かれた後の様な痛みです」
《コレの前触れは有るんだろうか》
「それが、覚えていないんです。あの大きな音で目覚めると、痛みが有り、何か有ったのだなとしか。すみません」
《いや、他には有るかな。食事や風呂の邪魔は》
「いえ、食事や風呂、厠や勉強に関しては何も。偶に呻き声は聞こえますが、少しだけですから」
《けれど、怖かったろう》
「はぃ」
彼は震えながら泣き始め、そのまま蹲ってしまった。
《嫌な事を思い出させてすまないね、少し休んでいておくれ》
「でも、またあの大きな音が」
《大丈夫、僕が居る間は何も無い筈だ、もし有れば直ぐに僕に言ってくれ。何とかする》
「はい」
警戒されてはいたが、彼は素直に頷き、ベッドへと横になった。
それを見届け、俺は部屋を出て、そのまま廊下で両親と話し合う事に。
『ウチの子に、この家に何か悪霊が居るのでしょうか』
《アレは、世に言う心霊現象、西洋のポルターガイストですよね?》
「少なくとも彼は、そう思っていますね」
『なら、ウチの息子がおかしいとでも』
《もし、仮に、アナタ方に急に霊が見える様になった場合。いきなり何事も無く振る舞えますか》
《確かに最初は驚くかも知れませんよ、けれどもあの子はもう、何週間もあのままで》
『どうにかして頂けませんか、たった1人の息子なんです、お願いします』
ウチの息子は前から少し軟弱者でした、食が細い上に好き嫌いが激しく、今でも手を焼いている程。
《ですから良く煮て、西洋のスープなる物にして、何とか食べさせている状態なんです》
『そう健やかにと、様々な事をし、ここまで手塩に掛けた息子なんです』
言葉の覚えも遅く、当然の様に字の覚えも遅く、妻と共に根気強く教え続け。
何とか学校へは通わせていたんですが、繊細で気難しい子でして、直ぐにも通う事が難しくなり。
こうして家で西洋式の勉学法も取り入れながら、何とかやって来たんですが。
《もしかすれば、あの子にとっては、少しばかり負担だったのかも知れません》
『ですが私達は愛情深く育てて来たつもりです、ですからおかしくなる筈は無い』
《どうか悪霊を追い払い、息子を元通り、マトモな子に戻してやって下さい》
《はい、出来るだけの事をさせて頂くつもりですので、どうかご安心下さい》
だが、もし、息子が元に戻らなければ。
この男のせいにすれば良い。
霊能者のせいで、おかしくなったのだ、と。
『あら、神宮寺さん』
《どうも、何とかココに来れましたよ、トメさん》
『本当に、やっと』
《早速ですが、彼は何か薬を飲まされていませんでしたか、有ればその残りをココに持って来て下さい。複数有るなら全て、お願いします》
『はい、ただいま』
私は所謂、掃除婦、家政婦で生計を立てております。
この界隈も、結局は年功序列、それと評判が何よりも大事な事ですから。
私は、大概の家の事は見逃してきました。
夫に虐げられながらも働く苦労を知らないから、と甘んじる妻、妻の暴言に耐え切れず逃げ出す夫。
虐げていた子に虐げられる様になった母親、父親、祖父母。
ですけど皆さん、必ず何処かに逃げ場は有るんです。
実家、友人知人の家、妾や愛人の家。
職場、飲み屋や店先、子供でも学校や寺子屋が有る。
ですけれど、坊っちゃんの心が穏やかになれる場所は、何処にも無いんです。
逃げ場も夢中になる事も、全て、坊っちゃんには無いのです。
このままでは、いつか坊っちゃんは死んでしまう。
ですので、僭越ながら、一家政婦が出しゃばってしまいました。
本当はいけませんよ、他人様の家の事には何かしら理由が有る、ですから本来なら決して口も手も出してはならない。
犬も食わぬ事で馬に蹴られて死んでしまっては、元も子もありませんからね。
「あ、トメさん」
『お坊ちゃま、神宮寺さんが来て下さいましたからには、もう大丈夫ですよ』
彼に見えている霊の数、影響の度合い。
そうした事を念入りに調べる事、数刻。
《確かに彼には悪霊が見えています、その影響も有るのでしょう》
《あぁ、やっぱり》
『それで、息子は』
《お元気にもできますが、本当にそれで宜しいんでしょうかね、少し扱いが難しくなってしまうかも知れませんが。塩梅は、どの様にしましょうか》
彼ら彼女達の喉が、ゴクリと動いた。
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但し、一切の情愛が無いか、相当な子供だったか。
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そして、口火を切ったのは。
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《はい、では、今日から2日だけ頂けますか。必ず、程良い塩梅に、息子さんをお元気にして差し上げます》
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『あぁ』
察しの良い林檎君なら、彼が本物か偽者かが分かる筈だけれど。
どうだろうか。
「あの、両方の可能性は無いんでしょうか?」
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「ん?となると」
《時に黒い影の様に、時には氷の様に歪に透明であった、そうだよ》
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僕には、様々なモノが見えていました。
そして、見えなくなってしまったモノも有りました。
「あの、1つ、お伝えしなければならない事が有ります」
《君のご両親の事だね》
「はい、既に両親は、鬼籍に入っているらしく。他の霊と、区別が付かないんです、やはり葬儀に僕が参加しなかったからでしょうか」
僕は両親が亡くなったと聞かされた直後に倒れ、葬儀には出られない程に衰弱し。
起き上がれる様になった頃、霊が見える様になってしまいました。
《そう、亡くなったのは、いつの事かな》
「分かりません、その当時は日付も曖昧だったので、分かりません」
《訃報は、誰から聞かされたのかな》
「伯父です、父の兄でらっしゃる方から」
《から》
「もう、アレは処分する、と」
富豪の処分、とは、決して覆る事は無い。
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《あぁ、その様子から、後継ぎ争いから退いていたご長男が更に手を回し始めた。その魁にと、僕も関わらされたワケだ》
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「では、霊は?」
《居ましたよ、4体》
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ですから、酷く驚きました。
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はい、嘗てのご両親がそうしてらっしゃったのと同じく、夜明けと共に何者かが坊っちゃんを起こそうとしていたんです。
「ぅうっ」
『坊っちゃん!』
そうして魘され始めたかと思うと、急に体を跳ねさせ始め。
「ごめんなさい!」
『坊っちゃん!目をお覚まし下さい!!』
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「ごめんなさい、もう起きますごめんなさい」
『坊っちゃん!起きて下さい!ご両親は、もう』
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『坊っちゃんが、坊っちゃんが』
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そして両親は死して尚、子へと執着し続け。
不気味な笑みを浮かべながら、息子を罰し続けている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
自分達は正しい行いをしている。
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下手な悪霊以上に、質が悪い。
同じ階級でなければ、子が居ない者は分からず屋だ、そうとしか思えない者達を説得など。
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『邪魔をしないでくれないか』
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うたた寝をすれば、父親がベルトで鞭を打ち、父親が仕事で居ない時は母親が警策で何度も打ち付けた。
長男は、そんな両親と縁を切らせたかったのだろう。
どちらの意味でも。
「ぅう、ごめんなさい、ごめんなさい」
《目を覚まし、良く見なさい》
神宮寺さんの声で、僕は不意に目を覚ました。
けれど、目の前にはハッキリと姿を現している、両親の霊が。
「ひっ」
《彼らはもう亡くなっている、怯える必要は無いんだ、ハッキリ言ってやりなさい》
「で、ですけど」
《これから先も、彼らと縁を繋げている意味は無い、しっかりと縁切りを宣言しなさい。お互いの為に、楽になる為に、縁を切りなさい》
僕は少し前まで眠っていたので、何処かが朦朧としていました。
けれども他がハッキリしていました、本当に両親は亡くなってしまっている事と、縁を切るべきだと言う事はハッキリ分かっていました。
「さようなら、お父様、お母様」
そう言ったからか、ふと体が軽くなり、また僕は寝込んでしまいました。
そうして夢心地のまま、僕は神宮寺さんの声だけは、姿だけはハッキリ分かっていました。
とうとう包丁まで持ち出した両親から、僕を守ってくれたんです。
身を挺して、必死に。
そこにはトメさんも、伯父さんも居て。
あぁ、僕は守って貰っている。
お礼を言わなければ、まだ死んではいけないんだ、そう思いました。
はい、実は僕は、産まれて来なければ良かったんじゃないかと思っていたんです。
父も母も、自分達も辛いと言いながらも。
笑みを噛み締めながら僕を打っていた事を、硝子に写った姿で見てしまい。
以降、いつ死んでしまおうかと、そうずっと悩んでいたんです。
そんな時、伯父から両親が処分される事を聞かされ。
僕は倒れ、記憶も何もかもが朦朧としてしまった。
それには別の要因、両親が僕へ薬を使っていた事も相まって。
僕は霊を見ていたんですが。
《もう見えないだろう》
「はい、お陰様で」
様々な要因で見えていたモノは、すっかり見えなくなっており。
どうしてか家の中も、酷く明るく見える様になっていたんです。
《もう見える事は無いだろう、ご両親が引き受けてくれたのだから》
「本当に、ありがとうございました」
『本当に、何時でもお掃除の事はお申し付け下さい、3回迄ならタダでして差し上げますから』
《いずれ、では》
「はい」
以降、僕は叔父と住む事になり。
その事も、実は僕を悪霊から引き離した要因では、と思っています。
《そろそろ寝なさい》
伯父は変わり者で、女装家で男色家。
ですが、それがとても似合っている方で、僕は最初女性かと思っていた程でした。
そして、だからこそ両親が酷い躾けに走ってしまったのかも知れない、そう謝罪して下さり。
次は僕へ家を継がせようとまでしてくれている。
本当は優しく、賢い人なんです。
「寝かし付けを、お願いしてはいけませんでしょうか」
狡賢く生きなさい、そう伯父に、最初に教えられました。
なので僕は、狡賢く生き様と思っています。
《何か怖いのかい》
「人に、慣れておきたいんです、触れられる事にも、褒められる事にも」
《君は賢い子、君は良い子だ、ゆっくりおやすみなさい》
伯父の手は大きく、柔らかく、冷たい。
そんな手が酷く落ち着くんです、本当に有る、生きている優しい手なんです。
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どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
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