松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第23章 縁と作家と担当と。

鬼神妻。

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 出会った頃から、彼女は落ち着きが無かった。

「あぁ、すみません、つい余所見をしてしまって」
『そうそそっかしくしては、いつか怪我をしてしまいますよ、勿体無い』

「はい、ありがとうございます」

 彼女は良く誰かにぶつかり、不意に何処かを見たかと思えば、急に立ち止まり溜め息をつく。
 まるで猫の様に、気紛れに思えた。

『本当に落ち着きが無いですね』

「あ、すみません、ふふふ」

 平凡な顔立ちながら、何処か憎めない、愛嬌の有る笑い顔の女。

 特に群れるワケでも無く、ただ孤立するでも無く。
 ふわふわと、浮雲の様に居場所を変え、馴染む女。

『君は一体、何がしたいんだ』

「ふふふ、良く見てらっしゃいますのね」

 言われてふと気付き、恥ずかしくなってしまった。
 つまりは、そんなにも目で追っていたのと同義なのだから。

『そう気になっているワケでは無いんですが、落ち着かないんです、アナタを見ていると』

「ごめんなさい」

 不快だと言ったつもりは無かった。
 ただ、良く考えれば同じ事、彼女は不快だと捉えたらしく。

 暫く社交の場に姿を見せなくなった。



『婚約を、申し込もうと思う』

「あの、私に、でしょうか?」
『あぁ、だが合わないとなれば離れるだけで済む、そうした婚約から申し込もうと思う』

「はい、宜しくお願い致します」

 交際らしい交際はあまりしなかったが、夫婦となってから、と。
 だが、その願いはさして叶わなかった。

『何故』
「不便なので、アナタには別人になって頂こうかと」

『どうして』
「邪魔でしたの、色々と見られている事が、とっても」



 どうか、あの子に不幸を。

 そう願われれば叶え、幸福を願われれば叶える、そう対価の分だけ。
 その仕掛けは見られては困る、見られていては困る。

 だからこそ、婚約をしただけ。

 平凡で凡庸。
 目端はあまり効かず、けれども愚鈍でも無い者を、本来なら相手としたいのが世の常。

 コレは目端が効き過ぎる。
 その割にはさして情に厚くも無く、賢いワケでも無く、幾ばくか顔が良い。

 私は要りませんから、こうした者を必要とする場所へ。
 適材適所、より良い世の為に。

「あら、良い顔じゃない」
「けれど声はそこそこですし、顔だけ、ですから」

「なら、少し弄りましょう」
「はい、お願いします」

 下手に金持ちなんかに産まれ無ければ、まだ自由だったでしょうに。
 下手に人付き合いを避けなければ、成り代わられなかったでしょうに。



《あぁ、すっかり新婚さんだな》
『まぁ、はい』
「さ、帰りましょう、アナタ」

『あぁ、では、失礼します』

 新婚ともなると、人付き合いが疎かになると聞くが。
 いやはや、若い若い、一体いつまで持つモノか。

「本当に付き合いが悪いですね、アイツは」
《良いさ良いさ、どうせ若いウチだけだろう》
『ですけどいつまでも、だったらどうなんですかね』

《良い事だろう、飽きられ捨てられるより、ずっと良い事だろう》

 何にも関心を示されず、会話は最低限。

 そうなるよりは良いだろう。
 例え外でだけでも、ずっと何も無いよりは、ずっとマシだろう。



『本当に、コイツには何も無いんだな』
「だからアナタと一緒に居られるのよ、ふふふ」

 あの人は今、向こうで幸せにやっているだろう。
 彼に何の落ち度も無いのだから、苦痛は与えず、決して得られなかった幸福を得ている。

 平凡で凡庸。
 目端が少し効くだけの、空っぽの人。

 けれど、それも仕方の無い事。
 平穏な家、平凡な家族の中に生まれたなら、仕方の無い事。

『あぁ、そう言えば向こうが妊娠したらしい』
「じゃあウチも、急いで孕まないと」

 産まれた子はすり替えられる。
 いや、元に戻されるだけ。

 そうして私達の子は、向こうへ。

 こんなに因果が絡む都会で育てるなんて、まだまだ、まだ私達には無理な事。
 そこかしこに、危ない糸が張り巡らされているのだから。



『はぁ、今はもう、すっかり母親の顔でして』
《そうだろそうだろ》
「こうして愚痴を言うしか無い」
『飲みに行かせてくれるだけマシな方だ、酷いのは行かせないか、行かせても後にチクチクと言われるそうだ』

『いや、まぁ、ウチのはそこまででは無いですけど』
《うんうん、実に良いお嫁さんを貰ったもんだ》
「ウチのはもう、口では言う事を言うけれども、後からチクチクとだ」
『嫌なら金を渡すから別れる、と言えと進言していても、君はしないじゃないか』

「ほら、世間体と言うモノが有るだろう」
『それを見て育った子供は、どう育つんでしょうね』
『ほら、だからだよ、不仲を見せ続けるのは子に良くない』

《まぁ、まぁまぁ》
『いや、言わせて貰いますけどね、ウチがそうだったんです。ですからもう、結婚をするとなった時は、それはもう石橋を叩きに叩かせて頂きましたよ。あんな夫婦になる位なら、一生、独り身で構わないと』
『ご苦労なさったんですね』

『あぁ、ならどうして産んだんだとも思ったし、消えてしまいたいと何度も思ったよ』
『けれど、ご結婚なさった』

『こんな僕の子種を、勿体無いと言ってくれた人でね、話し合いだ約束だと色々としたよ。周りには色気が無いだの何だのと言われたけれど、子に僕と同じ思いは、決してさせたくは無かったからね』

「けれど、居ないよりは」
『居ないよりはマシだ、本気で言っているのかい』

「勿論だとも」

『なら、どうして自分が育てようと思わない。それとも、そんなに理不尽な嫁に似ても、どうせ他人だからとどうでも良いと』
「それは」
『ココは、1つ冷静に』
《そう覚悟も無い、親の手も借りられない、そうした者だって居るんだ。どうしても難しい、そう言う事も有るんだよ》

『そこまで考えて無かったって事ですか』

 馬鹿や阿呆が都会に来るのは構わない。
 そこで幾ら増えようとも、どう拗れようとも構わない。

 けれど、決して子に親の苦労を背負わせてはならない。
 親の苦労も借金も、それらは全て、親のモノなのだから。

『俺らが、気を付けましょう』

『あぁ、そうだな。行こう、飲み直そう』
『はい』

 大人でも子供でも、どうしても消えたがる者が居る。
 それは何処ででも。

 けれど、その原因は。

『都会の便利さと子供、全く、天秤に掛けるだなんて以てのほかだ』
『全くです』



 ココでは、相変わらず人が消える。
 それは大人でも、子供でも。

『はぁ、嫌になったからと言って、逃げたらしい。すまないね、まだ君らは新婚だろうに』
「いえいえ、夫からは難しい方もいらっしゃると、そう聞いておりましたから」
『すまない、暫く遅くなる』
 
「はい、あんまり無理せずに」
『あぁ』

 そう暫くして。
 また1人、2人。

『何だか、少し後味が悪いけれど』
『いえ、少なくともお子さんは、健やかに育つかと』
「まぁまぁ、何が有ったかは知りませんけど、嫌なら逃げれば良いんですよ。首輪も無し、鎖も無し、なんですから。ね?」
《そうね、ふふふ》 

 代わりは滅多に居ない。
 そうした立場でも無いなら、その場に留まるのは、その者の都合に過ぎない。

 子に罪が無いと言うのなら、尚更。

 田舎者が都会で罪を犯すのは、田舎で罪を犯すよりも重い。
 そうとも思わず居座り、酷く迷惑を掛けるのなら。

 きっと、いつか山犬に食べられてしまうだろう。
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