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第23章 縁と作家と担当と。
菩薩妻。
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社交界に新たに現れたのは、どんな者にも慈悲深く、微笑みを絶やさぬ女。
さる財閥のご令嬢だそうで。
もう誰も相手にしなくなった者にも、優しく構い、虜にし。
あっと言う間に更生させてしまう。
その手腕は瞬く間に広まり、彼女は、菩薩女史と呼ばれる様になった。
「まぁ、菩薩女史だなんて大それた通り名は、否定させて頂きますわ」
もし妻を迎えるならば、こうして思慮深く貞淑で、微笑みを絶やさぬ者をと。
けれども、どうせ裏が有るだろう、そう思う者は必ず現れる。
現に僕は、そう思う1人だった。
『では、何とお呼びしましょうか』
「そうね、女郎蜘蛛、なんてどうかしらね」
下卑た笑顔では無く、愉快そうに微笑み、人々を虜にする女。
だが、当然と言えば当然の様に。
妬み、嫉む者が現れた。
《きっと、怪しげなお薬でも使っているのでしょう》
「そうですわ、あんな野良犬を躾けられるだなんて。容易くそうした事が出来るなら、誰も苦労はしませんわ」
『本当に、一体どうしたと言うのかしら』
そうして彼女は、西洋で一時叫ばれた、魔女と呼ばれる様にもなった。
菩薩女史、女郎蜘蛛、魔女。
そう3つの派閥に分かれ、魔女派は避けるだけで無く、次第に害を成す様になった。
《目を覚ますべきですわ》
「せめてアナタ様は、どうか」
『真に見抜くお力が有るなら、お立場を選ぶべきかと』
『あぁ、そうかも知れないね』
傍観を許さず、時に省き、時に邪魔をする。
それは時に、度を越す程に。
そして菩薩女史は、意外にも直ぐに行動した。
「信念信条を押し付けてはならないわ、目を覚まささせたいのなら、ちゃんと私を暴くべきよ」
そんな事は出来るワケが無い。
単なる財閥令嬢とはワケが違う。
3大財閥、三葉家のご令嬢なのだから。
『難しい事を仰る』
「あら、既に賢い方は私の懐に入り、すっかり暴けるまで知ってらっしゃるわよ」
僕はずっと悩んでいた。
遠くから観察し、何とか暴けないかと。
けれど、そうした事が叶うワケも無く。
『参りました、どうか懐に入れて下さい』
「ふふふ、良いわよ」
何も難しい事は無かった。
親の力を使い、単に相性の良い者同士を引き合わせ、改心の手助けをしていたに過ぎなかった。
『成程』
「がっかりして頂けて嬉しいわ、ふふふ」
どうした事だろうか。
彼女は懐に入れた途端、とても無邪気な笑みを浮かべる様になった。
さも年相応に、警戒心も無い様に。
『アナタを幸せにする者は、誰が縁を繋ぐのでしょうか』
「ならアナタに任せるわ、ふふふ」
彼女は決して卑しい駆け引きはしなかった。
ただ、それが酷く落胆を誘った。
さも、相手はお前では無い、と言われたかの様で。
ひっそりと、心根に爪痕を残した。
『どうでしたか』
「まぁ、まぁまぁね」
自身の中で最も賢い子と思う者を仲介しようとも、身分が優れていようとも、彼女はさして興味を示さなかった。
『一体、どの様な方がお望みなんですか』
「ふふふ、分かるでしょ、顔と声よ」
僕は酷く落胆した。
彼女も所詮は人なのだ、と。
『そうでしたか』
「中身なんて大概はどうとでもなるわ、けれど顔が良い者、しかも声まで良いとなると。酷く扱いは難しい、美男美女の苦労も無しに真っ直ぐに育つ、なんて寧ろ当たり前な事だわ」
『当たり前』
「平凡で有れば有る程、幸と不幸の振り幅が狭い、片や真逆となると幅は広まり落差も相当のもの。扱いは慎重に、丁寧にしなければ、直ぐにも傷物になってしまう」
勝手に見下げ、勝手に見直してしまった。
『すみません』
「良いのよ、アナタは恵まれているのね、ふふふ」
私の娘は、どうしようも無い子でした。
酷い癇癪持ちで、我儘で、慮る事が出来無い。
誰かに同情する事も無く、平気で傷付け、蔑む。
《あぁ、帰ったか》
「ただいま帰りました、お父様」
この子は私の娘であって、娘では無い。
顔だけが似た、全くの別人だ。
《見合いを、斡旋されているそうだね》
「はい、良い方が良い方をご紹介して下さったんですが、まだまだ真意を分かっていては下さらない方でしたので。ふふふ、でも安心なさって、この家に相応しい方へと嫁ぎますから」
《あぁ、助かるよ》
「ふふふ、では」
ほんの少し前、家に犬を連れた者がやって来た。
そして娘には、悪鬼が憑いている、と。
何処から漏れたのかを探る為、試しに娘に会わせてみたが。
娘は犬を見るなり悲鳴を上げ、意識を失った。
そして、治すにはもう2人、連れて来る必要が有る、と。
すっかり信じ込んでしまっていた私は、もう2人も家へと入れた。
『7日間、決して立ち入らないで下さい』
意識を取り戻さぬ娘を助ける為、決して誰も近寄らせぬ事、7日後。
「お父様」
『まだ、霊障から少し顔が浮腫んでいますが、暫くすれば引きます。では』
《は、いや、待って下さい。声が、それにお代も》
『声は今までの声が悪霊の声なんです、そしてお代は要りません、この家のご先祖に頼まれての事ですから』
私はすっかり信じた。
そしてすっかり素直になった娘に対し、喜んだ。
だが。
『父さん、確かに良い子にはなったが、幾ら何でも変わり過ぎだろう』
長男に言われ、徐々に怪しく思う様になってしまった。
もしかすれば、入れ替わってしまったのでは無いか、と。
だが。
《だが、以前よりは遥かにマシだろう。あのまま出しては、いずれはこの家の恥となっていた筈なのだから》
そう思い込もうとしたが。
未だに、その猜疑心は薄れぬまま。
正直、さっさと出て行って貰いたいのが本心だ。
あの、何処から知恵を得たのかも分からない。
博識さとは乖離した娘とは思えない程の、教養を身に着けている、何か。
『最後に紹介するのは、僕です』
平凡で凡庸な僕を、気に入るワケが無い。
けれど、既に紹介しようとした者達は、とっくに彼女の選別を終えられていた。
「そう気軽に言ってはダメよ、女郎蜘蛛の道は糸より細く、時に動けなくしてしまうんだもの。ありがとう、アナタは本当に優しい人ね」
『そんなにも険しい道ですか』
「何も容姿だけが幸不幸の幅を決めるワケでは無い、何かしらの才能、何かしらの運命が有れば」
『僕に補佐をさせて下さい、支えさせて下さい』
「ありがとう、その分、報いなくてはね」
そう言って彼女は、とある家の獣医と婚姻を果たし。
僕は、子持ちの百合娘と婚姻を果たし、芸能の世界で働く事となった。
世に言う偽装結婚だ。
ただ、誰も損はしていない。
そう、誰も。
『あぁ、確かに可愛らしい子ですね』
「でしょう、良い声に、良い顔。それに中身も、ちゃんと良い子よ」
何処から見繕って来るのか、彼女は様々な者を連れて来た。
そして悪目立ちしない塩梅を保ちながら、徐々に徐々に、僕の会社は大きくなり。
彼女には、子供が3人産まれた。
『君の苦労を軽くするつもりが』
「良いの、子育ての苦労は別よ、ふふふ」
未だに、彼女の底知れ無さが、眩しくて堪らない。
その笑みの、その後光の奥に何が有るのか、きっと誰も知らないだろう。
さる財閥のご令嬢だそうで。
もう誰も相手にしなくなった者にも、優しく構い、虜にし。
あっと言う間に更生させてしまう。
その手腕は瞬く間に広まり、彼女は、菩薩女史と呼ばれる様になった。
「まぁ、菩薩女史だなんて大それた通り名は、否定させて頂きますわ」
もし妻を迎えるならば、こうして思慮深く貞淑で、微笑みを絶やさぬ者をと。
けれども、どうせ裏が有るだろう、そう思う者は必ず現れる。
現に僕は、そう思う1人だった。
『では、何とお呼びしましょうか』
「そうね、女郎蜘蛛、なんてどうかしらね」
下卑た笑顔では無く、愉快そうに微笑み、人々を虜にする女。
だが、当然と言えば当然の様に。
妬み、嫉む者が現れた。
《きっと、怪しげなお薬でも使っているのでしょう》
「そうですわ、あんな野良犬を躾けられるだなんて。容易くそうした事が出来るなら、誰も苦労はしませんわ」
『本当に、一体どうしたと言うのかしら』
そうして彼女は、西洋で一時叫ばれた、魔女と呼ばれる様にもなった。
菩薩女史、女郎蜘蛛、魔女。
そう3つの派閥に分かれ、魔女派は避けるだけで無く、次第に害を成す様になった。
《目を覚ますべきですわ》
「せめてアナタ様は、どうか」
『真に見抜くお力が有るなら、お立場を選ぶべきかと』
『あぁ、そうかも知れないね』
傍観を許さず、時に省き、時に邪魔をする。
それは時に、度を越す程に。
そして菩薩女史は、意外にも直ぐに行動した。
「信念信条を押し付けてはならないわ、目を覚まささせたいのなら、ちゃんと私を暴くべきよ」
そんな事は出来るワケが無い。
単なる財閥令嬢とはワケが違う。
3大財閥、三葉家のご令嬢なのだから。
『難しい事を仰る』
「あら、既に賢い方は私の懐に入り、すっかり暴けるまで知ってらっしゃるわよ」
僕はずっと悩んでいた。
遠くから観察し、何とか暴けないかと。
けれど、そうした事が叶うワケも無く。
『参りました、どうか懐に入れて下さい』
「ふふふ、良いわよ」
何も難しい事は無かった。
親の力を使い、単に相性の良い者同士を引き合わせ、改心の手助けをしていたに過ぎなかった。
『成程』
「がっかりして頂けて嬉しいわ、ふふふ」
どうした事だろうか。
彼女は懐に入れた途端、とても無邪気な笑みを浮かべる様になった。
さも年相応に、警戒心も無い様に。
『アナタを幸せにする者は、誰が縁を繋ぐのでしょうか』
「ならアナタに任せるわ、ふふふ」
彼女は決して卑しい駆け引きはしなかった。
ただ、それが酷く落胆を誘った。
さも、相手はお前では無い、と言われたかの様で。
ひっそりと、心根に爪痕を残した。
『どうでしたか』
「まぁ、まぁまぁね」
自身の中で最も賢い子と思う者を仲介しようとも、身分が優れていようとも、彼女はさして興味を示さなかった。
『一体、どの様な方がお望みなんですか』
「ふふふ、分かるでしょ、顔と声よ」
僕は酷く落胆した。
彼女も所詮は人なのだ、と。
『そうでしたか』
「中身なんて大概はどうとでもなるわ、けれど顔が良い者、しかも声まで良いとなると。酷く扱いは難しい、美男美女の苦労も無しに真っ直ぐに育つ、なんて寧ろ当たり前な事だわ」
『当たり前』
「平凡で有れば有る程、幸と不幸の振り幅が狭い、片や真逆となると幅は広まり落差も相当のもの。扱いは慎重に、丁寧にしなければ、直ぐにも傷物になってしまう」
勝手に見下げ、勝手に見直してしまった。
『すみません』
「良いのよ、アナタは恵まれているのね、ふふふ」
私の娘は、どうしようも無い子でした。
酷い癇癪持ちで、我儘で、慮る事が出来無い。
誰かに同情する事も無く、平気で傷付け、蔑む。
《あぁ、帰ったか》
「ただいま帰りました、お父様」
この子は私の娘であって、娘では無い。
顔だけが似た、全くの別人だ。
《見合いを、斡旋されているそうだね》
「はい、良い方が良い方をご紹介して下さったんですが、まだまだ真意を分かっていては下さらない方でしたので。ふふふ、でも安心なさって、この家に相応しい方へと嫁ぎますから」
《あぁ、助かるよ》
「ふふふ、では」
ほんの少し前、家に犬を連れた者がやって来た。
そして娘には、悪鬼が憑いている、と。
何処から漏れたのかを探る為、試しに娘に会わせてみたが。
娘は犬を見るなり悲鳴を上げ、意識を失った。
そして、治すにはもう2人、連れて来る必要が有る、と。
すっかり信じ込んでしまっていた私は、もう2人も家へと入れた。
『7日間、決して立ち入らないで下さい』
意識を取り戻さぬ娘を助ける為、決して誰も近寄らせぬ事、7日後。
「お父様」
『まだ、霊障から少し顔が浮腫んでいますが、暫くすれば引きます。では』
《は、いや、待って下さい。声が、それにお代も》
『声は今までの声が悪霊の声なんです、そしてお代は要りません、この家のご先祖に頼まれての事ですから』
私はすっかり信じた。
そしてすっかり素直になった娘に対し、喜んだ。
だが。
『父さん、確かに良い子にはなったが、幾ら何でも変わり過ぎだろう』
長男に言われ、徐々に怪しく思う様になってしまった。
もしかすれば、入れ替わってしまったのでは無いか、と。
だが。
《だが、以前よりは遥かにマシだろう。あのまま出しては、いずれはこの家の恥となっていた筈なのだから》
そう思い込もうとしたが。
未だに、その猜疑心は薄れぬまま。
正直、さっさと出て行って貰いたいのが本心だ。
あの、何処から知恵を得たのかも分からない。
博識さとは乖離した娘とは思えない程の、教養を身に着けている、何か。
『最後に紹介するのは、僕です』
平凡で凡庸な僕を、気に入るワケが無い。
けれど、既に紹介しようとした者達は、とっくに彼女の選別を終えられていた。
「そう気軽に言ってはダメよ、女郎蜘蛛の道は糸より細く、時に動けなくしてしまうんだもの。ありがとう、アナタは本当に優しい人ね」
『そんなにも険しい道ですか』
「何も容姿だけが幸不幸の幅を決めるワケでは無い、何かしらの才能、何かしらの運命が有れば」
『僕に補佐をさせて下さい、支えさせて下さい』
「ありがとう、その分、報いなくてはね」
そう言って彼女は、とある家の獣医と婚姻を果たし。
僕は、子持ちの百合娘と婚姻を果たし、芸能の世界で働く事となった。
世に言う偽装結婚だ。
ただ、誰も損はしていない。
そう、誰も。
『あぁ、確かに可愛らしい子ですね』
「でしょう、良い声に、良い顔。それに中身も、ちゃんと良い子よ」
何処から見繕って来るのか、彼女は様々な者を連れて来た。
そして悪目立ちしない塩梅を保ちながら、徐々に徐々に、僕の会社は大きくなり。
彼女には、子供が3人産まれた。
『君の苦労を軽くするつもりが』
「良いの、子育ての苦労は別よ、ふふふ」
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