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第26章 鳥と獣。

2 雲雀亭。

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 ココの若女将は実に器量が良く、愛嬌も有り、良い声だ。
 確かに幾ばくか高いが、料理は美味い、花も有る。

「いらっしゃい」
『あぁ、いつものを頼むよ』

「はい、ただいま」
『あぁ、頼むよ』

 この店に来る者は男だけ。
 独身、既婚者、有象無象が群がり。

 まるで蠱毒の様だ。

「はい、どうぞ」
『あぁ、君達も好きに飲みなさい』

「まぁ、ありがとうございます」

 毎日通えば良い、と言うワケでも無いと言うのに。
 酒か女か、そうした趣味しか無い無能男共は、不意に来なくなる以外はさして顔ぶれは変わらない。

 某書に有る通り、本来なら、競争相手が居る場合は身を引くべきだ。
 だが指南書なんぞ、と思う学の無い者ばかり。

 あぁ、まさに蠱毒だ。

『今日も美味いね』



 私が作ったのでは無いけれど、男達は美味い美味い、と私を褒める。

 本当は、この地味で平凡な女が作っていると言うのに。
 私を褒めて、本当に馬鹿ばかり。

「ふふふ、ありがとうございます」

 そろそろ落ち着きなさい、その言葉を無視していたら、いきなり店を任されてしまった。

 最初は何も上手くいかなくて、使用人に手伝って貰っていてばかりだったけれど。
 いつも通り、客にも愛想を振り撒いていれば、勝手にお店は安定した。

 母の狙いは何となく分かっている。
 この店の模倣元は繁盛し、私が適当に相手をしていた男が、大成してしまったから。

 私に選べと言っているのよ。
 けれど、選べないわ、だって選り取り緑なんですもの。

 でももし母なら、あの陰気な金持ちにしろ、きっとそう言うのでしょうね。

 でもイヤよ。
 女の盛りに衰えた男と過ごすなんて、もう、無理だもの。

「あ、もうお帰りになるの?」
『あぁ』

「もう1本如何?」
『いや、また、コレで足りるかい』
《はい、丁度で、いつもありがとうございます》

『では、また』

 私を直に口説きもせず、舐め回す様に見て。
 けれども全く調子にも乗らない、一見すると賢そうな紳士だけれど。

「はぁ、イヤだわ、あぁやって舐め回す様に見るだけで。実はネッチョリと若い女ばかり食べる、男ってどうせ、変態性欲者ばかりなのでしょう?」
『いやいや、俺は若いかどうかより、君かどうかだ』
《そうだよ、あんなのは止めておいた方が良い、きっと碌なもんじゃないのだから》

「ふふふ、皆さん本当に良い方で、私嬉しいわ」

 そうやって毎日牽制し合って、争い合って、本当に面白い。
 私、コレが性に合っているのかも知れないけれど、いずれは子を孕んで楽をしたいの。

 そうよね、そろそろしっかり選ぼうかしら。
 でも、1人を選んでしまったら、もう一生ソレだけになるのだし。

 やっぱり、あまり貧相では無くて、出来れば上手な方が良いわ。

《今日は僕が最後までだ》
「あら、ありがとう」

 丁度、試してみたかったの。



《奥さん、期限は過ぎた、この女は誰も選ばなかった》
『返済を、期限は過ぎましたよ、奥さん』

「お母様?」
《どうして!アンタはっ!いっつも!そうなのっ!!》

 女は顔を真っ赤にさせながら、娘の顔を何度も何度も、目一杯叩いた。
 片や娘の方は。

「お母様、どうして?」

 鳩が豆鉄砲を喰らった顔をしていやがる。

『選べと言ったでしょう!!それがアンタを救う最後の手立てだったって言うのに!アンタはっ!何て事を!!』
《その位にしてくれ、もうコッチのもんだ》

「お母様」

『アンタが下手に遊び回ったせいで!借金地獄なんだよ!!お相手が居る方から奪って、捨てて、そう遊び回ったツケだよ!!』
「ひっ」

『アンタさえ、アンタさえ男を選べば』
「わ、私、選ぼうと思ってたの。本当よ?本当は、彼を」
《あぁ、俺か、ハズレだハズレ。当たりを引ければな、あの初老の男なんかは当たりだったんだが、イヤだイヤだと言っていたろう》

「ちっ、違う、それはお客さんを」
《だがアッチじゃなく俺を選ぼうとしていた、どっちにしたってハズレだハズレ》

『この!馬鹿娘がっ!!』
《奥さん、コレ以上は手が腫れちまうよ。仕方無い、鳶が鷹を産むのと同じく、稀に鷹が雀を産む事だって有るんだ。コレで貸し借り無し、もう忘れな》

『ぅうっ、本当に、ご迷惑を』
《良いんだ、使用人達からもアンタは良くやったと聞いてる、もう楽になっちまいな》
『さ、行くぞ』

「えっ、何、お母様」
『もうアンタは、私の子でも何でも無いわ』
《良く言った、縁切りを認めてやる。店はアンタにくれてやるから好きにしな、旦那にも縁を切られたんだろう》

『ですけど』
《他のは問題無いのにアンタを切った、アレには他に女が居るんだよ、薄々は気付いていたろう》

『ぅう』
「お母様」
《折角の喉を潰されたくなきゃ黙っとけ。良いか、アンタは厄を産んだが、もう終わった。禊はもう、他の子供を立派に育てた時点で、もう終わってるんだよ》

『どうか、その子を、宜しくお願い致します』
「お母様!」

『アンタのせいだ!死ね!死んじまえ!!』

 どんな縁にも限度が有る。
 その範囲でなら、何だってしても良いだろうさ。

 だが、調子に乗ったら不味い。

 けれど、馬鹿や阿呆には、その塩梅が分からないらしい。
 流石、馬鹿だ。

「お、おか」
《連れて行け》



 折角の蠱毒が、何処かへ行ってしまったらしい。
 若女将も、男達も。

『何か有ったそうだね』
《あ、はい、申し訳御座いません。若女将は体調不良でして、今は、私らだけなんです》

 この一見平凡で凡庸に見える女は、恩義に厚く、口が堅い。
 若女将の父親が妻まで縁を切った時から、この母子に付き添っていた者。

『なら、女将はどうしてるんだい』
《女将も、少し動揺して怪我をしてしまって。でも直ぐに治る傷だそうですから、ご心配無く》

 あぁ、勝手口に居るのか。

『成程、いつものを頼むよ、ちゃんと煮えているのをね』
《あ、はい、申し訳御座いませんでした》

『いや、そうやって良さそうなのは追い出していたんだろう』
《それでも、申し訳御座いませんでした》

『いや、味はいつも良い塩梅だ、いつもね』



 一目見て、あの人だと分かった。
 どうしても家の条件に合わず、泣く泣く諦めた人。

 それがどうして、何の因果か。
 娘の最後の砦に、この店に通う様になってしまった。

 どんなに馬鹿でも阿呆でも、私の、私の産んだ娘。

 だからこそ、最後の最後。
 博打を打ってまで。

 あの人まで譲るつもりで、ずっと、支えて来たと言うのに。

《あの、女将さん》
『な』
『あぁ、相変わらず君は縮こまって泣いて、今でも可愛い人だね』

『何で』
『彼女が心配しての事、ココの味は君に教わったのだろう、そう言ったら案内してくれたんだよ』
《すみません、私、お店に戻りますね》

 すっかり、諦めていた。
 互いに他の相手と結婚し、それなりに生きてきた。

 けれど、娘が。

『もう、私は』
『ウチの妻の座が空いているんだ、どうか来てくれないだろうか』

『でも、アナタ』
『君が離縁されたと聞いて、急いで離縁した。向こうにも好いたのが別に居てね、丁度良かっただけだ』

『でも私、娘を』
『例え身内とて、切らなければならない縁も有る。君は良くやった、良くやったんだよ』

 夫だった者には謗られ、全ての責任と、借金を負わされた。
 そう困っていた時、この店を上手く転がせたなら、債務を帳消しにすると言われ。

 家も何も無かった私達には、縋るしか無かった。
 もう、どん底に落ちるか、一発逆転しか無かった。

 なのに、あの子は。

『でも』
『良い娘なら居るだろう、例え血が繋がらなくとも、立派な娘が。調べさせて貰ったよ、あの子は元夫の愛人の子供、良い子に育っているのは君のお陰だ』

『それでも、あの子は』
『どうせ元夫が甘やかしたんだろう、男3人の末娘だ。例え不良になろうとも、君のせいだけでは無いよ』

 あぁ、間違っていた。
 最初から、もっと無理をしてでもこの人と。

『ごめんなさい』
『僕らは若かった、僕も甘んじて身を引いた、どうか僕の事も許して欲しい。すまなかった』

『良いの、私の方こそ』
『謝り合うのはよそう、今日は存分に君達の料理を味わいに来たんだ、晩酌を頼むよ』

『はい』



 私の母が本当の母では無いと知ったのは、幼い頃だった。

「私のお母様なの、アンタは妾の子、触らないで」

 私が泣いて母にすがると、一目散に飛んで行き、平手を飛ばしてくれた。
 けれど、私の子種袋が甘やかし、差をつけられ。

《何で、あの人は、こんな扱いをするなら、産ませたんですか》
『ごめんね、ごめんなさい』

 後から分かった事だけれど、娘が欲しくて他所に子を作り、本妻が娘を産んだので捨てた。
 とても、簡単な事だった。

 私は、絶対にあんな馬鹿にはならないと決めた。
 けれど、母にだけ苦労をさせたくは無かった。

 来た当初は、馬鹿な選択をした。
 そう思っていたけれど。

「正直、半信半疑だったんですけど、凄く美味しいです」
《ありがとうございます》

「でも不思議ですね、噂も半々だったんですよ。生煮えだった、美味かった、以前の若女将が作ってらしたんですか?」

《気に入らない客に、敢えてお出ししていたのかと》
「成程、某小料理屋とは逆ですね、もう来ないで欲しいお客さんには、敢えて生煮えをお出ししてるらしいですから」

《あぁ、ふふふ、不思議な一致が有るものですね》
「ですねぇ、あ、出汁巻きのお代わりをお願いします」

《はい、ただいま》
「明石焼き風出汁巻き玉子、絶対に流行りますよ」

《ありがとうございます、母の味なんです》
「あぁ、女将さんの。女将にも是非、宜しくお伝え下さい」

《はい》

 新しく父となった人は、とても優しい人だけれど。
 相変わらず煮物を食べる時、ワザと私を見て、驚かせる。

『もう、あんまりに意地悪をすると、本当に嫌われてしまいますよ』
『嫌われてからが本番だそうだ、冗談抜きに美味しいよ』

《もう、次こそ、生煮えをお出しします》
『ほら、この方が家族らしい』
『もう、お父さんの意地悪に付き合わないで良いわよ、きっといつか喉に詰まったフリをするに決まっているんですから』

『流石にそこまではしないよ、お腹に何か合っては本当に困るしね』
『そうなったら煮て家畜の餌にしてやりますから、ね』
《はい、頑張って美味しく煮ますね》

『悪かった、いつもありがとう』
《いえ》

 父だった筈の子種袋と、こんなにも話した事は無い。
 多分、其々が産まれる場所を間違えてしまったのだろう。

 あんな下卑た女、母さんの娘なワケが無いのだから。



「もう、許して」

《いや、この程度じゃ無理だろう。我慢させられた男の恨み、巻き込まれた恨み、奪われた恨み。アンタは花札の役を殆ど揃えてる様なもんだ、数日数人を相手にした程度で音を上げるなよ、好き者の癖に》

「させてあげるから」
《誰がお前みたいな穢の塊とヤルかよ、寧ろお前の姉の方が俺は良いんだよ、このドグサレ女が》

「何であんな」
《こんな糞でも妹として面倒見てやって、何より母親思いだ、お前みたいな性格が捩じ切れたのとは天と地の差。あぁ勿論、お前が地だ、と言うかもう地中だな》

「お人好しの小太り野郎が」
《誰が生煮えの料理で太るかよ、全部が全部、偽装だ馬鹿が》

「騙したのね!」
《お前が言うか、好き勝手遊ぶだけならこうはならなかった、だが他人様のモノに手を出したら終わりだ》

「私、別に」
《後から知ったろう、けれど切らなかった、本当に救いようも無い阿呆で馬鹿だ。まさかお前、取り替えられた、とか無いよな》

「は?」

《無いか、顔は似てるしな。まぁ、鷹が雀を産む事も有る、その良い証明にはなったな》

「お、お父様が、お父様が全部」
《全部じゃねぇだろう、お前と半々だ、あの母親が育てたんだしな》

「違う!あの人は全然」
《今更、誰が信じるか。と言うか、信じる利が全く無い、証人も無い。あぁ本当に馬鹿は治らないんだな、凄いなお前は、凄いよ本当》

「謝るから、お願いだからもう」
《何も使い物にならない様にしてるんじゃねぇよ、ギリギリまで使い潰してやるから、精々体を休めておけよ》

 違う。
 私が悪いんじゃない。

 こう育てたお父様とお母様が悪い。

 私は悪くない。
 悪くない。



『アレ、もう飽きたんで、代えて貰って良いでしょうか』

《早いな、もう無反応になったか?》
『いや反応はするんですけど、ごちゃごちゃ五月蝿いんですよ』

《あぁ、けど惚れてたろ》
『ですけど、にしたってあんな馬鹿だったと分かると、萎えもしますよ』

 どうして客足が途絶え無かったか。
 女の器量だけじゃない、良さそうな男にはツケで飲ませていたからだ。

 で、そのツケを、こうして払って貰ってるんだが。
 流石、阿呆で馬鹿な小心者共、殺されないだけマシだったと。

 子種袋を切り落とされても、好いた女とヤれると言うんで、大して要望も出して来なかったんだが。
 3ヶ月もすれば飽きるのは、本当らしい。

《残念だが、暫くは無理だな。あの店のツケは高かった、そう言う事だ》

『はぃ』

 田舎の阿呆が都会の阿呆に捕まり、危うく迷惑を掛ける所だった。
 あの店を燃やし、心中しようとしたのが1人、攫って逃げようとしたのが1人。

 器量良しの扱いは難しいんだ。
 例え本人に悪気は無くとも、勝手に周りが悪巧みを始める事も有る。

『あ、あの、あの都会の野郎がまた』
《はぁ、どいつもこいつも、郷に入っては郷に従えって言葉を知らないのかよ》

 ついでに回収を頼まれたのも一緒に連れて来たんだが、まぁ面倒臭い。
 本当に、何処にも厄介者は居るもんだ。

「お、俺は大棚の」
《はいはい、元大棚の旦那、だった糞野郎だろ。折角だ、あの子の恨みを晴らしてやるか》
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