松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第22章 機関と教授と担当。

1 怨霊と読者。

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 僕は怖い話が好きだった。

 その日、その時。
 怨霊と出会うまでは。

『いやー、コレは実に怖かったよ、うん』
《ですよね、彼の選別はやはりピカイチですから、次も頼みますよ》
「はい、ありがとうございます」

 僕は町のしがない本屋の息子、その友人の仕入れ人。
 昨今には数多の本が出版され、数多の趣味を持つ者が居る。

 その中でも僕が得意とするのは怖い本。

 男女の色恋より、冒険譚よりも。
 最も惹かれるのが、怖い本。

 中でも民俗学者、大町先生監修の本はゾクゾクとしてしまう。

 とても身の近くに、アレは直ぐそこに居る。
 そう思わせる怖い本。

 そんな彼の本を再び部屋で読み返していた日の、夕暮れ時だった。



《……ぉし、……ぃせ……》

 下宿先の硝子戸が何度か叩かれた音と、くぐもった声が聞こえた。

「お登勢さーん、来客みたいですよー!」

 炊事だ掃除だと担っているお登勢さんは、そこまでの年では無いにも関わらず、耳が遠い。
 だからこそ、ココらへんの者は戸を叩いて直ぐ、ガラガラと引き戸を開け入って来る。

 けれども今日の来訪者は、不慣れらしい。

 またしても硝子張りの引き戸を何度か叩き。
 何か言っていた。

《…ぅか……ぁけ…》

 すっかり読書の邪魔をされてしまった僕は、客人の相手をする事に。
 ココの下宿人としての、暗黙の掟であるから仕方が無い。

「はーい、暫くお待ち下さーい」

 そう大きな声を出しながら駆け下り、玄関先へ。

 けれども、誰も居ない。
 磨り硝子の向こうは、斜に夕日が射すばかり。

 けれども。
 ガシャンガシャンと、戸が揺れながらも鳴り響き。

《ぇて、ぅち、な、なぁ、なぁ》

 確かに戸の向こうから、声が聞こえるが。
 姿も陰も、透けて見える事すら無い。

 けれど僕は、怯える事は無かった。

「また、誰か知りませんけど、そう僕は怯えたりはしませんよ。どうせ見えぬ場所から戸を叩くか、若しくは竿でも使っているのでしょう」

 怖い話を好むとなれば、ならアイツを脅かしてやろう、そう考える者が必ず1人は出るもので。

《にみ、ぉも》
「ですから、せめて意味の有る言葉か、怖い文言にして下さいよ」

 読者を邪魔されてしまった僕は、幾ばくか憤りながら戸を開いた。
 けれど案の定、目の前には誰も居らず。

 さて、脅かして来た者を見付け出してやるかな、そう意気込んだ時でした。

《くれ、たご、あむ》

 真横から冷たい空気と共に、子供の様な声が間近で聞こえ、横を向くと。
 硝子戸の格子幅程に薄く、平べったくなってしまった何かが、ぎこちなく波打っていた。

「ひっ」
《のこ、りあ、とよ、つう》

 そう言うと、一反木綿と言うには厚い体をうねらせながら、へたり込んだ僕に覆い被さったかと思うと。
 次に目を開けた時には、もう、影も形も消えていた。

『◯◯君!』



 俺の友人は怖い話が好物で、3度の飯より本を取る、そんな男だ。

「あ、あぁ、△△さん」
『今のは一体、何だったんだい』

「△△さんも見たんですか、アレを」
『あぁ、ただあまりに恐ろしくて、様子を伺っていたんだ』

「僕にも、良く分からないんですが。アレは、アレは一体、いつからご覧になってましたか」
『あぁ、アレが戸の隙間に入ろうとしていた頃からだよ』

 そう聞いた◯◯君は真っ青になり。

「そんな、戸を叩いていたワケでは無く」
『指先を差し込みながら、全身を波打たせ、次第に体を薄くしていったんだ』

 そうコチラが言い終えるかどうかで、ガタガタと全身を震わせる始め。

「ぼ、僕は、怖い話が好きなだけで。べ、別に、怖い事は」
『落ち着くんだ◯◯君、先ずは戻ろう』

「は、はぃ」

 全く足腰の立たなくなった彼を、何とか立たせ。
 玄関口で戸を閉めると。

 ガシャン。

 その音だけで、彼は縮み上がり。
 すっかり蹲ってしまった。

『◯◯君、お登勢さんはどうしたんだい』
「わ、分かりませんけど、居るは居る筈です」

『そうか、なら』
「まっ、持って下さい、どうか置いて行かないで下さい。お願いします、どうか、どうか……」

 怯える彼を何とか宥め。
 共に、寮母のお登勢さんを捜し始めると。

 ガタガタガタ。

 お勝手口の戸が揺れ始めると、再び◯◯君は絶句し、へたり込んでしまった。
 そして俺も、固まってしまったまま、徐々に空く戸を眺めていると。

《あぁ、どうしたんですか》
『何だ、お登勢さ』
「ひぃっ」

 ◯◯君はか細い悲鳴を上げると、自分の部屋へと逃げ出していった。

《まぁまぁ、とうとう驚かせ過ぎたんですかね》

 そう言いながら戸を閉めるお登勢さんの後ろに、先程の何かが。

『ぁあ、話は後で、さ』
《え、あぁ、はいはい》

 お登勢さんの荷物を引ったくり、急いで家に上げ。
 事情を話す事に。

『それで、似たようなココらの伝承や何か、知りませんか』
《どうなんですかね、私は聞いた事も無いですけど、やっぱりお寺さんや神社ですかね?》

『あぁ、確かに、確かにそうですね』

 そう言い終えるかどうかで、炊事場の硝子窓が。
 ガシャンガシャン、と。

 窓硝子に、ドス黒い泥の様な血が塗り付けられると、真横へと筋を描き始め。

《悪戯にしても度が過ぎますよ、全く》
『あ、お登勢さん』

 お登勢さんは半信半疑だったのか、お勝手口へ向かい。

《全くっ》

 戸を開けた瞬間、お登勢さんの体を杭の様な何かが貫いた。

『ひっ』

 血に塗れた、肌色の滑らかな杭を良く見ると。
 それは良く尖った、指先だった。

《のこ、りみ、つだ》

 残り、3つ。
 何の事か、全く。



『◯◯君!◯◯君!』

 僕は押入れに隠れていた。

「ひっ」
『あぁ、ココか、先ずは神社に行こう』

「あ、あぁ、はい」

 僕はもう、磨り硝子の向こうに何かが有るだけで。
 戸がガタガタと音を立てるだけで、怖くて堪らなかった。

 だからこそ、逃げ出せば。
 この家から離れれば助かるだろう、そう思い△△さんと神社へ駆け込んだ。

《あぁ、まぁ、どうぞ》

 僕らの言う事に半信半疑だったのか、寝屋は貸してくれたものの、特に何かするでも無く。

『あの、お払いだとかは』
《あのですね、神主だからと言って誰もが見えるワケでは無いんですよ。それに、本当なら駐在さんに連絡しなきゃならない。良いですか、本当に連絡しますからね》

『はい、本当なんです、どうかお願いします』

《分かりました。但し、大人しくしていて下さいよ、暴れて何か壊したら弁償して頂きますからね》
『はい、必ず』

 僕は例え神主が見えずとも、ココでなら安心していられるだろう。
 そう思っていたけれど。

 ガラッ。

「ひっ」
《全く、何も無かったそうですよ》
『そんな筈は』

《お登勢さんは確かに居ませんでしたけど、血の後も何も無し、窓だって綺麗だったそうです。君達、一体お登勢さんに》
『本当なんです!本当にドス黒い何かが窓に、それでお登勢さんが』

 ガタガタガタッ。

 突風でも吹いたかの様に、戸と言う戸が震え鳴き。

「ひぃっ」
《良いですか、誰と組んで悪戯をしているか分かりませんが》
『違うんです!お登勢さんもそうやって』

 △△さんが言っていた通り、戸を開けると神主の体が僅かに震えると同時に。
 背中から、血の滴った肌色の滑らかな杭が。

《ぅうっ》
《のこ、りあ、とふ、たつ》

 僕らは窓から逃げ出し、寺へと逃げ込んだ。



『お願いします、どうか、お慈悲を』

 俺達は真っ青になり、震え上がりながら。
 坊主の足元に縋り付いた。

《まぁまぁ、落ち着いて。さ、先ずは上がって下さい》

 その言葉と同時に、正門の方で。

 ドンッ、と。
 雷でも落ちたかの様に、ビリビリと響く程の轟音が轟き。

『あ、あぁ』
《成程、ですが先ずはお話をお聞かせ下さい。さ、コチラへ》

 既に◯◯君は言葉を失い、殆どを俺が話した。
 だが、その合間にも轟音が鳴り響き、その度に◯◯君は震え上がり。

『あの、一体』
《まだ、詳しくは分かりませんが、先ずはお不動さんにご挨拶をお願いしても宜しいですか》

『は、はい』

 言われるがままに、文言を唱え必死に助けを請うていると。

《取り敢えずは、今夜は大丈夫でしょう》

 気が付くと轟音は鳴り止み。
 ◯◯君の顔色も、些か戻っていた。

『ありがとうございます』
《いえいえ、まだですよ。少し肌寒いですが、身を清めて頂きます》

 そうして冷たい水で身を清め、再びお不動さんにご挨拶し。
 それからやっと、俺達は眠る事が出来た。



「なら、僕達はもう、ココから」
《どうでしょう、何分、私はこうした事が初めてでして。専門の方に、お願いしようかと》
『お願いしたいのは山々なんですが、戸を』

《まだ、何も分かりませんから、どうか断言だけは避けましょう。大丈夫です、門外漢では有りますが、心得は承知しておりますから》

 以降、僕らはお寺でお世話になる事となり。
 せめてものお礼にと、洗濯や庭掃除何かをしていたのですが。

 ドンッ。

 まだ、何かは外に居り。
 塀の向こうから僕を察してか、真正面の塀を殴った様で。

 僕は作業を放り投げ、お坊さんの元へと走り出しました。

「ま、また」
《落ち着いて下さい、悪戯かも知れません。さ、何が有ったか、教えて下さい》



 突然のお手紙、失礼致します。

 先日、血相を変えた青年が2人。
 私のお仕えしている寺院へ駆け込んで来た為、取り敢えずは、と保護させて頂き。

 未だに寺院で暮らして頂いているのですが、どうやら彼らにのみ聞こえる音が有るらしく。
 まるで猫の様に、同時に1つの場所へと顔を向け、酷く狼狽えるのです。

 彼らが言うには、何かが何処かを叩く音、若しくは戸を開けようとする音が聞こえるそうなのですが。

 他の者も含め、私は一切聞いた事が無いのです。

 ですが、実際に行方が分からなくなっている者が、3名。
 下宿先のお登勢さん、近隣の神社の神主、そして最初に手紙を託した配達人の男性。

 この3名が、跡形も無しに行方知れずとなったまま。

 私は神仏を信じてはおりますが、未だに妖怪や怪異の事は不得手でして。
 こうした事において、電話等は厳禁である、としか存じず。

 念の為、幾つかの手段を講じ、お手紙を出させて頂いたのですが。
 いつ、一体何通が届いている事か。

 今は私達に害は無いのですが、何分門外漢ですので、ご指導頂ければ幸いです。
 では、どうか宜しくお願い致します。

『それで、コチラは何通目をですか』
《コレだけ、だが》
「裏に6ノ3と書かれてますし、3通目が1つだけ、でしょうね」

『では、犬神と小泉女史に確認後、向かいましょう』
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