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第17章 物語と記者。

鴆と食吐悲苦鳥。

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 彼女は華やかな容姿とは裏腹に、控え目で遠慮がち。
 顔立ちはハッキリとしていながらも、その目を伏せ、視線から逃れようとする。

 この若く美しい女を、僕のものに出来無いだろうか。
 そうして僕のものにし、手塩にかけ磨く。

 コレは、誰しもが考えるだろう事。
 華やかで美しい、けれども貞淑で教養が有りながらも、淫靡な女をと。

 僕は、やっと理想の女性を見付けたかも知れない。

『あぁ、すみません、少し失礼しますね』

 僕を案内した、女の様にひ弱そうな青年は。
 この店の裏方でもしているのか、店主然とした女将に手招きされ、店の奥へ女将と共に消えていった。

《あの、お飲み物のお代わりは、如何でしょうか》

 一生涯、添い遂げると言うのなら、こうして容姿も声色も良い者を傍に置きたいだろう。

 それは男だけでは無い、女とて同じ事。
 幾ら優しかろうとも、幾ら気遣おうとも、結局は容姿だ。

 だからこそ、平凡な容姿の僕は、こうして未だに独身なのだから。

『君も何か飲みたいだろう、好きに注文してきなさい』

《はい、ありがとうございます》

 彼女を、絶対に僕のモノにする。



《あぁ、すまないね、投げておいておくれ》
『三井君、捨てる、だよ』

《あぁ、つい、郷土料理のせいかも知れないね》
『ココは東京、しかも銀座なんだから、しっかり東京弁を言ってくれないとね』

《けれどココは東北料理屋だ、田舎、じゃいご》
『じゃいご』

《ほら》
『僕は良いんだよ、君とは違うんだから』
《河合さん》

『あぁ、男同士のじゃれ合いに不慣れなのかな』
《大丈夫ですよ、良く有る事ですから》

『仲が良いからこそ、強くも言い合えるものなんだよ、都会でも田舎でも。だろう』
《東北は特に強い語気で有名だけれど、中身は非常に世話好き、落差が凄いとも言われていてね》

『良い温泉が有るそうだよ、いつか行こうじゃないか、七種の湯が楽しめるそうだ』
《あぁ、山奥だけれどね。流石だね河合君、良く覚えていてくれた》

『勿論だよ、どうだい、良い湯だそうだよ』

《はい》
『なら、詳しく聞かなければならないね』
《移動だけで1日は掛かるよ、覚悟しておいてくれね》

 彼はとても、面白い。

『つまりは、君みたいに平凡な妻で満足する様な男では無い、と言う事だよ』

《あぁ、シノさんは実に煌びやかだからね》
《あの》

『親友同士の、都会の冗談が分からないんだね、可哀想に。気に入った子に強く絡む、それと同じと言う事だよ。彼の細君は非常に穏やかだし、淑やかで教養も有る、寧ろ君には見習って貰いたい女性だよ』

《ありがとう河合君》

 ふふふ、面白がっているのなら、良い趣味ね。



『と、言うやり取りが有ったそうなんですが。コレが、都会の冗談、なんでしょうか』

「はぁ、僕には良く分かりません」
《そうだね、僕もだよ》
『田舎者の女には、一生分からないのでしょうか』

「多分ですが、冗談、の幅が人より広いのかと」
《何でも笑って言い合える、どんな尖った事も臆する事無く言える、どんな事も笑って済ませられる度量の広さが有る。それらと勘違いしているんだろうね》

「あぁ、深刻に扱わない、軽妙さの良さを出している。と思っているのかも知れませんけど、僕としては、品性下劣な貶めにしか思えないんですが。もしかして、僕達は仲が良くないんでしょうか」

《そうだね、自分の故郷の訛りでも無いのに、不意に相手の訛りに共鳴して出てしまう所が、実に癪に障るね》
「神宮寺さんだって、青あざを青なじみだなんて、何の事か。うん、無理ですね」

《そうだね、洒落た事を言える、そうした粋な男に見られたい。勘違いした下流の男、なだけだろう》
「あ、弄る、嘲笑う。そこの分別も付かないんでしょうね、成程」

『つまりは、冗談では』
「それをうんうんと相手をしている方も、こんなヤツの相手をしてやれている自分は度量が広い、と思っていらっしゃったなら。冗談と言えば冗談ですね、言っている側も冗談だ、と思っているならですけど」

『まだ分かりません』

「あ、特殊な関係性を築けている、自分達は凄いんだ。ですかね」
《あぁ、それは確かに、僕らにも有るしね》

「無いですよ、全然」
《コレが男の強がりだ、実にお笑い種だね》

「神宮寺さんが言います?」
《何の事だか、どうだい、分かったかな》
『今ので分かりました、馴れ合いと謗り合いを勘違いしている、と言う事ですね』

「多分、ですけどね」



 本当に、面白い人。

「良い加減にしてくれないか」

『いや、そんなに本気にならないでくれよ、単なる軽い冗談じゃないか』
「そう言い訳をすれば何でも良いと思っている、そう思っているだろう相手とは僕は付き合いたくも無い、コチラの品位が下がる。失礼させて貰うよ」

『はぁ、頭の固い、固定観念で凝り固まった者にはほとほと困るね』
《全くですね、単なる冗談なのに》

『あぁ、君も分かる様になったんだね』
《河合さんのお陰です、全て》

『あぁ、本当に良い子だねシノは』

 本当に、面白い。



《河合さん》

『ほんの冗談だよ、まさか本気で、他の女に僕が行くとでも思ったのかい。三井君に頼んで、浮気していたフリ、だよ。例え浮気なんぞされても、しゃっきりどっしり構えていれば良いだけだ、そうすれば直ぐに男は帰って来るもんだよ』

《河合さん、信じますからね?》
『あぁ、君は物分かりの良い子だ、と僕も信じているよ』



 本当に面白い。

《何ですか、河合さん》

『君は、どうして宇野と』

《ただ、お話してただけですよ、それを嫉妬だなんてみっともない。それに、浮気なんぞされても、しゃっきりどっしり構えていれば良いだけだ。と仰っていましたし、私は見逃しましたよ?》
『僕は!男は良いんだ』

《あぁ、そうですか》
『冗談だよシノ、君を試しただけなんだ。良く覚えていたね、良い子だ、シノ』

《ですよね、私も冗談ですもの、私には河合さんだけなんですから》
『シノ』

《じゃあ、もう寝ますね、お肌に夜更かしは大敵ですから。おやすみなさい、河合さん》

 本当に、面白い人。



『そんなに不満が有るなら、出て行ってくれて構わない』

《分かりました》
『シノ、冗談だシノ、冗談じゃないか。分かるだろうシノ、冗談だ、分かるね?』

《勿論、私には河合さんだけですもの》
『あぁ、シノ、良い子だ。良い子だ』



 本当に面白い人。

『帰って来てくれ、何でもする、だから』
《面白くない冗談ですね、言う事が聞けないなら出て行け、と仰ったのは河合さんじゃないですか》

『だとしてもだ、君は良い年になったんだ、そろそろ』
《頭の固い、固定観念で凝り固まった者って、とても格好悪いのに。まさか、本気で仰ったりは、してませんよね?》

 何処まで、愛しているのだから、と耐えてくれるのかしら。

『ぁあ、勿論だ、冗談だよ。君の、君の好きにしてくれて構わない、だから』
《だから大好きよ河合さん。柔軟で軽やかで、冗談が良く通じて、真の都会の男。なんですもの》

『あぁ、僕は、そう言う男だからね』



 山の民にとって、時に病持ちは悪では無い。
 何より今は、ウチには鴆であり食吐悲苦鳥じきとひくちょうが、居るのだから。

『シノさん、どうですか塩梅は』

《ふふふ、この淋ちゃんはね、誰の子でも凄く弱い子なの。そして梅ちゃんは、模倣の名人、まさしくその通りなのよ。ふふふふふ》

 この女の血筋から、自ら種痘の土台となるモノが現れた。
 古くは虚ろ舟との交じりも有った、とする血筋の女。

『全て同じなのですか』
《あ、いいえ、向こうのは投薬と罹患を繰り返させた子よ。薬剤耐性菌、論文通りになったわ》

『そうですか、お役に立てているんですね』
《勿論、ふふふ。でも残念だわ、たった1回感染しただけで怯えるだなんて、恋愛大先生は大した事は無かったんだもの》

 対価には対価を。
 快楽であれ苦痛であれ、全てにおいて対価は必要となる。

 稀有で美しい毒花を得たいなら、先ずはその身が滅びるだろう事を、了承しなければならない。
 花を渡り歩く蝶に、どんな花粉がどれ程に着いているだろうか、同じ蝶なら分かるだろうに。

『次を探しますが、何かご要望は』

《そうね、今度は真面目な人にしてみるわ、うだつの上がらない中流階級の平凡そうな男。あの冗談、とか言うのが何処まで通用するかも、試してみたいの》
『分かりました』

 庭に置くには幾ばくか配慮が必要な花。
 けれども非常に有用で、有益。



『全く、シノがあんな女だとは、流石の僕も見抜けなかったよ』

《君に無理なら、僕にはもっと無理な難問だ》
『だろう、だからこそ、僕は指南書を出そうと思う。流石に昨今は僕に近しい男も現れ始めた、そうした者と、そろそろ語り合うべきだと思ってね』

《成程、なら、君ともなれば大きな出版社が当然だろうね。最近は不祥事が続いているらしいけれど、だからこそ、あの出版社は君の力を必要とする筈だ》

『確かに、落ちぶれたとは言えど大きな出版社だ。ただまぁ、僕の力を扱える者が居るか、だけれどね』
《出版社は他にも有るし、どうやら担当が重要だそうだから、先ずは真の同志を見付ける所からと。君は、僕が言わなくとも、既にそう考えているだろうけどね》

『君は、本当に僕の理解者、無二の親友だよ』
《そうだよ河合君、僕は君の理解者で親友だ。さ、先ずは原稿を買いに行こうか》

『あぁ、行こう』

 コレが、前に言っていた男達か。
 碌なもんじゃないな。

《あまり変な事を学んでくれるな、面倒だ》
『良い悪しき見本ですから、特にアレが』

《あぁ、そこは間違い無いな》
『それに連れも、アレでもマトモです、彼の本は郷でも評判ですから』

 嘲笑の気配は無く、本気で楽しんでいる。

《あぁ、とんだ変態趣味持ちか》
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