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第3章 霊能者と記者。

3 E橋殺人事件。

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 喫茶に行く前、神宮寺さんが少し本屋に寄りたい、今月号を買って読んでみたいと仰って下さって。
 少し会計で押し問答したんですけど、付き添ってくれているから、と押し負け。

 そして喫茶で冷やし珈琲を飲みながら、神宮寺さんが読み終わったのですが。
 余韻に浸っているのか、感想に困っているのか判らない表情でして。

「あの、どう、でしょうか」

《何だろうか、雑多だけれど、何処か統一感が有ると言うか》
「あぁ、お分かりになって頂けるんですね、ありがとうございます」

《いや、コレはまだ感想に困っているんですが。斬新さと懐かしさが共存しているというか、遠くて身近で》
「それは教訓を交えた寓話に寄せているからなんです、と言っても比喩的表現は勿論、寓意や擬人化も控え目なので寓話では無いと評する方も居るんですが。民話、童話の様に教訓が有ったり無かったり。しているからだと、思います。すみません、嬉しくてつい」

 こうして勝手に盛り上がってしまうから、モテないんだそうで。
 ただ、この時の神宮司さんの表情に、呆れは無かったと思います。

《君は、大学だとかは》
「一応勧められはしたんですけど、出来るだけ早く本に触れたくて」

 楽しい時も悲しい時も、多少は憂鬱でも、ムカムカしても。
 本を読めば楽しくなれる。

 読み始めは勿論ですが、読んでいる途中は想像を膨らませて楽しめる、読み終わったら余韻を楽しめる。

 そりゃ悲しい内容は悲しいですけど、良い悲恋や悲哀って、多分僕が味わえないかも知れない出来事で。
 そうした事を体験させて貰っている、そうした体験をして貰う為に働く、つまりは楽しい。

 仕事の全てが楽しいんですよね。

《君は、仕事馬鹿だと言われた事は》
「3桁は多分、無いかと、働き出してからは寧ろ褒め言葉になったので」

《あぁ、成程》

「あ、日没まではまだ時間がありますし、地図を見てみませんか?推理するんですよ推理」
《あ、あぁ、うん》



 林檎君は、本当に女しておいたらダメなヤツだった。
 謙虚ながらも明朗快活で、気配り上手、おまけに気が回る。

 怖がりの事を良く知り尽くし、様々な話題を提供し、気を逸らしてくれた。

 従姉妹に居たら、間違い無く惚れていた。
 本当に、男で残念であり、良かったとも思える不思議な存在。

 正直、気に入ってしまったのが本音だ。

「先生が仰ってたんですよ、こうして神社を繋ぐと六芒星になるって、その真ん中にE橋。ココを守る為じゃないかって話なんですよ」

《林檎君、それはある意味で本当だよ。E川は開渠かいきょ、元は公共事業により作られた川、工事には当然事故が付き物だ。囲っている、と言うより川沿いに建っていると言える、それだけ怪我や人死、川の氾濫が多かったって事だよね》

「あの、もしかして橋で待っている時、怖かったですか?」

 あぁ、アレは怖がるべきだったな。
 けれど今更。

《怖いと言うか、寧ろ気が動転していたのと。単なる殺人事件なら寧ろ人の方が怖い、そうした怖さが勝っていたし、半分は悪質な悪戯だと思っていたからね》
「ですよねぇ、血溜まりだけ、でしたから。それこそ馬の血かも知れないし、それこそ犬猫の、もしかして何かの儀式かもですよね」

 そうした儀式の痕跡は全く無い。
 そしてその場で亡くなった様な気配も無い、アレは所謂、警察への挑戦状だろう。

《それにしても、良く血だと分かりましたね、絵具やペンキだと思ってましたよ》
「あ、近付いて嗅いだんですよ、念の為に」

《君、なんて危ない事を》
「あ、いや、あの血溜まりでは無くて他の血痕ですよ。形からして石川から牛込方面へ立ち去った可能性が有りますね」

《血痕の形で、そこまで》
「はい、とある先生が試したんですよ、血の滴り具合が気になって。そうすると一定の規則性が有った、そこで偉い先生方を集めて、実験したんです。立ち会わせて頂いたんですけど、凄く楽しかったですよ、しかも先生のファンの方も居らして。凄く楽しい会でした」

《君は、本当に物怖じしないね、僕なら縮こまってしまいそうだよ》
「いえいえ、先生方がどなたも優しかったからこそですよ、やっぱり教え好きですから色々と勉強させて頂きました」

《君は、林檎君は書かないんですか?》
「はい、専ら読むのが好きで。それに、書きたいと思った事が無いんですよね、それこそ読みたい本ばかりで書くどころでは無いので」

《そうか、でも勿体無い気もするね、相応の知識が有りそうなのに》
「知識だけでは書けませんからね、それこそ文才だとか、経験だとか。僕はとっても平凡で平穏な人生なので、さして書く事も無いんですよ。とても当たり前の人生を、皆さんのお陰で歩ませて頂いているだけですから」

《謙遜が美味いね、僕はつい、卑屈になってしまうから》
「寧ろ、その方が良い時も有るんですよ、それこそ芸術家。僕には鬱屈した何かと言うモノが無いんです、と言うか有っても本を読むと消えてしまうので、それでも残る方こそ芸術家向き。神宮寺さんも何か書くか、それこそ原案作家先生になりませんか?」

 副収入が増えるのは良い事だ。
 それに彼は信頼出来る、良い気配を持っているし。

《ほう》
「あ、ご興味を持って頂けましたね。コチラです、どうぞ」

 そうして渡された契約書には、他の物は見た事が無いので比べる事は出来無いが。
 かなりコチラを守れる様にと、配慮されている様に思えた。

《他も、こう、なんでしょうか》

「いえ、中には全く契約書が無い社も有るそうで。原稿を紛失しても、1枚だけだからと謝罪だけだったり、売り上げに関係無く一定額を渡して終わりだとか。他社から先生に依頼が有った事を、忘れていた、としてお伝えしなかったり。締め切り直前にお偉いさんとの食事会を設定される、都合を無視して締め切りだけお伝えするだとか、特別給付無しでいきなり色紙を書かされるだとか」

《もっと、有りそうですね》
「はい、あまり他社の事は言いたくないんですが。中には同じ作品を別々の作家に黙って書かせ、良さそうな方を売れ筋に乗せて、そこそこのは更に改変させて違う作品として出させたり。しかも他でも似た様な事が有って、その場合は原案が編集担当から出たと言う事にし、原案作家先生には言わずのままで問題が大事になったり。碌に校正もせず出版して、後になって名を使われた企業が提訴、出版停止」

《林檎君は、許せないでしょうね》
「勿論ですよ、コチラの指示通りに書けだなんて、ならご自分でお書きになったら良いんです。それなのに指示通りにしろって、なら速記者なり文字起こしの方を雇えば良い、作家に頼むべき事では有りません」

《けれど、横行しているんだね》
「はぃ、確かに僕も助言はしますし、もう少しこうしてくれだとかも言います。熱意故にそれらが行き過ぎてしまう人も居るでしょうし、好きだからこそ、激しい意見の食い違いが出る事も有ります。でも」



 先生の案が土台に有ってこそ、当初のご説明で魅力を感じた筈なんですから。
 すっかり形を変えてしまう意味が本当に分からない、いや、分かるんですよ理屈は。

 昨今の売れ筋だとか何だと、理由は分かります。

 ですが、そう手間暇を惜しんで出せば、それだけ読者の喉元に引っ掛からない。
 そして安易な作品を出せば、安易な消費を生んでしまう。

 いずれ作品が大量に世に出る時代が来るでしょう、そうなれば大量生産、安易な大量消費とならざるを得ない。
 そうして良い作品、では無く大量生産出来る作品、作家が売れる。

《意外だけれど、確かに器や食べ物と同じ道を辿るかも知れないね》
「はい」

 いずれ粗悪品が流通し、問題が起きる。

 食べ物で言う健康被害なら、本なら道徳概念の崩壊、新たな因習が増え世が乱れ始める。
 そして安易に使い捨てれば、いつか資源が枯渇し、良い材料が手に入り難くなってしまう。

《他社は自分の首を自分で絞めているワケだね》
「はい、ですがそこに乗ってしまうのも人の性、やれ作家先生だ文筆家だと名乗れば相応の待遇が受けられますから」

 何処かに得が有るからこそ、例え全体が見ていても、乗らざるを得ない。
 金、名声、立場。

 何処だかの編集長が愚痴っていました、編集長も大変だから、少しの失敗は仕方が無いじゃないかって。

 なら、人手を増やせば良いんですよ。
 副編集長だとか、副編集長補佐だとか、分担せず愚痴られても担当編集は困ります。

《人を育てるのは大変だからね》
「そこです、結局は手間を惜しんでの事じゃないですか」

 やれ商家は三代続かないものだな、とか言いながらも、結局は同じ事をしているんです。
 後進を育てず自らの立場に縋り付いても、ただ家を傾けるだけ、社を傾けるだけなのに。

 ただ愚痴るだけで、人手を増やさず後進も育てない。

《大きいと、些細な傾きに思えるのかも知れないね》
「だと思います。でも、それって作家先生にとっては不利益になるし、本来は関わるべき事では無いじゃないですか?」

 作家は作家であって、業界の玄人とは別物、それこそ経営は社が考えるべき事ですし。
 それこそ得手不得手も有ります。

 考えて頂ける方に考えて頂けば良い、作家とは本来、作品を生み出す者なんですから。

《本当に物語が好きなんだね》
「それはもう、食べるのも寝るのも惜しくなる時が有りますから。でも、だからこそなんですよ、好きだから我慢する。頑張る為の原動力にして、働く、そうするとまた良い作品が出来上がる。これはもう永久機関だと思うんですよね」

《そうだね》
「ふふふ、あ、すみません。熱弁してしまいました」

《いや、契約させて貰うよ、宜しく》
「はい!宜しくお願いします!」
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