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第1章 松書房、月刊怪奇実話の林檎君。

3 名家の酷い男と、虐げられていた妻。

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《あぁ、林檎君、態々僻地まですまないね》
「いえいえ、都会の雑踏や喧騒は佐藤先生の作品には似合いませんし、僕らの息抜きにもなりますから寧ろ有り難い限りですよ。鎌倉だなんて、お洒落じゃないですかもう、僕もココに住みたいなぁ」

《住むと言うよりは仕事場だからね、楽しいと言うよりはもう、逆にココを地獄にしているんだよ》
「流石です先生、僕なら地獄にしようとも思いませんから」
『はいはい、お喋りが本当に好きねもう、お茶ですよどうぞ』

「ありがとうございます、うーん良い香り」
《どうにも狭山茶が好きでね、無くなったら買いに行って貰っているんだよ》
『嫌だわもう、私を実家に帰らせる口実、真に受けたらダメよ林檎ちゃん』

「構い過ぎそうですもんね、明弘さん」
『あら酷いわ、先生の健康に気を遣ってるだけよ』

 佐藤先生は松書房の大型新人、花形のミステリィを書いて下さっている作家先生でらっしゃいます。
 そして助手兼家政夫をしている明弘さんは、ファンだと言ってそのまま先生の家に押し掛けて来た飲み屋の方、打ち合わせに使う場所はもう少し精査すべきだと思った事件でしたね。

「はいはい」
『まぁ素っ気無い、そんなんじゃ女の1人も引っ掛けられないわよ?』

「先生ですら、こうして男しか引っ掛けられませんもんね」
『まぁ失礼な子、しっかり私が追い返しているだけよ。それに』
《明弘さん》

『あら失礼、じゃ、ごゆっくりどうぞ』

 多分ですが、先生には想い人がいらっしゃるんだと思います。
 作品に出て来る女性は、必ず淑やかながらも芯の有る強い女性、そして名は必ず花の名。

《すまないね、はい、出来ましたよ》
『はい、確かめさせて頂きますね』

《はい、宜しくお願いします》

 僕の得意分野は、どんな悪筆でも読み解ける事、なんですが。
 佐藤先生の字は綺麗でらっしゃるんですよね、ですから僕がココに来る必要も本来は無いんですが。

 佐藤先生たってのご希望で、僕が担当に。

「はい、確かに。相変わらず筆が早いですね先生は」
《湧き出て来る間だけですよ、才能の泉が枯れるまで、ただ吐き出しているだけですから》

 こうして穏やかな態度とは裏腹に、実にドロドロとした情愛の絡むミステリィを書く方なんですよね。
 凄いですよね本当、人は見た目によらないを体現してらっしゃるんですから。

「にしても、ですよ。ですけどいつでも恋愛物でもお受けしますから、ミステリィに拘らずにじゃんじゃん書いて下さいね」
《はい、ありがとう林檎君》

「では」
《あの、黒木さんは、どんな方でした?創刊号を読ませて頂いて、あの通りなのかな、と》

「あぁ、さては良いネタになりそうですか?」
《ですね》

「成程、お話ししても構いませんが内密にお願いしますね?それと黒木さんの事らしきモノを書いた際は、僕に原稿をお願い致します」
《分かりました、是非君に》

「ではでは、先ずは最初から」



 僕が最初にお会いした時の印象は、固い、ですかね。

『大衆娯楽雑誌、月刊怪奇実話、ですか』

「はい、大衆に娯楽と知性を与える為に、と」
『松書房さんは確か、かなり大手だったと思いますが』

「実話と言っても身の詰まった中身の有る話、所謂教訓譚等も載せつつ、大衆に広く読んで戴ける雑誌にと。既にミステリィ作家の佐藤先生から寄稿頂いておりますのと、挿絵は幽鬼白夜先生に幾ばくかお描き頂き、華道家の榊田先生には誰にでも出来る華道への道で何項か頂いております」

『多彩な雑誌ですね、幽霊画の幽鬼先生に榊田先生、ですか』
「庶民には手が届かない。そう何事も諦めて貰っては困りますので、皆様に頑張って頂く為にも、やっと中流階級になれた恩返しにと会長が考案された事でして。上流の方に出来るだけご迷惑が掛からない様にと、大変に厳しく申し付けられましたので。もし、ご迷惑でなければ、御社の経営理念や信条を分かり易く伝える事で、宣伝になればと」

『会長でらっしゃる野間口響一郎さんが中流階級なら、ウチは二流ですよ』
「いえいえとんでもない、会長はまだ一代目、謂わば成金も同然。ですが三代目ご当主様は根っからの上流、しかもお継ぎになってからも順調だ、三代続けば末代続くとは誠だな、とお伺いしていますよ」

 初代が創り、二代目で傾き、三代目が潰す。
 売り家と唐様で書く三代目。

 そうしたお言葉を気にしてらっしゃったのか、ココで何とか機嫌を良くして頂けましたね。

『経営理念や信条、だろうか』
「はい、ただ庶民には難しい言葉ですと伝わりが悪いので、コチラで手直しをさせて頂く事は有りますが。刷る前にお確かめになって頂きますので、そこで気に食わなければ原稿はお返しさせて頂きます」

『もし、確認後』
「それはお任せ下さい、契約書も受領書も用意させて頂きました。どうぞ、お確かめを」

 黒木さんとの出会いは、最初は不審がられましたけど、創刊号の表紙も快諾頂いたんですよね。
 美丈夫ですからね、黒木三代目当主は。



《美丈夫、ですか》
「ですから奥様にもお会いしたかったんですが、生憎と具合が悪い、と。ですけど僕思ったんですよ、これだけの美丈夫ですから奥様もお綺麗でらっしゃるのかしら、と。なんせお相手も上流のご長女様だそうですから、相当に大事にしてらっしゃるのかと、僕は警戒されても当然ですし」

 記者だ出版社だと名乗ると、先ずは眉をひそめられる。
 そしてやっとマトモな出版社のマトモな雑誌だとなって、やっと少しはお話を聞いて頂ける。

 はい、随分と低俗な大衆雑誌も有りますからね。

《その、奥方のお名前だとかは》
「えーっとですね、少々お待ちを。はいはいはい、はい、アヤメ様でらっしゃいますね」

《成程》
「先生の作品にピッタリじゃないですか、楽しみだなぁ」

《まだ書くとは決まってませんよ、そう人となりは分かりませんでしたし》
「あ、もしかして黒木家の事はあまりお知りでらっしゃらない?」

《そうですね、大商家だ、としか》
「当然ですが初代が非常に敏腕な方でして、ですが長者に二代無し、三代目のご両親がまぁ放蕩者でして」

 ご長男様が産まれて暫くすると、ご両親共に散々をなさって。
 現在は行方不明ですね。

《それはまた、大変でしょうね》
「ですけど人が良さそうな家政婦さんも居りましたし、通りすがりにご近所さんの噂話を聞きましたけど」

《けど?》
「いやね、寧ろお相手様の事を耳にしたもんですから少し他所にも尋ねたんですよ。もの凄い娘さんがいらっしゃるって、ですけどご姉妹ですからどっちの噂か。そうですそうです、そこで合点がいったんですよね、どうして警戒されてらっしゃったのか、改めてこう考えるとどっちなんでしょうねぇ」

《面白そうですね、少しばかり資料にしたいんですが》
「ええ良いですよ勿論、僕も少し気になりますし、弐号目をお渡しするついでですから」

《助かります林檎君、君の取材力に期待していますよ》
「僕も先生の新作、楽しみにしていますよ。では、この辺で」

《あぁ、すまないね汽車の時間が》
「大丈夫です大丈夫です、切符はまだ買っていませんから」

《成程、では、気を付けて》
「はい、ではまた」

 佐藤先生は本当にお優しいんですよね。
 とてもあんなに恐ろしい殺人鬼を書けるとは、思えない程に。



「どうも、覚えてらっしゃいますかね、林檎ですどうも」

『あぁ、松書房の』
「はい、近くに寄りましたんで弐号目をお渡しに参りました」

『良いんだろうか、僕は今回』
「創刊号だけマトモだった、そうご心配なさってはいないかと、それといつかまた取材させて頂きたいなと思っての事です。奥様にもお読み頂けるかは分かりませんが、どうぞ」

『あぁ、妻なら大変気に入っていたよ、丁度次も有れば欲しい、と』
「いや良かった、そうしてご感想を頂けるだけでも、頑張った甲斐が有りました。コレもひとえに黒木さんのお陰で箔が付いたからこそです、ありがとうございます」

『いや、僕も関心したよ、実に多彩な雑誌だったからね』
「いえいえ皆様のお陰で。それにしてもハイソな奥様でらっしゃいますね、若い方でもミステリィを好まない方も多いですから」

『あぁ、どうやら読む事が好きでね』
「今度、取材させて頂ける範囲をお伺いしても?あまり奥様を表に出したがらない方が多いので、馴れ初め等は難しいでしょうかね?」

『妻はあまり表に出たがらないのでね、それにすまないけれど向こうの家も』
「会長に伺いましたが呉服屋の花山家の娘さんだそうで、だとすれば向こうにも許可を頂かなくてはなりませんね」

『あぁ、向こうが良いと言うならコチラも妻に尋ねてみるが、ただあまり期待はしないで欲しい』
「分かりました、早速面会出来るかどうか、ですよねぇ」

『何回か妻の妹さんにお会いしたが、自慢の娘さんらしい』
「成程、そこから頑張ってみますね、ありがとうございました」

『もう暗い、車屋か何か』
「いえいえ、歩くのも仕事の1つですから、ありがとうございます、では」

『あぁ、気を付けて』

 妻の事を探りに来たのかと、幾ばくか警戒してみたが。
 流石に大手、下品な立ち入り方は無かったが。

「どなたが、あら新しい月刊怪奇実話」
『林檎君が持って来てくれて、どうやら君を取材したいらしい、先ずは向こうの家に確認してくれと言って妹さんの方を勧めておいたが』

「そのまま妹を取材して下さると良いんですけれどね、悪目立ちしたくないんです、ただでさえ妹に妬まれていたんですし」
『では次に何か言われたら断っておく』

「宜しくお願い致します、では」
『あぁ、コレは良いのか?』

「はい、もう買ってありますから、では、おやすみなさい旦那様」
『あぁ』

 相変わらず寝室は別。
 家政婦の前では仲睦まじい姿を見せるが、相変わらず部屋に籠り、夫婦円満とは程遠い。

 だが、意外と世間の夫婦はこうなのかも知れない。



「あ、佐藤先生、どうなさいました?」
《会長に新刊の相談にね、その序でに取材がどうなったか気になって来てしまったんだけれど、どうだろうか》

「勿論、凄く面白いですよ」

 佐藤先生は鼻が利く方らしく、思わず低俗な大衆紙に売り込みに行きたくなりましたけれど。
 それよりも先生方の燃料にした方が稼げる、それが会長のお言葉でして。

《それで、噂は妹のツバキさんの方だった、と》
「黒木の奥様、アヤメさんは家に籠りがちなのに派手なアヤメと名乗る女が相変わらず派手に遊んでいる、しかもアヤメさんを良く知る方は地味だなんだと仰って。なら、答えは1つ、かと」

《と言う事は、まだ会ってはいないんですね》
「上流の方の家ばかりで張り込みも難しいものですから、何処かでバッタリと会えたらとウロウロしても、どうにも運が悪いのか出会えないんですよねぇ」

《若者に人気の場所にも行かれましたか?カフェだとか、浅草のが人気だそうで、週末は並ぶんだとか》
「そんな所に行きますかね、上流のお嬢さんが」

《だからこそですよ、花街が近いんですから誤魔化して遊ぶのに良い場所なんだそうです。あぁ、花街に似た方が居たのね、それでアナタは何をなさっていたの、と》
「おぉ、近頃の若者は奔放ですねぇ」

《性病に効く薬が出ましたからね、油断しているのでしょう》
「アレ、何回も使うと利かなくなるんですけどねぇ」

《あぁ、本当なんですね》
「他の者がお医者先生に取材に行って、青ざめて帰って来ましたよ、噂じゃなく本当だったって。まるで幽霊でも見た様な顔でボソりと、正に怪談の様でしたよ」

《1番に怖いのは人ですからね》
「本当に、先生の作品は正に人の怖さが凝縮されていますからね」

《まだまだですよ、それに、もう怨嗟の炎が消えるかも知れませんし》

「コレ、ダメでしたかね?」
《いや、一応は書いてみるけれど、だね》

「もっと頑張りますから一緒に頑張りましょう?」

《そうだね、宜しく頼むよ林檎君》
「はい!」
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